10.ソフィアとお爺様と私
ソフィアに迎えられて、部屋に入ってきたのは、大柄な白髪の老人。
「元気にしとったかい?ソフィア」
「うん!」
(この人がソフィアのお爺様……)
口調も穏やかだし、表情もニコニコしていて、一見柔和そうな老人だけど、どことなく静かな威圧感を感じる。
足取りもかなりしっかりしているし、なにより目に力がある。見た目の印象通りの老人というわけではないのかもしれない。
「いけません、リード様!この後もご予定が!」
私がお爺様とその孫の久しぶりの交流を見守っていたら、続けて一人の男が慌ただしく部屋に駆け込んできた。
声からして、さっき廊下でソフィアのお爺様と少し揉めていた人だろう。
それにしても、曲がりなりにも淑女の部屋に声を荒げながら入室するというのは如何なものだろうか。
あまりの声にソフィアも縮こまってしまっている。一方、お爺様の方は全く動じていないみたいだけど。
「なに、ほんの少しじゃて。そのくらいの時間はあろう」
「し、しかしそれではバイロン様に」
若い男の方が、なんとか食い下がっていると、ソフィアのお爺様の目が、すっと細められる。
「少し、下がっていてはくれんかね」
「っ」
一瞬鋭くなった語気に押されるように、若い男はたじろぎ、観念したように溜息を吐いた。
「はあ、わかりました。……どうやら僕は本日のご予定をど忘れしてしまったようなので、確認してきます。しばらくしたら戻ってきますので、それまでこの部屋でお待ちください」
「すまないのぅ」
パタリ、と若い男が去り際に扉を閉め、部屋の中に残ったのはソフィアと、そのお爺様(と私)だけになる。
「これでようやくゆっくり話せるの。さて、じゃあまずはソフィア、そちらのお前のご友人を紹介してくれんかな?」
そう言うとソフィアのお爺様は視線を動かして、見えないはずの私と目を合わせた。
「そこのお嬢さん、かの?どうじゃろう、ソフィアとは仲良くしてくれていると嬉しいのじゃが」
『えっ、えっ、なんで私が見え、どういうことソフィア?!』
「ど、どういうことお爺様?!」
まさか視えているとは夢にも思っていなかった私は動揺しながらも事情を聞こうとソフィアの方に目をやったら、ソフィアも目を白黒させていたので、彼女にとってもどうやら初耳らしい。
私たちの狼狽ぶりを見て、まるでドッキリが成功した子供のような表情で、ソフィアのお爺様は笑っている。
「はは。すまん、二人とも驚かせてしもうたか? 実は儂にも視えるんじゃよ、この世ならざる存在が」
「え、お爺様、今まででもそんなこと一言も……」
「いや、それはすまんと思うとる。こんなこと立場上おいそれと言うわけにもいかなくてのう。元総主教が邪教の教えを肯定する発言なんぞして、誰かに聞かれたら良くて隔離棟に軟禁、
最悪病気を装って殺されかねん。最近はずっと監視もおったし、どうにも立場というもんが邪魔をしてかなわんわい」
『なら、どうして今明かしたんですか?』
「孫娘の友人と話すのに必要だった、ではいかんかな?まあ本当はソフィアがわざわざ外の結界に穴を開けたというんで、その理由が気になってきたんじゃが」
雰囲気から嘘は言ってなさそうだけど、どうにもこの老人は飄々としていて掴みどころがない。ソフィアの味方なんだとは思うけど、どうしてもちょっと警戒してしまう。
「それに儂もソフィアのように四六時中霊魂が視えるわけじゃない。霊視魔術で補正してようやく視える程度じゃからな。ソフィアと儂ではモノが違うから、どう話したもんかと」
『ん、ちょっと待ってください。魔術で補正するっていつの間に魔術を使ったんですか?』
少なくとも、この部屋に入ってからは魔術を使うようなそぶりは見えなかった。普通、魔術の行使となるとどんな小さい魔術でも多少は発動の兆候を感じることが出来るはずだけど。
「自室から使ってきたんじゃよ」
『霊視ってそんな軽く使える魔術なんですか』
「いや、今もガンガン魔力が吸われとるよ。老骨にはちと堪える魔術じゃわい」
「お爺様、大丈夫?」
「なに、まだ魔力の枯渇も見えんし大丈夫じゃろう」
『それにしたって、わざわざ魔術を行使してから来るなんて、私のような存在が居る確証でもあったんですか?』
目の前の老人は笑っているけど、私からすればちょっと笑いごとじゃない。もし私の存在が気取れるような何かがあったなら、対策しないと。一応ここは私のような存在からすれば敵地同然なんだから、
存在がバレたら何をされるか分かったものじゃない。返答によっては、ここから去らないといけないかもしれない。……ここでの暮らしは楽しかったから凄く惜しいけど。
『もしくは、私みたいな存在を検知する魔術とか……』
「いんや、そんなものは存在も知らん。霊視はただの勘じゃよ」
『勘?』
安心したと同時に、ちょっと拍子抜けだ。でも、少なくとも今すぐここから出ていくことは考えなくてもよくなったらしい。
「ソフィアの様子が普段と違ったんでの、ちぃと試してみたら当たったといったところじゃろうか」
「わ、わたし?でも、お爺様と会ったのなんて本当に久しぶりなのになんで?」
「直接は、な。それ以外にも色々と儂の目と耳が勝手に話を拾って来てくれるんじゃよ」
成るほど。腐っても元総主教、未だそれだけ人を動かせるということらしい。ソフィアの方は言い回しにイマイチ得心がいって無かったみたいだけど。後で言語の授業の一環として教えておこう。
『で、ソフィアに関してはどういう話を拾って来たんですか?』
「ソフィアが最近やけに上機嫌だというんでちと気になっての」
「わたし?」
「普段はあまり笑わない子だったんじゃが、どうにもここ数日妙にニコニコしていると言うし」
「?!」
「礼拝堂裏の廊下をスキップで渡っておったとも」
「?!!」
「鼻歌混じりに自室に戻っていくところも目撃されとるし、ここまで変化があるといっそ心配になってしもうて」
「ちょっ、おじ、お爺様!」
あー、これは恥ずかしい。お爺様の突然の暴露大会にソフィアは真っ赤になってしまっているし、流石にそろそろ止めてあげたほうがいいかもしれない。
「他にも確か」
『あの、その辺りで。そろそろソフィアが限界です』
「うぅ……」
ソフィアが涙目になりながらお爺様を睨むけれど、元が可愛いせいでどうにも迫力が無い。
「いやすまんすまん。まあなんじゃ、色々話を聞く中でもしかしたら、と思って試しに魔術を使ってみたわけじゃが」
『それで私が視えたから声をかけてみた、ということですね』
「そんなところじゃな。ところで……すまん、ソフィア。儂が悪かったからそろそろ機嫌を直してくれんか?」
「むぅ」
「ほれ、この通り」
むくれるソフィアを宥めるお爺様。どっちも本気ではない辺り、家族なりのスキンシップなんだろうけど。じゃれあい、というやつだろうか。
侯爵家では、もうずっとそんなものは無かったから、見てると少しだけ羨ましい。
なんだか邪魔をしてはいけない気がして、ちょっとだけ遠巻きに眺めていたら、ソフィアがちょいちょいと手招きをしていることに気づいた。
「アイリスさんもこっち!」
『えっ、私?』
「一緒の方が、楽しいよ?」
ソフィアが私に手を伸ばしてくる。手を触れることは出来ないはずなのに、まるで手を引かれるような錯覚をした。
家族の時間だからと、遠慮して私は距離置いていたはずなのに、手を引いてその輪の中に連れていくような。
多分、私の内心を少なからず見抜かれたんだと思う。ああ見えて、この子は結構鋭いから。
(ダメだなあ、本当は貴族たるもの表情なんて読まれちゃいけないはずなのに。内心と表情は切り離せってお父様の教え、守らなきゃいけないのに)
表面だけで薄くほほ笑むように作る、貴族の仮面の表情。その仮面が、どうにもソフィアと出会ってからは上手く作ることが出来なくなってきている。
今までだったら、寂しさなんてそれこそ気取られることも無かったはずなのに。
この子と居ると、どうにも調子が狂う。
『仕方ないわね』
ソフィアの伸ばした手に、私も手を重ねる。触れはしないけど、なんだか手を繋いでるみたい。
それだけでソフィアは花が咲くように笑い、私もつられて笑ってしまう。
上手くいかないことばかりだけど、なんだかこんなのも悪くないのかも。