特訓と決意
時計の音がやけに大きく聞こえた。それは多分、長い間眠っていて、久しぶりに外界の音を聞いたからだろう。
「…………」
リィリは体を起こそうとするが、何かに拘束されているように体が自由に動かない。そして、すぐ側に自分以外の呼吸の音が聞こえるのに気がついた。
「ルリちゃん……?」
顔を横に向けると、そこにはルリィの寝顔があった。シーツによだれを垂らしながら、リィリを抱き枕にしてさぞ気持ち良さそうにすやすやと眠っている。
「助かったんだ……よかった……」
リィリは再び天井に視線を戻すと、安心したように呟いた。
「んんっ……」
ルリィは、リィリの声によっえ目覚めたようで、眠そうにまぶたを開いた。
「おはよう、ルリちゃん。あと、重いからどいてくれると嬉しいな?」
ルリィが咄嗟に起き上がり硬直する。そして服の袖でごしごしと涎をふき、顔を真っ赤にした。
「ありがとうルリちゃん、よく眠れた?」
どいてくれたことに素直に礼を言い、気分を問うと、ルリィから思わぬ返答が帰ってきた。
パァンッ!
そんな軽快な音が部屋に響き渡ると、リィリが紅葉型に晴れた頬を抑えた。
「いきなり何するのさ、ルリちゃん!」
「レディに向かって重いはないでしょ! 重いは! それに、なにちゃっかり目覚めちゃってるのよ! 私が起きるまで寝てなさいよ! このバカリィリ!」
ルリィはいきなりリィリにビンタをし、怒鳴り散らし始めた。理不尽に思いながらも、リィリはしゅんとなってルリィに謝る。
「ご、ごめん……」
「それから……、もう一人であんな無茶しないで……!」
ルリィはそう言うと、リィリに正面から抱きついた。
リィリが、静かに泣くルリィの頭を撫でていると、部屋の扉が開き、リリアラが入ってきた。そして、リィリと目が合った瞬間、持っていた木製の盥を落っことし、走って廊下へ出ていった。
少しすると、廊下がどたどたと騒がしくなり、ディシスとナァゼを連れリリアラが戻ってきた。
「リィ!」
「目覚めたか! リィリ!」
ナァゼとディシスは叫びながらリィリの座っているベッドへ近づいた。リリアラも、落とした盥を拾い、床にぶちまけた水を拭くと同じようにリィリの元へ寄ってきた。
「みんなどうしたの? そんなに慌てて……」
ディシスたちの反応に驚き、リィリは尋ねた。
「あのねリィちゃん、リィちゃんは森で魔物と戦ってから、もう二週間も眠り続けていたのよ? あのままだと危ないところだったのよ……?」
「そうだぜリィ、お前が寝ている間、ルリィは泣きやまないわ、ディシスは心ここに在らずって感じだわで、大変だったんだぞ!」
「えぇ!? 僕そんなに寝ちゃってたの? 通りでお腹空いたなぁって思ってた」
リィリはリリアラとナァゼにそう言われるも、呑気にお腹をさすった。
「あ、じゃあ、ルリちゃんが重かったんじゃなくて、僕が軽くなってたんだ。ごめんね、ルリちゃん。重いとか言っちゃって」
リィリがそう言うと、ルリィにより先ほどとは反対の頬に真っ赤な紅葉型を出来上がった。
「アンタは一言多いのよ!」
ルリィがそう激怒して叫ぶと、部屋の空気が少し明るさを取り戻したのだった。
それから月日はあっという間に流れ、一年半が過ぎた。その間、リィリ達三人組はありとあらゆる戦闘訓練を実行していた。
それは、忘れもしない悪夢のようなあの日の敗北を繰り返さないためであった。結果的に九死に一生を得たものの、魔物を倒した張本人はその記憶が全くない。彼らにとって、それは敗北と同じことを意味していた。
そして今日も空き地では三人の影が舞っていた。
「蒼炎弾!」
ルリィが魔法を放っち、真っ青に燃え上がる炎の球がリィリに襲いかかる。
しかし、それがリィリに直撃することはない。器用に身を捩りながら、リィリは反転しルリィの魔法を躱す。
だが、それもルリィにとっては想定内のことである。だが、リィリの背後には既にもう一つの影が襲いかかっていた。
「喰らえ!」
ナァゼだ。
渾身の強化魔法を右の拳に込め、ナァゼはリィリの無防備な背中を殴りつける。
ナァゼの渾身とは、地面を殴るだけで人一人が収まるくらいのクレーターを作るほどの威力だ。そして、ルリィが放った魔法は、ナァゼの攻撃範囲内にリィリを誘導するためのものだったのだ。
「くっ……!」
しかし、これも際どいところでリィリは宙返りをして躱してみせる。
その瞬間、待ってましたと言わんばかりにナァゼは口角を吊り上げた。
「かかったな! ルリィ!」
「えぇ、わかってるわ!」
リィリは真上と真下から高魔力反応を探知した。そして空中に結界を張り足場を作り、真横に蹴り出し離脱を図る。
が、時既に遅し。
「遅いわ! 多重双炎爆!」
ルリィの魔法が起動した。幾重にも重なる魔法陣がリィリの頭上と足元に発生し、その術式に沿って発動。リィリを爆炎に包み込んだ。
この魔法はルリィの得意とする火系統の爆発魔法を多重に構成し、上下から挟み込むように爆炎の方向を設定した魔法である。
ルリィは魔法に非常に適性があり、十四という歳で既に熟練の大人でもなかなか苦労する多層構造魔法をほぼ無詠唱で扱っている。即ち天才であった。
「やったか!」
ナァゼが嬉々として叫ぶ。
「流石に今のは避けられないでしょう……」
ルリィが肩を上下に揺らし呼吸を整える。威力が大きいだけに、その反動で魔力も体力もべらぼうに消費するのだ。
二人が勝利を確信する一歩手前、煙の中で影が動いた。
「ナァゼ、避けて!」
ルリィが慌てて叫ぶが、ナァゼの脇腹に回し蹴りが炸裂した。
「くはっ……!」
咄嗟に体制を立て直し、追い討ちの上段突きを左手で払う。
そして、それを引くと同時に右手で反撃に出た。
「まさか、さっきの一撃を防いだっていうのかよ! 冗談きついぜ、全く!」
悪態をつきながらリィリを押し返し距離を取る。
逃すものかとリィリがナァゼに詰め寄ろうとした時、勝敗が決した。
リィリの喉元に木製の模造小刀が回されていた。何時の間にかルリィがリィリの背後を取っていたのだ。
「魔力隠蔽術……」
リィリが呟く。リィリは最大限周囲に警戒をしていたつもりだが、それは魔力探知によるものだった。しかし、魔力を隠されてしまっては視認できない以上警戒をするのが難しい。
「ご名答。これでやっと白星頂きね」
そう言ってルリィが小刀を下ろすと同時に、三人の緊張状態が解けた。
「なんか勝った気しね~な~!」
ナァゼは口を尖らせた。
「ほんと、どうやってルリィのあの一撃を防いだんだ? あのタイミングじゃ多重結界なんて張れなかっただろ?」
「半分を吸収して、その魔力で結界を作ったのね。そうすれば多重に張らなくても、上下どちらかの威力を下げれば防御できるもの」
「んなっ! もうそんなことまで出来るようになってたのかよ! 驚きだなおい……」
ルリィの言った通り、リィリは自らの能力を理解し、使いこなせるよう努力していた。実際には、扱える魔力はまだまだ少なく、今の爆発でさえ半分防ぐので精一杯であった。
「いや、僕なんてまだまだだよ。それこそ、ルリィがまさかあそこまで魔力を隠せるなんて思ってもみなかったし。慢心してたかな……」
「まあね、アタシだって日々訓練してるんだから! それにしたって、私の最大威力をああも簡単に防がれると自信無くすわ……」
「俺なんて拳一つかすらなかったぞ。むしろ押される一方だったし……」
ナァゼとルリィの顔色が曇る。
それもそうである。二人掛かりで挑んで勝てたとはいえその力量差は明確であった。それに加えて、ルリィとナァゼは今月に入ってやっとリィリに勝利したのだ。
「今回はナァゼは武器なしっていう条件だったし、仕方ないよ。僕はもともと体術しか出来ないようなものだから、運が良かっただけというか……」
「その謙虚さがまたイライラすんだよ! もう少し自分の実力を認めてもいいんだぜ?」
ナァゼが呆れたように言い放つ。
「そう……かな?」
「まぁでも、こんなリィくんだからアタシ達よりも強くなれるのかもしれないけどね。ある意味貪欲よね」
「たしかにな。そんなら俺たちも負けていらんねぇな!」
「ええそうね。もっと強くならないと!」
「そうと決まれば特訓だ! 森へ行くぞ!」
ルリィとナァゼが盛り上がり魔物討伐に走り出す。
「僕、もう疲れたんだけど……」
「つべこべ言ってないで行くわよ!」
リィリは能力の副作用による倦怠感に飲まれながらも、ナァゼとルリィに引きずられ日が沈むまで戦い続けるのであった。
リィリ達が森で特訓と言う名の魔物大虐殺を繰り広げている頃、ディシスは一人、自室の机に向かっていた。
そして、机の端に置かれたペンダントをと元に寄せ静かに呟く。
「早いものだな……。来月でもう十五になるよ。ここではもう成人だ……」
ディシスは親指の腹でペンダントを摩り、静かに呟いた。
この地上では人は十五歳で成人すると定められている。
しかし、その理由は寿命などの関係ではない。むしろ寿命は個人の魔素の保有量によって大きく異なり、百二十歳前後が平均だが、中には二百年以上生きる者もいる。
ディシズは今年で四十五歳になるが、髪の色は白いものの、その面貌はまだ二十代にも見えるほど若い。これはディシスの魔素の保有量が多いことを示してもいる。
話は戻って、十五で成人するというのは、端的にいうと、人口不足のためである。
魔素の影響で寿命が延びたのはいいが、子供ができにくくなってしまったのだ。
こう言ってしまえば身も蓋もないが、早いうちに結婚させて子を授かって欲しいというのが国の事情であり、人類が地上に戻り国が出来た時からそう定められていた。
とはいうものの、現在では殆どの少年少女は成人しても高等教育機関に入るため、この慣習はあまり功を成していないのだが。
「もう隠すのは難しくなってしまったな。だが、今のあの子ならもう大丈夫だろう……。お前にも、会わせてやりたいよ……」
遠い誰かに話しかけるように、憂いに満ちた表情を作るディシス。その目には、粛々たる一つの決意が宿っていた。
「そろそろ、巣立ちの頃だな……」
ペンダントを机の隅に戻した時、部屋の外で勢いよく扉の開く音がした。賑やかな声から察するにリィリ達が帰って来たのだろう。
ディシスは立ち上がり自室を後にした。そして玄関へ向かうと、泥だらけになったリィリ達三人組が大きな袋を下げて廊下を歩いて来た。
「ただいま、ディシス」
「お邪魔します!」
「どうもっす」
リィリはディシスを見つけると疲れ切った笑顔で帰りを告げた。釣られてルリィとナァゼもディシスに挨拶する。
「お帰り、お前たち。今日も相当狩ってきたみたいだな」
「いい魔石と素材だけ回収してきたんだ。でもここいらの魔物は特訓と言うにはもう弱すぎるな。俺も早く冒険者になって迷宮に潜りてぇぜ!」
「そうね、アタシ達も今年で十五になるもの。来年からは高等教育機関に入れるし、そうすれば迷宮探索者試験も受けられるようになるわ。そのためにも早く大きな街に出たいわね」
「それは頼もしいな。将来有望で私も期待が高まると言うものだ」
ディシスはルリィ達の自信に満ちた言葉を聞き、素直に彼らの実力を評価していた。
しかし、高等教育機関という言葉が出た時、リィリの表情が少し陰った。
「どうしたリィリ、何かあったか?」
ディシスはいつも通り心配そうに尋ねる。するとリィリは小さな声で答えた。
「僕は放出系魔法が使えないし、探索者育成学校の受験資格を満たしてないから……」
そう、高等教育機関の中でも冒険者を育成する探索者育成学校は、その入学条件として、放出系魔法が使えることが前提なのである。
放出系魔法が使えるということは遠距離攻撃が可能なことを意味しており、もちろん個人差はあるが、魔物に対しては近接格闘をするよりも遠距離攻撃魔法で戦う方が生存率が高く有利と考えられていたからである。
ルリィとナァゼは試験の合格基準をはるかに凌駕する魔法技術を既に習得していたため、来年からは近くの町にある学校に通う予定になっていた。
学費はこれまでナァゼ達が倒した魔物の素材をディシスが町で売却し蓄えていたため問題ない。彼らの両親達も誇らしげにナァゼ達を送り出す姿勢だ。
しかしリィリは試験を受ける資格すら持っていないため、無意識のうちにナァゼとルリィに対し劣等感を抱いていたのである。
ディシスはリィリのその表情を見て、胸が張り裂けそうになった。
リィリは自らにかけられた封印のせいで魔法を制限されている。解除してしまえば大量の魔素を撒き散らすことが予想され、この世界からはじき出されるだろう。そもそもそんなことは出来もしないのだが。
しかし、そんな事を本人は知るはずもなく、ただただ自分に才が無いのだと思い込んでしまっている。
ディシスは己の不甲斐なさに苛立ちを覚えながらもリィリに向き直る。
「リィリ、何も探索者育成機関に入らなくても冒険者にはなれる。私だって学校は出ていない。確かに実績は必要になるが、お前の実力ならば大したことはない。すぐにルリィとナァゼに肩を並べて行けるさ」
「そうよリィくん。そもそもアタシ達よりもずっと強いんだから何にも心配することなんてないわ」
「その通りだぜ、リィ。むしろ俺たちが学校でノロノロしてるうちに先越されそうで、そわそわするくらいだぜ」
ディシスの言葉に二人が便乗する。ナァゼとルリィの言う通り、リィリは戦闘においては二人よりも強い。
「そうだね、僕も負けないように頑張らないと」
まだ少し落ち込み気味だが、リィリは笑って宣言した。
それを見たディシスも少しほっとした気分になる。そして、今もリィリを支えてくれる二人に対し、心から有り難く思うのであった。
次回「誕生祝会」