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セレーナについて聞いて回ってるんだって?
ああカイル、そんな顔すんなって。分かってるって、俺とお前の仲じゃないか。
別にお前の事を誰かに言おうなんざ思ってねえよ……え?まじ?あのライニカルの四十七年物?ルドルフの奴が酔った勢いで賭けたポーカーの賞品の?よっしゃあ!何でも聞いてくれ、やっぱり持つべきものは賭け事が強くて腹の知れねぇ友だぜ!
はは、褒めてるって。
んで?セレーナの事だったか。
セレーナ……本当に可愛いよなぁ……。くりっとした目とか波打つ金髪とか、あの赤いネックレスが飾る細い首筋を見た時から俺も心が奪われちまったみたいでよぉ……。人気があるのも頷けるっつーか、俺もあの子と付き合いたい、出来るなら結婚したいぜ!
いや無理なのは分かってるって……あのユリウス殿下さえぞっこんだろ?勝ち目がないのは分かってるよ……夢を見るのは自由だろぉ!
ユリウス殿下?どうと言われても……お前も知ってるだろ、雲の上のお方だって。威厳が有ると言うかいつも何かを睨んでおられるっつうか……いやでも、あれが国王として必要なもんなんだろうさ。
セレーナの事は本当に大事にしているんじゃねぇか?じゃなきゃあんな事しねぇもんな。お前も知ってるだろ?こないだの、婚約破棄だよ。
いやぁ、あれはたまげた。まさかあの氷の冷姫があんな事してたとはなぁ。美人は分からねぇっつうか、やっぱ俺らみたいな中小貴族とは違う世界を生きてんだろうなぁ。嫉妬してセレーナに嫌がらせをするとは……くそぅ、俺のセレーナに!
え?ライニカルを開けようだぁ?いや、構わねえよ。ちょいと話すだけなのに、丸々一本は流石に釣り合いが取れねぇからな。美味い酒は友と飲むに限る。お前もそう思うだろ?
っあー、美味い!こりゃいい酒だ、お前も飲めよ!え?良いのか?じゃあもう一杯……へへ。
んで?婚約破棄だって?ああそう、それだそれ。元から殿下とクレア嬢は大して仲は良くねぇって言われてたからなぁ、それがまさかあんな事に……。人ってのは分かんねぇなあ。
セレーナが嫌がらせを受けてたのはって?それは本当の事だ、間違いねぇ。ただ……殿下はご存知無かったかも知れねぇけどな、セレーナを虐めていたのは、クレア嬢だけじゃ無かったんだよ。
え?もう一杯って?へへ、ありがとよ。
ほら、アントニオっていたろ?あの婚約者が居た。あいつがセレーナに惚れ込んじまって、元の婚約者を振っちまったって話だ。そりゃもう婚約者の方はカンカンで、セレーナに謝罪と退学を要求したらしいぜ。女ってなんで浮気されると浮気相手の女の方を責め立てるんだろうな?俺だったら正々堂々と、俺に文句も愚痴もぶつけて欲しいんだが。
え?そもそも浮気するな?婚約者が居ないからそう言えるって?うっせーよ!お前だっていねぇじゃねぇか!
んで、浮気された婚約者だったか……いや、実際には浮気じゃなかったらしい。アントニオの野郎が一方的に惚れて、セレーナには告白すらしてなかったのに婚約を破棄したんだと。
その後改めて告白したが、振られちまったらしい。それがまた元婚約者の逆鱗に触れたらしくてなぁ。
物は捨てるわ足を引っ掛けるわ……しかもセレーナを不満に思う令嬢は多かったらしくてな? 徒党を組んだ女ってのは怖えよなぁ、あっという間に無視され始めるようにもなったらしい。
そしたらあんまりじゃないかっつってアントニオとか他の男がセレーナを庇って、それに怒った令嬢達がまたセレーナを虐める。ああいうのを悪循環っていうのかもなぁ……。段々と規模がでかくなってオズワルド様とかフリードリヒ様とか、そう言った国を動かす側の方々もセレーナに入れ込んじまって、どんどん収集がつかなくなったんだよなぁ。
あの頃の酷さはお前も覚えてるだろ?
え?覚えてない?興味無かったから、ってよぉ……。もう少し周囲を見ろよ、世界は広いぜ?よーし俺が奢ってやる、この後エマンダの娼館に……え?行かない?お堅い奴だな、本当に。
お堅いと言えば、あの騒動が収まったのも殿下がセレーナと親しくなったからだったな。あんな美人の婚約者にも義務的に付き合うんだから相当な堅物だと思ってたけどよぉ、やっぱセレーナの魅力には勝てなかった訳だ、はは。
身分が低いとはいえ殿下が親しくされている令嬢に、ほいほい結婚だの愛人になれだの言える訳もねぇからなぁ。少なくとも俺らみたいな身分の低い男どもは手出しできなくなったしな。うん……。
泣いてねぇよ!セレーナが幸せなら俺は……。
あーもう飲むぞ、お前も飲め!自棄酒だってこんな良い酒なら美味いだろ!
あー……んで、なんのことだったか……そうそう、嫌がらせだったか。あーうん、確か、大分減ったらしい。殿下のお気に入りに手を出すなんて、普通に考えたらおっかなくて命がいくつあっても足りねぇからなぁ。
いや、それでも完全には無くならなかったらしいぜ?婚約者との仲をぶち壊された奴とか、マナーがなってないって目くじら立てる奴とか。そこが可愛いのになぁ。
靴紐切られて制服を汚されて……って隠れた嫌がらせなら、度々有ったみたいだ。
それでも静かなもんだったのは、殿下とセレーナの距離の近さを婚約者が黙認してたからだろうなぁ。
クレア様なぁ……物凄い美人なのは分かるんだが、美人すぎて近寄りがたいっつうか、俺としてはもっと笑顔の可愛い子の方が良いっつうか……。
殿下とも互いに不干渉を貫いてただろ?だから互いにどうでもいいのかと思ってたんだが、まさかあんな一面を持ってたとはなぁ……いや、でも実は本当に何もしてなくて、取り巻きが勝手にやらかしたのか?なんだったっけ、あの自分がやったんだって言い出した令嬢……ソルト?ソシエ?そんな名前だった奴。
庇ったのか庇わされたのか、あるいは本当だったのか……今になっちゃあ分からねぇな。焼けちまったんだから。
お前ももう知ってんだろ?地下牢が燃えたらしい。死体が出たとか出てないとか色々噂になってるが、まあ閉じ込められた奴が生きてるこたぁ無いだろう。
王家が口封じとかなんとか……いや、なんでもねぇ。今言った事は誰にも言うな。何処に誰がいるか分からねぇからな。
お前もこれ以上首を突っ込まねぇ方が良いと思うぜ?学校は終わった、あとはちょいと社交界のごたごたを片付けて、そしたら領地に引っ込むんだ。ヘタにケチつけねぇ方が……。
え?最後の一杯飲んで良いって?でもお前殆ど飲んでねぇんじゃ……そこまで言うなら仕方ねぇな、へへ。
あぁ、美味い酒だった。うちじゃ中々手に入らねぇからなぁ、有難いぜ。
ところでよぉカイル。どうしてそんなに聞いて回ってんだ?セレーナに惚れてる訳じゃねぇんだろ?
ふーん、欲しいものが有るから、かぁ。
当ててやろう。さては女だな?
となると……お前、さてはクレア様に!?
悪いこと言わんから辞めとけ!高嶺の花が過ぎるぜ!
何故って……これを言って良いか凄く悩ましい所だが、ここだけの話、本当にここだけの話だぞ。
……うちの兄貴が王城の文官なのは知ってるよな?そこから聞いた、確かな話だが……。
クレア様が、殿下の側室になるらしい。
あの死んだ令嬢が庇ったが、結局セレーナへの嫌がらせを原因に婚約破棄は受理されたらしい。けれど元から有能さは折り紙つきで、手放すのが惜しくなったって所じゃねぇの?王妃ではなく側室として、召し上げられるそうだ。公爵家に一方的に通達を送るんだとよ。
ん?どうしたそんなに青い顔して。
そしぇがやばい……?そしぇってなんだ?
え、おい!何処に行くんだ?おーい!
* * *
高位の貴族のドレスは通常、その家お抱えの仕立て屋がドレスを作る。主の趣味や立ち位置を理解した上で作った方が、より完璧に近くなるからだ。
けれどそれにも、例外がある。
ある完璧な仕立て屋がいる。素晴らしい技術と流行の最先端を創り出すセンスを持ち、誰からもドレスを願われる仕立て屋が。彼女の服を着る人間は農家の娘でも社交界で一際輝く花になり、その意匠は王都の流行を掻っ攫う。数多の貴族に是非専任になって欲しいと望まれ、しかし一度も頷く事はない。国王の喪服から孤児院の娘のエプロンまで、どの依頼を受けるかは彼女の気分一つ。それが許される程の腕を持つ、そんな人が私の師匠だ。
彼女の工房は王都の外れの入り組んだ路地の先、知らない者では到底辿り着けない場所にある。昔は難解な地図を片手に、半泣きになりながらも正しい道を探したものだ。
見慣れた木戸にノックを二回、然程待たずに現れるのは妙齢の美女。
艶やかな濡羽色の髪、見るもの全てをを呑み込む紫紺の瞳。ドレスの上からでも分かる素晴らしいスタイルに、不躾にも愛人になって欲しいと言い出す貴族は多い。本人は股間を蹴り上げれば大人しくなるわと笑っていたが、寧ろそっちの道に目覚めさせないか心配だ。
「あら、久しぶりね。ようこそ仕立て屋チェルシーの店に、ご注文かしら?」
猫のような切れ長の眼を細める師匠に、軽く礼を返す。
「いいえ、チェルシーさん。この不肖の弟子の話を、聞いて頂きたいのです」
「長い事顔を見せないと思ったら、次は何をしようと言うの?面白い子。 良いわ、いらっしゃい」
嫣然と笑う美女に、奥に手招かれる。失礼しますとだけ唇を動かして、物に溢れた室内に足を踏み入れた。
「…………ふぅん、そんな事が有ったの。大変だったのねぇ。可愛い子なの?セレーナちゃんって」
「ええ、とても。愛らしい方だと思います。王妃になり得るかは分かりませんが」
王妃とは着飾って次代の王を産むだけでは務まらない。他国や国内での社交、国王と臣下の間の緩衝材。それら全てが出来て当然となる。今の王妃様も殿下を出産なさってから体調を崩しがちになられたが、聡明な方で民や臣下からの人気も高かったらしい。
小さい頃からその為の教育を受けてきたクレアも完璧だった。ではセレーナはどうか。恐らく無理だ。決して不出来では無いが、求められる能力が高すぎる。
それは王子も分かっていただろう。それでもセレーナが良かったなんて、随分とご大層な愛だ。
「それで、貴女はどうしたいの?まさかこれで隠れて泣き寝入り、なんて事はしないんでしょう?」
微笑みと共に向けられた疑問に、勿論と返す。流石師匠、話が早くて助かる。
「王子の近くの人間から、服の製作依頼は有りませんか?小間使いとして手伝わせて下さい」
持つべき者は貴族にも名を馳せる程高名な師匠。変装の心得も有るし、愉快犯の師匠なら断らないという確信もあった。
「良いわよ?国王陛下に王太子殿下に宰相様の細君に騎士団長の娘。誰からの依頼も保留にしてあるもの、好きな依頼書を選んで頂戴。貴女と服を作るなんて久しぶりね」
楽しげに笑う彼女に肩を竦める。そそられないの一言で国王の服を作らないのもそれを許されるのも、世界広しと言えども一人だろう。
貴族が仕立て屋チェルシーを選ぶのではない。仕立て屋チェルシーが服を着る人間を選ぶのだ。酷く気紛れで突拍子も無い事をする人だけれど、その服を着ているというだけで社交界では一目置かれる。
だから誰もが金を積んでも泣き落としてでもたった一着のドレスを求め、彼女もその独特な審美眼に叶った人間のみに、ドレスという名の魔法をかける。
そんな人の唯一の弟子なのだから、私も結構凄いのでは無いだろうか。師匠の一万分の一位。
差し出された手紙の束から目欲しい送り主の名前を選んでいく。うっわ本当に国王からの依頼を半年保留にしてるのかこの人……。
可愛い弟子が火炙りにされるなんてちゃんと仕返ししないとね、と口角を上げる麗しの魔法使いに、燃えてはいないですよと苦笑で返す。
王子の近くの人間に話を聞ければ、クレアを貶めようとした犯人の手掛かりも掴めるだろう。
雑多な工房の片隅で、久方ぶりに師匠と語らう時間。親友殿からクレアが側室になりそうだと聞き、ぶち切れて危ないお薬を取り寄せる四時間前の出来事だった。