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 マルシェン伯爵家には、二人の息子がいる。



 顔が良い、外面も良い、その他は女癖を筆頭に欠点しか挙げられない兄、リヴィエール・マルシェン。性格は良いし顔も悪くは無いが、どうしてか地味と言われてしまう弟のカイル・マルシェン。二つ違いでリヴィエールは今年二十歳になるのだったか。

 彼らに初めて出会ったのは八歳の頃だった。貴族には良くある、政略結婚の為の顔合わせ。関係の冷めきった妻との間には娘一人、跡継ぎとなる息子の居ない父が、当時困窮していたマルシェン家に対する多少の融資の見返りに求めたのがその家の息子だった。


 抱える爵位は同じ、金属の加工に長ける我が家と小さいとはいえ鉄の鉱山を持つマルシェン家の婚約。何も可笑しくはない。ただ互いにとって不幸だったのは、私とリヴィエールの性格が絶望的に合わなかった事だった。


「どうしてこの僕の婚約者がこの程度なの?カイルの方がお似合いだろう、こんな子。まあ仕方ないから、恥だけはかかせないでくれよ!」


 多少は違ったかもしれないが、最初に出会って初めて聞いた台詞がこれだ。初めましてを言うタイミングさえ与えられなかった。驚きすぎて何も言い返せず、一連のやりとりを見たマルシェン伯爵が顔を蒼白にした事を覚えている。

 返事が無かった事をどう受け取ったのかは知らないが、金を払ってまでこの僕と結婚したかったのかとか君に家以外の何の価値が有るのかとか云々かんぬん。

思考を放棄した侯爵が立ち尽くす隣で、何があろうとこいつとは分かり合えないと幼心に確信したものだ。


 それからずっとリヴィエールにとって女性とは、可憐で従順な生き物だったのだろう。可愛らしいか美しい容姿をしていて、男を立てるのが上手く、誰と遊ぼうと嫉妬しない。そんな愛すべき「女性」から外れる私は重石か邪魔か不要品か。似たように思っているので傷つきはしないが、あれと夫婦になるのはいつ考えても嫌すぎて禿げる。


 婚約者(笑)なのでパーティなどでは定期的に会わねばならない、けれど互いに本心に嘘を吐いて笑いあえるほど大人でもなく、尊重しようと思うほど相手を重んじてもいない。共に会場入りしてもすぐリヴィエールは近場の花の如き令嬢達を口説きに向かい、手持ち無沙汰になった私を見兼ねてカイルが話し掛けてくる、と云うのがお決まりだった。


 彼の兄との仲は虚無そのものだったが、カイルとは気が合った。婚約者の弟であれば不誠実と咎められる事も早々無い。パーティでは大抵二人で話し込み、あちらの家に行った時も、カイルとは共に街へ出掛けも資料を積み上げながら互いの領の課題を話し込みもするが、その兄の顔を五分以上見た覚えはなかった。


 カイルと婚約しているのでは?と勘違いされている事も有ったし、実際その話も出た。けれど頑なに婚約相手の変更が認められなかったのは、私の父の所為だった。

 父は美しい人間が好きだ。相当な面食いと言ってもいい。美貌に惹かれて気位と自尊心の高い母を選び、結局失敗したのに未だ懲りなかったのか、だからこそと思ってしまったのか。父譲りの平凡な顔をした娘が美形を落とせる筈もないのに何を夢見たのか、今では碌な会話もしない仲だ。今日牢に入れられた事を父が知ったとしても、間違いなく抗議の手紙一つ送りはしないだろう。美しい物を好み、権力に従い、長いものに巻かれる。父以上に貴族らしい貴族を、私は見た事がない。


 顔面偏差値以外全て標準以下。リヴィエールの良い所など外見しかないのに、父にとってはそれだけで充分だったらしい。融資をしている以上こちらが優位で、だからマルシェン伯爵家から出す息子を変える事は出来ない。家に訪れカイルと歓談している時、時折送られてきた憐れむような視線は彼の父のものだった。


 カイルが婚約者であれば、と考えた事がないと言えば嘘になる。間違いなくリヴィエールと仮面夫婦以下の浮気と無関心を重ねる結婚生活より、ずっと楽しいものになるだろう。

 けれど彼の人生を縛るような真似をしたくはない。長い付き合いだからこそ、彼がいかに自分の領を大切に思っているか知っている。

 リヴィエールが家を出れば彼が次期当主になる。

 領地持ちなら夜会での人気は確定したようなもので、きっと彼にも優しくて気立ての良い誰かが見つかるだろう。

 私はその事を、彼の兄の妻として喜ばなくてはいけない。間違いなく喜ばしく思うだろう。彼を好ましく思い、幸せになって欲しいと思うから。


 彼は私の、親友だから。












 回る車輪の音に、意識が覚醒する。眠ってしまっていたようだった。


「まだ寝ていて良いぞ、もうすぐ着く」


「そういう訳にもいかないでしょ……今何時?」


 告げられたのは、夜更けも過ぎた頃合いだった。正面に座る青年は眠気が来ないのか、瞳を逸らしもせずにこちらを見ている。


 婚約破棄騒動があったその時、彼もその場に居た。私と同い年で彼も学園を卒業したのだから、当然と言えば当然だ。地下牢に連れていかれた後、ずっと探してくれていたらしい。

 兵士に見つからなかったのかと問えば、そういえば見なかったとの返事が。あの馬鹿王子、もしかしたら完全に独断で事を進めていたのかもしれない。公爵家の娘を勝手に監禁するなど、良くて廃摘、悪くて内乱勃発だろうに。自分一人しか跡継ぎが居ないから何をしても許されると思っているのだろうか。


  シメたいという当然の欲求を抑えていると、向かっていた先、カイルとリヴィエールの住む王都の家に着いたと馬車の御者が知らせた。




 助けられてまず考えたのは、今後の身の振り方だった。

 地下牢ごと私を燃やそうとした奴がいる、それは間違いない。誰が燃やそうとしたのか、何故燃やそうとしたのか。その正体は全く分からないが、牢から死体が出なかった事はじき相手も知るだろう。

 生きていると知ったなら、また殺しに来るのでは?あり得ないと決め付けるのは楽観的が過ぎる。なら身を隠すべきだろう。

 そうなると領地の屋敷や王都にある別宅は論外。何処かで庶民として暮らすのもいきなり街にやってきた女がいると警戒されるだろうし、いつ何処で正体が知れるかも分からないから却下。

 クレアに助けを求める事も考えなくはなかったが、迷惑を掛けたくはない。匿ってほしいと願うなら、間違いなく彼女は応えてくれるだろう。放火犯が誰かも分からない状況で乞い、結果彼女が害されるような事が有ったら?可能性さえ許しはしない。


 ならばどうしようかとまで口にして、だったらうちに来れば良いと言い出したのは目の前の彼だった。

 部屋なら空いている、出来る限りの協力もするからと。迷惑を掛けたくないと言う前に手を引かれ、馬車に放りこまれて今に至る。


 毒一つ含んでないような顔をしている癖に、目の前の男は存外押しが強い。馬車を降りる時に差し出された手を大丈夫の一言で断って、彼とその兄の住む屋敷を見上げる。

 学園生活を過ごす為の屋敷は、本館と小さな離れで出来ている。彼の兄は学園が終わればとっとと領地にでも引っ込めば良いのに、美女の多さに釣られて二年も社会勉強と称し、王都で女遊びを繰り返しているのだったか。

 出迎える召使いは無い。兄が殆どの使用人を返したから食事も出ないと、以前愚痴っていたのを聞いた覚えがあった。


「普段離れで寝泊まりしているんだが、お前もそっちで良いか? 部屋の空きならある」


 勿論と返して薄暗い屋敷を進む。暗がりでも良く見れば、其処彼処に埃が溜まっていた。掃除も行き届いて無いようだ。

 離れに続く道を通る途中、物音が聞こえた。

悲鳴のような、歓声のような。女の声だった。

迷わず声の方へ足を進める。背後から静止の声が掛かった気がしたが、好奇心には勝てない。


 理解不能な嬌声を響かせ続けていたのは二階の奥、半開きの光が漏れる扉の向こうだった。

慎重に足音を殺して扉に向かって歩き、物音を立てずに覗き込む。

部屋の中に居たのは、睦み合う裸の男女。

男も女も大層な美形で、特に男の方のいけすかない顔には見覚えがあった。

洋燈の光が照らす女に跨る男は、我が婚約者殿だった。


 頭の上を覗き込むようにして親友が部屋の中を見ようとしたので、手で両目を覆ってその場から引き離した。身内のこんな姿を見るのは、お互いにとって不幸だろう。多感期と言って良いお年頃、良いとは言えない兄弟仲が壊滅的な事になってしまうかも知れない。

一刻も早くこの場を離れねば。手を引いて三歩ばかり踏み出した所で女が一際高い声で鳴いた。


「ああっリヴィエールさまぁ!」


 盛り上がる部屋の向こう。対して沈黙とともに俯く親友。可哀想に、何が起こっているのか理解してしまったらしい。壁の向こうとこちらの天国と地獄。強く生きろと念を込め、足音を立てないぎりぎりの速さで走り出した。










「…………あの…………すまないうちの馬鹿な兄が…………すまない……………」


「気にしないで。……あの、強く生きてね?」


 なんだこれは。どうして互いが互いを気遣っているのか。これが大惨事という奴か。

彼方に彷徨わせた目は死んでいて、すまないと馬鹿と兄を繰り返す機械になりつつある。あれの女癖など、下手したら弟の彼の方がよく知っているだろうに。


「許される事ではないと分かっているが本当にすまない……まさかあんな事を、いや。それも言い訳か……」


「本当に気にしないで。リヴィエール(あれ)が今更どれ程遊んでようが絡まってようが合体してようが全く興味もないし、見せられたのは初めてじゃないから」


「は????」


 この世の終わりのような顔をしているが、本当に全くショックは受けていない。

 二、三年前にリヴィエールに呼び出されて出向いた時、指定されたその時間その場所で彼が女を抱いていた事が有った。呼び出しは初めてだったから珍しい事もあると思っていたが、当て付けか嫌がらせだったのだろう。

 扉を開けたらスカートを捲り上げたメイドと、ズボンを下ろしたあの野郎。メイドの表情から合意であると判断して即帰った。読みかけの本があったので。


 そんな話をすると、表情は段々と悲痛なものになっていく。


「すまない……すまない……いやなんかもう………」


「君は悪くないから、ほら落ち着いて。昔からあれを何とも思っていないのは知ってるでしょ。それより私はどの部屋を使って良いの?」


「今いる部屋が俺のだからここ以外で適当に選んでくれ……。離れだから誰も来ないと思う、明日詳しい部屋の位置なんかは説明する」


「了解。なら隣を借りるよ、今日はもう寝るから君も早く休んで」


「分かった……おやすみ」


「おやすみなさい」


 適当に決めた部屋は、意外にも整っていた。これなら問題なく休めそうだと判断してベッドに潜り込む。


 やるべき事は真実の究明。セレーナを階段から突き落としたのは誰か、クレアは何故犯人とされたのか、あの地下牢に誰がどんな目的で訪れ、火を付けたのか。


 恐怖が無いといえば嘘になる。けれど今はそれ以上に、隠されているだろう真実が気になってしまう。

一つ残らず詳らかにした後には、どんな色が残っているのだろうか。

跳ねる心を抑えて小さく笑う。やがてその意識は、眠りの淵へと落ちていった。




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