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 たった一人で、涙も零さずに耐えていた彼女を知っている。

金髪の淑女が王子を魅了し、人々の間でも彼女と王子の不仲説が頻繁に流れるようになった頃。その言葉を否定も肯定もせず、けれど誰もいないところで顔を覆っていた背中を見た。

 二人の間に恋心は無かったのだと思う。手を繋いだ所も共に出掛けた事も、笑い合う姿すら見た事は無い。けれど彼女は彼を尊敬していた。王子だからではなく、これから先共に生きる人だからこそ。国を背負う彼を支えたいのだと、私にだけ話してくれた。


 セレーナが憎いのだと、涙ながらに話された日を覚えている。

ずっとずっと王妃になる事を望まれてきた。その為に努力してきた。豊かな暮らしに対する義務であったとはいえ、辛いと思わなかった訳じゃない。それら全てを奪い取っていったあの子が憎いと、この理不尽を許したくないと、押し殺した声で泣いていた。


 あの時震える肩に違う言葉を掛けていたら、未来は変わっていたのだろうか。







 ガシャンと重い鉄の音。突き飛ばすようにして入れられた牢に錠が落とされ、鍵は部屋の入り口近い鍵掛けに。狭い部屋だが丁度半分に仕切る鉄格子の所為で、到底手は届かないだろう。


 家具と呼べるものは使い古されたベッド1台、トイレなどの設備も無し。他に部屋はあるだろうに、わざわざここを選んだ相手の性格の悪さが伺える。

 コツコツコツコツ。

鉄格子の向こう側、今にも壊れそうな机を小刻みに叩く音。王子にオズワルドと呼ばれていた宰相の孫に、忌々しげに睨みつけられている。切れ長の眼、冷徹な印象を抱かせるが整った造形。怒りで歪んでいるものの、世間一般では相当整っていると言える顔だ。肩書きも相まって舞踏会に出れば乙女達の注目の的、遊び相手を求めるなら選り取り見取りに違いない。

 生憎私にとって舞踏会というのはクレアを着飾る場所でしかなく、何が有ろうと我が愛しの姫君を眺め、賛美する為だけに時間は使われる。つまりクレア以外は国王も王太子も芽の出たジャガイモか萎びたカブにしか見えないので、彼が実際どれ位持て囃されているのか、全く知らないし興味も無い。


 会話の一つもしたことの無い、殆ど初対面の相手だ。それなのにここまで憎々しげな眼を向けるとは、随分とセレーナに入れ込んでいるのだろう。

銀縁の眼鏡の向こうで、冷酷さを映す瞳が細まった。


「お似合いの光景だな、エザウリーレ伯爵令嬢。かの悪姫は連れられる君を見ても何も言わなかった。切り捨てられたんだよ、罪を被せる相手として。しかし幸い此処に私がいる。全てを話すなら、すぐにでも放免してやろう」


 粗末なベッドで眠るのは御免だろうと、蔑みを隠しもせずに瞳が問う。やはり随分な性格なようだ。こんなのが未来の宰相候補とは、この国の未来は暗い。


「いいえ?全く。寝ようと思えば床でも眠れますのでご心配なく。早速そんな事を仰るとは、随分と短気な事で。それとも何か、急がなければならない理由でもおありですか?」


 ぴきり。白い額に青筋が立つのが見える。けれどここで追撃を止めるようでは女ではない。腕力で勝てないなら、口で殴り続けろ。


「例えば……国王陛下がお越しになる前にクレアを罪人として裁きたかった、とか。あの婚約破棄、王家と公爵家の了解がある訳ではないでしょう?そうであればクレアが聞いている筈です。一方的に突きつける為には、自分以上の権力を持つ人間が居てはいけなかった」


 舞踏会では、その身が尊ければ尊い程入場するのは後になる。この国で王子より高い身分を持つものは国王陛下と王妃様のみで、病弱故に王妃様はこういった催しには参加されないが、陛下は出席される。そろそろクレアの両親含む国の重鎮も会場に着いている頃合だろうか。


「事後承諾なら許されると思われたのですか?陛下のお許しもなく国の決めた婚約を、しかもこんな形で破棄とは……随分とお粗末ですね?」


「五月蝿い、お前が邪魔をしたのだろうが!セレーナを傷つけた挙げ句、まだ減らず口を叩くとは……その口、縫い付けてやろうか!」


 拳を打ち付た机が大きく軋み、乗っていた燭台の蝋燭が揺れた。図星を突かれて激昂するとは、短気な性格の様で助かる。


「人の口を縫い付けるなど、将来の宰相ともあろう方が屈折した性癖をお持ちですね……。この国の将来が危ぶまれます。是非とも矯正なさった方が良いでしょう。良い医者を紹介しましょうか?」


「いらん!巫山戯るなよ貴様!!」


 眉間の皺にマッチを挟めそうだ。やはり普段ちやほやされている人間は煽り耐性が低いのだろうか。どうどうと宥めていると荒げた息を落ち着かせて、敵意しかない眼を向けられる。


「貴様が何を宣おうと此処に居る事実は変わらん、精々一人で喋り続けていると良い。但し明日からセレーナへの暴行に対する取り調べを始めさせてもらう。どんな手を使ってでも、真実を話したくしてやろう」


「取り調べ?尋問の間違いでは?勿論構いませんよ、好きなだけどうぞ。貴方がたが、何を明らかに出来るのでしょうね?」


「余程切り捨てられたい様だな」


 まさかと笑って流す。剣を持っていなくて何よりだ、刺されていたかもしれない。到底壊せそうにない鉄格子に感謝する。


 首を洗って待っていろと捨て台詞を残し、肩を怒らせて彼は去っていった。


足音が遠ざかった後、迷わずベッドのシーツを引っぺがす。舞い上がる埃に構いもせず、床板に爪を立てた。



 棒でも何でもいい。早く、武器か鍵を取る手段を見つけなければ。



 確かに彼らはクレアを貶める事に失敗した。けれど、私を処罰するだけで気が済む程度の馬鹿なら、そもそもこんな騒動を起こさない。

事件が冤罪である以上、彼女が嫌がらせの犯人だと断定する証拠は出てこない。捏造するにも今回騒ぎにした事で話が広がってしまったし、クレアを溺愛するヴァーノン公爵が二度目を許す筈もない。


 この状況で彼女を犯人にするには、それこそ私の自供しかない。


 クレア様を庇って犯人だと名乗り出ましたでも、クレア様に命令されてやりましたでも良い。彼女を慕う犯人の自白は、下手をすれば被害者の言葉より証拠となるだろう。

けれど当然、何が有ろうと私は彼女を裏切らない。ならばどうするか。

例えば口封じ。死人に口無しとはよく言ったものだ。

クレア・ヴァーノンが真の犯人であるとエザウリーレ侯爵令嬢は告白しました。その後良心の呵責に耐えかねたのか、自害してしまったようです。

 穴しかないシナリオだが、あり得ないとは思えない。王太子や宰相の孫がそうしなかったとしても、他が独断専行する事もあるだろう。仲良く群れていたが、結局は全員が一人の少女を奪い合う恋敵。歯車が狂えば地位で武力で殺しあう事もあるのではないだろうか。何それ楽しそう。


 床板は想像していたより厚く、素手で割るのは無理そうだった。重いそれをどうにかずらしてベッドの足なども確認するが、鍵を取る為に役立ちそうなものはない。通気口も有るにはあるが、嵌められた鉄格子を壊せそうにない。

 仕方ないと諦めてベッドを元に戻し、腰を下ろして瞳を閉じた。せめて眠るわけにはいかない。来るなら来ればいい。返り討ちとまではいかずとも相打ちにしてくれると拳を握る。


 


 なにも音はしない。拳を解く。




 音はしない。壁にもたれる。

 



 音はしない。ベッドに横たわる。





 音はしない。何時間経っただろうか。





 音はしない。意識を落とそうとした瞬間、扉が開く音が聞こえた。


 瞼を開こうとして出来なかった。金縛りのように、指先一つ動かない。足音は聞こえなかった筈なのに。



 なにかが、いる気配がする。





 そして。




 意識、暗転。
















 焦げ臭い匂いがする。瞼を開こうとすれば、案外楽に持ち上がった。四肢の確認。全て繋がっている。ベッドの上で、気絶する前と同じ体勢で転がっていた。


 左を見る。机が燃えていた。もう一度言う。鉄格子の向こうで机が燃えていた。


 咄嗟に駆け寄ろうとして滑って転んだ。ぬめる掌。床全体に液体が撒き散らされていた。


 燃え盛る炎を見る。燭台が倒れて木製の机に燃え移ったのだろう。これだから備品の不備はいけない。きっと風か何かで倒れてしまったんだな全くもう、あはははは。ここ地下室だけど。

 床の液体を触る。絶妙なぬめぬめには心当たりがある。香りこそないがマッサージする時などよく使う。香りの無い香油。つまり油。つまり可燃性。バケツでぶちまけたような量。きっと誰かが転んで撒き散らしてしまったのだろう。全くもう、うっかりさんがいたものだ。誰だよ。


 早鐘を打つ心臓を抑える為に深呼吸を一つ。燃える机。油に塗れた床。床に燃え移ったらー?


「死亡♡じゃないんだが?なんでこうなってんの?」


 訳が分からない。無理。本当に無理。理解の範疇を三段飛びで越えるのは本当にやめて欲しい。


 机の火は段々と大きくなっていく。逃げる方法が無い事は既に確認済み。熱が頬を撫でる。暑いのに震えが止まらない。


 たった2m。伸ばした指先から壁掛けの鍵、その2mの距離が届かない。燃え盛る音。木片の跳ねる音に混じって、足音が聞こえた気がした。



 掠れた喉を動かそうとした瞬間、勢いよく扉が開いた。

 黒い髪、青緑の瞳。驚きに染まった顔を知っている。

 彼が口を動かそうとした瞬間、被せるように鍵と叫んだ。


 どれ程押そうが引こうが決して開かなかった扉が、いとも簡単に開く。彼の手首を掴んで出口に走った。

 階段を登りきった時、熱風が背中を撫でた。相当な音がしたのに誰も来ない。


 地下を抜けた先、笑う膝に抗えず崩れ落ちる。耳元で心臓が叫んでいるようだ。強張る手をやっと解いた頃、同じく荒い息を収めた彼は震える声で聞いた。


「……何があった、ソシェ。何をどうしたらたったの五時間で、燃える部屋に閉じ込められることが出来るんだ?」


「わたしがききたいよ……」



 目を細めてこちらを睨む青年の名前はカイル・マルシェン。



 互いが小さい頃からの幼馴染であり、親友であり、私の婚約者の弟だった。




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