7話 砂漠
「熱い……」
「熱いのじゃ……」
旅に出てから早二週間。
俺たちは砂漠の真っただ中を二人歩いていた。
もう少しでアーサンドに着くはずなんだが……思いつきで出発しすぎたかもしれない。
そもそも本来ハジマからアーサンドまでは地竜と呼ばれる大人しい魔物が引っ張る地竜車で行くのが普通なのだが、俺たちは話し合いの末、修行のために徒歩で行くことを選択してしまった。
その結果がこのありさまだ。
初めての一人旅。疼いた冒険心。
それらが相まって、俺たちは今砂漠の真ん中で迷子になっていた。
くきゅるる、とお腹が鳴る音がする。
俺だろうか、ひのきんだろうか。もうお腹が減りすぎてどっちから聞こえてきたのかもわからない。
本来の日程である十日分の食料はもうそこを尽きた。
砂漠に入る前に狩った雑魚魔物の魔力をチビチビと魔力球に変換して食いつないでいたひのきんも、今日はもう何も食べていない。
二人ともそろそろ限界が近かった。
「……腹、減ったなぁ……」
「お腹、ぺこぺこなのじゃあ……」
きゅるるるる、と再び腹が鳴る。
「後生じゃから誰か通りかかってくれぬかの……食料と水をくれるなら、妾はそやつの足を舐めてもいい覚悟じゃ」
「覚悟決まり過ぎだろ……」
ひのきんは美少女なんだからあんまりそういうこと言わない方がいいぞ。
しかし限界を迎えているひのきんは半目で俺を見てくる。
「なら、足を舐めたら食料をくれてやると言われても、お主は舐めないのかえ?」
「そりゃお前……舐めるよ」
こんな限界状態に陥って身にしみて分かった。
プライドじゃ腹は膨れない。
足でもなんでも舐めるから、誰か俺に食料をください。
「ああっ!」
と、ひのきんが不意に大声を出す。
見ると、空を見上げて指を指していた。
「ドラゴンじゃ!」
その言葉と同時に、周囲に一瞬影が出来る。
ドラゴンが俺の頭上を通り過ぎたのだ。
深い緑色をしたドラゴンは、まるで大樹が飛んでいるかのよう。
大きさは五メートルほどだろうか、発達した翼をダイナミックに振り回し、砂漠の空を我が物顔で飛んでいる。
そのドラゴンこそ、俺たちが目的としていたデザートドラゴンだった。
「アル、倒せ! 喰ろうてやるのじゃ!」
ひのきんの声を待つまでもなく、棒に変わったひのきんをこの手で掴む。
そして迷いなくドラゴンに向かって剣撃を放った。
「くらええっ!」
「ギャオオオ!?」
「よし、命中した!」
ドラゴンの翼の動きが止まる。
俺の数倍はある巨体が高度を下げ、目の前に落ちてくる。
砂埃が収まると、そこにはドラゴンの巨大な身体があった。
「いっただきまーす、なのじゃ!」
ひのきんの行動は迅速だった。
待ちきれない、とでも言うように手のひらの中に魔力球を生み出して、一心不乱にかぶりつく。
一口一口美味しそうに口へと運んでいくひのきん。
「うむ、うむ! とっても美味なのじゃ!」
「そりゃよかった……くぅう、美味そうに食うなぁ」
絶え間なく溢れてくる涎を喉の奥に押し込みながら、俺は必死で我慢する。
「アルは食べないのかえ?」
「さすがに火の通ってない状態で食べるのはなぁ……」
そんなことしたら多分腹を下す。内臓の造りは普通の人間と全く同じだし。
こんな砂漠の真ん中で腹なんぞ下した日には脱水症状間違いなし、数日後にはお陀仏だ。
「すまんの、妾だけ食事をとってしもうて」
「いや、気にすんな。楽しんで食ってくれ。元はと言えば俺の責任だからな」
元々、徒歩でのルートを提案したのは俺の方だ。
この空腹の原因を作ったのは俺なんだから、ひのきんにはなるべく苦しい思いはしてほしくない。
俺の了承を得たひのきんは、再び魔力球を口にかきこみ始める。
「わかった、恩に着るのじゃ。美味しいぞアルよ! 絶品じゃ!」
「……やっぱ楽しむのはほどほどで頼む」
美味そう過ぎて我慢が出来ないから。
駄目だ、このままじゃ生肉にかぶりつくのも遠くない。
何かほかのことを考えよう。
他のこと、他のこと……。
「あ、そうだ。ところでひのきん。なんだかこの棒、魔物を食べるたびに力が強くなっていってる気がするんだけど……」
俺はデザートドラゴンの魔力を貪るひのきのぼうを見つめて呟く。
俺の勘違いでなければ、ほんの少しずつ、だが確実にひのきのぼうは食事を重ねるごとにその力を増しているように思える。
ひのきんなら何か知っているだろう、とひのきんの方を向くが、ひのきんはこてんと首を横に曲げるだけだ。
「うむ? そうなのかえ?」
「気づいてなかったのか? ひのきんってひのきのぼうそのものなんだろ?」
「妾、昔のこととか細かいことはよく覚えておらんのじゃ。じゃがまあ、大方食べた者の力を自身に還元するような力でもあるんじゃろ。なんせひのきのぼうは聖棒じゃからの」
そう言って「ごちそうさまでした」と手を合わせるひのきん。
……なんか、話が適当だなぁ。
まあいいか、と俺が無理やり納得したところで、遠くから誰かの声が聞こえた。
「おーい! そこの人ー!」
そちらに目をやってみれば、人間がこちらに走り寄って来るではないか。
久し振りの人間の姿に、俺は驚いて目を見開く。
しかも男は傍らに何か魔物のようなものを連れている。
もしかしたら食料を持っているかもしれない!
俺の期待が膨らむ。
なんとしても、それこそ足を舐めてでも食料を手に入れなければ!
男は俺の前まで来ると、ひのきんの食事で半分ほどになってしまったデザートドラゴンの死体を見て「やっぱり見間違いじゃなかった!」と興奮した様子で呟いた。
「まさかデザートドラゴンを倒すとは……驚いたよ! あんたは何者だい?」
「俺はアルバートだ。だがそんなことはどうでもいい。食料を持ってないか? 腹が減って死にそうなんだ」
そんな俺の必死の訴えを聞き、男は「それならっ」と自らがやってきた方を振り返った。
「近くに街があるんだ。一緒に行こう」
「街……?」
俺は目を凝らす。
「街なんてどこにも……あっ?」
灼熱で溶けるような視界に、ぼんやりと街らしきものの姿が浮かんできた。
どうやら俺は知らず知らずのうちに、街の傍まで来ていたらしい。
蜃気楼で霞んでいて見えなかっただけで、街はすぐ近くにあったのだ。
「……もしかして、アーサンドか!」
「なんだ、俺たちの街を知ってるのか?」
やったぞ……!
だいぶ道には迷ったけど、最終的にはなんとかアーサンドに辿り着けて本当に良かった。
「とにかく、デザートドラゴンを倒すほどの腕前の人なら大歓迎だ! さあ、是非俺たちの街へ来てくれ!」
「ああ、よろしく頼む。特に食糧とか、食糧とか」
「そのドラゴンと引き換えにすればかなりの食料が手に入るはずだよ」
「本当か!? ありがてえ……!」
男は連れていた地竜にデザートドラゴンの死体を乗せ、一緒に街へと進みだす。
「よかったのアル、おかげでお主も食べ物にありつけそうではないか」
「ああ、よかった……本当に良かった……」
この出会いに涙が流れそうなほど感謝しながら、俺は男と共にアーサンドへと向かうのだった。