6話 旅の幕開け
翌日。朝起きた俺は、身支度を整えてまっすぐに師範の元へと向かった。
五年間の足踏みは長すぎた。これからはもう立ち止まらない。
だけどその前に、自分の意志にケリをつけなければ前には進めない。
五年前から抱き続けた思いを、師範に伝えなければならなかった。
「師範、話があります」
「おう、入れ入れ」
いつも通りの気楽そうな声が聞こえて、俺は師範の部屋へと入る。
師範は部屋の真ん中で、胡坐をかいて俺を出迎えた。
部屋の中にはほとんど何も置かれておらず、唯一真正面にある飾られた剣だけがその存在感を痛いほど発揮している。
「ああ、そのちびっ子があれか? さっきの棒か?」
「左様、妾はひのきのぼうのひのきんじゃ。よろしくの」
そんな風に師範とひのきんが軽く挨拶をした。
「で? どうしたアル。いつになく真剣な顔だな」
師範の瞳がこちらに向く。
何から伝えるべきか。この五年分の思いを、どう言葉にするべきか。
一瞬迷ったが、答えはすぐに出た。
「すみませんでしたっ! 五年前に剣が振れなくなった時……俺は、ここから逃げてしまいました」
床に額を擦りつける。
謝罪。それしかない。
剣が振れなくなった俺を、それでも師範は気遣ってくれた。
そんな師範の気遣いを勝手に重荷に感じて、一言も言わず逃げ出したのは俺だ。
「師範の優しさを踏みにじるような真似をしてしまいました、本当に申し訳ありません」
「んなことあったか? もう忘れちまったよ。……でもまあ、謝るってんなら許してやる。覚えてねえけど。だからそんな気にすんな」
師範はいつもこうだ。不器用なのにとても優しい。
この人に拾ってもらえて。この人の元で学ぶことが出来て。
俺はこれ以上なく幸運で幸福だった。
俺はもう一度頭を下げる。
謝罪以外にもう一つ、伝えたい気持ちに気付いたから。
「……ありがとうございました、師範。遅くなりましたが、立ち直りました」
「……ああ、待ってたぜ?」
「お待たせしました。アルバート完全復活です」
「クハッ、本当に立ち直れたみたいで何よりだよ」
師範とまたこうして何の柵もなく笑いあえる日が来るなんて思ってもみなかった。
それもこれもひのきんのおかげだ。ありがとな、ひのきん。
「で? まだ他にも話があんだろ?」
「よくわかりますね」
「あたりめえだ、俺を誰だと思ってやがる」
五年前のわだかまりが解けた俺は、晴れ晴れとした思いを抱えながら師範に言う。
「師範。俺はもう一度自分を鍛えなおしたいと思います。そのために一度この街を離れて、砂漠の街であるアーサンドに行こうと思っています」
アーサンドにはデザートドラゴンという小型のドラゴンが多く生息している。
俺が訪れたことのある街であそこ以上に強い魔物が生息している地域はない。
鍛えなおすには最適な街だ。
「あそこか。昔お前ら連れて修行に行ったっけか。懐かしいな」
「はい」
「まあ、あそこなら今のお前の修行にはうってつけかもしれねえな」
「はい」
師範は俺の目を見て、ふうと息を吐く。
そしてチラリとひのきんの方に目を向けた。
「……お前がもう一度前を向こうと思えたのは、その子のおかげか?」
「……はい」
「そうか。なあ嬢ちゃん」
「む、妾か? なんじゃ?」
師範はひのきんの前でしゃがみこむと、その瞳を真正面から見つめた。
師範の視線とひのきんの視線が交錯する。
そして、師範はニカッと人の好い笑みを浮かべる。
「アルのこと、よろしく頼む。こう見えて結構良いヤツだからよ」
「うむ、任されたぞ! 安心するのじゃ!」
胸をとん、と叩くひのきん。
それを見て頷いた後、師範は立ち上がる。
部屋の奥に飾られていた剣の方へと歩み寄り、そして手に取った。
師範はそのまま剣を自分の身体の前で構える。
ただし、ただの構えではなく防御の構えだ。
「この道場を卒業するやつは、最後に俺に一発撃ちこむのが習わしなんだ。お前は急に辞めちまったからな、出来ずじまいだったんだよ。だから撃ってこい、本気で良いぞ」
師範の構えはまさに理想的といっていい構えをしていた。
どこにも力が入っておらず。かといって緊張感がないわけでもなく。
魂が震えるのを感じる。
この人に、俺の力がどこまで通じるか。
「行きます、師範」
「来いよ、アル」
俺は思い切り棒を振りかぶり、師範の剣目掛けて斬りつける。
足運び、呼吸法、力の籠め方、気の持ちよう……今まで教わったことの全てを活かして。
ぶつかり合った棒と剣は、聞いたこともないような鈍い音を響かせる。
そしてゆっくりと、師範の剣の剣先が床に落下した。
「……見事だ。最後の最後に一皮むけたな」
師範はぼりぼりと頭を掻きながら、折れた剣を見下ろしている。
俺はそんな師範に最後にもう一度だけ、深々と頭を下げた。
「師範、ありがとうございます。親のいない俺を拾ってくれたこと、人としてのマナーを学ばせてくれたこと、剣の道を教えてくれたこと……師範が俺にしてくれたこと、全てに感謝しています」
「らしくないことを言うな。痒くなるだろうが、ったく」
顔を上げると、師範の照れくさそうな顔があった。
あまりにも似合っていないもんだから、俺は思わず笑ってしまう。
それを見た師範はムッと眉を寄せ、そしていたずらを思いついたガキのように笑った。
「アル、しっかり鍛えなおしてこい。なぁに、お前なら大丈夫だよ。なんてったって、お前は俺の自慢の愛弟子だからな」
「やめてください師範、痒くなってきます」
「ケッ、さっきのお返しだこの野郎」
師範の笑みに思わず悪態をつきたくなったが、また反撃を食らいそうだ。
この辺にしておくのがいいだろう。
「じゃあ、一週間後か、一か月後か、一年後か……この街に戻ってきたらまた顔を出します」
「おう。がんばれよアル」
「はい。師範もお元気で」
最後にそう言葉を交わして、俺は師範の部屋を出た。
「良い師じゃの」
「ああ、本当に」
これで心置きなく前へと進むことが出来る。
そう思いながら道場の門の方へと向かっていくと、そこには門にもたれかかる人影があった。ジャスだ。
「街を出んのか?」
「ああ。悪いなジャス、ちょっとの間お別れだ」
腕を組み、壁にもたれかかり……まるで良い子が思いつく典型的な悪いヤツって感じだな。
「……どこ行くんだよ」
「アーサンドだ」
「期間は?」
「決めてない。俺が自分で納得できるまでだな。一週間かもしれないし一年かもしれない」
ジャスはそんな俺の返答を聞いて、昔修行でアーサンドを訪れたことを思い出したようだ。
「アーサンドってーと、子供のころ修行で行ったとこか。あんときは門下生全員がかりでやっとこさデザートドラゴン一匹倒したんだっけな」
「そうそう、懐かしいよな」
「まあ練習台としちゃあいいかもな。今のお前なら一人でも充分相手できんだろ」
「……おお、うん」
……まさかジャスに褒められるとは思わなんだ。
「……ジャスお前、熱でもあんのか?」
「か、勘違いすんな! 俺だって今ならデザートドランゴンくらい一人で相手できるわ! べ、別にお前をほめたわけじゃねえ!」
「はいはい。……じゃあ俺は行く。あんまり師範を困らせんなよ?」
「分かってるっつーの。アルもその……元気でな」
最後にジャスは小声でそう付け足した。
「むふふ」
「ニヤニヤすんじゃねえ! さっさと行っちまえ!」
ジャスに追い出されるようにして俺は道場を出る。
これで俺とひのきんの二人きりだ。
「アル、もしかして寂しくなるんじゃないかえ?」
「馬鹿言え、全然だよ。これからはひのきんも構ってあげなきゃならないしな」
「何を~!? 構うなどと、妾を子ども扱いしおって。ぷんぷんじゃぞ」
そう言いながらも、まんざらでもないような顔をしているひのきん。
やっぱりあの洞窟に一人きりは寂しかったのだろう。
ボディータッチが多いのも人肌の温もりに飢えているのかもしれない。
そう思ったら、なんだか途端にひのきんが可愛らしく思えてきた。
「構うのが駄目なら、あやす?」
「あ、あやすじゃと!? お主、妾を何歳じゃと思うて――」
不満を言うひのきんの話は無視して、俺はひのきんの頭を撫でる。
「よしよし、よーしよし」
「わ、妾は年上! 年上なのじゃ!」
そんな反論を無視して撫で続けていると、さすがに業を煮やしたひのきんがむぅと俺を見上げる。
気恥ずかしさからか、白い肌がぽわんと僅かに桃色に変わっていた。
「もっとこう、あるじゃろ! 年上のれでぃーに対する心配りみたいなものが!」
「ひのきん年上なんだ。へー」
「そうじゃ! お主よりずっとずっと年上じゃ! だからもっとれでぃーとして扱うべき――」
「でもひのきん小っちゃいしなぁ」
「ムキー! もう許さんのじゃ!」
「おおこわ、逃げよーっと」
「逃がすかー! 待つのじゃアルーっ!」
追いかけてくるひのきんから逃げながら、俺はついにこの街を出た。
俺の旅は今この瞬間に幕を開けたのだ。
これにて1章完結です! 次話から2章に入ります!
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