3話 名前は大事
洞窟を抜け、しばらく。
もう少しで街まで帰れるというところまで来た。
隣を歩く少女を見ながら思う。
俺はこの少女を何と呼べばいいのだろうか。
「……なあ」
「ん? なんじゃアルバート?」
「お前さ、『名前が無い』ってさっき言ってただろ? もしあれなら、俺が名前をつけてもいいぞ。もちろんお前が望むならだが」
「本当かえ! 頼むのじゃアルバート!」
うおっ、予想外に食いついてきた。
じゃあ考えるか。
ひのきのぼうだろ……? ひのきのぼう、ひのきのぼう、ひのき……。
「ひのきん! ひのきんはどうだ?」
「ひのきん……おぉ、それが妾の名か! 悪くないぞ、アルバート! 今日から妾はひのきんじゃ!」
少女――ひのきんはじわじわと頬を喜びに緩め、白い歯を唇の間から垣間見せた。
気に入ってもらえたようで何よりだ。
「ああ、俺もアルでいい。同じ道場だったヤツらからはそう呼ばれてるから」
俺がそう告げると、ひのきんは黒の瞳をきゅるんとこちらに向けてニッと笑う。
「愛称というやつじゃな? わかったのじゃ。これからよろしくの、アル!」
「よろしく、ひのきん」
互いの距離が少し縮まったところで、街へと着いた。
タイミングぴったりだったな。
「のうのうアル。アルは道場に通っとったようじゃが、道場とは何をするところなのじゃ?」
家へと帰る俺に、ひのきんが聞いてくる。
「うちの道場は剣の道場だったから、基本的にはやっぱり剣の修業だな。んー、あとは基本的な生活知識とかも学ぶぞ。掃除とか洗濯とか。だからまあ、半分道場、半分孤児院みたいなところって感じかな」
「ふむ、剣の修練を……なるほどの。それでアルはあれだけ見事な武術の腕を持っておったのか」
納得した様子のひのきんがそう言葉を零す。
そんな風に言われちゃ、悪い気はしないよな。
「そういえば、剣を使いたくても使えないとか言っとったの。あれはどういう意味なんじゃ?」
「ああ、それは――」
俺は包み隠さず自分の現状を全て打ち明けることにした。
これから一緒にやっていくのに、隠したままっていうのは気持ち悪いしな。
話を聞き終えたひのきんは「ふぅむ……」と小さく唸って俺の方を見る。
「武器を持つと手が震える、か。そんな事例は妾も聞いたことがないのう。ひょっとしてアル、呪われてるんじゃないかえ?」
そう言いながら、ひゅーどろろー、と胸の前に両手をブラブラさせている。
「やめてくれよ、割とマジで本当にありそうだから」
「アル、成仏するのじゃ」
「俺は幽霊じゃないぞ!?」
ひゅーどろろー、と言いながら除霊しようとしてくるひのきん。
それお化け側の効果音だから。しかもひのきんの声だと怖さより可愛さが勝っちゃってるし。
……でも実際、呪いなんじゃないかと思ったことは何度もあった。
道場を辞めたのもこれが原因だし。
拾ってくれた師範にはとても感謝しているだけに、剣が振れなくなって勝手に辞めてしまったのは不義理をしたと思っている。
そのまま師範たちとの関係が切れてしまうのは嫌だったので、たまにフラッと足を運んでみたりもしているが、結局突然辞めたことに関してはまだ謝罪出来ていない。
いつかしよういつかしようと思いつつ今日まで来てしまった。
「どうしたのじゃアル、遠い目をしおって。お化けの真似しとる妾が馬鹿みたいじゃないかえ」
隣でひのきんが俺を見上げる。
……そう、今までずっと呪いだと思ってたんだ。
だけどさ。
「おかげでひのきんに会えたと思えば、呪いじゃなくて祝福だったのかもな」
俺がポロリと零したそんな言葉にひのきんはお化けの真似を止め、不敵に笑みを浮かべた。
「ふっふっふっ、ひのきのぼうは聖棒じゃからな!」
「……気に入ったの? その呼び方」
「うむ、気に入ったのじゃ。『せいけん』よりも『せいぼう』の方が強そうじゃし。ほら、濁点が入ってるゆえ」
「その感覚は俺にはわかんないけど……あっ」
俺は立ち止まる。
他愛もない話をしているうちに、道場の前まで歩いてきていた。
「ちなみに、ここが俺が昔住んでた道場だ」
大きな正面の黒い門に、横に長く続く塀。
開けた門を覗き込めば、中には風流な庭と木造の長屋、そして城と見まがうほどの大きな木造の建物が見える。
街でも有数の大きさであるこの建物こそが、五年前まで俺の修行場所兼住居だった道場である。
と、道場の方から声がかけられる。
「へぇ、無事に帰ってこれたんだな」
話しかけてきたのは緑の髪を短く切りそろえた、やんちゃそうな顔の男だ。
「おかげさまでな、ジャス」
俺は男にそう返す。
男の名前はジャス。俺と同じ二十二歳。
年も同じで道場に来たのも同時期で、簡単に言えば同期というやつだ。
同期の中で飛びぬけて才があった俺とジャスは昔からずっと試合を組まされていた。
まあ一度も負けたことはなかったが。
そういや最近師範代理になったって話聞いたな……なんて思っていると、ジャスは顔を驚きに染める。
「おい、なんだそのガキ! アルお前、人さらいは犯罪だぞ! お前には失望した!」
……ああ、そうなるのか。
参ったな、面倒くさいことになりそうだ。
ひのきんが武器に変われるってことに関しては隠した方が良さそうだし、何とかして誤魔化さないと。
「人聞きの悪いことを言うなよな。この子は……あれだ。そのー……」
……なんて言えば良いんだろう。
俺は助けを求めてチラリと視線をひのきんに向ける。
目が合ったひのきんはコクリと頷き――ひのきのぼうに姿を変えた。
「……はああああ!? な、なな、ガキが、棒になった!?」
「ちょっとひのきん!? 何してんの!?」
「目くばせされたから、妾てっきり『棒に変われ』って意味かと……違ったのかえ?」
全然違ったよ!?
……いやでもまあ、ポジティブに考えれば説明の手間が省けたか。
見られちゃったもんは仕方ないしな。
「まあ、こういう感じのどこにでもいる普通の子だ」
「どこにでもいる、普通の……子……?」
ジャスが絶句してる。こんな顔見たの久しぶりだ。
なんかごめんな、頑張って正気を取り戻してくれ。
「……って、おい! それってあの洞窟の棒じゃねえかよ!? どうやってもとれなかったのに……。なあ、どうやったんだ?」
なんとか落ち着いたジャスは俺が持つ棒を指差す。
意外と立ち直るのが早かったな。
「なあ、どうやったんだ? 教えろよアル!」
「なんか軽く抜いてみたら抜けた。それから女の子になった」
「何言ってんだお前。頭おかしくなったのか? ……いや、たしかにガキが棒に変わってたか。嘘みてえな話だが」
ジャスは何とも言えない顔をした後、キッと鋭い視線を俺へと向けた。
「でもよ、なんでわざわざ道場まで見せにきたんだよ。もしかしてよぉ、抜けなかった俺に自慢しに来たのか?」
「そんなわけあるか、ただ帰り道の途中でお前が話しかけてきたんだよ」
「いーや違うね、お前は俺に会いに来たんだよ。そうに決まってる」
自慢のためにわざわざ棒を持って帰ってくるような面倒くさいことをするわけがない、ということがジャスにはわからないらしい。
俺はひのきのぼうをチラリと見て、それからジャスに視線を戻す。そして言った。
「まあお前が俺をどう理解しようと構わないが、折角だから教えておこう。――こいつを俺の武器にする」
「マジか。……マジか?」
「マジだ」
「ギャハハハハハッ! アル、さすがに笑い取りに来ただろお前!」
笑いながら膝を叩くジャス。
全く笑い取りになんていってないぞ。純度百パーセントのド真剣だ。
「俺は真面目だ。これがあれば全力が出せる。お前にも負けないかもな」
そう言うと、目を三日月形に歪めていたジャスが、一転して俺を睨んだ。
さすがにこの道場で師範代理にまで上り詰めた男だけあって、気迫は一流の剣士のそれだ。
ジャスは鋭い目を俺に向ける。
「はぁ? お前ふざけてんのか? 笑えねえ冗談だな。その棒っきれで、真剣持った俺に勝てるって言ってんのか?」
「ああ、そう言ってるな」
そう答えると、視界が揺らいだ。
ジャスに胸ぐらを掴まれたのだ。
「もし嘘じゃないってんなら、試させろ。一戦交えようぜ。俺は真剣で、お前はその棒でな」
決して軽くない俺の身体を片手で持ち上げながら、ジャスは言う。
グググッ、と持ち上げられた俺は、上からジャスを見下ろす。
「たしかにそれなら手っ取り早くて良いな。ジャス、お前たまには良いこと言うじゃないか」
「ケッ! 頭のおかしくなったお前に、現実を教えてやるよ。棒じゃ剣に勝てねえってことをな」
そして急遽俺とジャスの手合せが組まれることになった。
元剣士としては、ジャスがこれだけ怒る気持ちも分かる。
木の棒で鉄剣に勝つなんて普通じゃ到底ありえないことだからな。
だけど俺は正真正銘本気だぜ。負けてやる気はさらさらねえよ。