13話 宿の夜
宿に帰った俺たちはまず温泉に入って戦闘の疲れを癒し、砂まみれの体を綺麗にした。
やっぱり貸し切り温泉は最高だな。誰にも気を使わないで済むし。
そんな最高の温泉を存分に堪能し、二人で浴場を後にする。
「にしても、やっかいなヤツに目を付けられちゃったみたいだな。あれで諦めてくれていればいいんだが……」
「まあ大丈夫じゃないかの? 最後は反省しておったようじゃし」
「だといいんだけどね」
俺たちは揃って首にかけたタオルで髪を無造作に拭きながら会話をする。
「ちなみに、また襲われたりしたときのための策はあるのかえ?」
「……思いっきり、斬る!」
「……お主、意外と脳筋じゃよな」
ひのきんは呆れ顔をするが、剣士なんて大抵は脳筋だ。
その中でも俺はまあまあ理知的な方だと思うのだが、どうだろうか。
そして、夜。
昨日と同じように温泉宿に泊まらせてもらった俺たちは、眠りにつく準備に入る。
普段の俺はひのきんの布団からと一メートルほど離れたところに布団を敷き、そこで寝ている。
しかし、今日のひのきんは何やら様子が違うようだ。
「……んっ」
ひのきのぼうに姿を変えて、なぜか俺の布団に潜り込んでくる。
「? あ、ありがとう」
そう答え、俺はひのきのぼうを元の布団に戻す。
「……んっ!」
さらにもう一度、ひのきのぼうが布団に潜り込んできた。
「ひのきん、何がしたいんだ? さっきから意味が良くわからないんだが」
「……と、特別に、ひのきのぼうを抱きかかえて寝て良いぞ、ということじゃ。か、感謝するのじゃな!」
ひのきんはそっぽを向いて告げる。
なるほど、たしかに寝ている間にひのきのぼうを武器狩に盗まれる可能性もある。
抱きかかえて寝た方が守りやすいのは確かだ。
やるなひのきん。俺は感心する。
「ひ、ひのきのぼうはもう一人の妾と言っても良いほど妾と同質の存在じゃからな。妾を抱いていると錯覚して、興奮してはいかんぞ? く、くぷぷっ」
しかしどうも、ひのきんはそういう考えだったのではなく、単に俺をからかおうとしていただけのようだ。
声を震わせているひのきんを見ると、それに乗ってあげたくなる気持ちもあるのだが……でもなあ……。
「いやぁ、木の棒を抱いて興奮するような性癖は持ち合わせてないなぁ」
いくらひのきんと同質の存在と言われても……木の棒だしなぁ。
これで興奮するってのは、中々特殊な人種の人々じゃないと無理だと思うぞ、ひのきん。
「ぐ、ぐぬぬ……じゃあこれならどうじゃ!」
そう言うと、ひのきんは潜り込んでいた俺の布団の中で人型に変わった。
棒と比べてかなり大きくなったことでモコッ、と俺の布団が膨らむ。
「匂いすら嗅げるほどの距離じゃぞ? これなら興奮するじゃろ!」
ひのきんは布団に潜り込んで顔を隠しながら必死になって俺をからかう。
正直言うと、これはだいぶ理性がヤバい。結構危ないところまで来てる気がする。
しかしここは耐える時。今こそ道場で鍛えた鋼の精神の出番だ。
「くふふ、いくら妾が襲いたくなるほど可愛いと言っても、理性はしっかりと保つよう努めるのじゃぞ?」
「絶対に大丈夫だから安心してくれていいぞ」
無心になった俺はこの程度のボディタッチでは動じない。
俺の答えに、布団の中で楽しげに動いていたひのきんの動きがピタリと止まった。
「……わ、妾は……」
「ん、なに?」
「妾はかわいいじゃろーがっ! かわいいと言えー! 妾はアルをからかいたいのじゃー! からかわせんかー!」
うおお、もう超直球で来たな。
布団から頭を出したひのきんは、恥ずかしさか怒りかわからないが顔を真っ赤にしている。
「はいはい、かわいいかわいい」
「あやすなと言っておろうが!」
ぷんっ、と頬を膨らませるひのきん。
「なんで興奮せんのじゃ! お主、枯れておるのかえ!」
「いや、普通にドキドキしてるけど」
「……へ? な、なんじゃとアル、もう一回言ってくれぬか?」
「だからドキドキしてるって」
「うぇ? ……うぇぇぇっ!? こ、興奮しておるのか……? あ、えっと、その……ほ、本当か?」
認めたら認めたで狼狽えるのか……。
いよいよ何がしたいんだかさっぱりわかんないぞ。
まあここはひのきんへの仕返しとして、こう言っておこう。
「ひのきんはかわいいなぁ。からかい甲斐があるよ」
「……むきーっ! アルのばかちんっ! アルなんか、アルなんかぁ……っ!」
俺の布団を抜け出したひのきんは、泣きそうな顔で俺にまくらを投げようとして、まくらを掴めず両手が空を切る。
バランスを崩して、こてんと転ぶ。
なんだこの愛らしい生き物。
だが、口を極限まで尖らせているところを見ると、少しやり過ぎてしまったかもしれない。
隣の布団に戻っちゃったし。
「悪かったよ。ごめんなひのきん」
「寝てる間に布団剥ぎ取って、風邪を引かせてやるからの……。覚悟しておくのじゃな……」
「なんだその地味な嫌がらせ……」
やめてくれよ……。
恨めしげな目線を向けてくるひのきんをあやしながら、俺はひのきんの隣で眠りにつくのだった。
そして朝。
目を覚ました俺の上には、掛布団が優しくかかっている。
寝ている間に布団を剥ぐのは勘弁してくれたようで、一安心だ。
寝ぼけ眼を擦り、上体を起こす。
……あれ、おかしいな。
「部屋、こんな散らかってたか……?」
テーブルの上に並べてあった菓子類は散乱しているし、クローゼットも全開になっている。
道場で育った俺は最低限の整理整頓は叩き込まれているし、ひのきんもあれで意外と部屋を汚く使ったりはしないタイプだ。
だとすると、この惨状は……なんか嫌な予感がする。
「ひのきん、どこだ? ひのきん?」
ひのきんを呼んでみる。だが返事がない。
それに、部屋を見回してみてもどこにも姿が見当たらない。
「……ひのきん? もし怒って隠れてるんだったらすぐに出てきてくれ。心配なんだ、頼む」
それにも返事はない。
棒になってるのかと思ってひのきのぼうを探してみる。見当たらない。
まるで元から存在していなかったみたいに、ひのきんはこの部屋から忽然と姿を消していた。
ひのきんが散歩とかに行ったんだとしたら、部屋がこんなに散らかっているのはおかしい。となると考えられるのは一つ。
「や、やられた……っ!」
俺は確信する。
ひのきんは、連れ去られてしまった。




