前半/誠司視点
時間軸は、1作目と2作目の間
俺に見合い相手が決まったと知るや否、年の変わらない幼馴染の多喜子は、壺に入ったのか大笑いを始めた。
「嘘でしょ?! だってあのはなたれ小僧セイちゃんがね」
口を開かなければ、手先も器用で縫い物や炊事、幼い頃にだけやっていた琴もできる。その上、世間一般よりも見た目は"いい女"に入る。しばらく前に叔母さんが少し具合が悪くなって、女学校を卒業したてから一人で喫茶店を開く多喜子は、割に客にも評判があるみたいだ。そんなタキは。俺相手には酷い。まぁ、遠慮する間柄でもないし、その分俺も気は使わなくて済むけど。
「流石に、笑い過ぎだ。それに特別、珍しい話でもないだろ」
「そうね。お見合いくらい誰でもするけど、でも、まさか例外なくセイちゃんにも、そんな話が来るなんて思わなくて、可笑しくて」
「どう言う意味だよ、たき」
言わなくてもわかるでしょと、言わんばかりに答えないままひとしきり笑うと、やっと落ち着いみたいだった。
気持ちを切り替えると、俺にやっと珈琲を出した。もしかしたら、たまに店を手伝うから俺なら勝手がわかるし、俺が自分でやった方が早かったんじゃないかと思ったが、とにかく何も言わずに差し出されたそれを、一口飲んだ。
「でも、セイちゃん。まだ学生さんでしょ? 早いと思わない?」
女は女学校を卒業する前に結婚することもしばしばある。男は女ほど適齢期だとか行き遅れは気にしないからそれよりも遅いのが普通。学生の俺に見合いの話が出るのは、むしろ早いくらいだ。
「まぁ、確かに早いけど」
「セイちゃんはそれで納得してるの?」
「良いも何も親父たちが話持ってきたんだから、遅かれ早かれの違いだろ」
「せめて卒業するのを待ってもらってからでもさ」
身を固めるなら、生活は一変し、自由も効かなくなる。面倒になるから少しくらい遅くしたい気持ちも確かにあった。だけど、あれを見たら気が急に変わったのも事実だ。
「……良いんだよ。これで」
脳裏に焼きついたのは、お見合い相手の奴だった。親が勝手に話を進めてるとは言え、これから結婚する方向だって言うのに、そいつは幾らか年上の男を慕ってるのは見てすぐに分かった。
そのくせに、迎えにきた妻らしき人物が傘を持ち落ち合い、その男が妻と歩き出す。小さくなっていく背中を見届けたあいつは、気が抜けたのか赤らんで惚けた顔から、泣き顔に変わっていた。
我ながら、最悪な瞬間に居合わせたものだ。後味悪いものを見てしまったらしい。
独りで泣いてるあいつに大丈夫か、の一言くらい駆け寄って言ってやれば良かったかもしれないけど、一部始終を見ていたとも言えず、むしろあっちから見たら「どちら様?」って不審がるだろう。そんな事を頭に掠めて、俺は声をかけられないまま見送った。
あいつはまだ、俺を知らない。
先走って面白半分に偵察しに行っただけで、俺だって本来は見合い当日に初の顔合わせなんだから。知っているはずがない。
別にこれでそいつのことを好きになったわけでもないけど、どうも頭から消えないみたいだ。
「他に気になることでもあるの? さっきから煮え切らない顔してるよ」
「…….っ、そんな事ねぇよ」
「あるでしょ?」
タキの事だ。言ったらまた花を咲かせて笑うはず。
と思っていたのに、今日の俺は軽率で、それ以降、口が軽くなった。此処が気の置けない喫茶店だし、昔から入りやすいのもあわさってか、何度かあれこれと自ずから愚痴っている俺がいた。
親から渡された見合い写真の中に、タキが居ないのは開く前から分かっていた。家柄を守るために、俺の結婚相手は遠い親戚の誰かか、または親父の古くからの知人の娘さんになるか、そんな話を幼い時から聞かされてた。実際にその日を迎えれば驚きもなく、言われてた通りになった。
タキはタキで、最近、喫茶店に来ている男子学生から交際して欲しいと綴られた恋文をもらったと自慢してたし、俺としても安心した。
夫婦になるなら全く知らないより、少しは知ってる人とが良い。結婚前に仲が良くなれるなら尚のこと良し。
いつだったか親戚で大勢集まった日の中に、あいつーー桜が写真の中に居た。接点は無いけど、決める前に一応は自分で一目見てみるかと思った程度だった。まさか、最初にあんな場面に遭遇するとは思わなかったけどな。
見合いの日が遅くなれば、それだけ俺とあいつは他人のままだ。その間、あいつは独りでまた泣くだろうし。一応、婚約者だって知ってもらえれば、それを口実に桜の隣に居てやることができる。
俺は幸い、好いてる女もいないから、結婚するのに問題はない。
親父もおふくろも、桜の親もまさか、そんなに早く見合いの日が決まるとは思わなかったらしい。俺自身も自分に驚いた。桜とは話した事もないのに「もう覚悟はできています」と肝を据えた自分がいるとは。向こうの親もそれを聞くと"娘をよろしくお願いします"と快く承諾してくれた。
こうして、桜本人は裏での出来事を知らぬまま話は進んだ。
何度も遊びに出かけ、こっちが手を伸ばす努力しても、桜は頑なに心を開かない。近くに住む年上の男を好きなのを知って居て尚、見合い相手に選んだんだから、そう簡単に上手く行くわけあるわけない。なんとかなる期待した俺も馬鹿だけど。おかげで、愚痴りはたきの方へと流れている。
ため息混じりに喫茶店に寄れば、タキはからかうように「またか」って顔をした。
「今日も相変わらず、桜ちゃんはつれなかったの?」
「相変わらずだよ」
「ねぇ……。実際の桜ちゃんってどんな娘なの?」
「どんなって、前から話してるだろ」
「うん。セイちゃんをずっとお断りしてる一途な女の子ってことは知ってるけど」
「あのなぁ」
「……でも、優しいよ」
タキには「振り向いてもらえなくても、セイちゃんは笑ってもらえるために尽くして、桜ちゃんのこと、相当好きだよね」って度々揶揄するが、そんなんじゃない。あんな泣き顔見たらほっとけなくなっただけだし、逃げるからつい本能で追いかけたくなる。始めは、ヤケにになった部分もある。タキには「追いかけなきゃそもそも逃げないよ。最初の方から割と好きだったんでしょ」と、見透かしたように更に言われた。
もとより、桜を選んだからには本腰入れて好きになろうと、努力はしてたつもりだ。
「今度、喫茶店に連れてきてよ。私も桜ちゃんに会ってみたくなっちゃった!」
「会ってどうするだよ」
ただでさえ、桜は人見知りがあるは、俺には特に懐かないわで苦労してるのに。女子2人で変な方向に盛り上がられては困る。間違っても、桜のあいつへの気持ち、応援するなよ。
それにしても、タキには年下の桜がどう映っているのか、今更ながらに考えた。