↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

神殿―星づく夜―


 村の神殿。

 そこは静謐で、厳かな雰囲気の寺院だった。

 門を入れば、低く静かな賛美歌が耳の奥から響いてくる。

 人の気配はない。

 石造りの建物はひんやりと肌に冷たく、迷路のように入り組んだ内部は思考を鈍らせる。

 薄暗い通路に焚かれた松明。

 ちらちらと壁に投げられる自分の影さえ、見知らぬもののようだった。


 彼女は進んで行く。奥へ、奥へ。

 迷いなく、まっすぐに。

 そしてとうとう、洞穴のような部屋の中へと消えていった。

 

「…この部屋は、一体」


 扉のない部屋の中を、そっと覗き見る。

 そこは、無人ではなかった。

 決して狭くはない部屋の中に多くの人々がひしめき合い、祈りを捧げている。

 彼らの仰ぎ見る祭壇は、また小さな部屋に通じているようで、彼女はその中へ吸い込まれていった。


 彼女が石の扉の向こうに姿を隠すと、祈りの文言はいっそう厳粛さを増す。

 俺はまるで木偶の坊のようにその場に固まっていた。


「気になるかね?」


 突然掛けられた声に、心の臓が跳ねる。

 悪事を暴かれた少年のような心地であったが、隣の老婆はここまで来た経緯には興味がないようだった。


「…また会ったな」

「あの子があの部屋で何をしているか、知りたいかね」


 無意識に喉が上下する。

 考える前に頷いていた。

 老婆は遠くを見るように、焦点の定まらない目を凝らす。


「彼女は飛んでいるのさ」

「飛んでいる?」

「そうさ、鳥のようにね」


 意味がよく分からなかった。


「彼女はそこにいないのか」

「いいや、いるさ。体はね」

「体と心が別々になっているということか?」


 老婆は首を振った。

 どうもそんな単純なことではないらしい。


「…それで、彼女はどこへ行っているんだ」

「色々さ。彼女はどこまでも行かねばならない。そこに意味があるならね」

「意味?」


 老婆は答えない。

 ずっと遠くを見つめている。


「…そこで彼女は何をしているんだ」

「それも色々さ。必要なことをしている。彼女の使命のためにね」

「使命?使命とは何だ」


 その目が閉じられる。

 悼むように。


「誰が否定しようと、それを最も必要としているのはあの子さ。それが全て。それだけが誇り。あの子はその為だけに生きてきた」


 噛み合わない、すり抜けるような会話が途切れた。

 

「…彼女が、人を殺めたというのは本当か」


 老婆の目が、ようやくこちらを捉える。

 感情の読み取れない、万年の歴史を刻みつけたような眼光だった。


「呪い返しさ」

「呪い返し?」

「この国を守る為には致し方ないこと」

「呪いからこの国を守っているということか?」

「ある意味、その通り。呪いを弾けば術者に返る。それだけのことさ」


 彼女が呪術を弾き返すと、それが犯人に返ってしまうということか。つまり、今年死した五人は、死の呪いを掛けようとしたのだろう。


「彼女に非はない」


 俺が呟くと、老婆も頷いた。


「そうだね。しかしあの子の罪の意識は消えない」

 

 罪などない。

 そう言葉にしかけたときだった。

 重々しい石の扉が音を立て、開かれていく。

 人々は顔を上げ、固唾を飲んで見守っていた。


「今回は早かったね」


 老婆の言葉を訝しむ間も無い。

 暗闇の中から、彼女がふらふらと戻ってきた為だ。

 全身に汗を滴らせ、苦しげに息を吐きながら、祭壇の上で崩れ落ちる。

 しかし誰も助け起す者はいなかった。

 何をしているのかと駆け出しそうになったところで、老婆に止められる。


「やめな。あの子の矜持を傷つけてはならない」


 矜持?そんなものが何の役に立つ!

 そう言い返す前に、彼女は自力で立ち上がった。

 そして平伏する人々に言い渡す。


「北の砦に今晩夜襲が仕掛けられます。急ぎ王宮に伝達を」

「……はい、ベランガレア様」

「それから、西部の日照りはあと一週間で解消します。安心するようにと伝えてあげてください」

「……はい、ベランガレア様」


 それから小一時間、俺はその様子を茫然と眺めていた。


「…あれは神託か?」

「否。全て彼女が見て来たものさ」

「この国に関わることだけを見通す力があるのか」

「否。彼女は全てを見て来る。そしてその中から必要な事象を選び出す。あらゆるものを結び合せ、考え、推理する」

「全てを?」

「万物万象その全てを」

「…無理だ、耐えられるはずがない」

「だが彼女はやらねばならない」

「無茶だと言っている!」


 しんとした堂内に、咆哮が反響する。

 しまったと思うよりも早く彼女と目が合った。

 彼女はただただ驚きに目を見張り、こちらを見つめていた。



――――……



 銀の粉を散らしたような星空を仰ぎ見る。

 人影のない丘の上。

 彼女は言葉を使うことなく、俺に伝えていた。

 何も言わないでほしいと。


「こんな馬鹿げたことはやめろ」


 喉まで出かかっていたその言葉を、飲み込むことができた。

 やめろと言ったところで、きっと彼女はやめない。

 その言葉は徒らに彼女を傷つけるだけだろう。


「この国は美しいわ」


 優しい声だった。

 彼女は心底この国を愛している。

 疑いようもないほどに。


「この村を出たことがあるのか」

「…一度だけ」


 彼女は夢見るように目を閉じた。


「…まだ幼かったとき、王都へ行ったわ」


 ぎゅっと胸の前で合わされた手が、幸せそうな笑みが、何故か俺の目には切なく映った。


「ねぇ、オスレー、教えて。貴方が旅したこの国のこと」

「全てを見ることができるんだろう」

「貴方の目を通した世界が知りたいのよ」


 よく分からない理屈だったが、彼女の期待に満ちた目には敵わなかった。


「最初に訪れた町はピアスというところだった。演劇が盛んで、至る所に劇団があった」

「聞いたことがあるわ。野外でもお芝居しているんでしょ?」

「あぁ、とにかくあちこちで。それから笑いを大事にしている町だった」

「素敵ね」

「食べ物も美味かった。ユーという料理がよく出てくる」

「ユー?」

「透明の物体だ。甘いものもあれば辛いものも、塩気のあるものもある。形も丸かったり細長かったりまちまちだ。とにかく透明なら全てユーだと教えられた」

「美味しかった?どんな食感なの?」


 それから、空が白むまで俺たちはこの国の話を続けた。

 暁の中で、彼女は「夕飯を食べ損ねたわね」と少しだけ申し訳なさそうに、しかしとても楽しそうに笑っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。