シンデレラになってみました 8話
新しい朝。
新しい家。
新しい私。
花梨はすっきりと目覚めた。
大きなベッドの上で身体を伸ばす。
「イタタ、イタタ」
お腹の攣った様な痛みが現実を思い出させた。身体を丸めて痛みをやり過ごしながら、花梨は目に入る景色を眺めた。
「おお、お姫様、ベルサイユ」
気を反らしながら、ゆっくり身体を伸ばしていく。
「少し痛いが、大丈夫かな」
今度は慎重に身体を起こす。座ったまま腕を伸ばす。
「・・・よし」
花梨はベッドから下りた。
立ち上がって、部屋の中をよく見渡す。廊下側とは反対の壁にあるドアが目についた。曇りガラスから日の光が注いでいる。花梨は歩き出した。昨日より痛みがある。自然と傷を庇うように身体が前屈みになってしまう。ドアを出るとそこは黒と白の石の床が広がるベランダだった。
大きな窓からたくさん光が入っていた。
「わあ、すごい。また別世界だわ」
窓に近づいて、両手を広げた。しばらく日を浴びている。
「ああ、ファンタジーの世界なら、私の傷は完全に治っていたのに、ピキピキピキキキ」
ガチャ。
花梨は反射的に音のした方に顔を向けた。
「おはよう」
黒いスラックスにワイシャツ姿の悠人がそこに立っていた。
「をぅはようございます」
両手を広げたまま、へんてこな挨拶を返す。
「どこからきました?魔法ですか?」
悠人は口を押えて自分の後ろを指した。
ドアが見える。
花梨は自分の出てきたドアを見て、もう一度悠人の指したドアを見た。
「君の部屋。私の部屋」
花梨の視線に合わせて悠人が説明を加えてくれた。
「よく眠れましたか?」
「はい。とても」
「傷は痛む?」
「少し」
花梨は、親指と一指し指を一センチぐらい離して痛みを現した。一瞬間を置いて悠人は頷いた。
「少し、痛むんだね」
向日葵と百合ならすぐさま、「口と指で同じこと言わない」と突っ込みがくる、勝手の違いに花梨は顔を赤らめ、手を背中に隠した。
「朝食をいただきましょう。山崎がもう来ると思います」
「はい。わかりました」
花梨は会釈をすると、そそくさと部屋の中に戻った。
昨日よりずっと緊張して、悠人との距離間がわからなかった。
ベランダのドアを背で閉め、深呼吸をしていると、反対のドアがノックされた。
「おはようございます。奥様」
山崎の声がする。
「はーい」
返事をしながらドアの方へ歩いていくと、ドアが開いた。山崎の大きな身体が入ってくる。
「お着換えをお手伝いします、奥様」
こちらへと、招くように先に歩く山崎の背中について花梨も進んだ。
ベットの奥にクローゼットがあった。
まさにウォーキングクローゼットと呼ぶに相応しい、その部屋に花梨は言葉を失った。
「わ、私の服は、どこに・・・」
「奥様の以前の服は、こちらです」
山崎が指した棚にスウェット二枚とTシャツ三枚がきれいに畳まれて収まっていた。
「制服はこちらに」
桜桃の制服が見違えるようにきれいになって吊るされている。
「お部屋では楽な恰好でも構いませんが、これからは少し服装にも気を遣うようにと、十三様がこれらをご用意下さいました」
数枚の自分の服以外に、ずらりと並ぶそれらの贈り物に、花梨は唾を飲み込んだ。
「こんなに、たくさん・・・」
口を半開きにしながら贈り物と山崎を交互に見つつ、花梨はどうしたらいいか分らず、固まってしまった。
「今日のご予定はお決まりですか?」
山崎の顔を見つめて、しばらく花梨は考えた。
「あ、はい。病院へ行きます」
「すいません、そうでした」
山崎が深く頭を下げる。
「奥様の顔色がとても良いので、お怪我のことがすとんと頭から抜け落ちてしまいました」
そう山崎はすっかり見とれていたのだ、花梨の美しさに。
「そんなことで頭を下げないでください」
花梨は山崎に近づき、山崎の丸みを帯びた肩を起こす。
「それで私はどうすればいいのですか?」
覗き込む笑顔に山崎はノックアウトされた。
「なんて、綺麗なんですか!」
「えっ」と花梨は一歩引く。
「昨日初めてお会いした時も思いましたが、本当に奥様はお美しい。山崎、感動しております」
花梨が下がった一歩を、半歩で詰め寄る。
「ああ、悠人様よくやった」
「よくやった?」
「あっ、心の声です。聞き逃してください」
「えっ?」
「山崎こんな綺麗な奥様にお仕え出来て、本望にございます」
ぐいっと顔が近づく。
「これかも、よろしくお願いします」
花梨は余りの迫力に押されて、また一歩下がった。
「・・・よろしくお願いします」
引きつった笑顔で何とか返事をした。
山崎は満面の笑顔で応えると、すぐに服の海の中からゆったりとしたブラウスと淡いピンクのフレアスカートを運んできた。
「診察が受けやすいよう、前開きのお洋服がよろしいかと。こちらのスカートはウエストがゴムで傷口を押さえすぎません。病院の後のご予定は?」
「何も聞いてません」
「では、これが良いと思います」
花梨は手を差し出した。服を受け取るつもりだったのだが、山崎に動きはない。
「洋服を」
「脱いでくださらなくては、お着換えを手伝えません。あっ」
山崎は慌てて洋服をアクセサリーの収まったショウケースに載せる。
「お脱ぎするのもお手伝いいたします」
ぷっくりと膨らんだ手がワンピースの裾に伸びる。
「いや、いや、ない、ないですよ。大丈夫、すべて一人で出来ます。山崎さんは部屋の方で待っていてください」
必死でスカートの裾を押さえながら、山崎をクローゼットから追い出した。
「・・・ここにもあの人種が存在したとは、恐ろしい」
花梨は深いため息をついた。
食堂に着くと悠人はもう座って待っていた。鈴木が給仕をしている手を止め、花梨に会釈をする。大きな食堂にこじんまりとしたテーブルだった。二人の食事にはちょうど良い。
会話も出来ないような長いテーブルの端と端に座るのではないかと、想像していた花梨にはうれしい驚きだった。
駆け寄る花梨より早く山崎が椅子を引く。山崎の動きは機敏で足音もしない。丸く見開いた目で山崎を眺めてから、花梨は席に着いた。
「遅くなりました」
悠人は軽く頷く。悠人の前にはスープだけが置かれている。
「サラダとオニオンスープ、卵、ベーコン、ソーセージ、果物とございます。卵はどのようにでも調理致します。パンはクロワッサンとバケットがございます」
鈴木はバリトンのよく響くいい声をしていた。
「サラダとスープと卵をいただきます。ベーコンは一枚でパンはクロワッサンを一個、下さい」
「卵はどのようにしますか?」
「ええ、と、オムレツでお願いします」
「分かりました」
鈴木が下がっていく。山崎も後について行った。
「スープだけしか召し上がらないのですか?」
「いつもはコーヒーしか飲まないけれど、今日はスープを」
「そうなのですか」
山崎がトレイを運んできた。スープとサラダが載っている。花梨の前に食事が並ぶと悠人もスプーンを手に取った。
「いただきます」
「いただきます」
花梨の声に悠人も応えた。
スープだけの悠人の食事はすぐに済んでしまった。悠人はコーヒーを楽しみながら、村瀬から受け取ったタブレットを開き、何かを確認している。
花梨は別に気にせず食事を取った。スープはもちろんサラダまでも、本当に美味しかった。
「なんで、こんなにおいしいのかしら。ドレッシングが特別なのですか?」
悠人が顔を上げて、花梨の方を見た。
「そんなに美味しいですか?」
「はい」
花梨の後ろに控えている山崎を見る。
「ドレッシングは鈴木のオリジナルです、特別な物は使ってないと思います。鈴木が近所に有機農家を見つけまして、野菜はそこから仕入れることにしたと話してました」
「近所に有機農家があるのですか?」
振り向いて直接、山崎に話しかける。
「はい。そうみたいですよ」
山崎は微笑む。
「野菜に興味があるのですか?」
悠人が会話に加わったので、花梨は正面に向き直った。
「私、食べることは好きなんです。高校も最後の年になって、進路のことを考えていたんですけど、好きな事、興味のある物、なんだろう?って。それで、食べ物がいいなって思ってたんです。でも、お金を稼がないといけないから、ってまた考え直して・・・」
「食べ物って、料理関係?農業?」
「農業の方かな、自分で作って、食べて。種にも興味があります」
「それで、お金が稼げる進路は考え付いたの?」
悠人の口元が少し上がる。面白がっているようだ。
「やっぱり外見を活かそうかと、芸能界とか、銀座とか、でも、みんな反対されました。そんな簡単じゃないからと、もっともだと思って、最終的には看護師がいいなと」
「でも、縁談が舞い込んで私と結婚した」
なんだが、花梨は恥ずかしくなって目を伏せた。
「とても、感謝してます」
悠人は口元を隠していた手を外した。
「昨夜の話を検討しました」
花梨にはすぐにピントこなかった。
「妻としての仕事」
「ええ」目が輝く。
「家計のやり繰りをしてもろうかと」
「家計?」
「そう、私の給料で私と君の生活が円滑に回るように管理する。どう?」
「やります」
花梨の目は輝きを増し、小鼻が広がる。顔がやる気を物語っている。
「では、詳しく話そう」
悠人は押し殺した声で続けた。