結婚は突然に
結婚してしまった。
条件がいいという理由だけで。
シンデレラは幸せだったかしら。たった一度ダンスを踊っただけの、条件のいい男と結婚して。
死が二人を分かつまで、幸せに暮らしたのかしら?
シンデレラの事は分からないけど、私は幸せになろう。
十年付き合って結婚しようが、会って一か月で結婚しようが、幸せに過ごすかどうかは自分次第だろう。
折角シンデレラになれたのだから。私が証明してみせよう。
シンデレラの人生がハッピーエンドだったと。
向日葵の形相は酷かった。
とても、幼馴染で無二の親友の結婚式に列席している顔ではなかった。
般若のような顔でひな壇に座る男を睨みつけている。
「向日葵やめなさい」
たしなめる百合の声も、段々きつくなっている。
「なんでだよ」
向日葵が低く唸るように言う。
「もう、新郎を見るからそんなお顔になるのよ」
百合が無理やり向日葵の顔を掴むと角度を変えた。しかも、左の視界をそのまま手で遮る。
向日葵の視界の中には花嫁だけが収まった。
「やだ、なんて可愛いの」
向日葵の声がため息と共に漏れる。
「花梨だけを見ていなさい。だいたい、この結婚についてはもう納得したはずでしょう」
「まったくしていない」
言い切る向日葵の足を百合は思い切り踏んだ。
「痛い」
「いい加減にしなさい」
睨みつける百合に向日葵は少したじろぐ。
「百合だって納得してないだろう?」
「私はしたわ。花梨は幸せになれるって言っていたでしょ」
「幸せになれるはずないじゃないか」
「なれなかったら、その時助ければいいじゃない」
きっぱりと言い切る百合の横顔が光って見えた。
「・・・百合」
抱きついた向日葵の足を、もう一度百合は思い切り踏んづけた。
ここは桜桃学園茶道部の部室だ。
花梨は週末に起こった出来事を話すために、親友二人を呼び出していた。
二人はまだ来ていない。
花梨は障子を開けて庭を見る。
学校の中とは思えない立派な庭が広がっている。中央に茶室が見える。
桜桃学園は知る人ぞ知るお嬢様学校だ。
都会にあるにも関わらず、学園の周りは林に囲まれ、外の世界からは遮断されている。生徒は送迎が当たり前で、そもそも自宅からの送迎がかなわないような子供は入学出来なかった。秘密の花園、桜桃学園のもう一つの呼び名だ。世俗から隔離された場所で生活させることができるこの学園は、真のお嬢様のための籠のような場所なのだ。
一世代前までならば本当に籠の中の鳥だったが、流石に今は携帯、SNSなどの発達のおかげで、籠の中のお嬢様たちも世間を学んではいる。が、かなりずれがあることが確かだ。
「ごきげんよう。花梨様」
窓の外を通り掛かった学生が挨拶をした。
「ごきげんよう。喜美さま」
同学年は18人しかおらず、皆幼稚舎からのご学友なので、当然名前は知っている。
「そこで、向日葵様と百合様にお会いしましたわ。お待ち合わせですのね」
「ええ、久しぶりに二人にお茶を点てようと思いまして」
「まあ、素敵ですわね」
「また、皆さまでお茶会を開きましょうね」
「ええ、ぜひそうしましょう」
立ち止まっていた、喜美は軽く会釈をするとその場を去っていった。
喜美の姿が見えなくなると同時に部室の襖が開いた。
「お待たせ」
向日葵がずかずかと畳の上を歩いてきた。
「ちょと、向日葵もっと淑やかに歩いてよ。お茶の準備してあるでしょ」
花梨は眉を寄せた。
「そんな顔も可愛いから、罪だな」
さらに、眉が寄る。
「何をしても、可愛いな」
ははは、と向日葵は笑った。豪快に笑う笑い方が様になる。
向日葵は自他共に認める、学園の王子様だ。身長179センチ(自称)、焼けた素肌、エキゾチックな顔立ち。スポーツメーカー社長の父とフィットネスクラブを経営している母を両親に持ち、自らもテニスプレーヤーとしてプロ並みの活躍をしている。可愛い物に目がない向日葵は、女子たちにキャーキャー言われる事に満足しているため、学園の生徒たちを虜にしているのである。中等部に上がると同時に出来たファンクラブにはほぼ全学年の生徒が加入しているという凄さだ。
「私たちにお話しがあるのでしょう」
百合が上座に座る。凛とした横顔に長い黒髪がさらりとかかると、ため息が出る美しさだ。
世界的ピアニストの母の情熱と、医者である育ての親の祖父の知性がせめぎ合う、百合のミステリアスな美しさは、神秘的ですらある。
「まあ、まず一服どうぞ」
花梨はゆっくりと茶を点てた。
百合の前に置く。
「お先に失礼します」
百合は向日葵に手をついて頭を下げる。
「どうぞ」
向日葵も謹んで挨拶を受ける。
二人が「いいお点前でした」と、茶碗を置くと花梨は二人の前に座りなおした。
「発表があります」
花梨は真剣な瞳で二人を見つめた。
二人もそれに答えるように花梨を見つめる。花梨は頷くと口を開いた。
「私の結婚が決まりました」
「えっ」向日葵の口がぽかんと開く。百合も目を丸くする。
「どこで、目を付けられたんだ。だから一人で出かける時には、帽子を深く被って、髭を付けろって言ってるんだ」
「髭だけではなくて、眉も繋げなくては」
「髭と眉って・・・。なんでこの事に関してだけ二人とも意見が合うのよ」
ため息をつく。
「それでどなたに見初められたのですか?」
「紫藤十三さんです」
「じじいじゃんかよ」
向日葵が目を剝く。
「見初めたのは、ですよ」
「では、お相手は悠人さんですか?」
「おお、さすが、上流階級に明るいのね。話が早いわ」
「いつ、そんな死んでるのか生きてるのかも分からない伝説の人物に会ったんだよ」
「向日葵、言い過ぎ」
百合が肩を叩く。
「いつって、ほら前に話したことあったでしょ。病院で助けたおじいちゃんの事」
「では、中庭のベンチで倒れていた、おじいさんが十三翁でしたの?」
「そう、そうなんだって」
「で、天使が現実にいるとは思わなかった、借金返してやるからぜひ孫と結婚してくれと?」
「すごい。こちらも話が早い」
花梨は、手を叩いた。
「手を叩くんじゃない」
向日葵の言葉を、百合の声が消す。
「でも、お見合いが開かれるならば分かりますけど、結婚が決まったというのは、いくらなんでも早すぎるでしょう」
「そうだよ」
「そうなのよ。電光石火の速さだったわ」
向日葵と同じように花梨も首を縦に細かく振った。百合に睨まれて、慌てて言葉を繋ぐ。
「金曜に保伯父さんを通じて連絡があって、土曜にお見合い、昨日、正式に結婚を申し込まれ、OKをした次第です、以上」
「以上って!」
「だって、昨日の夜遅くに二人に順に電話するより、こうしていっぺんに話したほうがずっといいでしょう?大事な事は顔と顔を合わせてないとね」
「いや、そうだけれども。そういうことではなくてね」
向日葵はいらいらと部室内を歩きだした。
百合のほうは、固まっている。
「借金全部返してくれて、今住んでる離れも、立ち退かないでいいように買い取ってくれるのですって。すごいお話じゃない?」
「そうだけれど、いいのかよ。そんなんで結婚決めて。悠人が変態だったらどうするんだ」
向日葵の声が大きくなる。
「離婚は普通に出来るのですって。十三おじい様がいやなら別れればいいって。借金のことは結婚後は一切関係ないから、大丈夫だって。離婚も悠人さんに非があれば、ちゃんと慰謝料ももらえるって。お見合いの席に現れた弁護士さんが誓約書作ってくれた」
花梨は鞄を引き寄せて、中からファイルを取り出した。
「見て。ちゃんと書いてあるでしょ」
二人は書類の中身を確認する。
確かに、花梨に不利な条件はひとつもなかった。
向日葵も百合も顔を見合わせて、絶句した。
結局二人の魂がどこかへ行ってしまったまま、戻らなかったのでその日の話し合いはそこで終わった。
その後、電光石火じいさん(向日葵命名)の早業で決まった、一月後の結婚式まで何度も花梨は二人を説得した。父親の残した巨額の借財を返すために、お世話をかけてるおじさんの会社もいっぱいいっぱいなこと、向日葵の父にも迷惑をかけていて申し訳ない事。自分には向日葵や百合のように確固とした将来の目標もない、取柄も外見だけ。だからこそ、その取柄で得たのだから、素晴らしい事ではないか、と。
百合はそうそうに花梨の決意を認めてくれた。
向日葵もウェディングドレスが出来上がると、仕方なく首を縦にしてくれた。
結婚式当日まで、悠人に会える機会は1回しかなかったが、花梨は気にしなかった。
生まれてこの方、父親と弟と伯父のほぼ3人の男性しか知らなかったので、お見合いの当日も一度も顔を見られなかったし、やっとのことで時間が取れたという初めてのデートも、なんとか別れ際に顔を一瞬チラ見した程度だった。だけど、周りの心配をよそに、花梨には不思議なほど不安はなかった。むしろ、結婚が決まった時から少しわくわくしていた。
初めて自分で選んだ、自分の人生が始まる。
それはどんな人生だろう。
花梨は新しい生活が待ち遠しかった。
結婚式はとても急ごしらえとは思えないほど立派だった。
招かれているのが、藤グループ傘下の幹部がほとんどのため、祝辞は一切なく、新郎新婦の成長記録が大型スクリーンに映し出されたり、超有名マジシャンのマジックショウがあったり、超有名パティシエのウエディングケーキに入刀したり、有名歌手が結婚ソングを歌ったりと、紫藤家に恥じないもてなしっぷりだった。
招かれた客は楽しみながらも、花嫁を十分吟味していた
いくら創業家だからといって、今は簡単に上になど立てる訳はない。ただ、藤グループに至っては今だ絶対のルールが存在する。それが、創業者、紫藤十三だった。
だが、十三は引退してから会社運営に口を出した事はない。たった一人の孫の悠人に対しても同じだった。力があれば任せる、十三はそう接していると誰もが考えていた。
それなのに、この結婚だ。
落ちぶれた華族の娘。今やただの一般人より劣る生活をしていた、女子高生を強引に嫁に選び、十三の名前の下にお披露目しているのである。皆がその意味の真意を探ろうと必死だった。
和気あいあいと進んでいる披露宴のどこの円卓でも、水面下では様々な探り合いが繰り広げられていた。
「どこの席も腹の探り合いがすごそうだな」
向日葵が回りを見渡しながら言った。
「それはそうですわよ。グループのトップになるのは難しくても、十三翁が死ねば莫大な株を相続する唯一の人ですから、悠人さんは」
「今までほったらかしだった孫になぜ今嫁をあてがうのか?いったいあの高校生は何者?天使のように美しいのはなぜ?頭の中疑問だらけだろうな」
「本当に。いい歳をしたおじ様方が鼻の下を伸ばして、花梨の顔ばかりを見てますわ。厚かましい」
「百合が言うのかよ」
百合の彼氏は若く見えるがかなりの年上だった。
「あら皮肉?元さんはまだ40歳になったばかりよ」
「十分おじさんだよ」
向日葵は肩を竦める。
「一応、花梨を守ってくれるんだな。こうして十三翁の名前で式と披露宴が行われれば、悠人が血迷って高校生を連れてきたとは誰も思わない。十三翁が選んだとなれば、誰も表立っては花梨に文句は付けられない」
「そうですわね。私たちが思っている以上に、十三翁は花梨のことが気に入ったのですね」
二人は親族席に座る十三を見つめた。
「まあ、花梨の可愛さは女神もかすむからな」
「仕方がありませんね」
高砂席で花梨が派手にくしゃみをした。
「くしゃみも可愛い」
二人は花梨にひらひらと小さく手を振った。花梨は少しふくれてそれに応えた。二人がろくな話ししかしていないと思っているのだ。長い付き合いだから以心伝心だ。
会場内のライトが突然暗くなった。
客席が落ち着き、静かになった会場にワルツのメロディが流れ始めた。
「皆さまにはお食事、ご歓談をお楽しみ頂いていることと思います。これより会場中央にて、新郎の祖父でいらっしゃいます、紫藤十三のダンスをご披露したいと思います。皆さまどうぞ温かい拍手でお迎えください」
司会者の声がメロディに乗って響き渡った。
会場は大きな拍手とざわめきに包まれた。
いつの間にか、ポカリと空いた中央のスペースにライトが当たる。その光の中に颯爽と一組のカップルが踊り出てきた。二人の姿に会場内の拍手は一段と大きくなった。
十三のダンスの相手がウェディングドレスを着ていたからだ。
音楽よりも雑音が大きい中、二人はワルツを踊った。二人のダンスに会場内の雑音は次第に静まり、ワルツのメロディと靴音だけが残った。
二人のワルツは美しかった。十三はとても八十を過ぎているとは思えなかった。がっちりとした長身で花梨をしっかりリードする姿は五十台で十分通るだろう。こうして踊っている姿だけを見れば、今日の主役が悠人だということを忘れそうだった。
このダンスは花梨の後ろ盾が誰かを、改めて会場内に知らしめた。
音楽が止まると、静かな余韻の後、会場は大きな拍手に包まれた。皆立ち上がって拍手をしている。
花梨は踊り切った興奮に頭が真っ白になっていた。
十三が差し出した手を握り、大きく客席にお辞儀をする。十三に合わせ、身体の向きを変えながら会場全体にお辞儀をしていく。
「!」
身体を起こした瞬間だった。
殺気。
自分たちに向けられている、喜びの感情とは真逆の物。
花梨の身体は勝手に反応した。
繋いでいた十三の手を引いた。今まで、十三がいた場所に男が突っ込んできた。男の手にはナイフが握られている。花梨は十三を庇うように前に出た。
近くにいた客から、悲鳴が上がる。
反転した男は素早く態勢を整えると、間合いを図った。
花梨の脇を縫うようにナイフが突き出される。花梨は庇っていた十三の身体を背中で押し出しながら、ナイフを避ける。避けられなかったナイフが腹部を掠める。ドレスが切られ、血が滲んだ。
男の攻撃は止まらない。花梨は向かってきたナイフを必死で手で払った。
男は想像していなかった反撃にバランスを崩した。
花梨はそれを見逃さず、男の側面に体当たりした。
男は倒れながら、ドレスの裾を掴み身体を立て直す。繊細なレースが引き裂かれ、今度は花梨がバランスを崩す。
倒れたらダメだ。
花梨は、大きく身体を反らし、手を床に着くとバネのように跳ね起きた。
ナイフを握りなおした男が十三に向かう。
花梨が男に組みつこうとした瞬間、十三のボディガードたちが男の上半身を組み伏せた。
「大丈夫ですか?」
ボディガードの一人が声を掛ける。
花梨は頷くと立ち上がろうと足に力を入れた。
「あっ」
身体のバランスを失った花梨を大きな手がしっかりと支えた。
「大丈夫か?」
声からは労りと心配が伝わってきた。
誰?
振り向こうと首を動かそうとしたが、首は動かなかった。
花梨は意識を失った。