夏恋〜NATSUKOI〜
暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。超絶短いので、よろしくお願いします。藤波真夏
その日はジリジリと灼熱の太陽の光が照りつける暑すぎる日だった。私は暑さを忘れるように息を吐いた。
でも不思議だ。今はクーラーの効いた室内にいるのに、胸の奥がジリジリと暑い。なんとも言えない不思議な感覚に陥った。ああ、ついに熱で頭がおかしくなったのか、と錯覚した。
「準備、してください」
そんな声が聞こえて、私は「役」という名の仮面をかぶった。
今日は最初で最後の大勝負の日になりそう。
でも、やっぱり今日は暑すぎる日だった。
暑い夏に花開き、そして散る。その花の名は、きっと夏恋---。
「ヒマリ! 起きて! 起きてってば!」
目覚まし時計にも匹敵するけたたましさの音で私は目が覚めた。目を開けるとそこには覗き込むマリの姿があった。
「マリ? どうかしたの?」
「どうかしたのじゃないよ。大丈夫? 体調悪いのかと思った」
「ごめん」
私はそう言ってマリに笑って見せた。
私は現役の大学生である。しかも人生の花ともいうべき年代を絶賛謳歌中。未来のことを見据えることもできない、ビギナーだ。私は高校生のときからやっていることがある。それが演劇。部活も演劇部だった経験で、大学に入学した後も迷うことなく演劇サークルの扉を叩いたのだ。
私は別に役に対して執着心がなかった。そんな役者としては致命的な部分が私には欠けている。執着心は持っているが、心の底から燃えたぎるほど強欲に、そして貪欲に欲しいとは思わなかった。
私は高校生のとき、役者をやっていない。いつも裏でスタッフの仕事をしていた。私以外の同級生や後輩がステージでスポットライトを浴びて輝いている中、私と言えば、薄暗い音響ブースで台本を逐一見ながら、物語の行く末を見守る。そして口に懐中電灯を加え、切り替えを行う。
そう、これが私、ヒマリの本当の姿なのだ。そのせいなのかは知らないが、役に対する執着はなくなってしまった。
そして最悪なことにそれで今である。執着心を持たず、流れる時間に身を任せていた。
しかし私の心は別のものにご執心である。
「おはよ」
「おはよう、タクヤ」
タクヤ、彼は私と学部も学科も同じの同級生。出身地や出身高校が違うものの、私が最初に演劇サークルの扉を叩いて入部を決めた頃以来のお付き合いである。
私よりもスタッフの経験が豊富で先輩方からの信頼も厚い。そして、愛されキャラ、これをイケメンというのだろうか。タクヤの周囲はいつも笑顔に包まれていた。彼を完璧超人、完璧すぎる王子様というべきだろうか。
タクヤと話すと今まで味わったことのない熱さと息苦しさを覚えた。一体これは? と考えに考えた。そして気づいた。
これは、恋?
どっかの乙女ゲームの主人公のセリフか、と自分自身にツッコミを入れた。胡散臭い。
練習に支障はないのだが、恋心というものは時に人をおかしくする。もしかしたら私にも、いつもそう考えてしまう。
私はタクヤと同じ業種のスタッフをしている。そう、なんだかんだ言ってアプローチするには絶好のポジションだ。いやらしい話。
そんなある日のことだ。サークルの新人発表の季節がやってきた。
人数が多いので2チームに分け、同じ演目をアレンジして公演を行う。チーム分けで私はタクヤと同じチームになった。
やった。
純粋にそう思った。
私は役に対する執着心がないと言ったけど、今回ばかりは違った。タクヤが主人公を演じることになったのだ。でもそれだけでヒロインの役を得ようとは思えない。
「ヒマリ」
「ラン? どうかした?」
ランも同級生。でも彼女は可愛い。いや、美人という方がいいのか。そしてダントツで演技が上手い。それは私も感じる。きっと他のみんなもそう思っているんじゃないかな。
「役、決まったの?」
「いや、まだこっちはポテ会もしていないし、まだ適当に役をあてて読んでいるだけだよ。ランのところは決まったの?」
「まあね」
「へえ! どんな?」
「秘密!」
ランが悪戯っぽく笑った。可愛い。本当にこの一言に尽きる。ランは女の子から見ても魅力的だから。じゃあこっちが決まったら教えてよ、と約束を交わした。練習に戻るとき、あることを聞いた。
向こうのヒロイン、ランだってさ。
なんとなくそんな気がしたよ。そう思った。しかし心のどこかで火が灯った。ランがヒロインか、という感じがじわじわと湧いてくる。
やりたい。
そう思わずにはいられないのだ。しかも私のチームはタクヤが主人公。ヒロイン役をゲットできればタクヤと一緒に舞台に立つことができて、関係性も変わってくる。
やってやる。ヒロイン役、必ずやゲットしてやる。
理不尽な動機から私はヒロイン役を得るための日々が始まった。でも、それは案外あっさりと決まった。ヒロイン役を得ることになった。読み合わせでも一番しっくりきていたし、なんでって知らないうちになっていたからだ。
でも本当の戦いはここからだった。
今まで執着心の欠片もなかった私がヒロインという重責、そして演技力を上げるために稽古、そして一番私が恐れていることが別チームのヒロイン役のランと比較されること。比較されることで高め合えるとはよく聞くが、しかし、相手はサークル一番の美人でまさに女優のランだ。油断も隙もできない。
比較ほど身を切られる辛さはない。
次第に私の中でヒロインの役が形成され、その影響は役を離れている日常生活内にも現れるようになってきた。友人にはヒマリのやることじゃないよね? とかなりの心配をかけた。
私は嬉しかった。そう、ゆっくりだが着実に役へと近づいている。習得の早いランとは程遠いがゆっくりと近づいてきている。
そしてついに通し練習が始まる。衣装に袖を通し、メイクを施し、髪型をセットする。私とランでは雰囲気が違う。私は衣装チェックのときに衣装を担当する先輩は言っていた。
ランは華やかな印象、まるでバラの花を持っているような感じ。
一方のヒマリは華やかさこそ欠けるが、純粋さはランより持っている。まるでブルースターを持っているような感じ。
その影響か、衣装も髪型も若干変わっている。
完全装備が終わると、知らないうちに「役」という仮面をかぶる。私はいつそんな芸当を覚えたのか、今でもわからない。
私の中にスーッと入ってくる感覚が伝わって来る。まるで自分が自分じゃないみたいだ。
やめてください!
一つのセリフに感情が入り込み、自然と次のセリフがポンポンと飛び出してくる。まだ粗い感じが丸見えだがまあ許容範囲だろうと演出は言ってくれた。
「ヒマリ」
タクヤが声をかけてきた。二人で演技プランの相談だ。会話が終わるとタクヤはランのところへ行った。どうしたんだろう? と思って見てみると、普通に会話していた。
「あれを美男美女っていうんだろうなあ・・・」
私はため息をついた。幸せが逃げてしまう。あれで付き合ってます、って言われたらそうですよね! って言いたくなるほどだ。
だったら先に好きって言ってしまおうか
でもそんなこと、
許されるわけがない---。
私はタクヤと今後サークルで顔をあわせるし、同じ職種のスタッフで大学を卒業するその日まで縁はつながる。もし好きと言って残念な結果に終わったら、今後に影響が出る。だから絶対に言えない。いや、言うことが許されない。
私は自分の中にある恋心に蓋をして稽古に打ち込んだ。恋をすると何事もうまくいかなくなる。私はそう思ってただ公演を成功させようという思いだけを支柱にして頑張った。
そして夏真っ盛りの8月。
公演本番に向け、劇場入りし舞台を作り上げる。パネルを立て、暗幕を垂らし、照明を吊るす。先輩の指示に従い、私ら一年生は仕事をこなしていく。
ゲネプロいわゆるリハーサルが終了し、私たちは家路に着く。はずが、なんの気の迷いかなんなのか、レストランで同じチームの人達とご飯を食べた。
あんまり他人とはおろか、外食をほぼしない私にとって全てが新鮮すぎた。そして夜も更け、解散になる。
するとタクヤと帰り道が一緒になる。
「私は帰るんだけど、タクヤは?」
「ああ。まだ残るよ。他のみんなとね」
「あ、そういえば、ご飯食べてたときに言ってたこと、教えてよ」
「え?」
それはほんの数時間前、レストラン内で会話の中にタクヤが何かを隠している風な発言をしていたのだ。なんだか他人の秘密を握るのはどうか、と思って余計な詮索をしなかったが、やはり好奇心には勝てない。教えて、と言うとタクヤは少し照れた様子で言った。
実は2ヶ月前から、ランと付き合ってるんだ。
え?
私から笑顔が消えた。何を言っているんだ、この人は。頭を殴られたような感覚と喉が詰まるような感覚が私を襲った。
「あ、そうなの? 知らなかった」
「ヒマリとあまりご飯に行ったりはしなかったからね」
「じゃあこれから?」
「うん。ランと合流するので」
タクヤとは駅で別れた。一人になって電車に乗り、街の光に照らされる風景を見てふと涙がこぼれ落ちる。駅のホームに降りてふと一人になったとき、じわじわと感情が溢れてくる。
張り切ってメイクもしてきたのに、涙でぐちゃぐちゃになった。そこらのドラマの1幕を描いているように感じる。私の周りを行く人達から隔絶され、今この場には自分一人しかいないという錯覚に陥る。
ああ、私って本当にバカだ。
そうだよね、思い上がった私がバカだった。タクヤだもんね、私みたいな不細工よりランみたいな美人が好きなんだよね・・・。
やっぱり男は、顔か・・・。
タイミングが悪すぎる。私が出演する舞台は明日。そんな状態で本番に支障が出たらどうしたらいい? バカだ、本当に私はバカだ。タクヤとは二人きりのシーンだってあるのに、もし舞台で私が出てきたら・・・、今まで作り上げてきたものが全部水の泡と化してしまう。
私は結局、家に帰っても悲しみを抑えることができずベッドの枕に突っ伏して声をあげて泣いた。
恋なんてもう絶対にするもんか。
どこかのメロドラマのような展開なんて期待しない。私は都合のいい夢を見ていただけだったんだ・・・。
日が明けてついに本番になった。
心の整理なんてついていない。未だ晴れない心を抱えて私は電車に揺られて劇場へ向かった。そこに行くとタクヤが笑っている。その隣にはランが笑っていた。
タクヤやラン、他のみんなも知らない。今にもはち切れそうな気持ちを抱えた私のことなんか。
しかし言い訳なんてしている場合ではない。急いで準備を始める。ランは仕事をするためにスーツに着替える。その姿のまま、タクヤと話している。まるで新米刑事感漂う雰囲気だ。
「私、写真撮るよ!」
なんでこんな言葉を口走ったのか、未だにわからない。私はスマホを二人に向けて写真をパチリと撮影した。きっと心は泣いているはずなのに。
準備が完全に終わり、一人舞台で立ち尽くしていた。私は自分を奮い立たせた。
もし、昨日のようなことを思い出したら身の破滅。今までのことが全部なくなっちゃう。そうだ、私は女優だ。なんのためにヒロイン役を獲得してここまで上り詰めた? 一流の女優というのは自分がどんな感情を持っていても、「役」の仮面をつけた次の瞬間、別の人間へと変貌する。
私は今、「女優」なんだ。
仮面をつけたらヒマリという人間ではなくなる。
私は「人間」じゃ、なくなる---。
一人の世界に浸っていた時、後ろから声がする。
「準備、してください」
私は振り返って表情が固まった。はい、と一言返すと、私は「役」の仮面をかぶった。今、ヒマリという人間は一時的に姿を消した。私は今、役に体を預けて暗幕の裏へ向かった。
公演は成功に終わった。
私に悔いはないが、仮面を全て取り払ったその瞬間涙がこぼれた。
「ヒマリ? 大丈夫?」
ランの声は私には届かなかった。ランには悪いけど、私には正直恨みしかない。私は知らないうちにランを睨みつけていた。恨みに満ちた人間の目をしていたと思う。公演が終わった後、私は過ぎ行く日々を抜け殻のように過ごした。ようやく落ち込む時間ができた。
「むごいよ・・・。辛すぎる」
涙の出ない日などなかった。思い出すたびに涙が溢れて止まらなくなる。
恋なんてするもんじゃなかった・・・。
もう恋なんて絶対にしない---。悲しい想いをするくらいなら、最初から好きにならなきゃよかった---!
照りつける暑い夏が過ぎた。
季節は写り、木枯らしが吹く寒い冬になった。12月の時期にも公演を行うため、その稽古の帰りに私はマリと一緒に歩いていた。
「ヒマリは人を好きになったことある?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「私、絶賛恋愛中だからです!」
マリが笑った。傷が癒えてきた時期だったのに、まるで傷をえぐり返すような言葉が胸に突き刺さった。マリは輝いて見える。私は苦い体験をしたのになんでこんなに輝いているんだろう、と僻んでしまう。
マリに私は包み隠さずに話した。するとマリは、
「ヒマリは最善を尽くしたんだよ。ある意味本物の女優になったんだよ」
「そうなのかな? 私は忘れようと必死だったんだけど。どうせ、男は顔しか見てないってことが十分わかったし」
「違うよ、ヒマリ。タクヤはランの花が好きだっただけだよ」
「花? どういうこと?」
「蘭の花って気高くて綺麗な花でしょ? ランを花にたとえたらまさにそれだし。華やかな花だから」
それって要するに顔じゃない。
そう思った時、マリは続けた。
「でもね、ランは蘭の花が似合うんだけど、ヒマリはそのままヒマワリの花が似合う。さて問題です。ヒマワリにあって、蘭にはないものなーんだ?」
「わからない」
「蘭の花にないのは、純粋な輝きだと私は思う。人って大人になるにつれてだんだんと素直じゃなくなってくる。ヒマワリは太陽に向かって咲く、まっすぐな素直さを持ってる。それを蘭の花は持っていない。ヒマリの最強にして最大の武器、それは・・・」
「それは?」
「大人になっても衰えることのない、まっすぐな純粋さ。きっとヒマリという花を大好きって言ってくる人は絶対いるから」
それを聞いた瞬間、涙があふれ出した。
何をしているんだろう、と自分でも思う。ただ、ごめんね、マリ、とつぶやいた。
それから1年後。私ヒマリは留年することなく、2年生になった。後輩ができる。しっかりしなくちゃ、と自分を鼓舞する。春の生暖かい風が頬を撫でた。桜の花びらが舞い散る。
「綺麗・・・」
結局、私のひと夏の切ないお話を知る人物は私ヒマリとマリだけ。タクヤやランたちにはこのことを一切話していない。話すだけ無駄だ。また元の私に戻ってしまうからだ。
その後、2人がどうなったのか、私は知らない。
ある意味一回り成長した私は舞台の上に立っていた。そして深呼吸をする。久しぶりの舞台の香り。耳を澄ませれば聞こえてくる。今まで演じてきた人たちの息遣い、足音、緊張感。
「ヒマリ、出番だよ」
後ろから声がして振り返る。
「わかった」
私は目を開けて、再び「女優」になるために「役」という名の仮面をかぶった。
そして、光が輝く舞台へ進み出す。私は、女優ヒマリだ---。そう自分に言い聞かせながら、大舞台へ歩み出した。
夏に咲いた花が、恋をした---。
その花は、ひと夏の最初で最後の賭けをして、儚く散った。
自分を否定して、殻に閉じこもった花は・・・再び、花を咲かせた。
大人になっても失せない純粋さの塊が、その花には宿り、大きな大輪の花を咲かせた。太陽に向かってまっすぐ伸びるヒマワリのように---。そんな暑い日々を、私は今でも忘れない。
暑い夏に花開き、そして散る。その花の名は、きっと、夏恋。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。この夏恋という話は私が実際に経験したお話です。実話なんです。今でも思い出すだけで涙が出そうになります。本当にあの時は、仮面をかぶって自分を殺していました。
今ではいい思い出です。
私は悲しい恋で終わってしまいましたが、読んでいる方に今片想いをしている方がいましたら、あなた様に幸多からんことをお祈りしております。藤波真夏