抛棄
私はあまり政治思想とかのきな臭いものは語りたくない。2つの対立している思想があるとして、どちらもある程度の正しさを兼ね備えているのに、どちらかの正しさをかなぐり捨て、どちらかの正しさを偏重したくはない。
こんなどっちつかずの思想は幼稚で非生産的極まりないのかもしれないが、思想系統として柔軟でない頑固な考え方こそ幼稚であるだろう。
頭ごなしに他を否定する偏屈なものが正しいわけがない。他を尊重し熟考した上で折り合いをつけねばならないのに、自分の主張ばかり押し通そうとしては停滞するばかりだ。
昨今は暇過ぎるので国会中継やら見ているときもあるがどうも見ていてこれはやる意味があるのかと思うときが多い。形骸化甚だしい。私自身は政治経済にはとてつもなく疎い人間なのだが、そんな私には野党が与党を貶めんとする感情で、論拠もあやふやな口論を毎度しているようにしか見えない。
でも人間はどうしても感情的な部分があり、感情論からの完全なる逸脱ができないと思うから、自分の正しさが否定されたとき怒ったり、自分の正しさを信じて疑わなかったりして、非論理的な行いをしてしまうのはもうしょうがない。
だからもう、政治なぞコンピュータにやらせれば良いのではと。一種諦観的な見方ではあるが、もう人間という感情に踊らされる阿呆には任せられないと思うのだよ。機械による管理社会。良いではないか。一律的な理論で複雑なるこの現実を管理するのは難しいだろうが、一縷の淀みなく果たしてくれると思うのだよ。
人間が人間を支配統制啓蒙していた構図がそもそも矛盾を孕んでいるのだから、人智を越えた神のごとき機械を顕現させ、我々を統御して頂くことこそ自然な有り様ではないだろうか。




