旅鴉
もうそろそろ、長かった休みが終わる。
二ヶ月超の長い長い休み。
社会に関与せずのうのうと自堕落をむさぼり、およそ人間的ではない非生産的な日々を漫然と送っていた。
いやあ、ほんとにこの休み中、私は何をやっていたんだろうか。
やはり私という人間は泥縄式な生き方で、戦を見て矢を矧ぐ愚者であるよ。
でも、そんなことわざもあることだし、私のようなスタイルはむしろ人間として常なるものなのだろう。
しかし、人間の汚点なる性分を否定し、高き理想を掲げ、非の打ち所の無い完全なる生物を目指さんとするという、人間の負の本質からあえて目をそらし、前に進み続けようとする性質も人間は備えている。
だからこそ、自堕落におちることを忌避し、自堕落におちてしまうと自己嫌悪の波に呑まれてしまうのだ。
自堕落たる己を肯定してあげたい。それが本能的な幸せであると認めてあげたい。自分は正しいと信じてあげたい。間違っていたはずがないと諭してあげたい。
そんな思想は今だけを生きる下等生物が抱くものだ。過去現在未来の概念を身につけた、高等生物たる我々が抱くべきものではない。
なんて、高尚な物言いはするものの、人間とてふつうの生物と何ら変わりがない。ただ今を生き、そしてただ死んでいくのだ。そこに生物としての差異はない。
だからこそ、人間は、下等生物としての思想、高等生物としての思想を併せ持ってしまう。
自分は下等ではないと現実から目をそらしていたからこそここまで人類は発展したのだろうが、一個人として、ただの生物として、どのような生き方をすればいいのか。改めて見直す必要性がある。
社会の歯車に為らんとする奉仕的精神が間違っているとは言わないが、下等生物として己の底、根底にある感情を今一度見つめてみるべきではないだろうか。




