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雑記  作者: 真四知杣華
2018年3月
80/100

畢業

本日、平成30年3月1日、高校を卒業致しました。


一応この雑記は高校生の日記的な名目なんですが今月は高校生ではないですね。まあ3月いっぱいは高校生扱いではあるでしょうけど。まだ17歳でもありますし。


とりあえず今日は卒業式を迎えたわけですが、流石に涙を流さざるを得なかったです。


普段あまりそういった激情は表に出してないので、なかなか色んな人に驚かれました。


今日は私の涙脆さの歴史でも語りましょう。


思い返してみると、私は中学生までは感情を消していた気がします。思春期特有の、感情とか出すのを恥ずかしがるが故です。


感情を出さなくなると、不思議なことに感受性も消えて行ったと思います。内に己を秘めすぎて自分で自分を感じられなくなっていたというか、なんだかただ独り虚空をひたすら漂っているような、無に還っていた状態でした。


その頃は涙も当然出さなかったです。周りが恩師との別れで号泣しているのに涙は一滴も流れませんでした。悲しくなかったわけでは無かったでしょうが、心の中で感じるものは全くありませんでした。およそ人間とは懸け離れた、無感情なるロボットになりつつありました。


その頃から、そんな自分に嫌気が差し、己の立ち居振る舞い方を考えるようにもなりました。


そして中高一貫校としてそのまま高校に入り、感情を出していこうと思い立ち、比較的積極的に行動はしました。すぐさま感情を表出させることはできませんでしたが、徐々に徐々に出せてきたと思います。


やはりターニングポイントとしては、己の全てを打ち明けられる人を手に入れたことでしょう。何の恥ずかしげもなく接せられる人の存在が、私を大幅に変革していきました。


たぶんその頃から、場への共感、感受性が高まっていったような、そんな気がします。


ベタベタな泣きのシチュエーションというものがフィクションでも現実にもあると思いますが、そういうものに弱くなりました。


そうして今日の卒業式を迎えました。


最後の校歌斉唱やら、退場での声を合わせてお礼の挨拶をするというものやらで感極まりました。


たぶん自分自身が別れを惜しんで悲しくなったということではないような気がします。別れに関しては微塵とも実感が今でも感じられてないです。おそらく数日経ってから虚無感に遭遇するでしょうが。


ともかく場の雰囲気というか、なんだろう、私の低劣な語彙では表現しようもないのですが、感動に包まれて泣いてしまいました。


恥ずかしくはありませんでした。


結論として、私は感受性を得ることができたわけですが、人と接する上において、感受性、もとい共感することは必要不可欠だと思いました。


コミュ障を自称している私ではありますが、この高校生活を経て、私は成長できたかな。


きっと成長できたような、そんな気がする。


ありがとう。

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