備忘
まだもう一つだけ、書きたいことがあった。
物事の上達についてわかったこと。
これは私が個人的に見聞きした情報を統合したものなので、そんなのわかりきってるよ、って人も多いだろうが、一応書いておきたい。
まず、上達のためには、時間が必要だ。
こんな話を知っているだろうか。
「なんらかのプロになるには、その物事に一万時間つぎ込む必要がある」
これは読んで時の如くで、何事でもプロと呼ぶにふさわしいレベルへと辿り着くには、累計一万時間その物事に注ぐことが必要ということだ。一万時間。これは一日九時間をフルにその物事に捧げるとしても、三年の月日を要する。とてつもなく長い。
そしてまた言われているのが、百時間で一歩上達する、ということ。英語の学習等でも、何時間やっても進歩しないと嘆かないで、とりあえず百時間やってみるのが吉だとよく言われる。
時間を捧げなくては、上達の道は現れない。
次に、これもその時間を捧げる上でも関連のある話なのだが、上達のためには、「恥ずかしがらない」ことが重要だ。
かの兼好法師が徒然草でこう書いている。
「これから物事を身につけようとする人が、『下手なうちは、他人に見られたら恥だ。人に知られずに猛特訓して上達してから披露するのがカッコいい』と、よく勘違いしがちだ。
こんな事を言う人が物事を身につけた例は何一つとない。
まだ未熟な頃から、上手い人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張れば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。
そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遙かに超えて、達人になっていく。
どんな世界でも同じである。」
(徒然草第百五十段より現代語訳の後抜粋、一部省略)
恥ずかしがっていては何も進まない。恥という概念を持つことこそが恥ずべきことだ。まるで矛盾しているがそういうことである。
そしてまた、自己顕示欲、承認欲求というのもなかなかに上達の妨げである。とは言っても、それこそが上達の目的であると思われるのだから、捨て去れとは言えないが、往々にしてその欲は身を滅ぼす。
物事を統べるためには、自己中心的な、自分による自分のための、他人を寄り付かせない心が重要だ。




