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雑記  作者: 真四知杣華
2016年3月
17/100

自律

いつもよりも意味不明な文章となっておりますので、ご容赦ください。

3月15日、

このままでいいのか、という茫漠たる不安に苛まれる。


無気力に(くう)を見つめ日中を過ごす。


何ゆえそのような行動に出るかは己にも知る由がない。神のみぞ知る領域と言ったところか。


そしていつもいつも残ったやるべきことを深夜に消化する。

これは経験則だが、深夜起きていると、その次の日の日中はやる気が全くもって出ない。


そしてまたやるべきことの期日が迫っているので、徹夜する。


なんという負のスパイラル。予測は容易にできる。しかし回避は容易でない。


精神を律すること。


この難しさは異常だ。


中学の頃、ある教師が言っていた。


「自分を律せれる人間になれ」と。


自分を律する、ということは自分の意思で自分の精神を操るということだ。


自分の意思が自分の精神であるのに、どうして精神が精神を弄れようか。


すなわち、自分を律するということは、元より自身の精神の根底に律したいという強い原動力がある時に成立するものであり、それが存在する時点で自律は終わっているのだ。


まあ要するに、私が言いたいのは、だらけることを自分に認可した、つまりだらけた瞬間、自律は不可能ということだ。


だが、こんな話もある。


「物事を後回しにする人ほど創造的発想が得意」という。


自律ができなくてもよいということだろう。


でも自分はさほど創造的発想が得意とは感じない。


結局物事を完遂しているからだろうか。


やはり誰に催促されても課題をやらない、期日をとっくに過ぎても焦らない、という頑強な精神が肝要なのだろうか。


自分はどっちつかずで中途半端な人間だ。


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