第1.5章 少女の制服
憧れの制服、憧れの校舎。この廊下を歩いていることが、泉美は誇らしくて仕方がなかった。窓から覗くのは、満開の桜たち。やさしい春の風に踊らされ、花弁が舞う。陽射しはあたたかく、生徒たちの門出を祝うかのようにきらめいていた。
(私……ほんとに合格したんだ!)
春日井学園高等学校。県内トップの私立高だ。
中学三年生の夏、泉美は、担任にも塾の先生にも春日井学園への入学は不可能だと宣告された。「学力不足」、「今から頑張っても遅い」――世間を知る「大人」たちは、容赦なく泉美を切り捨てた……はずだった。
(悔しい。――受かってやる。ぜったい、受かってやる)
大人たちは、泉美の闘争心に火をつけた。
◇ ◇ ◇
泉美はずっと、春日井学園に憧れていた。
現在の家に引っ越してくる前に住んでいた家。その近所に、10歳以上年上の、姉のような幼なじみがいたのだ。名前は「ヒトミ」。ヒトミは面倒見がよくて近所でも美人だと評判で、泉美の憧れの存在だった。小学生だった泉美には、彼女はあまりにも「オトナ」に見えて、眩しかった。
そんなヒトミは、春日井学園に通っていた。可愛い制服がよく似合っていて、泉美は子供心に、それを着たいと思った。
いつの日だっただろう、ヒトミが泉美の家に遊びに来たことがあった。
「ヒトミちゃんの制服、ホントにカワイイし、似合ってるね! 私も着たいなぁ」
「泉美。ヒトミちゃんの行ってる学校って、ものすごく賢いところなのよ? 宿題さぼってるような子は行けません。ねぇ、ヒトミちゃん?」
ヒトミとボードゲームをしながらぽつりとこぼした泉美に、そばにいた母がちょっと怒りっぽく言った。問いかけられて、ヒトミは困ったように微笑む。
「私、泉美が同じ高校の卒業生になってくれたらすごく嬉しいな。……まあ、何年も先の話だけどね。……でも泉美、宿題はちゃんとやらなきゃダメだよ!」
「は〜い」
「そーよヒトミちゃん、もっと言ってやって!」
ヒトミに諭されて、泉美は口をとがらせつつも宿題にとりかかった。
――思えば、この時から、春日井学園に行きたいと思い始めたのかもしれない。
中学生になって、世の中のことが分かってきて。私立高校に通うのは、自分の家では経済的に厳しいこともよく理解してしまった。ヒトミも、今ではどこで何をしているのかも分からない。
それでも、泉美は気持ちを曲げられなかった。
女手ひとつで家庭を支える母は泉美の意志を尊重してくれていたし、成績優秀で聡明な弟は、泉美に勉強を教えてくれた。
合格したい。あの制服を着たい。ヒトミと同じ学校に通いたい……。
ただその一心で、大好きな絵を描くことも犠牲にして、泉美は勉強に励み続けた。
――そして、春。泉美は、自分の受験番号を見つけたあの瞬間を、永遠に忘れないだろうと思った。
(ゆ、夢みたい)
買ってもらったスマホで、初めて誰かに電話をかける。指が震えていた。
『……もしもし』
「もしもし、司っ!? 私、合格した! 受かったよ、司!」
『ホントに!?』
「うん……。……もう、本当に、お母さんと司のおかげ。今まで本当に本当に、ありがとう」
『俺は何もしてないよ。頑張ってた泉美への、当然の報いだ。本当に、おめでとう』
「司……」
(ダメだ、泣いちゃう)
弟の声に安心して、視界が滲んできてしまう。声が震えて司に悟られないように気をつけながら、ありがとう、とだけ言って電話を切った。
涙が零れないように空を見上げる。快晴だった。人混みから抜け出して、これまでのことを思い出す。吐き出した息が白く消えていった。
(――ねぇ、ヒトミちゃん。ヒトミちゃんも、こんな気持ちだった?)
◇ ◇ ◇
そして、今。
ようやく泉美は、ここ春日井学園で、新しい生活をスタートさせようとしている。
どんな生活が待っているんだろう? どんな人達がいるんだろう? 泉美は、楽しみで仕方が無い。
これから先に待つ3年間への期待に胸を膨らませ、少し微笑みながら、泉美は、「1年A組」のドアを開けた。