第1章 序幕 ~お嬢様は魔王がお好き~ ②
朝、席につくと同時に、司が実咲に話しかけてくる。そこから話が広がって、担任の先生がSHRをしに来るまでずっと2人で盛り上がっていることが多い。
今日も例に漏れず、2人は恋バナで盛り上がっていた。
「速水くん、てっきり香取さんと付き合ってると思ってたよー!」
「またその話?」
「だってお似合いだもん、美男美女で」
「そんな事ない。第一、俺、香取さんと話した事ないし、何組の子なのかも知らないし。なんでそんな噂立ってたんだろね」
「ん〜、まぁ、人の噂も75日って言うし、いいんじゃない? ……速水くんの場合、75日後には新しい子と噂になってるかもしれないけど」
「えぇっ、それはないよ小椋さん……」
実咲の冗談に、切れ長の瞳を細めて司は笑う。司の笑顔は殺人級にかっこいい。そこらへんの女の子よりくっきり綺麗な二重に、ふさふさの長いまつげも、直視できないくらいにカンペキ。こんな美形と向かい合って楽しく談笑していることがいまだに信じられない。
どうしてこんな司に彼女がいないのだろう。今まで相当な回数告られてきたはず。それこそ、香取さんに告られていたっておかしくない。
――そこで実咲はいつも、ひとつの可能性に思い至るのだ。
(やっぱり……、好きな子、いるのかな)
聞いてみたいけれど、聞けない。
(だって……『好きな子いる』って言われたら、たぶんショックで立ち直れない)
その一方で、少し期待してしまう自分もいた。司の「好きな子」が、自分なのではないか、と。
「小椋さんこそ、彼氏いないの?」
司の突然の問いかけに、実咲ははっと我に返る。
「えっ!? いないいない、いるわけないよ!?」
急いで、大げさなくらい首を振った。
「……じゃあ、好きな人は?」
更なる彼の質問に、実咲の鼓動のピッチが急激に高まる。
(こんなこと聞いてくるって……やっぱり、期待しちゃってもいいのかなぁ)
どうしてそんなこと聞くの? そう問いかけてみたいけれど、言葉にできない。ただ、明らかに、先程までとは違う空気が2人を包んでいる。緊張した、張り詰めた空気。
吸い込まれそうな彼の瞳を見つめながら、実咲はなんとか言葉を紡いだ。
「………いるよ……」
(言っちゃったよー!)
ドキドキしながら司の反応を待つ。
けれど、彼は何も言おうとはしない。
(……ど、どうしよう)
しばらく、沈黙が降りる。
てっきり「誰々!?」って問い詰められるものだと思っていたから、この空気はものすごく気まずい。
しばらく時間が経っても開かれない司の口に、実咲はついに、恥ずかしさと気まずさに負けてしまった。
(わ、話題変えよ)
実咲はとにかく、そのとき咄嗟に思いついたことを口にした。
「ね、ねぇ。速水くんって、きょうだい居るの?」
「……え、急にどうしたの?」
これまでの話の流れに全く沿っていない、実咲の唐突な質問に、司はちょっと困ったように眉根を寄せて笑った。
けれど、実咲は見逃さない。
――明らかに、不自然な間があった。司の表情がほんの一瞬――気のせいかと疑うくらい一瞬、陰ったのだ。
「姉が一人いるけど」
まるで、実咲に考える暇を与えないかのように、すぐさま司がそう言った。
「……へ〜!私にも姉がいるの。ここの3年生なんだけど。速水くんのお姉さん、ぜったい美人だろな〜」
「うーん、どうかな。俺は弟だからあんまり分からないな」
「会ってみたい! 写真とか無いの!?」
「姉の写真なんてふつう持ち歩かないでしょ」
(……あれ、気のせいかな)
目の前の司は、楽しげに笑っている……はずなのに。
その目の奥が、笑っていないような気がした。
「速水く……」
「おはようございます!」
問いかけようとした実咲の声に、教室に入ってきた担任の声が重なる。と、同時に、SHR開始のチャイムが鳴って、実咲は話を中断せざるを得なくなってしまった。司も前を向いてしまい、実咲はしぶしぶ先生を見る。
「全員出席ですね。……では、朝のHR始めます」
そのまま先生が話を続ける。実咲はあくびをしながら、心ここに在らずという感じだった。――それもこれも、前に座る「彼」のせいで。
「えー、まもなく期末試験の二週間前に入ろうとしています。そろそろ各教科の復習を始めておいてください。……では、全校朝会がありますので、全員、体育館へ移動!」
(ええっ!? だるい……)
先生はそそくさと教室を出ていった。生徒たちも、気だるげに椅子をガタガタ言わせて立ち上がる。友達に呼ばれ、実咲も体育館へ向かおうとした。
ふと、司を見ると、彼も友達と教室を出ようとしているところだったが――、
――なぜか、実咲と目が合った。
◇ ◇ ◇
校長先生の長い話が終わった。
「――それでは、表彰伝達に移りたいと思います。まず、県学力コンテスト1位、3年A組小椋怜奈さん。舞台に上がってください」
放送部の言葉に、体育館中がどよめいた。「すげー、天才だろ」「頭のつくりが違うわー」など、様々な羨望が飛び交っている。特に3年生が騒がしくしていた。
それもそのはず。「学力コンテスト」は、県の高校生全員が受ける模試。そこで1位ということは、実質県で1位ということだ。
実咲は、後ろから肩をつつかれた。
「ねぇ、もしかして、実咲のお姉さん!?」
はしゃいだ声に振り向くと、実咲の友人が、舞台への階段をゆっくりと上る女子生徒を指差している。
「すげーっ! あれって、小椋の姉貴!?」
隣で話を聞いていた男子も目を丸くして興奮気味だ。
この高校――「春日井学園高等学校」は、全国レベルで有名な進学校。勉強や、個人の成績に関心の高い生徒が集っている。
「うん……」
実咲は小さく頷きながらも、どこか複雑な心境だった。
(やっぱり……いつでも、『すごい』って言われるのは、お姉ちゃん)
実咲は幼い頃から、姉の怜奈にかなりの劣等感を抱いていた。
成績も容姿もなにもかも。肯定される姉と、否定されてばかりの自分。慰めの一言もくれないどころか、いつも実咲を嘲笑う姉も気に入らない。小さいころから喧嘩ばかりだった。今では、「不仲」と形容できるほどに、お互いがお互いを毛嫌いしている。
「ほんとすごいね、実咲のお姉さん。キレイだし、賢いし。いいなー、実咲」
校長先生から賞状を受け取る怜奈を見て、友人がうっとりしながら言う。けれど実咲は、愛想笑いすら返せなかった。
(……みんな、一回お姉ちゃんと関わったら、ぜったい嫌いになる。世の中顔じゃない。成績でもない。それだけで判断するのはやめてほしい)
容姿と、世渡りの上手さで得をする姉。実咲は、そんな姉をどうしても受け入れられない。怒りに震える拳を握りしめ、ぎゅっと制服の裾を掴んだ。
◇ ◇ ◇
「さっき表彰されてたのって、小椋さんのお姉さん? すごいね」
教室に戻るやいなや、司にまでそう尋ねられてしまった。いくら司といえども、実咲はちょっぴりげんなりする。
「うん……。姉は本当に何でもできるから、いつも比べられてばっかり。……私の家、病院なんだけど、跡継ぎは姉に決定、ってカンジだよ。親も私の事なんて眼中になくて、ほっとかれてる」
もはや開き直りのような心境で、実咲は努めて明るく言った。だけど司には、それなりに自分の本心を吐露したつもりだ。
(こんなこと聞かされてもコメントしづらいだろうなー)
考え込むような表情をしてしまった司に、実咲はぼんやりとそんなことを思う。怜奈は、実咲のコンプレックスそのものなのだ。
「その気持ち、ちょっと分かる」
だから、いつになく真剣な表情をした司から出てきたその言葉を、初めは信じられなかった。
「……え? どういうこと?」
完璧超人が、誰かにコンプレックスを抱くはずなんてないだろう。
けれど司は、少し切なげな表情をしたまま、ゆっくり言葉を続けていく。
「……俺の姉も、ものすごい、『絵』の才能がある人なんだ。あの人に比べて、俺、何も持ってないなって……本当に思う。あの人は、将来食べていけるだけの才能を持ってる。すごい、って尊敬すると同時に……たぶん俺、姉に嫉妬してる。あんなに才能溢れた人がこの世にいて、じゃあ俺の存在理由って一体何なんだ、ってたまに思うよ」
司の言葉に、実咲はこれ以上なく驚いた。
(速水くんみたいな人でも……そんなこと考えるの?)
勉強も運動も、人間関係も。何もかもカンペキで、誰からも好かれる司。そんな彼でも、誰かに劣等感を感じることがあるだなんて。
たくさんの感情が一気に押し寄せてきて、喉の奥が詰まる。
(一緒、なんだ。私も速水くんも……)
なぜか、泣きそうだ。
劣等感に押しつぶされて卑屈になっていた自分を、「そんなの誰でもだよ」って許してもらえた気分になる。
司が自分に心を開いてくれているのだと実感してしまう。
(速水くん、好きって言っていい?)
制御できない。
もう、ただ見つめているだけじゃ嫌だ。
泣きそうになるほどの強烈な感情。目を見つめるたびに湧き上がる、甘さと――苦さ。
(夏休みまでに……告白する)
一限目が始まり、大好きな司の背中を見つめながら、実咲は密かな決意を胸にした。