第4章 邂逅 ~魔王の諜報員~ ④
見て見ぬふりをしていた。
おかしいのだ。
本当に茜のことを思いやってくれているなら。これからテレビへの露出が増え有名になっていくであろう茜を、芦屋が心からサポートしたいと思うのなら。
(写真なんて、ふつう撮らないでしょ)
スマホの乗っ取りなども騒がれている今日だ。これまでの芦屋の優しさから推測するなら、彼は万が一のことを考えて写真など撮らないはずだ。……それなのに。
彼は写真を撮った。
それは普段の彼からは想像もつかないような、後先考えない行為だった。
(先輩が、わからない)
それに、芦屋に限ってそんなことはしないと信じたいが、リベンジポルノだって茜にとっては恐怖のひとつだ。
(写真、どうにかお願いして消してもらおう)
茜はそう決意した。
◇ ◇ ◇
芦屋に写真を撮られてから、数週間が経とうとしていた。
明日はいよいよテレビ番組の収録だ。今日は撮影の仕事はないけれど、明日のために早めに帰宅して英気を養おうと、茜は足早に帰路を歩いていた。
歩きながら、茜はここ数日のことを思い返す。
芦屋の様子はすっかり元通りだった。茜が仕事でうまく行かなかったときは電話で話を聞いてくれるし、茜を「彼女」として優しく労わってくれるのも変わらない。無理やり繁華街へ連れていかれたのが嘘みたいだ。
(……性的なことに対して、ちょっぴり強引になるのかな)
逆に言えば、茜がそこさえ我慢すればいいということだ。恋愛には妥協も必要だ。いくら芦屋でも人間には必ず欠点はあるのだから、そういった面に茜が目を瞑ればいいだけのこと。そうでないと、茜は数少ない自分の理解者を失ってしまうことになる。
(だけど――)
「元気なさそうだね」
「あ……」
聞き覚えのある声に、背後から話しかけられる。
――速水 司だった。
「久しぶり……ってほどでもないか」
斜め後ろから茜の顔を覗き込んできた速水は爽やかに笑い、そのまま茜に歩幅を合わせる。
一緒に帰るつもりなのだろうか?
茜は、彼のそのフレンドリーさに少なからず驚いた。
(カップルって勘違いされるかもしれないのに……)
男女が一緒に帰るのだから、すれ違う人がそう誤解してもおかしくない。だけど速水はそんなこと気にした様子もなくて、むしろ茜がそわそわしてしまう。
(明日の収録終わって、番組が放送されて……。その結果によっては私、こうやって男の子と帰るのとか言語道断になってるかもしれない)
「何か、悩んでる?」
速水に言われて、茜ははっとした。誰から見てもあからさまなレベルで、茜の表情には元気がない。心配そうに茜を見つめる速水。
「ううん、なんでも……」
そう取り繕った茜の声には、まったくと言っていいほど説得力が無かった。
「悩んでるね。……俺でよければ話、聞こうか?」
茜は立ち止まって、速水の顔を見上げた。
以前、ほとんど話したこともなかった茜の膝の手当てをしてくれた速水。きっと今回だって彼は、茜がどれだけ取り繕っても、どうにか茜から本心を引き出して相談に乗ろうとするだろう。
(『お人好し』だもんね)
――相談できる人がいない。
……だったらもう、速水を利用しよう。
誰もが認める「お人好し」に、話を聞いてもらえばいいじゃいか。
「……これから、時間ある?」
気がついた時には、茜は速水を見上げて、そう言っていた。
◇ ◇ ◇
学校の近くだと春日井の生徒に2人でいるところを見られるかもしれないし、内容が内容なだけに芦屋にも見つかりたくない。そう考えた茜は地元近くの駅で降り、行きつけの喫茶店に入った。
消毒用品を買ってもらった借りがあるので、茜は速水にコーヒーを奢る。
「彼氏が、信じられない」
席に着くなり、茜はそう切り出した。
(……我ながら、大して仲良くない異性に何言ってんだ)
ある意味シュールな状況だ。茜は乾いた笑いがこみ上げそうになる。明日は大事な大事な収録があるというのに。それに、目の前の速水はいたって真剣な表情で茜の話を聞いているのもまた、可笑しかった。
速水は、唐突に切り出した茜を見つめつつしばらく逡巡している様子だったが、やがてひらめいたように口を開く。
「彼氏って……芦屋雄大先輩だっけ?」
茜は驚いて目を丸くした。
学校の誰にも芦屋と付き合っていることは言っていない。隠している、という理由もあるし、言う必要がない、とも思っている。
「なんで知って……」
「あー……、えっと……、友達が噂してるのを聞いたんだ」
なるほど。
それなりに変装していたつもりだが、デートなんかしたら、やはりバレる人にはバレるようだ。芦屋が学園内で目立つ存在だから、ということもあるだろうが。
「芦屋先輩が、信じられない?」
「……うん…………」
速水の話の聞き出し方はすごくいいと、茜は思った。踏み込まず、突き放さず、ほどよい距離感を保ってこちらを促してくれる。
(やっぱりこの人、頭いいよなぁ)
「なんと言うか……あの人、本当に私のこと好きなのかなぁ、ってね。不安になるよ……。あの人、本当にあれが本性なのかな……」
はぁ、と茜はため息をつく。茜が言っていることは抽象的で核心をついていなくて、おそらく速水にはコメントしづらいだろう。それは茜も重々承知していた。茜はただ、聞き上手な速水にこちらの話を聞いてほしいだけだった。
それを理解しているのか、速水は決して不用意な発言はしなかった。その代わりに、とりとめのない茜の話(というか、愚痴)にしっかりと相槌をうってくれて、茜の気が済むまで聞き役になってくれた。
茜の話が一段落すると、速水は静かにコーヒーを口にした。表情には出さないけれどどうやら苦かったらしい。そばにあった砂糖の袋を開ける速水の指先を、茜はぼーっと見つめる。
速水が口を開いたのは、唐突だった。
「芦屋先輩さ、けっこう、噂あるよね」
含みのある速水の言い方に、茜は目を大きくした。
「え……どんな!?」
速水は開封した袋を傾けて、さらさらと砂糖をコーヒーに流し込む。その砂糖の流れ落ちていくさまと同じように、彼はさらりと衝撃的なことを告げた。
「内部進学の友達から聞いたんだけど。学校中の可愛い女の子に手を出して自分のものにして、飽きたら捨てまくる……、みたいな、不穏な噂が」
速水が、茜を見た。
(えっ…………!?)
にわかに、信じられなかった。いや、信じたくなかった。思わず速水の瞳を呆然と見つめる。
最近になって不信感こそ募っているものの、茜はやはり芦屋が好きなのだ。
優しい、優しい先輩。茜をひとりの女の子として扱ってくれる……大切な存在なのに。
なのに……。
「どっ、どういうこと……?」
茜は訝しげに速水を見た。
あまりに衝撃的で信じられなくて、変な想像までしてしまった。例えば、速水は実は茜のことが好きで、芦屋から茜を引き離すために嘘を言っているんじゃないか……とか。
茜が速水の話を全く信じていない、というのは、彼女の表情から容易に読み取れたのだろう。速水は、落ち着いた様子で話を続ける。
「……この話は、以前、友達とLINEで話してたんだ。友達がこんな写真を送ってきてさ」
写真、というワードを聞いた刹那、茜の心臓は別の理由でドキリと鼓動した。そんな茜を知る由もなく、速水はポケットからスマホを取り出し、何やら操作している。
やがて速水が見せた画面には、不穏すぎる画像が表示されていた。
(……っ!)
茜は思わず、息をのむ。
画面に写っていたのは、芦屋と……茜の学年で、茜の次に可愛いと言われている女の子。
2人とも制服を着ているけど、場所はどこなのか分からない。……ただ、そんなことよりも。
最も問題なのは、2人が手を繋いでいる、ということだった。
「香取さん、騙されてるよ。別れたほうがいいよ」
速水の言葉は、衝撃を受ける茜の脳内まで入っているのかどうか、不明だった。




