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第4章 邂逅 ~魔王の諜報員~ ③


「テ、テレビ出演!?」


 茜は、開いた口が塞がらなかった。


 茜の所属する事務所内の、社長室。

 社長に直々に呼び出された茜は、目の前の敏腕女性社長に驚くべき話を持ちかけられていた。


「そ! こないだ茜ちゃん、雑誌で特集記事組んでもらったでしょ? あそこでのインタビューとか、SNSでの茜ちゃんの語り口とかをプロデューサーさんが気に入ってくれたみたいでね。茜ちゃん、テレビ出ても面白いんじゃないかって」

(え、えぇっ!?)


 あまりに突然すぎる話に混乱しつつも、必死に頭を動かす。


(ああいうの、『キャラ』なんだけどな……やっぱああいうの、売れるのか)


 テレビに出る。

 それが意味することを、茜はよく理解していた。モデルの中にも、テレビ進出を狙う者は多数存在している。だからこの話は喜ぶべきことなのだが……。


(あのキャラでずっとやっていくってことだよね……)


 茜は完全に、テンションの高いお調子者キャラを演じていた。


 ――「演じる」ことなんて、芸能界では基本中の基本だ。


(わかってる。そんなことわかってるけど、やっぱりしんどい……)


「茜ちゃん気さくだし面白いし、絶対成功するよ!」


 表情の曇った茜を気遣ってか、社長が明るい声で言った。だけどその言葉には暗に、「テレビに出ても気さくで面白くいろ」という意味も含まれている、と茜は感じた。


 ――そうだ、自分に拒否権なんてない。


(売れたい。私は、売れたい)


「……挑戦してみます」


 茜の小さい声を、社長は聞き逃さなかった。


「よし、OK! 出演の方向で話を通しておくね。……緊張しなくても、いきなり生放送とかじゃないし、チーム戦のクイズ番組の収録だから。茜ちゃん、春日井学園在籍って肩書きもあるし、注目されること間違いなしだよ」


(クイズ番組って……よけいに緊張する気もするんだけど……)


 乗りかかった船だし、なんとか成功に収めよう。茜はそう意気込んで、社長室を後にしようとした。が、ふと社長に呼び止められた。


「分かってると思うけど、テレビに出るとびっくりするくらい知名度アップするから。くれぐれも、スキャンダルとかには気をつけて」


 社長は、真っ赤なリップを塗った唇に弧を描きつつ、柔らかい口調でそう言ったけれど、その目の奥は笑ってはいなかった。

 おそらく、社長はもうすでに感づいている。

 茜に、スキャンダルのネタになりそうな存在がいることを。


「いつも見られているという意識を忘れずにね」

「……はい」


 牽制されている。社長から直々に。

 そう気づかないほど、茜は馬鹿ではなかった。


◇ ◇ ◇


 スキャンダル報道は芸能人の最も恐れるところかもしれない。茜の先輩モデルにも、過去の恥ずかしいプリクラをすっぱ抜かれ芸能界から身を引いた人がいた。


 あくまで茜の肌感だが、「清純派」として売り出されている女性ほど、スキャンダル報道が加熱しやすい傾向がある気がする。

 茜はどちらかというと「個性派」だが、それでも、現役女子高生モデルのゴシップネタはどこの週刊誌も喉から手が出るほど欲しいだろう。


 茜は、まだ「ブレイク」までは至っていない。「次に来る人」止まりだ。だからこそ、テレビ出演は確実にチャンスなのだが……。テレビに出て人気が爆発してしまえば、パパラッチにマークされるのは確実だ。


(これは、気をつけないと)


 不純な交際をしているわけではないが……単なる「熱愛」報道でさえ加熱してしまうのは確かだ。芦屋に迷惑をかけたくない。茜は、隣にいる芦屋に目を向けた。


「茜ちゃん、なんかいつもと雰囲気違うね」


 茜の視線に気づいた芦屋が、思いついたようにそう問いかけてくる。


「あ、うん。自意識過剰かもしれないけど、いちおう変装」


 茜は伊達メガネをかけて、メイクはナチュラルに抑えていた。服装もベージュなどを基調とした、雑誌の茜からは想像もつかない地味めのファッションだ。


「なんかね、テレビ出ることになって」


 茜の仕事も休みで、お互い予定が合ったので、2人はショッピングモールに買い物に来ていた。あてもなくぶらぶらと歩きながら、茜はぽつりとこぼす。


「クイズ番組らしくて。あんまり自信ないけど、やれることはやってみる」

「そっか。テレビかぁ……」


 芦屋は遠いところを見るようにして目を細めた。彼も色々と思うところがあるらしく、手放しでは喜べない、といった様子だ。


「遠い存在になっちゃいそうで寂しいけど、応援してるから。精一杯頑張ってね」

「うん、ありがと!」


 微笑みつつそう言ってくれた芦屋に、茜も表情を緩ませた。


(たとえ失敗したって、私には先輩がいてくれる)


 それだけで茜は、なんでもできそうな気がした。


◇ ◇ ◇


 その後は思い思いに買い物を楽しみ、映画を見たりカフェで話したりと、2人は充実した1日を過ごした。まさに「デートをした」と言っていいだろう。

 こんなにも、一緒にいて退屈しない人は初めてだ。茜は今日一日でますます芦屋のことが好きになった。


 もう辺りも暗くなってきた頃。

 このまま帰るのかと思いきや、連れていきたいところがある、と言ってくれた芦屋に従い、茜は電車に揺られていた。


(どういうところだろ?)


 夜景スポットとか? おしゃれなレストランを予約してあるとか?


 茜は心を弾ませる。思い切って隣の芦屋の肩にもたれかかってみると、彼はそっと茜の手を握ってくれた。


(は〜、幸せ)


 しばらくそのまま、うとうとしていた。

 目的地に到着したのか、芦屋に身体を揺さぶられて、茜は目を開けた。


 急いで立ち上がる。


 寝ぼけていた茜が、何かがおかしい事に気づいたのは、駅のホームを出てからだった。


(え……?)


 ここは……


 県内でも有名な、ガラの悪い繁華街のある街だ。


「先輩……ここって」


 茜が何か言う前に、芦屋は繋いでいた手をぐっと引っ張って歩き出す。


「せ、先輩!」


 こんなところで自分が「香取 茜」だとバレれば、たまったもんじゃない。茜は必死に芦屋に抵抗したが、むしろ周りの注目を集めていると気づいて、それをやめた。

 すれ違う人たちは、年齢層は広いが、金色に染髪していたり体中にピアスを開けまくっていたりと、やんちゃな外見をしている。茜は極力目を合わせないようにしていた。芸能人とはいえ根本的には春日井学園に通うほどの優等生である茜は、こういったところに免疫がないのだ。

 対して芦屋は、ゲームセンターや居酒屋のある通りを、慣れたようにすり抜けていく。


(先輩……なんで……)


 怖いと訴えているのに強引な芦屋もまた、怖かった。


「ねぇ、茜ちゃん」


 やがて、芦屋はある建物の前で立ち止まる。


(えっ……)


 ホテルだった。


「せ、先輩」


 ――突然すぎる。

 それが率直な思いだった。


 芦屋はいたって落ち着いていた。その目のどこにも、茜に対する欲望とか、ぎらついた雰囲気は見てとれない。


 だからこそ、戸惑った。


 茜は、今日のデートでキスはするだろうと思っていた。だけど、それを通り越して、こんな急に……。


 芦屋が、何を考えているのか分からない。

 強引に連れてきたわりには、その表情すべてが「いつも通り」だ。


 いつかはこうなると思っていたし、誘われれば受け入れるつもりでいた。だけど、こんなに早いなんて……。


「茜ちゃん」


 芦屋のことは好きだ。だけど……


「茜ちゃん、ボクのこと嫌い?」


(嫌いなわけ、ない……)


 気持ちが全く進んでいないのは、事実だ。

 だけど茜は、芦屋に嫌われたくなかった。


◇ ◇ ◇


 誘われるままに肌を重ねた。

 けれど、あまり集中できていない自分を自覚する。大好きな人と幸せなひとときを過ごしているはずなのに、さっき強引に茜の手を引いた芦屋の指先は、茜にとって受け入れ難いものへと変化していた。それに、こんなに簡単に身体を許してしまう自分も嫌で仕方がなかった。


 茜の身体をまさぐるその指先も、茜の名を呼ぶその声も。今は、茜になんの感情も与えない。芦屋の下で、彼の熱を受け止めているのは自分のはずなのに。茜はどこか違う場所から、他人同士の行為を傍観しているような気分になる。


(いやだ……こんなの)


 芦屋の求めているであろう反応を、演じる。そんな自分がとてつもなく嫌になる。


(こんなにも、心の繋がりを無視されるなんて……)


 そんな人なんかじゃないと思ってたのに。


(人って、こんなに簡単に信頼を失うんだ)


 茜は、芦屋がどんどん信じられなくなる。


 ――そうやって、雑念を捨てきれていなかったせいだろうか。


 茜は、最もしてはいけないことをしてしまった。


「ま、待って!」


 気づいたときには、もう遅かった。


 目の前に突き出されたスマホが、非情にもシャッターを切る。


「先輩、それはだめ!」


 芦屋が、写真を撮ったのだ。


 茜は芦屋からスマホを取り上げようとするが、彼の重みが茜を動けなくする。

 このままでは、芦屋のスマホには茜のあられもない姿がばっちりと残されていることになってしまう。


 ――"いつも見られているという意識を忘れずにね"


(やばい……!)


 社長の言葉が脳裏によぎって、茜はついに叫びあげるようにして懇願した。


「先輩、お願い、消して!」


 必死に写真の削除を願う茜に傷ついたのか、芦屋は悲しそうな顔をする。


「悪いことには使わないよ。好きな女の写真くらい、持たせてよ」


 茜は、何も言えない。


(『好きな女』……か)


 ならば、さっきの強引な態度はなんだというんだ。


 芦屋に対する不信感は募るばかりで、茜は、今は彼が何を言っても自分の心に響かない気がしていた。

 そんな煮えきらない茜を見透かしたように、芦屋は強く唇を重ねてきた。


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