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第4章 邂逅 ~魔王の諜報員~ ①



 いつの間にか、ほとんど殺意に近い感情を抱いていた。激しい憎しみは私の中でずっと燻り続け、もはや私の全てになっていた。この黒いものをいつ吐き出そうか、どうやって吐き出そうか。そんなことばかり考えて毎日を過ごしていた。


 だけど私は身動きができない。弱みを握られている私は自由を奪われ、仕方なく男にこうべを垂れている。屈辱でしかなかった。


 ――しかし。


 私は、出会ってしまった。


 縛られている私でも、復讐は可能なのだと。そう、教えてくれる人に。


「――取り引きしない?」


 あの夜の彼の表情は、ぞっとするほど美しかった。

 あれからずっと、私は彼のために――いや、彼の美しさのために動いている。


 かつて私は、小椋実咲のことを嘲笑った。彼に「ぞっこん」だと。


 だけど私もある意味、彼の美貌に取り憑かれているのかもしれない。それほどまでに彼は不思議な魅力を持っている。


 ――「彼」の名は、速水 司。


◇ ◇ ◇


 春日井学園高等学校に入学して間もないころ。

 仕事のために部活には入らないと固く誓っていた香取 茜は、うつむいてスマホをいじりながら電車に揺られていた。


「今年の1年にめっちゃ可愛い子いるの知ってる?」

「ああ、香取 茜だろ? モデルやってる」


 茜から少し離れたところで、吊革に掴まりながら春日井の男子生徒たちが盛り上がっている。突然聞こえてきた自分の名前に、茜は必然的に耳をそばだてた。


「そうそう! やべぇよな、春日井トップじゃね?」

「いや、春日井トップはどう考えても志野泉美だろ〜」


(シノイズミ?)


 聞いたことのない名に、茜は心の中で首を傾げた。


(春日井に、私より可愛い子っているんだ)


 雑誌のモデルをしているというだけあって、茜は自分の容姿にかなり自信があった。春日井学園でもナンバーワンだと自負していたのだ。髪型や服にはかなりのこだわりがあり、茜のその独特のセンスは読者からも好評を博している。

 だから、男子生徒が茜でない子を最も可愛いと評価したのは、プライドのある彼女にとって全く面白い話ではなかった。


 そんな茜に気づくよしもなく、男子生徒たちは大声で会話を続ける。


「でも学校来てねーじゃん」

「確かにな。不登校になって結構経つよな」


(不登校……? 上の学年?)


 合点がいった。どおりで知らない名のわけだ。

 だけど上の学年だからといって、ナンバーワンの座を譲っていいわけがない。茜はもはやスマホをいじる手を止め、耳を澄ましていた。


「なんで不登校なんだ?」

「さぁ……オレに聞かれても。ただ、噂によると桃井に目つけられたらしいぞ」

「うげっ、桃井か。あいつ中学んときからおっかねーもんな。どうせ自分より美人な女のこと僻んでんだろ」

「教師もあいつにヘコヘコしてるし」

「富太郎パパの力ってやつか」

「俺らの泉美ちゃん返せよなー」


(桃井って、桃井彩女? あそこの家、小椋総合病院とすんごい黒い繋がりがあるって聞いたけど……)


 春日井学園は著名人の子供を多く擁している。桃井富太郎の娘と、小椋総合病院の娘2人が春日井学園に通っているということも、茜はもちろん知っていた。そしてそんな有名な両家の黒い噂を茜に教えてくれたのは、売れるためにある大物芸能人の枕をやっている、アイドル見習いの友達だった。


(やっぱり世の中、金だよね)


 春日井学園だって、みんなの憧れの学校でありながら、その実態はどうもそうじゃないみたいだし。

 男子生徒たちの会話がだんだん違う方向へと流れていったので、茜はひとつ嘆息し、スマホに集中し直した。


(……ん?)


 その時、LINEの通知が来た。


(誰これ。『芦屋雄大 』……?)


 知らない名に、茜はやれやれとため息をつく。どこで広められているのやら、顔も見たことのないような人から勝手にLINEが送られてくるのは茜にとって日常茶飯事だ。鬱陶しいので、彼女は仕事用のスマホとプライベート用のスマホを別に所持している。今触っているのはプライベート用の携帯だ。


 こういうLINEは基本的に未読無視。


(キモいなぁ)


 茜に一目惚れをした、仲良くなりたい、といったことを延々と書き連ねてあるLINEは非常に気味が悪く、茜はそそくさと芦屋という男からのLINEを削除し、ブロックした。


◇ ◇ ◇


 体育大会。

 学校を休んでしまうことが多い茜だが、この日は運よく仕事がなく、出席することができた。

 仕方のないことだけれど、茜はまだクラスメイトの名前を覚えきれていない。だけど、幸いこのクラスの女の子たちはみんなフレンドリーでほんわかした子たちばかりで、よそ者と言っても過言ではないような茜を輪の中に入れてくれていた。


 学校近くの競技場を貸し切って行われている体育大会。応援席に座っていると他のクラスやフィールドにいる生徒をずらっと見渡せる。人間観察が大好きな茜は、隣に座る女の子とかっこいい人を見つけては騒いでいた。


「あ、あの人かっこいい!」


 ふと、短距離走のトラックで準備運動をしている爽やかイケメンを見つけて、茜は彼を指差しながら叫んだ。


(あんな人いたんだ!)


 背が高くて、オーラがあって。その人は、茜がこれまで見たどんなメンズモデルよりも遥かにかっこよかった。


「あ、あれ速水くんだよ! 入学したときから噂になってた!」


 茜が指している人物を確認したその子が、はしゃぎながら教えてくれる。


「へぇ〜!」

「それにね、速水くん、中間テストで学年1位だったの!」

「はぁっ!?」


 開いた口が塞がらない。ずば抜けてかっこいいのにずば抜けて頭がいいとか……。


「天は二物を与えちゃってるよね」

「二物以上じゃないかな。足もめっちゃ速いんだって」

「うわっ、すごっ!」


 女の子の言葉通り、スタートを切った速水がぐんぐん加速する。走るフォームや足の長さによるリーチは素人目から見てもダントツで、他の追随を許さない。ぶっちぎりの1位だった。ゴールテープを切った速水が爽やかな笑顔で拳を突き上げる。応援に駆けつけた女子生徒たちから黄色い歓声が上がった。


「これは大人気だろうね〜」

「もちろん。陸上部の友達が必死に勧誘してるって言ってたし」

「えっ、彼、陸上部じゃないんだ!?」

「そうなんだよ〜。まさかの帰宅部。『勉強に集中したい』んだって」

「へぇ〜……勿体ない」


 話したこともない速水に余計なお世話ながらそんなことを思っていると、速水のクラスの女子生徒たちが応援席へ戻ってきた。その表情はすっかり速水にやられきっていて恍惚としている。

 幸せそうな彼女らを眺めていると、その子たちのなかに、体操服の胸元に「小椋」と書かれている子がいるのを発見した。


「ねぇ、あの子って」

「そう。小椋実咲」

「へぇ〜、あれが……」


 小椋総合病院の次女。茜は、その姉である小椋怜奈を見たことはあるが、実咲を見るのは初めてだった。

 実咲は周りの女の子たちとはしゃいだように速水のカッコよさについて語っている。可愛らしい子だが、怜奈のほうが美人だということは否めない。


「小椋怜奈って、たしかめっちゃ頭いいんだよね?」


 茜の言わんとしていることを悟ったのか、隣の女の子はこくりと頷いてから口を開いた。


「うん。でも、小椋実咲と同じクラスの子に聞いたんだけど、小椋実咲の方はそうでもないみたい」

「あ、そうなんだ……」


 姉が相当コンプレックスなんだろうな、なんて邪推をしながら、茜は人間観察を続けた。


(あ、そういえば)


 なんとなく生徒たちを見回しながら、ふと茜は思いつく。


「ねぇ、シノイズミって先輩、知らない? すっごい美人って聞いたんだけど」


 不登校だと言っていた。そんな人が体育大会なんかに来るわけないだろうが……興味があった。


 しかし、隣の彼女は首を横に振った。


「ううん、聞いたことないなぁ……。内部進学の子なら知ってるかな。聞いてみようか?」

「お願いしていい?」


 その子が立ち上がる。それを狙いすましていたかのように、茜の目前に誰かが現れた。


「やっほー、茜ちゃん」


 見知らぬ男だった。

 茜はじろりと睨むような鋭い目つきになったが、ふと、男の体操服に「芦屋」と書いてあるのを見つけた。と同時に、男が調子よさげにヘラヘラ笑いながら自己紹介をする。


「芦屋でーす。やっぱ可愛いね、超好み」


(……ウッザ。同じ学校だったんだ)


 おそらく上の学年だと思うが……。ニヤニヤしながら舐めまわすように茜を見る芦屋の視線は、気持ち悪いとしか言いようがない。


「何か用ですか?」


 こういったことは慣れきっているが、それでも不快なのは確かだ。冷たい声音で突っぱねると、芦屋はやれやれという表情になった。


「そんなにあからさまに拒絶されると悲しいなぁ。仲良くなりたいだけなのに」

「迷惑です。帰って」

「やれやれ……」


 芦屋は、冷たい茜にひとつため息をつき、身をかがめると、座っている茜と目線を同じにした。


「『モデルをやっている有名人のキミ』に惚れたんじゃないんだよ。キミ自身を知って、ボク自身をキミに知ってほしいだけなんだ」


 息を吹き込むように耳元で囁かれた。


「はっ、はぁっ!?」

「そういうわけだから、そこんじょそこらの男とは覚悟が違う。――LINEのブロック、解除してね」

「しませんから!」


 な、なんなのよ一体!?


「惚れさせてみせるから。ボクのこと見てて」


(はぁ〜〜っ!?)


 気持ち悪いとか、鬱陶しいとか、そういう負の感情を通り越して、茜はポカンとしてしまっていた。染められた芦屋の髪が、太陽の光によって金色に透けているのをぼんやりと見つめる。


「じゃあ、またね」


 小さく手を振って、芦屋は踵を返した。

 息と言葉が入ってきた右耳を押さえながら、茜は遠ざかる芦屋の背中を睨みつけた。まるで台風が過ぎ去ったようだ。周りにいたクラスメイトも、突然のことに呆然としていた。


(な、なにあのタイプ……今までいなかった!)


 不覚にも心臓がドキドキしてるけど……、それは、芦屋が初めて出会ったタイプのストーカーだからだ! そうだ、そうに違いない!


(あんな軽薄男、願い下げよ!きぃ〜、ムカつく!)


 茜の記憶に強烈な存在感を残した芦屋。鬱陶しく思いながらも、なぜか茜はスマホを取り出し、彼のブロックを解除していた。


 芦屋の突然の登場は目立ちまくりで、付近にいた生徒たちはみな注目していた。

 

 ――あの速水 司も、茜と芦屋の一連のやりとりをじっと見ていた。



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