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第3.5章 少女の恋 ②


 お、落ち着け、落ち着け、落ち着け……。


 文化祭のあいだも、家に帰ってからも。泉美は自分にそう唱え続けていた。


(わ、私は普段、男の子とあんまり話さないから。だからちょっぴり舞い上がってるんだ! それに、高校に入ってから芦屋くんみたいな人が多かったし……。久しぶりに常識人と話せて、喜んでるんだ! そうだ、そうに違いない!)


『更科秀明 : 追加させてもらったよー!』

『更科秀明 : 今日はありがとね!』

『更科秀明 : また、話そうヽ(´▽`)ノ』

『更科秀明がスタンプを送信しました』


「きゃーっ!」


 リビングにいるというのに、スマホの通知を見て、泉美は思わず叫び声を上げた。


「泉美?」


 ソファに座ってテレビを見ていた司が、驚いて泉美を見る。


「な、なんでもない!」

「顔赤いけど、どうしたの?」

(もっ、もうっ、どうしよっ……!?)


 泉美は、手のひらで自分のほっぺたを包み込んだ。


 (とりあえず、落ち着こう!)


 なんとか平常心を取り戻すため、泉美は何度も深呼吸をした。そんな彼女を、司はもちろん不審な目で見ている。


(落ち着いて、落ち着いて……。このLINEはただの社交辞令。いわば挨拶みたいなもの。もし私が更科くんの立場だったら義務感にかられて絶対する。だから、こんなに心臓をバクバクさせる必要なんて…………)


(……「秀明」っていうんだ、下の名前)


「…………いやいやいや!」


 突然大声でひとりツッコミを入れた泉美に、驚いた司が肩をびくりと震わせた。


「泉美ほんとにどうしたの!?」


 半分苛立ったような声で言われ、泉美は泣きそうになりながら全力でかぶりを振る。


「なんでもない! なんでもないから! お風呂入ってくる!」

「まだお湯張ってないけど!?」


◇ ◇ ◇


 大急ぎでお湯を張り、お風呂が沸くと一目散に浴室に駆け込んだ泉美。無心で髪や身体を洗い、無心でドライヤーをかける。


(ちょっと落ち着いてきたかも)


 ふぅ、と息をつき、リビングへ向かう。お風呂から上がった泉美に、司がちらと視線を向けてきた。


(完っ全に、司に不審に思われてる)


 お風呂上がりの麦茶を飲みながら泉美は肩をすくめる。どうしたものかと思案していると、ふと、彼女の頭の中にある考えが浮かび上がった。


(そうだ、その手があった!)


 名案が降って湧いた彼女は途端に笑顔になり、司の隣に腰掛け、問いかけた。


「あのさ、司がこういう話好きじゃないっていうのは重々承知してるんだけど、ちょっと聞いていい?」

「やだ」


 泉美の言わんとしていることを悟ったのか、司は容赦なく彼女の頼みを切り捨てる。だけど泉美はそれを無視して、強引に話を続けた。


「やっぱり、彼女と一緒にいるだけでドキドキして、どうしようもなくなったりする?」


 じっと睨まれて怯みそうになるけどなんとか耐えて、泉美は辛抱強く彼の回答を待つ。

 やがて、根負けしたように司が溜息をついた。


「……見当ついてると思うけど、俺、告白されたから付き合ってるだけだよ。泉美には考えられない発想かもしれないけど」

「うん、考えられない」


 「告白されたから付き合う」――たぶん、多くの恋愛がそうなんだろう。だけど泉美はどうしてもこの考えに賛同できない。「付き合う」ことは、両想いの延長にあってほしいのだ。


(私ってロマンチストかなぁ?)


「それって付き合ってることになるの?」


 見当違いなことでも質問されたように、司は露骨に嫌な顔をする。


「知らない。でも、断る理由もない」

「じゃあその子のこと好きってことじゃないの?」

「……知らないよ」


 ぷいっとそっぽを向かれた。

 そろそろ不機嫌になってしまうかもしれない。拗ねているときの司は手に負えないから、それは避けたい。泉美は焦った。


「じゃあ、最後の質問、ひとつだけ」


 指を1本立てて左右に振ると、司はぶっきらぼうに「なに」と返事をした。


「司がある女の子のことを、もうめーっちゃくちゃ好きになったとして、その子が親友の彼女だった場合、どうする?」

「…………なに、それ」


 予想通り怪訝な司に、泉美は用意していた嘘をついた。


「友達に相談されてるの」


 しばらく司は眉間に皺を寄せて黙っていたが、ふいに、おもむろに口を開いた。


「…………奪う、かな」


 泉美から視線を逸らしながらそれだけ言った司は、やはり機嫌が悪そうだ。

 だけどその答えはいつもクールな司からは想像のつかなかったもので、彼の情熱的な部分を垣間見た気がして、泉美は少し驚いた。


◇ ◇ ◇


(恋じゃない)


(舞い上がってるだけ)


(思い込み)


 自室でベッドに寝転がりながら、まるで自分自身に催眠術をかけるように何度も唱えた。


『わざわざありがとう!』

『私も追加しました! よろしくね!』

『明日も楽しもう☆』

『スタンプを送信しました』


(こんなかんじでいいかな。普通だよね)


 無難な返信を心がけたつもりだ。彩女に失礼のないように淡白な返信にしなければならない。だけど心のどこかで秀明とLINEを続けたいと思う自分もいて、泉美は自分で自分の頭を叩きたい気分だった。


(しっかりするのよ、私! この人は、彩女の好きな人!)


 そう自分に言い聞かせることで、秀明への気持ちが幾分か落ち着く気がした。


 しばらくスマホを握りしめ問答を繰り返していた泉美だけれど、ふと真顔になる。芦屋からまたLINEが送られてきているのに気づいたのだ。明日はメイド服を着てほしい、なんて内容で、泉美は顔をしかめた。


(やだなぁ。ブロックしていいかなぁ)


 純粋に、気持ち悪い、と思った。「生理的に受けつけない」ってこのことだろうか。


(次にお母さんが帰ってきたとき、相談しよう)


 透子ならきっといい解決策を提示してくれるだろう。

 泉美は枕に顔をうずめた。


(更科くんは、みんなに優しくて、紳士だなぁ……。芦屋くんとは全然違う……)


「――いや、何考えてるの、私!?」


 泉美はガバッと顔を上げた。彩女の顔が脳裏によぎってぎゅっと目を閉じる。瞬間、どうしてだか涙がこみ上げそうになった。


(…………こんなに、誰かひとりのことを考えてる時点で、もうダメじゃない?)


 ――切ない。

 胸が苦しくて、締め付けられる。


 どうして、どうして。

 いつの間に、こんなことに。


 昨日の自分に戻りたい。

 昨日の自分はこんなこと、1ミリも考えなかったのに。


(……だってもし、この先彩女と更科くんが上手くいったら、私、素直に喜べる?)


(『なんで私じゃないの』って、思っちゃう。今のままだったら……)


 そう気づいて、泉美は思わず涙をこぼした。


(……これは真剣に、まずいかも……)


(落ち着こう。恋なんて、思い込みだ)


◇ ◇ ◇


 翌日、計画通りお化け屋敷の整理券を手に入れるため、彩女、怜奈、泉美の3人は朝から長蛇の列に並んでいた。


「彩女、更科くんのこと誘えた?」


 スマホをいじったりお菓子を食べたりしながら待ち時間を潰していると、何の前置きもなく怜奈がそう言ったので、泉美はどきりとした。


(そうだ。彩女、昨日、更科くんと遊んでみたいって言ってた……)


「ううん……LINEで誘ったんだけど、断られたわ……」


 彩女はうーんと唸りながら腕を組んだ。その表情は曇っていて、彼女の険しい恋路を物語っている。


 何食わぬ顔をしながら、泉美はほっとする自分を自覚する。そんな自分の性格がすごく悪く思えて、彼女はとてつもない自己嫌悪に苛まれる。


(……どうしたらいいの……)


 あの後、秀明の既読がついてLINEは終わるだろうと予想していたのに。それに反して、彼は新たな話題を送ってきていたのだ。朝目覚めてすぐスマホを見た泉美は、また叫び声を上げそうになった。


(更科くん、ある程度彩女の気持ちに気づいてるはずだよね?)


 モテ男なのだ。鈍感なわけがないだろう。

 ならば、なぜ……?


(……どうしよう)


 頭がひとつの答えを導きだそうとするのを、泉美は全力で制止した。


(じ、自意識過剰だわ、私!)


「志野先輩」


 脳内でひとり葛藤していると、ふと名前を呼ばれてはっとする。おそらく中学生に声をかけられたのだろう。そう気づいた泉美は大方、これからの展開が読めた。


「写真撮ってほしいです!」


 振り向くと、やはり中学生の女の子たち。スマホを手にして目を輝かせている。


(今日、やたら頼まれるなぁ)


 まだ午前中だというのに、泉美はすでに何度か写真をお願いされていた。昨日に比べて圧倒的に頼まれる回数が多い。不思議に思いながらも泉美はぎこちない笑みを浮かべ、シャッターが切られるのを待った。


「泉美、昨日、教室で中学生の子と撮った? けっこう拡散されて、私のタイムラインまで来てたよ」


 泉美と写真を撮れてテンションの上がっている中学生たちを見送りながら、怜奈が泉美に問いかける。


「タ、タイムライン……?」


 おそらくSNSの用語だろうと見当はついたが、LINEしかしていない泉美にとっては意味不明で、どんなものなのか想像がつかない。首を捻る泉美に、怜奈がスマホの画面を見せた。


 どうやらある女の子の投稿らしい。


『やばい、志野先輩と撮ってもらった! 美人すぎて緊張した(>_<)』


 そんな文章とともに写真が添付してある。

 教室で中学生の女の子2人に挟まれている、ぎこちない笑みを浮かべた自分の写真。まさに、昨日の昼に頼まれて撮ったものだった。


「えっ……こんなことになってるんだ!?」

「これ見た春日井生が、一気に真似しようとしたんだと思う」


 確かに、他人から写真を頼まれるようになったのは、この2人組と撮ってからだ。

 この子の投稿が広まって、高校生の怜奈のところまで……。

 ネットの脅威のようなものを感じた気がして、泉美は背中が寒くなった。


(やだなぁ。勝手に載せないでほしい……)


 知らないところで自分の写真が出回るなんて……。


(これから写真断ろうかなぁ……)


 それからしばらく経たないうちに、今度は2年生の男の先輩から写真を頼まれた。年上の男性に萎縮しながらもやんわりと断ると、優しい人なのかすぐに身を引いてくれた。


 ほっとする泉美は、彩女が面白くなさそうな顔で自分を見ていることに気がつかなかった。


◇ ◇ ◇


 念願だったお化け屋敷にも行くことができ、模擬店もほとんどと言っていいほど回ることができた。中学生の出し物もとてもクオリティが高くて、市立中学校出身の泉美はただただ圧倒されていた。


 閉会式も無事に終了し、生徒たちの数は少しずつ校舎から減っている。

 このあとクラスで打ち上げがあるらしいが、泉美は芦屋を避けるために不参加を表明していた。怜奈も彩女ももう打ち上げの会場へ向かっており、ひとり取り残された泉美は、教室からぼんやり外を見ながら感傷に浸っていた。


「志野さん」


 ふと名前を呼ばれて、泉美は盛大に驚かされた。


「さ、更科くん!?」


 秀明が教室に入ってきていたことにまったく気づいていなかった。様々な理由によって鼓動のピッチを上げ始める心臓を、どうにか落ち着けようとする。


「う、打ち上げは?」

「行こうと思ってたんだけど……少し、疲れちゃって。明日、朝早くから練習だし」


 秀明は首を伸ばすようにして捻った。喫茶店を成功させようと自ら2日間ともシフトに入っていたし、疲れて当然だろう。それなのに明日、部活があるだなんて。インドア派の泉美にはちょっと信じられなかった。


「そうなんだ……。せっかく振替休日なのにね。……えっと、陸上部だっけ?」

「うん」

「練習、厳しいんだよね、陸上部。私の弟も陸上部だったんだけど……よくやるなぁ、って感心しちゃう」

「陸上部『だった』?」

「あ、今中3なの。受験生。引退しちゃった」

「なるほど。……弟いるんだ。想像つかない」

「生意気だよ。彼女いるみたいなんだけど、その話したらすぐに怒るの」

「中学生男子ってそんなもんじゃない?」


 窓にもたれかかって笑う秀明に、泉美もつられて笑う。

 ――その、笑顔。

 爽やかで人懐っこいその表情は反則なのだと、泉美は大声で指摘してやりたい。


 薄暗い教室にふたりきり。隣にいる秀明は今、何を思っているのだろう。


 どう頑張っても胸の鼓動を収められない。ふたりきりになると、こんなに近い距離にいるとどうしても、秀明に惹かれている自分を自覚してしまう。


 ――だけど。


「この人は友達の好きな人だ」


 その言葉ばかりが泉美の頭の中を渦巻いて、彼女はまた泣きそうになった。


「志野さん」


 はっとして顔を上げると、秀明が泉美を見ていた。たぶん、司より身長は低い(というか司が高すぎるのだ)。それでも泉美よりは十分すぎるほどに高い。その身長差に、泉美は何とも言えずきゅんとしてしまう。


「あのさ。……写真、撮らない? 思い出作り」

「あ…………」


 ……どうしてだろう。

 今日一日で、写真にはうんざりさせられたはずなのに。

 ふしぎと、嫌だという気持ちは湧かなかった。


 …………むしろ、撮りたい……。


「……うん」


 泉美が小さく首肯するのを見て、秀明はポケットからスマホを取り出した。恥ずかしくて目線を上げられず、泉美は、秀明の指先がスマホの画面を撫ぜているのを意味もなく見つめていた。


 やがて、カメラを準備できた秀明が泉美の方へ寄る。


(わわ……近い)


 俗に言う「自撮り」スタイルで、秀明がスマホを持つ腕をぐっと伸ばし、シャッターを切った。静止した画面に写ったのは、夕焼け空をバックに爽やかな笑みを浮かべる秀明と、うまく笑えていない泉美だった。


(うっ……写り悪いな、私……)


 あれが更科くんのスマホに残されちゃうのかぁ、と凹みつつも、その事実にやはり心臓が高鳴る。

 写真を保存した秀明は、スマホをズボンのポケットに入れた。


「ありがとう。……じゃあ、2日間お疲れ様」


 嬉しそうにそう言いながら、秀明がその場を立ち去ろうとする。素敵な、甘い時間の終わりが近い。


「あ、あのっ」


 泉美は咄嗟に、彼を呼び止めていた。


「あとで、送ってほしい、いまの写真」


 きょとんとして振り返っていた秀明は、嬉しそうに頷いた。


「もちろん」


 彼の笑顔があまりに眩しかったから、泉美はその瞬間、彩女のことを忘れていた。


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