第2.5章 少女の出会い ②
期末テストが返ってきた。欠点すれすれの点数に、泉美は落ち込む。対して、彩女と怜奈はびっくりするほどの秀才で、それがさらに泉美の焦燥感を駆り立てていた。
(私はもともと、中学ではそこまで成績が良かったわけじゃないから……)
中学時代から、進学校生として驚くほどの勉強量をこなしてきた彩女と怜奈。そしてそれとは裏腹に、猛烈な受験勉強により、付け焼き刃的な知識だけを手に入れ合格した泉美。その差は歴然だった。
(こんなに差があるなんて……)
泉美にとって、春日井学園に合格することが「ゴール」だった。だから今、勉強面でここまで苦労するだなんて思ってもみなかったのだ。毎日の予習・復習ですら追いつききれていない。
そして泉美にはもう一つ、悩んでいることがあった。
(芸大に、行きたい)
教師や友達は、春日井学園に来て芸大を志望するなんて「勿体無い」と、口を揃えて言う。だけど泉美は、主張を曲げきれない。
絵は、彼女のすべてだった。
幸い、国立の芸大が県内にあって、泉美はもはや、その大学しか考えられなくなっていた。
しかし、芸大を志望するなら、実技試験をカバーするために予備校へ通わなくてはならない。美術部に入っているわけでもない泉美はなおさらだ。それが、泉美のいちばんの悩みの種だった。予備校へ通うことは、中学のとき同様、家族に経済的な負担を負わせてしまう。
(どちらにせよ、もっと勉強しなきゃ)
このテストの点数を見たら、司はなんて言うだろう。励ましてくれるか、思いっきり馬鹿にしてくるかのどっちか。泉美は、うなだれた。
「泉美! 帰ろっ!」
ふと名を呼ばれ、顔を上げると、教室のドアのところで彩女と怜奈が手招きしていた。
「うんっ!」
鞄にテストの束を突っ込んで、荷物を持って。これから三人でカフェの新作ケーキを食べに行く。
勉強のことは、ちょっとだけ忘れよう。そう自分に言い聞かせ、泉美は学校を後にした。
◇ ◇ ◇
彩女も怜奈も、とても賢い。なのに、おしゃれや容姿に気をつかっていて、自分磨きへの努力も怠らない。申し訳程度だが毎日欠かさずメイクをしたり、髪を巻いたりしてくる二人を、泉美は心底すごいと思っていた。
おいしいケーキを食べながら、三人でたわいもない話をする。女の子たちの至福の時間だ。そして今日は、恋の話で盛り上がっていた。なんでも最近、彩女に、気になる人がいるという。泉美も怜奈も、専らその話を聞きたがった。
「だれっ、だれ!?」
「うちのクラス? それとも塾の人とか!?」
身を乗り出して質問攻めをする二人に、彩女は照れたように頬を染める。その表情は完全に恋する乙女で、そのあまりの可愛さに、泉美はやられてしまった。
「……えっとね、うちのクラス」
小さな声で、困ったような顔をする彩女。「おおっ!」と、泉美も怜奈も歓声を上げる。
「……で、うちのクラスの、誰?」
一番聞きたいのはそこに決まっている。怜奈のナイスな一言に、泉美もうんうんと首を縦に振った。
しばらく彩女は逡巡している様子だったが、二人の期待のまなざしに負けて、ついに口を開いた。
「……更科くん」
おおっ、と、怜奈と泉美は顔を見合わせた。
更科くんといえば、泉美たちのクラスで一番かっこいいと女子の間で話題だ。勉強面は平均以下のようだが、はっきりした顔立ちと明るい性格の人気者。彩女に、確実にお似合いだった。
「いいじゃん、アタックしちゃいなよ! 絶対お似合いだって!」
医者の娘で学年トップクラスに賢いけれど、こういう話が大好きな怜奈は、どんどんテンションが上がっている様子だった。泉美も、「友達の好きな人」が知れて嬉しくて、興奮気味に同調した。
(うわぁ〜、彩女、可愛いなぁ。上手くいってほしい!)
泉美は、心からそう願った。
◇ ◇ ◇
女子会は大いに盛り上がり、水々丘駅に着くころにはもう日が暮れそうになっていた。母親は今日は夜勤のため、泉美が夜ご飯の準備をしなくてはならない。急いで駐輪場に向かい、いつもより速いペースで自転車のペダルを漕いだ。
初夏の風を感じながら、街を駆け抜ける。毎日の、自転車に乗るこの時間は嫌いじゃない。
慣れた道順を急ぐ。そして、住宅街に差し掛かったときのことだった。
(――あっ)
泉美は思わず、ブレーキをかけてしまった。キッ、とブレーキが音を立てる。
一時停止した泉美の、数十メートル先。学ランを着た男の子と、その隣には、セーラー服の女の子。手こそ繋いではいないが、おそらくカップルだろう。
だけど泉美を驚かせたのは、そんなことじゃなかった。
学ランを着た男の子。
見間違えるはずはない。
泉美の、「弟」だったのだ。
(……やっぱり司、モテてるんだ! いつの間に、彼女なんて作ったんだろ。全然、知らなかった)
泉美は思わず、にやにやしてしまう。前を歩く司と女の子には、かなりの身長差がある。それがなんとも言えず可愛らしくて、微笑ましかった。
泉美は、自転車の進行方向を変える。ここでわざわざ二人を追い越すなんて、野暮というものだ。
(司に、先を越されちゃうなんて)
自転車を再び走らせながら、泉美はちょっぴり悔しい思いをする。
泉美は、彼氏がいたことがなかった。




