プロローグ 少女の教室
朝、泉美は「1年A組」のドアの前で立ち尽くす。この先に満ちる敵意を想像すると、あまりの恐怖に逃げ出したくなる。……けれど泉美は向き合わなくてはならない。己の犯した罪に。
教室に足を踏み入れる。泉美の登場によって、室内の雰囲気が一気に冷たく凍りつく。その場にいる全員が泉美に注目している。
「おはよう、泉美」
待ち伏せしていたかのように、彩女と怜奈が泉美の前に立ちふさがった。
何事かとびくびくする泉美を、クラスの中心グループの女の子たちが取り囲んでいく。
目の前の彩女は微笑んでいる。しかし、その目は全く笑っていない。
「ねぇ、泉美」
彩女の言葉を合図に、女の子たちが泉美をぐっと取り押さえる。
(えっ――!?)
突然の出来事に、泉美は抵抗すら出来ず、されるがままに床に押さえつけられた。
「なっ、なにす――」
「こっち向きなさい」
彩女の声に、泉美は顔を上げる。そして驚愕した。
彩女の手には、先日美術の先生から受け取った、絵画コンテストの賞状が握られていたのだ。
「やめて、それは――」
「コンテスト、入賞して良かったわね!」
泉美の悲痛な叫びも虚しく、彩女が笑いながら賞状を破る。ビリビリという紙の破れゆく音が、呪縛のように泉美の心を締めつける。
あのコンテストで夢への第一歩を踏み出せたと思っていたのに。破かれた賞状の破片たちは、まるで泉美に「お前は夢を追いかける資格すらない人間だ」と言っているかのようだ。
呆然とする泉美を見て、彩女はますますニヤリと笑った。そして、泉美と目が合うように膝立ちになる。
「約束の金、用意したわよね?」
彩女の言葉に、泉美は反応を示さない。
「償うんでしょ、罪を」
けれど、その言葉を聞くやいなや、泉美はハッとした表情をした。自分の使命が親友への贖罪であることを思い出したようだ。
「泉美の財布はどこかしら?」
彩女が言うと、彼女の忠実な取り巻きである怜奈が、すかさず泉美のカバンから財布を取り出す。
「いち、に、さん、よん、ご……やるじゃん、泉美!」
一万円札の枚数を数えて、怜奈がはしゃぐ。教室中の生徒がワッと声をあげて喜んだ。
泉美は、目の前で起こるそんな出来事を、どこか他人事のように見ていた。
「泉美、次は10万用意しなさい」
彩女の声に、泉美はゆっくりと虚ろな視線を持ち上げた。
「聞いてるの!?」
鋭い怒声とともに、泉美の腹部へ彩女の足が直撃する。
「……っ……!」
「10万。余裕よね?」
余裕なはずがない。もうこれ以上、母に嘘をつきたくなんてない。
「……できない」
瞬間、怜奈が泉美の前髪を掴みあげた。
「いっ……!」
「私たちのこと、裏切ったくせに。償いもできないの、このクズ。ほんと顔だけだね」
女子生徒たちのクスクスという笑いがさざなみのように広がる。かわいいかわいいと持て囃され、絵の才能もある泉美が屈辱的な仕打ちを受けている様子は、教室の女の子たちをこの上なく愉快な気分にさせていた。
(これが……、本当に、私への『罰』なの?)
だとすればもう、限界だ。
自分にそんな権利は無いとわかっているけれど、誰かに助けを乞いたかった。
本当に、まだ、足りていないのだろうか。彩女が受けてしまったのと同じ「痛み」に、至っていないのだろうか。
(これは、償いなんかじゃなくて、ただの――)
地獄だ、と思った。