第三話 兄妹の魔法練習
「今日は複合魔法をやってみようか」
「複合魔法……ですか?」
アルフが屋敷から持って来た魔導書を開きながら、ルンネに説明を始める。
幸か不幸かルンネは複合魔法を知らない。それは当たり前の事であり、複合魔法の難易度が高過ぎて一般的ではないからだ。
むしろ平然と複合魔法を使用するアルフが異常なのだ。
「うん、複合魔法。少し難しいけどルンネなら出来るよ」
「はい、頑張ります!」
しかしアルフには自分が異常だと言う自覚はない。その為自覚が無いまま、ルンネに複合魔法の基礎を教え始めようとする。
ルンネも複合魔法の難易度など知らないので、両手を胸の前で握って可愛らしく意気込んでいる。
無理難題を押し付けられるルンネが不敏である。しかもアルフに自覚がないので余計に不敏である。
「今まで教えた魔法の基礎は覚えてるかな?」
「はい、覚えています」
確かに不敏ではある。だが流石アルフの妹分と言ったところなのか、ルンネもまた普通ではなかった。
「魔法属性は何種類? そしてその名称は?」
「魔法属性は火、水、風、土、聖、闇、無の全七種類です」
「ん、良く出来ました」
アルフに誉められて目に見えて喜ぶルンネ、アルフもこれに乗じて丁寧に頭を撫でる。
その時ルンネの耳を触るのは忘れていない。無自覚なのか自覚があるのか怪しい行動だ。
この世界の魔法は明確に分類されている。
火、水、風、土、聖、闇、無の全七種類あり、それぞれに特徴がある。
火、水、風、土の四属性はそのままだ。火を操り、水を操り、風を操り、土を操る。
一方、聖、闇、無の三属性は少し特殊だ。
聖属性は癒す事に重きを置かれており、怪我の治療が専門だ。
術者によるが四肢の欠損も治す事ができ、死者の蘇生も可能と言われている。
それ以外にも光の意味もあり、聖属性での攻撃は光を使う物となっている。
一方の闇属性は精神干渉に重きを置かれており、人々から意味嫌われている不遇の属性だ。
精神干渉と言うと悪いイメージがあるがその通りだ。眠らせたり麻痺させたり人の記憶を弄ったりと、概ね悪事に使用しやすい魔法が多い。そのせいか悪人が多く、自然と人々から意味嫌われたのだ。
そして闇属性は精神干渉だけでなく、闇や死などの意味もあり、闇や死に関わる様々な魔法が使える。だがこちらも悪事に使用しやすい為に意味嫌われる事を加速させた。
そして無属性は六属性に当てはまらないそれ以外の魔法だ。
そもそも六種類に分ける事に無理があり、それを補う為に無属性が生まれたと言っても過言ではない。
勿論それだけではない。六精霊の加護が付かないのも特徴で、火、水、風、土、聖、闇の六属性にそれぞれ対応する精霊が居るのに対し、無属性の魔法には精霊の加護が付かないのだ。
それゆえに無属性は完全に術者の技量だけで発動しなければならず、複合魔法以上の難易度の物もある程だ。
だが欠点だけではない。精霊の加護が付かないと言う事は、精霊の力が少ない場所でも何時も通りの力が出せると言う事であり、魔法使いは最低一つは無属性魔法を習得している。
「ルンネの得意な属性と魔法は?」
「火属性全般と無属性の中の身体強化魔法です」
その属性が得意と言っても、人によっては単発系の魔法が使い難かったり、範囲系の魔法が使い難かったりする。
しかしルンネは火属性であれば使い難い魔法は無い。小さな火種から、大規模な爆裂魔法まで何でも使える。高いレベルで火の精霊との波長が合っている証拠だ。
また身体強化魔法も得意で、現状で二倍近い能力の上昇が可能だ。普通の魔法使いならギリギリ体感できる程度の少しの上昇なので、如何にルンネが規格外かが解るだろう。
尚、アルフの得意属性は風と水だ。日本人としてのエルフの固定概念からなのか、身体に付随する元々の物なのかは不明だ。
他にも闇属性も得意だが家族にも隠している。アルフにとって精神干渉が可能な闇属性は切り札である為に家族にも秘密にしているのもあるが、闇属性が意味嫌われている事が大きいだろう。
しかし予知夢とも取れる夢を見る様になってからは、闇属性の練習にも力をいれたのでかなりのレベルになっている。
ちなみに魔法には魔法陣が付くものと付かない物、詠唱が必要な物と必要でない物がある。
魔法陣は殆どの魔法に付随して現れ、魔法陣が付かない物は、身体強化魔法や魔力障壁などの無属性魔法のいくつかの魔法のみだ。
詠唱をする必要性は殆どの魔法でなく、大規模な魔法のみ必ず詠唱が必要となる。魔法名を言う事で魔法発動の補助を行う事も出来るが、そこは人それぞれだ。
「良く出来ましたー」
「あ、ありがとうございます」
ルンネが答えた事にすかさず頭を丁寧に撫でるアルフ。誉められて喜ぶルンネ。中の良い兄妹だが、その双方が規格外であった。
……ルンネが不憫だと言うのは撤回した方が良いかも知れない。
「じゃあ、複合魔法の練習を始めようか」
「お願いします」
本を使いながら簡単な説明を始めるアルフ。
その教え方は悪くなく、ルンネに理解しやすいように噛み砕いて説明している。
ルンネも真剣に聞いているので理解するのは早いだろう。
しかし複合魔法は理解すれば使えると言う類いの物ではない。
複合魔法は簡単に言えば二つ以上の魔法を同時に使用しつつ、その二つが反発しないように融合させ一つの魔法にする。只だそれだけの魔法だ。
だが複合する魔法の数だけ難しくなるこの魔法は思いの外難しい。例えるなら、人と話ながら踊りを踊り、頭の中で明日の予想を考えつつも、右手で料理をしながら左手は文章を書く様な物だ。難しいどころの話ではない。
「よし、外に出て実際にやってみようか?」
「解りました」
しかし兄妹はそれほどまでに難しい事に挑むにも関わらず散歩に行くよな気軽さで外に出た。
アルフは自分に出来たのだから、ルンネにも出来ると信じて疑わなかった。
何故ならルンネは既に、複合魔法に近い事をやってのけているからだ。
自分でも苦労しながら習得した技術を、少し教えただけでやってのけるルンネに対し嫉妬しなかったと言えば嘘になる。だがその後、誉めて下さいと言わんばかりにこちらを見ている妹分を見れば、嫉妬心なんぞあっという間に消えてしまうと言う物だった。
だから今回も自分が嫉妬するほどあっさりと成功し、その後誉めるのもアルフにとっては当たり前の光景だと思っているのだ。
「先ずは身体強化魔法を使ってみようか」
「はい」
アルフの指示通りに魔法を発動したルンネの周りにうっすらと魔力の膜ができる。アルフにはルンネの体内魔力も活性化しているのが解った。
身体強化魔法は、体内魔力を活性化させると同時に身体を魔力の膜で覆う事で、身体能力の上昇と攻撃に対する防御力を上昇させる魔法だ。
無属性に分類されるこの魔法は比較的簡単な部類に入り、一般人でも使用できる者は多い。だがその効果はごく僅かで実戦で主力して使える程ではない魔法だ。
だがルンネの身体強化魔法は充分実戦で主力として使えるレベルにある。その秘訣はアルフの持つ日本人としての知識から効果的な体内魔力の活性化の仕方を教わった事と、なにより本人の努力が大きいだろう。
敬愛する兄に誉めて貰う為、常日頃から日常生活の中でも練習した事が結果に結び付いたのだ。
「そのまま簡単な火属性魔法を使ってみて」
「はい」
返事と共にルンネの手のひらに小さな赤色の魔法陣が現れ、そこから小指の先程の炎が現れた。
今のルンネを例えるなら、右手で料理をしながら左手は文章を書いている状態だ。出来ない事はないが難易度はかなり高い。
ルンネは平然とやってのけているが、二つの魔法を使えれば充分に一流の魔法使いを名乗れるレベルだ。だが兄妹のどちらもがこれに満足していないのが恐ろしい。
「大丈夫そうだね。じゃあ、複合魔法…そうだね…『フレイムピラー』と『ウィンドストーム』の複合魔法を使おうか?」
「やってみます」
ルンネのコンディションが複合魔法を使用出来る状態である事を確認し、アルフは二つの魔法を指示する。
一つはルンネの得意属性から、もう一つはこの地で最も元気な風の精霊の恩恵を受ける属性から。
火柱と竜巻を複合すればなにが出来るのか?答えはルンネの手で示された。
ゴウッと言う音と共に、赤色の魔法陣から現れたのは炎の竜巻…火災旋風と呼ばれる物だった。ルンネが制御しているのか大きさは一メートル程だが、全力で放てば辺り一面を焼き焦がすのは明白だった。
「……限界?」
「厳しい、です」
額に汗を浮かべながら必死に制御しているルンネを見て、アルフが声を掛けた。
ルンネには一メートルと言うサイズが限界だった。
一回で成功させてアルフに誉めて貰いたかったが、これ以上大きくすると制御を失って暴走の危険がある。
勿論アルフなら暴走させても止めれると思っているが、万が一と言う事もあるし、なによりたった二つの複合で暴走と言う最悪の失敗をしたくはなかった。
成功させたいと言う気持ち、暴走と言う最悪の失敗はしたくないと言う気持ち、その二つに挟まれて、ルンネは厳しいと言う言葉を使った。
「うん。確り複合してるし制御も出来てるし、充分だと思うよ」
「……ありがとう、ございます」
魔法を解き、肩で息をしながら不服そうにお礼の言葉を言うルンネ。
ルンネはこの結果に満足してなかったし、アルフに慰められていると感じた。ルンネは更に厳しい修練を積む事を決意する。アルフに誉められたい一心で……
アルフからすれば本当に充分な結果だと思っていたし、慰めたつもりもなかった。
自分は日本人として学んだ前世の知識をフルに使っても半年は掛かったのだ。確かにルンネにも前世の様々な知識を教えてはいるが、自分とは違い、確り制御出来ている物を一回で出現させた。
アルフにはルンネが何に不満を持っているのか解らなかった。
「どうしたんだ?」
解らない事は解っている人に聞いてみるのが一番だと思っているアルフは迷いなくルンネに問い掛ける。しかも相手は妹分のルンネなのだから変に気を使う事もない。
頭を優しく撫でながら聞いてみるが、不満そうな表情は変わらない。
ますますアルフには何が不満なのか解らなくなった。
ルンネに対するアルフの撫でる行為は最早癖だ。何かあれば直ぐに頭を撫でる。ルンネに対して誉める時も撫でるし、不満を解消する際にも撫でる。日常的に話す時にさえ撫でる程だ。
その時耳を然り気無くモフるのは忘れてはいない。
…恐らく耳を合法的にモフりたいが為に撫で出したのだろう。それがいつの間にか癖になり、無意識で撫でだすのだから恐ろしい。
「いえ、なんでも」
「?」
彼ら兄妹の間で隠し事はあまりない。言いたい事、聞きたい事があれば直ぐに言い合える仲なのだ。
にも関わらず明らかに不満があるのに、何故自分に隠すのかアルフには全く解らなかった。
ルンネからすれば複合魔法が使えず、アルフから誉めて貰えなかったのが不満なだけだ。
まさかそのアルフに、上手く出来ずに誉めて貰えなかったのが不満です。とは言えない。もう子供ではないのだし、アルフに誉めて貰いたいと言う事で既におかしな話なのだ。
誉めて欲しい事を言えば幻滅されるかもしれない。
もしそんな事になれば耐えられない。
絶対に言う訳にはいかなかった。
「……ルンネ?」
「なんでしょうか? お兄様?」
アルフが名前を呼んでも固さの残る返事をされる。
実際は、有り得ない仮定を想像している為に固さのある返事になったのだが、アルフは自分に原因があるのではないか?と思いだした。
そこまで考えて自分がルンネの頭を撫でている事に気付き、先程注意されたばかりなのを思いだす。
不満なのは撫でているせいだと考え、ずっと撫でていたいのを我慢し、手を離すアルフ。
全く検討違いも良い所なのだが、表情だけで相手の心証を読み取れる程、アルフは読心術が得意ではない。しかも相手の心証に対し変に鈍い為、手を離した瞬間に僅かだがルンネが残念そうな表情をしたのにも気付かない。
普段であれば言葉を交わす事でその擦れ違いを埋めるのだが、今回だけはそれが出来なかった。
『グギァオォォォォォ!』
雷の様な唸り声が聞こえたらからだ。
その唸り声は大きいだけでなく、全てを屈伏させる力強さも持っていた。
その証拠に村の人々は脅えてうずまる人もおり、ルンネはアルフの腕にしがみついていた。アルフでさえ本能的な恐怖に、ルンネが居なければその場から逃げ出していただろう。
アルフの知る限り、このルフト高原にはこれ程の唸り声を上げる生物は存在しない。
「お、お兄、様……」
「大丈夫だ。大丈夫だよ」
脅えるルンネを落ち着かせながらも、思考は中断しない。
声の主が本来ルフト高原に居ないのは間違いない。だがそれ以外なら? アルフにはその存在に覚えがあった。
北に見える山脈にはドラゴンが住んでいると。
アルフはそのドラゴンが降りて来たのではないかと考えた。
(どうする!? ドラゴン相手に戦えるか!?)
仮にドラゴンだとしてどうすれば良いのか。アルフには戦うと言う選択枝を選ぶ以外なかった。仮に逃げてもドラゴン相手では逃げれないからだ。
ドラゴンは魔物の中でも特に凶暴で強力だ。戦うにしても敗北は確実。そして魔物相手の敗北は死を意味していた。
(時間稼ぎは出来る筈だ。せめて、ルンネだけでも……)
アルフは瞬時に覚悟を決め、ルンネにこの村から逃げる様に伝えようとした。
「……ルンネ」
「嫌です」
だがアルフが何を言うか感じとったルンネに、先に言われてしまった。その上ルンネの決意が固い事は明らかで、アルフはなにも言えなくなってしまった。
一瞬の停滞。
それをうち破ったのは、何かの破壊音だった。
音の方を見てみれば声の主が居るであろう場所に巨大な竜巻が発生しており、アルフはその竜巻を発生させる事の出来る人物に心当たりが有った。
「……母さん?」
アルフの母、リーナである。そしてリーナが居ると言う事は同じ場所にフランも居ると言う事。兄妹は自分の母親が危機に晒されているのを瞬時に理解したのだった。
魔法設定その一
身体強化魔法
無属性魔法中級。身体能力を底上げする。威力には大きな個人差がある。
フレイムピラー
火属性魔法中級。火柱。これが出来れば火属性魔法使いは一人前。
ウィンドストーム
風属性魔法中級。竜巻。これが出来れば風属性魔法使いは一人前。
フレイムストーム
複合魔法中級。火災旋風。これが出来れば宮廷魔導師も夢じゃない。