ばすじゃっく
金が欲しかった。
中卒の上に就職もせずにズルズル生きていた林巧は先月のバイト代を全て使い切り財布の中にため息を漏らした。
ふとテレビを見ると、事件のニュースがやっていた。
内容はバスジャックを行った犯人が逃走中、という内容だった。
バスジャックか。身代金も盗れずに逃げるだけなんてただ犯罪者になっただけじゃないか。
巧は名前しか知らない犯人に向けて北叟笑んだ。
おれならこんなバカな犯罪は犯さないね。
巧の心の中に味わったことのないような物が湧き上がる。それは人が必ずしも持ち合わせる「悪」というものだろう。
テーブルの上に無残に転がっていた家の鍵をポケットに突っ込み、タオルにくるまれた〝モノ〟を手に取りバッグに放り込むと巧は部屋を出ていった。
巧はバスに乗っていた。
女子高生が二人。OLらしきスーツの女性に老人が一人乗っていた。
バッグの中のタオルにくるまれた〝モノ〟が今にも動き出したがっている。
おれはバスジャックをして金を手に入れるんだ。
巧はタイミングを見計らって口元に大きめのハンカチを巻いて顔がバレないようにした。
バッグの中のタオルにくるまれた〝モノ〟を取り出して、撃鉄がカチャリと音をあげるとバスの天井に向けて引き金を引いた。
バスの中で銃声が轟くと女子高生が悲鳴をあげた。眠っていた老人が驚いて目を覚ました。
「バスは止めるな。そのまま進め。逆らえば乗客を一人ずつ殺していく」
バスの運転手はかすれた声で「はい!」と言うとハンドルを強く握りしめた。
女子高生2人は手を繋いで巧を悪魔でも見ているかのように視線を送っている。
老人は眠っていたため状況把握に時間がかかっていたようだったが、周りの空気に気づいて目をつぶり、神に祈りでも捧げるように何かを呟いていた。
OL風の女性はゲームでもしていたのだろうか。スマートホンの手が止まっていた。
バカな奴らだ。
巧の手にしている銃は本物ではあるがタマは一発しか入っていない。つまりこれでタマ切れなのだ。もし警察に囲まれてしまったら自殺もできない醜態を晒すことになる。
一昨年、犯罪で金を手に入れるために手に入れたこの銃は、ネットで安価で手に入れたものだった。結局勇気が出ずに実行に移せなかった巧みだったが、今の巧は一昨年の自分ほど子供じゃない。
この三年間で親を病気でなくした。
就職活動を頑張ろうとしたが二度落とされて、すぐにイヤになって就活も止めた。
叔母から「2回落ちたぐらいで」とヤンヤ言われたが心には響かなかった。
アルバイトで金を手に入れる度に辞めて、遊んで暮らし、また金が入る度にアルバイトして…を繰り返した。
そして今日、ニュースを見てバスジャックをマネしてみようと思った。
別に捕まったっていいさ。おれはどうせクズだからな。でも失敗はしない。
OLの女性に銃を向けると、持っていたスマートホンが足元へ落ちた。
「お前、乗客全員の財布を集めろ。余計なことしたら殺す」
そう、巧の目的は身代金みたいな大量の金ではないのだ。ほんの少しでいい。少し遊んで暮らせる分だけあれば。
OLの女は震える手で女子高生2人、老人から財布を受け取った。
「それを自分のバッグに入れろ」
言われたとおりにOLの女はするとバッグを奪うように受け取った。
「運転手!バスを止めろ」
目的は果たした。
運転手は焦ったようで、ブレーキを強めに踏んだ。乗客全員が前のめりになってバスは止まった。
「ドア開けろ」
「はい…!」
プシューっと音を立ててバスのドアが開くと、巧はすぐに降りて誰もいない所まで全速力で走り出した。
と、なるハズだった。
バスのタイミングを見計らっていた巧はソワソワしていた。
カバンの中の〝モノ〟が今にも引き金を引いてくれ、と騒ぎ出しそうだ。
バスの停留所に止まると1人の男が乗り込んできた。サングラスに深く被ったニット帽。明らかに怪しい容姿をしていた。
バスジャックだったりして。
巧は口元が緩んで微笑んだ。
そんなわけないか。
乗ってきた男は運転席へ向かって行く。
おいおい、ウソだろ?
巧の目には、運転手に銃を突きつけて脅している光景が目に入った。それは今まさに巧がやろうとしていたことだった。
「バスを止めずに走り続けろ。一度でも止めたり、通報したらすぐに乗客を全員殺すからな。大人しく言うことを聞け」
「は…はい!」運転手の頼りなさそうな声は一番後ろの座席に座っている巧にまで聞こえていた。
バスジャックの男は天井に向けて引き金を引くと、バスの中に銃声が轟いた。
銃の音を初めて聞いた巧は、体がビクリと反応した。今から同じことしようとしてた自分の体に呆れてしまう。
これじゃあバスジャックなんて成功もクソもなかったかもしれないな。
女子高生が悲鳴をあげる。
「うるせェ!騒ぐと殺すぞ!」
男は乗客を見渡した。巧と目が合い、近づいてくる。
巧に銃を突きつけた。
「お前、全員の携帯電話を集めて自分のバッグに入れろ。ヘタなことしたら御陀仏だからな。」
巧は「はい…」とかすれた声を出した。
みっともない。何やってんだよ…。
違う。
みっともない。おれは何をやろうとしてたんだ!
巧は立ち上がると乗客全員から携帯電話を集めた。
それをバッグの中に入れて、バスジャックの男に手渡そうとした。
バスの中で銃声が鳴り響いた。
女子高生は犯人が発泡したのかと思い小さく悲鳴をあげ、老人はビクリと体を震わせ、OLの女は反射的に耳を塞いでいた。
巧のバッグの横には穴が空き、穴から煙が天井に向けてあがっている。
犯人の胸にはバッグの穴と同じサイズの穴が空いている。そこから赤い血が吹き出していた。
なぜか巧は、この事件のヒーローになった。