ヤミ族の三つの印
第8章 結婚の儀
結婚の儀
その頃、佳子と早苗は、義子とともに、明日香の指示で、今日行われる佐和子と浩介の結婚の儀の後に行われる披露宴である宮中饗宴の儀の部屋に、貴族達の宴席を運ぶのに大わらわであった。一方、恵美は、明日香の女房の指示で、河原崎家とゆかりの深い更紗と一緒に、佐和子の着付けを手伝っていた。
「佐和様、お美しゅうござります。恵美も嬉しゅうございます……」と恵美が更紗以外の女官に気付かれないように佐和子に喋りかけた。
「恵美、そなたも良く頑張ってくれた。わらわも嬉しいぞよ」とこれに呼応するかのように佐和子が恵美に向かって言った。
その時、徳子が、河原崎徳永と現れ、佐和子の姿を一目見て、
「徳永殿、やっとこの日が訪れましたのう……これで世継ぎが出来れば、この四面京は安泰ですのう。そちの家もこの四面京とともに永遠じゃ。佐和殿、綺麗になったのう……陛下とお似合いじゃこと」と徳子が徳永と佐和子に向かって言った。
「はて、その女子は見かけぬ顔じゃのう……」と徳子が恵美の方を見て言った。
「この者は、我が河原崎家の徳子付きの女官で、幼少の頃より仕えております、恵美と申す者でござります」と徳永が機転を利かせて言った。
「そうであったか……」と言って徳子は、徳永と部屋を出て行った。佐和子と恵美と更紗は、ほっと胸を撫で下ろした。
その時、披露宴の宴席の準備を終えた佳子達が、佐和子のいる部屋に戻って来た。
「まぁ、佐和様お美しゅうござります、陛下もさぞお喜びなられる事でしょう。もう直ぐ結婚の儀が始まります。お呼びの者が参られる筈です」と明日香の女房が言った。
その時、佐和子の部屋にお呼びのための女官が入って来て、
「佐和様、お時間でござります。御付の者達と結婚の儀の行われる賢所にお入り下さい」と言った。
明日香の女房を先頭に、義子と更紗が二人並んで続き、その後に佐和子、そして、最後に早苗と恵美が二人ずつ並んで賢所に向かってしずしずと歩いて行った。
雅楽の流れる中、佐和子達は、結婚の間に入って行った。結婚の間では、中央に二つ金色と銀色の玉座が並んで置いてあり、その金色の玉座には、既に浩介が平安装束の出立で座っていた。その横に、十二単を着て着飾って徳子が立っていた。佐和子は、銀色の玉座の前に進んだ。
結婚の儀の行われる賢所には、玉座の前に、先日の即位式と同じく、摂関や上卿、奉行などの公卿、官人が既に集まっており、佐和子達が入ってきて、銀色の玉座の前に着くのを見つめていた
「ここにあらせられるのは、かの我らが陰陽師、河原崎守永様との約束通り、河原崎家のご令嬢である佐和様である。これより、陛下との結婚の儀をとり行う」と徳子が賢所にいる全ての者に聞こえるように大声で言った。
徳子は、浩介に玉座から立つように促し、佐和子の横に立たせ、二人の頭上に、徳子が首に掛けていた勾玉を浩介と佐和子の頭上に翳して、
「天照大御神のご加護により、これより、佐和様を安徳天皇の正式な皇后として認め奉る」と宣言した。
「朕は、天照大御神に誓って、佐和を皇后として愛で奉る……」と浩介が続いて言った。
これに呼応するかのように、賢所に、荘厳な雅楽が鳴り響き、列席の者が一人ずつ、浩介と佐和の前に進み出て、平伏した。
列席の者が全て、平伏し終わったのを見計らって、徳子が、
「皆の者、これで、後は、世継ぎが生まれれば、この国も安泰じゃ」と徳子が集まっている摂関や上卿、奉行などの公卿、官人に向かって言った。
「陛下、おめでとうございます。これで、この四面京も安泰でございます」と皆の者が口ぐちに言った。
結婚の儀を終えた佐和達は、雅楽の奏でる中、賢所をしずしずと退室しいったん控えの間に移動した。その後、お呼びの女官に呼ばれて、宮中饗宴の儀の行われる部屋へ移動した。
第9章 ヤミ族の三つの印
砂漠の小人部落
由紀子達は、シドを先頭に、ロタ、義輝、由紀子、敏雄、健一の順に馬を進めた。由紀子達は、再び草原の中を、双子の太陽の照りつける中、南へと進み続けた。この世界は、双子の太陽のためであろうか、シドの話によれば、由紀子達の世界で言えば、夏から秋にかけての清々しい季節が一年中続くようであった。 草原を抜けると、川が地下の割れ目の中に吸い込まれるように入っていって由紀子達の目の前から消滅し、その代わりに、由紀子達の目の前には、砂漠が広がっていた。
「ここから先は、我々も未知の領域ですので、何が起こるか分かりません……用心して進みましょう」とシドが由紀子達に言った。
砂漠には、1m程の高さで丈が小さく、比較的厚肉でギザギザの大きい葉が茂っている小さな木がポツリポツリと生えていた。シドが、馬を降り、その葉を手に持った剣で傷を付けると、そこからオレンジ色の果汁のような汁が染み出てきた。シドが、その汁を手に取り口に運んで、
「この汁は、砂漠の中で水の代わりになる『パパンガ』の木の汁です。もし、砂漠の中で水が足りなくなったら、この木を探しましょう」と言って、由紀子達にも、馬を降りて飲むように勧めた。
「私達の世界で言えば、分からないでしょうは、グレープフルーツの果汁のような味です。これは、冷えていて美味しいです」と由紀子が、汁を手に取り口に運んで言った。由紀子達は、全員その汁で喉を潤した後、再び、馬に跨り南へと進んでいった。シドとロタは、磁石など持っていないが、双子の太陽に位置で、南の方角が本能的分かるようであり、何もない砂漠の中を真っ直ぐと進んで行った。砂漠の中は、さすがに双子の太陽が照りつけて、徐々に由紀子達の世界で言う夏の気候のように暑くなってきた。
その時、突然、敏雄の馬が、「バルー」という大きな唸り声を上げて、倒れこんだ。砂漠の砂の中から、砂の色と同じ色の体の大きな鮫のような口を持った怪物が、敏雄の馬の六つ脚の三本の脚をいっきに食いちぎっていた。その怪物が鮫と違うのは、体から両手が延び、馬の体をしっかりと握って離すまいとしているところであった。
シドとロタが馬をその怪物の両側に寄せて、二人同時に剣で、頭に突き刺した。義輝は、弓矢を怪物の胸に向かって放った。その隙に健一が馬の上から、手を指しのべて、敏雄を自分の馬の後ろに助け上げた。
その怪物は、ガーッと唸り声を上げ、頭から再び、砂の中へと逃げて行った。 シドは、辺りが静まり返ったのをみはからって、馬から降り、苦しむ敏雄の馬の胸に剣を突き刺し、馬を苦しみから開放した。
「危ないところでした。砂漠の砂の中には、まだまだこのような危険が潜んでいるかもしれません。気をつけて下さい」とシドが剣をしまいながら言った。
「分かりました。先を急ぎましょう」と由紀子が答えた。
由紀子達は、再び砂漠の中を南へと進み始めた。シカベ部落を出てから既に何時間経ったのであろうか、双子の太陽の陽がかなり傾き始めていた。「何処か今夜泊まれる所を早く見つけないと、まずいことになりそうですね」と敏雄が言った。
「もし、良い場所が見つからない場合は、馬の上で寝る覚悟をして下さい。馬の上の方が、安全ですから。我々は訓練していますから、平気ですが、由紀子様達に、後で寝るコツをお教えしましょう」とシドが答えた。
一時間程進んだところで、双子の太陽が沈み始めたので、シドが、例の葉から汁が出る『パパンガ』の木を見つけて、その木に手綱を括り付け、円陣を組むように5匹の馬をその木の周りに整列させた。
そして、シドは、7本のロープを持っていた袋から取り出して、由紀子達5人に渡して、
「ロープを馬の首に廻して、一人ずつお腹に括りつけて下さい。そうすれば、馬の首に凭れて寝ることができ、落ちることもありません。そして、この長いロープは六人全員の腹に括り付けて、万一、一人でも何かあれば皆で分かるようになります」と言った。
「かなり、疲れる寝方ですが、何とかなると思います。ワンダーフォーゲル部でも、木に登り、身体を木に縛りつけて寝る事もありますから……」と敏雄が言った。
由紀子達は、シドの助言のように、馬に跨り、毛布を被った後、ロープを各々の馬の首に廻して、自分の腹に括り付けた。そして、シドが、長いロープを全員の腹に括り付けた後、自分の腹に結んだ。砂漠の中は、夜は冷え込み、毛布をかけて丁度良いくらいであり、時折風が少し強くなることがあったが、ほとんど音がせず、静かであった。由紀子は、疲れていたせいか、身体を自分の馬の首に凭れかけていつの間にか寝入っていた。
砂漠の朝は、かなり冷え込んで、寒さで由紀子は目覚めた。他の五人も寒さで目覚めたようで、シドが、自分に括り付けたロープを解いて、他の五人に括り付けた長いロープを取り外した。由紀子達も各々馬の首と自分達の腹に括り付けていたロープを取り外した。
由紀子達は、シカベの部落で、シドの父親のモラスと弟のラサンフンから、朝出る前にもらった食料袋の中から、『タトス』のパンと、『カオシス』という動物の干し肉を、小刀で削りながら食べ、『パパンガ』の汁を飲んで朝食にした。
朝食を終えると、由紀子達は、再び砂漠の中を南へと進み始めた。途中、『パパンガ』の木を見つけて昼食を摂った後、6時間程進んだ時であろうか、双子の太陽が、地平線に沈み始める頃、その地平線に小さなオアシスのような部落がかすかに見えてきた。
「あそこに部落があるみたいです……あそこで、ヤミ族の崇拝するタラーの神の三つの印について聞いてみましょう」とロタが部落の存在に気付いて言った。
「丁度、日が沈みそうですので、今夜はあそこで泊めてもらうことができればいいですね……」と由紀子が答えた。
由紀子達は、馬を早駆して、その部落に陽が沈む前に着くことができたが、部落には、今まで由紀子達が訪れた部落とは違って、城門などが全くなく開放的であって、由紀子達は自由に部落の中に入って行くことができた。部落の中央広場と思しき所に、泉が湧き出ており、部落には緑が溢れていた。多分、あの川が地下を通って一部が泉として、この砂漠の中に湧き出ているのであろう。
この部落の家々は、どのようにして造ったのであろうか全て煉瓦造りであり、立派な建物であった。ただ、建物のサイズは、普通の半分の高さしかなく、小人の家のようであった。実際、由紀子が目にしたこの部落の人達は、由紀子達の身長がの半分位の身長しかなく、小柄な種族であり、肌の色が砂漠で暮らしているせいであろうか、茶色の肌であり、耳の先が尖がっているのが印象的であった。
由紀子達が馬から降りたところに、数人の男性が駆け付け、由紀子達を取り囲んだ。それをみて、シドがそのうちのリーダーらしき一人の男性に、由紀子達の解らない言葉で話し掛けた。シドは、その男性と何やら話していたが、その男性が、由紀子の方を指差して言った。
「あのお方が、守永様が予言されたこの世界を救って下さる運命の人ですか?」
「彼は、この部落の長老のカインだそうです。彼の話しでは、昔、河原崎守永様が、ヤミ族の長老ルカとこの部落に現れたそうです。詳しい事は、彼に直接聞いてみて下さい」とシドが由紀子に向かって言った。
「カインさん、私は、由紀子と言います。河原崎守永様とヤミ族の長老のルカは、どういう事を言っていたのですか?」と由紀子がカインに尋ねた。
「由紀子様、私は、この『サハル』の部落の長老のカインです。彼らは、我々の祖先に、この世界が再び悪霊に取り憑かれた際に、必ずこの部落に、守永様が住んでいた別の世界から、女性が現れると言っていました。その女性は、五人の仲間と一緒にこの世界に現れ、そのうちの一人が悪霊に取り憑かれ、この世界とその悪霊に取り憑かれた仲間を救うために立ち上がるということでした。その女性はヤミ族の助けを求めて、この世界を探している筈なので、その女性が現れた時に、地図を渡すように言われたそうです。また、その女性は、救世主の印として、同伴した男性と一対の動物をあしらった鏡を持っているから分かるということでした。由紀子様は、そのような印を持っておられますか?」とカインが由紀子に尋ねた。
「これですか? 義輝様も見せて上げて下さい」と言って、由紀子と義輝が、持っていた銅鏡をカインに見せた。
「おおーっ! これはまさしく救世主の印です……地図をお渡ししますので、我々の神殿の方へご案内します」とカインが
由紀子達は、カインに連れられ、サハリ部落の神殿に入った。神殿は、砂漠の砂を焼き固めたような煉瓦造りで、神殿の中には、彼らの祖先だろうか、彼らと同じ大きさの女性の像が祭壇に奉られていた。
「あれは、我々種族の産みの親で、この砂漠の泉を見つけたサランの神です。ヤミ族の神マタスに仕えた知恵の神です」とカインが説明した。
由紀子達は、礼拝堂と思しいその部屋の隣の部屋へと案内された。その部屋には、一人の若者が机の上で書物を読んでいた。
「ナトス、このお方が、あの伝説の救い主由紀子様であるぞよ。宝物殿から地図を持って来て、お渡しするのじゃ」とカインがその若者に話しかけた。
「彼は、私の孫ナトスで、この神殿に仕える僧侶の一人です。伝説を研究しており、我々種族の中で一番詳しい者です」とカインが由紀子達に紹介した。
「由紀子様、お目にかかれて光栄です。この時を待っておりました。地図をお持ちする前に、私にも救い主の印を見せて下さい」とナトスが由紀子に向かって言った。
由紀子と義輝は、持っていた銅鏡を取り出して、ナトスに見せた。
「こ、これはまさしく、救い主の印です……では、地図をお持ちしますのでお待ちください」とナトスが由紀子に向かって言った。
そう言うとナトスは、鍵のかかった奥の部屋の鍵を開けて中に入って行った。暫くして、ナトスが、奥の部屋から戻って来て、金色に輝く金属製の筒のような物を由紀子達に見せ、その中から、一枚の古い地図を取り出して机の上に広げた。
「ここが、我々サハル族の部落です。ここから、西に向かって進むと砂漠が終わり、そこには、『タンパス』と呼ばれる岩山があり、その頂上付近に、岩で出来た城があります。その中にヤミ族の崇拝するタラーの神の像があり、その城の城主である岩石でできた双子の『マタイヤ』からタラーの神の像を奪わないといけません。地図には『汝の友情を試さん』と書いてあります。そして、『タンパス』からさらに西に進むと、今度は、大きな『マタンギ』という大きな湖があり、その真ん中に浮かぶ島にタラーの神の紋章が刻まれた石版があります。そこへ行くには、湖を渡らなければなりません。地図には『汝の知恵を試さん』と書いてあります。さらに、湖から南に進んだところに、怪物が住んでいる『ファシス』という洞窟があり、その洞窟の中に、タラーの神の教典があります。地図には『汝の勇気を試さん』と書いてあります。そして、その洞窟から東に進むと、川が落ち込む大きな滝があり、そこが、ヤミ族の部落への入り口と書いてあります……」とナトスが地図上を指でなぞりながら説明した。
「ナトスが、この地図やヤミ族の事に詳しいので、由紀子様貴方に同行させたいと思いますが、宜しいでしょうか?」とカインが尋ねた。
「是非、そうして貰えると助かります」と由紀子が答えた。
「では、今日は、この神殿にお泊り下さい。明日、一緒に出発させるようにします」とカインが由紀子達に言った。
「ナトス、由紀子様達を部屋にご案内し、夕食にご招待するのじゃ」とカインがナトスに命じた。
由紀子達は、カインに部屋へと案内されたが、部屋には、煉瓦造りのベットが置かれ、その上にふかふかの寝具が敷かれていた。荷物を部屋に置いた後、由紀子達は、夕食のテーブルに案内された。テーブルには、カインと一組の男女が既に座っていた。
「由紀子様、こちらは私の息子のバゼルとその嫁のカサンドラです。ナトスの両親です」とカインが案内した。
「私は、由紀子です。この世界とは別の世界から来ました。こちらから、敏雄、健一です。彼らも、私と同じ別の世界から来ました。そして、シドとロタです。お二人は、この世界の人です」と由紀子が自己紹介した。
「伝説の救い主に会えて、私達一家は幸せ者です。ナトスが、由紀子様を必ずヤミ族に合えるようにお助けしますから」バゼルが言った。
「こちらこそ、助かります。息子さんと必ず無事に戻りますから」と由紀子が答えた。
「我々も、由紀子様が悪霊と戦う時には、御呼びいただければ、お手伝いできますので、例えば、このように」と言って、カサンドラが目を閉じた。すると、シドの体が、椅子から少し浮かび上がり、椅子が後ろに移動した。
「うわっ!」とシドが驚いたように悲鳴を上げた。
「貴方達は、超能力を使えるのですか?」と敏雄が言った。「そうです、長い時間は無理ですが、短い時間だとなんとかなります。少しはお役に立つと思います」とカインが由紀子達に言った。
「すごく助かります。なにせ相手は、悪霊に取り憑かれた不死身の兵士達ですから」と由紀子が答えた。
暫くすると、数人の女性が、夕食を運んできたが、大柄のシドには、やはり食器は少し小さめのようであった。由紀子達は、暫く夕食を楽しみ、部屋に戻りベッドに入った。昨晩の砂漠での野宿のせいか、皆ぐったりとして眠りについた。
タラーの神の像
翌朝、由紀子達は、ナトスとともに、サハル の部落を後にして、タラーの印を求めて旅に出た。ナトスと敏雄は、この部落の馬に跨がって旅に出ることになった。彼らの馬は、彼らに合わせて小柄で、敏雄には少し小さめであった。
由紀子達は、シド、ナトス、義輝、ロタ、由紀子、敏雄、健一の順で、西の岩山タンパスを目指して砂漠の中を再び進み始めた。六時間程進んだ頃だろうか、突然シドの乗った馬が砂漠の砂の中に沈み始めた。
「うわっ!」とシドが悲鳴に近い声を上げた。
これを見たナトスが、
「底なし砂地獄です、早く助け上げないと」と叫んだ。
「皆、ロープをシドに投げて、端を馬の鞍に括り付けて」と叫びながら、義輝がロープをシドに向かって投げた。由紀子達も全員シドに向かってロープを投げた。シドは、皆のロープを受け取ると、鞍に括り付けた。
「馬を一斉に動かして……」とロタが号令をかけた。
由紀子達は、ロタの合図で馬を一斉に動かした。シドの馬は、底なし砂地獄から中々抜け出すことができず、馬がいなないていたが漸く抜け出すことができた。
「危ないところ、皆有り難う。命拾いしました」とシドが言った。
「あのように、砂の中心が円状に少し窪んでいる所が、底なし砂地獄の印です。今後、気を付けて進みましょう」とナトスが説明した。
由紀子達は、岩山タンパスを目指して砂漠の中を再び進み始めた。砂漠の中をひたすら西に進むこと三日、双子の太陽が沈み始める頃に、漸く砂漠の端に着いた。由紀子達は、馬から降りると、岩山の側の小さな木に馬の手綱を括り付けた。そして、シドと敏雄が、今夜の寝床の準備を始めるために、岩山の周りを寝床になりそうな場所がないか探し始めた。暫くして、シドと敏雄が、小さな洞窟を見つけて帰ってきた。
「ちょっと行った所に、今夜寝るのに丁度いい小さな洞窟がありました」と敏雄が由紀子達に言った。
由紀子達は、シドと敏雄の案内で、洞窟へと馬を引いて行き、洞窟の側の小さな木に馬の手綱を括り付けた。その洞窟の中は、7人が寝るのに丁度いい広さであり、外から火が差し込んでいるので、そう暗くはなく丁度いい案配であった。
「今日は、ここで泊まり、明日朝早く、岩山を上って、頂上付近にあるタンパスの城の中に入りましょう……」とナトスが、地図を広げて、持参した古い書物を読みながら言った。
「タンパスの城には、何があるのか分かるのかな? それと何故、タラーの神の像が、タンパスの城にあるの?」とロタがナトスに尋ねた。
「先日お話ししたように、この古文書には、岩石でできた双子のマタイヤが城を守っています。マタイヤは、大男で、ロタ様達の普通の人の三倍の大きさであり、力も強く、剣も歯が立たないと書いてあります。マタイヤの部下たちも、岩で出来ており、こちらは、ロタ様達の普通の人の大きさで、同じく、力も強く、剣も歯が立たないと書いてあります……また、マタイヤは昔悪霊に仕えており、ヤミ族からタラーの神の像を奪ったということが書いてあります……」とナトスが古文書を読みながら答えた。
「それでは、まともにいったら全く歯が立たないじゃないか……作戦を立てないと、……誰か何か妙案はありませんか?」と義輝が皆に尋ねた。
「岩石でできてますか……」と健一が腕組みをしながら考え込んだ。
「岩でできているので、足元が弱いのではないかしら? 一度倒れると中々起き上がれないかも!」と由紀子が言った。
「そうかもしれません。何らかの方法で足元を掬い、倒しましょう」とシドがこれに賛成して言った。
「何らかの方法で目を眩ませて、その隙に足元を掬い倒しては?」と敏雄が言った。
「城の中に、光が差し込んでいれば、我々の銅鏡で相手の目を眩ませられるのですが」と義輝が言った。
「そうですね! ずっと砂漠の中を旅して来たので疲れたでしょう。今夜は、ここで休み、明日に備えましょう」と由紀子が言った。
次の朝、洞窟の入口から差し込む光で由紀子は目覚めた。由紀子達は、岩山を上り始めたが、岩山はごつごつとした断崖絶壁であり、ワンダーフォーゲル部の部長である敏雄が先頭を務めて、登るルートを探し始めた。流石に敏雄は慣れており、出来るだけ皆に楽なコース先導していき、3時間程岩山を登った所で、漸くタンパスの城の城門に辿り着いた。城門は、多分、この断崖絶壁を登って来る者などいないのか、何故か開かれており、由紀子達は城門越しにその中を覗いてみたが、そこには、細い道が城まで続いており、その道には人っ子一人の姿も見られなかった。
「多分、あのお城の中に、マタイヤとその部下がいるのだと思います……」とナトスが由紀子達に向かって言った。
由紀子達は、その道を城まで用心しながら進んで行き、城の入り口の扉の前に無事辿り着いた。城は黒っぽい岩で出来ており、扉は、これと対照的に白っぽい岩で何か古代文字のような物が刻まれ、シドがその扉を開けようと試みたが、入り口の扉は鍵がかかっていた。
「私に任せて下さい……」と言ってナトスが扉の前に立ち、始めた。
すると、扉の向こう側でガチャというかすかな音が鳴り、扉がゆっくりと音もなく開き始めた。由紀子達は、僅かに開いた扉の隙間から城の中へと入って行った。城の中は、窓から差し込む光で明るかったが、黒い岩石ででき、右手に石の斧のような物を持った二十人程の兵士が、顔の真ん中に一つしかない目を閉じた儘で微動だにせず両側にならんでいる姿が由紀子の目に飛び込んできた。彼らの並ぶ奥には、大きな石で出来た祭壇があり、その上に、白っぽい像が置かれているのが由紀子の目に入った。
「あれが、タラーの神の像です……」とナトスが思わず小声で叫んだ。
タラーの神の像は、長い髪をした女性の像であり、口元が僅かに微笑んでいるような表情で、長い衣服を纏っており、両手を前に押し出すような姿であった。
シドとナトスが岩でできた兵士の前を通り、祭壇に向かって歩いて行き、シドが祭壇の上のタラーの神の像を持ち上げ、ナトスが持っていた袋に入れようとした。
その時、両側に立ち並んでいた岩の兵士がゆっくり目を開け、「グァー」と低い声で唸りながら、右手に持った石の斧を由紀子達目掛けて降り下ろした。岩でできているので、幸い兵士達の動作はかなりに鈍かったので、由紀子達は一撃を避けることができた。由紀子達は、剣を抜き、岩の兵士達に向かって行った。
シドはタラーの像をナトスに向かって投げた。ナトスは、シドから素早くタラーの像を受け取り、袋の中に押し込んだ。シドと義輝は、剣を抜き、岩の兵士達に向かって行った。しかしながら、ナトスの言った通り、岩の体には効きめがなく、虚しい音を立てるだけであった。 敏雄と健一は、袋からロープを取り出して、ロープの両端をそれぞれが握って、ロープをピンと張り、岩の兵士の足元目掛けて走っていき、兵士の脚を引っ掛けて足元を掬った。足元を掬われた兵士は見事に前のめりに倒れ込んだ。倒れ込んだ兵士は、体が重いのか中々起き上がることができなかった。
これを見た由紀子とロタ、シドと義輝もロープを取り出し、同じく二人ずつ組になって、兵士の脚をロープで引っ掛けて足元を掬い始めた。次々と兵士達は足元を掬われ前のめりで倒れ込んだ。その時、祭壇の両側の壁が崩れ始め、中から由紀子達の3倍程の大きさの岩でできた双子の大男が現れた。
「マタイヤだ!」とナトスが叫んだ。
祭壇に向かって右側から出現したマタイヤは、タラーの神の像のありかが判るのであろうか、「ゴーッ」という低い唸り声を上げて、ナトス目掛けてゆっくりと歩を進め始めた。シドが剣をマタイヤの脚に突き刺そうと試みたが、刃が立たず突き刺すことができなかった。由紀子とロタがロープをマタイヤの脚に引っ掛けようとしたが、マタイヤは重く力が強いので、脚でロープが引きちぎられ、逆に由紀子とロタは遠くに弾き飛ばされてしまった。
一方、祭壇に向かって左側から出現したマタイヤも、「ゴーッ」という低い唸り声を上げて、義輝と敏雄と健一に向かって来た。義輝が剣をマタイヤの脚に突き刺そうと試みたが、刃が立たず突き刺すことができなかった。敏雄と健一がロープをマタイヤの脚に引っ掛けようとしたが、マタイヤの脚でロープが引きちぎられ、逆に由敏雄と健一も遠くに弾き飛ばされてしまった。
あいにく、祭壇の付近には、窓がなく、由紀子と義輝は、銅鏡を利用しては、マタイヤの目を眩ますことが出来なかった。これを見ていたナトスが目を瞑り念じ始めた。すると、崩れ落ちた壁の2つの石のかけらが、双子のマタイヤの目を目掛けて飛んでいき、マタイヤの一つしかない目に当たり、マタイヤは苦しそうに両手で目を覆った。
その隙に、由紀子とロタが右側から出現したマタイヤの足を抱え込み、シドがマタイヤの胴に思い切り体当たりし、足元を掬った。足元を掬われたマタイヤは見事に前のめりに倒れ込んだ。倒れ込んだマタイヤは、体が重いのか中々起き上がることができなかった。同じく、敏雄と健一が左側から出現したマタイヤの足を抱え込み、シドがマタイヤの胴に思い切り体当たりし、足元を掬った。足元を掬われたマタイヤは見事に前のめりに倒れ込んだ。
「今のうちに逃げましょう!」とナトスが言ったので、由紀子達は、シドがナトスを小脇に抱えて、一目散に城から脱出して、元来た道をタンパスの城の城門へと走って行った。
城門の前には、どこから出現したのであろうか、一頭の怪物が立ちはだかっており、「ブォーッ」という叫び声を上げて、由紀子達の脱出を阻止しようとしていた。その怪物は、やはり六つ脚で、体は象のように大きく、その胴体から長い首が二つ突き出ており、それぞれの首にまるで鬼のような形相で、牙と角が生えた顔がついていた。シドとロタと由紀子が、向かって右側の首に対して剣で応戦し、義輝と敏雄と健一が向かって左側の首に対して剣で応戦した。
右側の首が素早く右側に動いて、ロタを右側に跳ね飛ばし、左側の首が素早く左側に動いて、敏雄を跳ね飛ばした。その隙に、シドが右側の首に剣を振り下ろして、右側の首を切り落とした。怪物は、左側の首に付いていた顔が苦しい表情をして、「バオーッ」と叫び、首を切り落としたシド目掛けて、噛み付こうとした。
その隙に義輝が怪物の腹に剣を突き刺し、シドとロタが怪物に体当たりして、城門の外へ怪物を押し出そうとした。しかしながら、怪物はびくともせず、今度は由紀子とロタの方に向かって突進して来た。ロタは、咄嗟に体を翻して、怪物の残った首を剣で切り落とした。怪物は、一瞬、胴体だけで進み、ドサッと倒れ込んだ。
「危ないところでした。マタイヤが来ないうちに早く岩山を下りましょう」とロタが剣を終いながら由紀子達に向かって言った。由紀子が城の方を振り返ると岩の兵士達がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。
「急いで下りて下さい。私とロタで食い止めますから……」とシドが由紀子達に向かって言った。
由紀子達は敏雄の先導で岩山の断崖絶壁を下り始めた。敏雄に続いて、由紀子、ナトス、健一、義輝の順に下り始めたが健一が下り始めたところで、岩の兵士達が追い付きそうになった。義輝が弓矢を背中から取り出し、先頭の兵士の一つしかない目を目掛けて矢を放ち、見事に矢は兵士の目に突き刺さった。その兵士は、目を両手で覆い立ち止まった。
「シドさん、ロタさん先に行って下さい。弓矢で食い止めて、私も続いて下りますから……」と義輝が続いて弓を引きながら言った。
「分かりました」とシドが言って、ロタと一緒に岩山を下り始めた。
義輝は矢継ぎ早に弓矢を岩の兵士の目に命中させた後、自らも岩山を下り始めた。岩でできた兵士は目が見えなくなって、ぶつかり合い、断崖絶壁を勢い余って真っ逆さまに落ちていった。由紀子達は、登りとは違い、1時間程で岩山を無事に下りることができた。
「危ないところでした。これで、無事にタラーの神の像を手に入れることができました。皆の勇気と知恵に感謝します」と由紀子が言った。
由紀子達は、木に繋いでおいた馬に跨がり、再び、ナトスの道案内で、『マタンギ』という湖を目指して西に進み始めた。
タラーの神の紋章が刻まれた石版
タンパスの岩山から西に進むと再び草原になり、由紀子達は、再び草原の中を、双子の太陽の照りつける中、馬を進めた。草原には、ロタのマシュケ部落で仕留めたカオシスという動物や滑稽鳥が群れをなしており、その脇を由紀子達は、注意深く進んで行った。草原の中を西へひたすら3日間進んでいくと、今度は深い森が続いており、その中に小さな小道が続いていた。
「この深い森を抜けると湖が見えてくる筈です……ただ、森の中はおそらく危険が一杯であるかと……」とナトスが由紀子達に向かって言った。
「怖がっていても仕方がない、皆、用心して進んでいくぞ……」とシドが先頭で森の小道へと馬を勧め始めた。
由紀子達は、シドに続いて森の中に入って行ったが、森の中は木々の葉で双子の太陽の光が遮られ薄暗く、ジメジメとした感じであった。由紀子は先程から背中の辺りがゾクッとして言いようのない不安感に襲われていたが、シド達の手前、何も言わずに馬を進めて行った。一時間程進んだ頃だろうか、辺りに腐ったような悪臭が立ち込め始めたと思った瞬間、小道の両側の地面の中から、顔が爛れて半分崩れ落ち、顔の骨が見える多数の深緑色の化け物が、地面の中から半分身を乗り出した状態で、由紀子達を取り囲んだ。そして、その化け物は、土の中から出ると、馬の上にいる由紀子達を馬から引きずり下ろそうと、これまた半分崩れ、骨が見える手で由紀子達の脚を掴もうと襲いかかって来た。
「皆、馬を走らせて逃げて」とシドが襲い掛かる化け物の手を剣で切り落として叫びながら、馬の脇腹を蹴り、手綱を振って馬を走らせた。由紀子達も剣を抜き、化け物の手に振り下ろしながら馬を走らせた。
次から次へと小道の両側から化け物が地面の中から出現して、馬の脚に掴み掛かろうとした。遂に、一番最後を走っていた健一の馬が数体の化け物に倒されてしまった。それに気付いた義輝が、馬の上から弓矢で、次々に化け物の胸を射抜いた。健一も倒された馬を守るために、剣を抜き、化け物に剣で掛かっていき、次々に化け物の手を切り落とした。 健一は、その隙に馬が起き上がったのを見て、馬に飛び乗り、由紀子達に続いて馬を走らせた。由紀子達は、十分程馬を走らせて漸く化け物を振り払うことができた。
「危ないところでした。義輝さん、助かりました」と健一が義輝に言った。
「危ないところだったよ。しかしあの化け物はいったい何だったのかな?」と義輝が呟いた。
由紀子達は、森の中をさらに進んで行き、漸く大きな湖に辿り着いた。湖は海のようにかなり大きく、真ん中に浮かぶ島などここからは見えなかった。
「ここが『マタンギ』という大きな湖です。この湖を西に向かって進んでいけば、島が見えてくる筈ですが……」とナトスが言った。
「遠くに部落みたいなものが見えますけど……」と敏雄が湖畔の南側の方に煙が立っている小さな部落のようなものを見つけて指差しながら言った。
「地図には載っていない部落ですが……ひょっとしたら、あそこで船を貸してもらえるかもしれない……とりあえずあそこに行って見ましょう」とナトスが言った。
由紀子達は、馬をその部落に向かって進めて行き、部落の中へと入っていった。その部落は、湖で魚を取っているのか、湖畔には数艘の大きな帆掛け船と多数の小さな帆掛け船が、湖畔の船着き場のような所に繋がれていた。部落の住民は、まさしく由紀子達と同じような日本人のような顔をしていた。
由紀子がとりあえず、馬を降り、住民の一人の男性に話しかけてみた。
「私達は、この世界を救うために、あの湖の真ん中に浮かぶ島に行って、タラーの神の紋章が刻まれた石版を手に入れるためにやってきた者ですが、ここで船を貸していただくことはできますか? 言葉は分かりますか?」
「これは、これは珍しい……我々と同じ言葉を喋ることができるのですね。私は安兵衛と言います。我々の祖先は、平家の落ち武者に連れられて無理やりこの世界に連れて来られた屋島の漁民の子孫で、落ち武者から逃げて来て、ここ『彦島』に住んでいる者です。貴方達は、平家の落ち武者の子孫ですか?」とその男性が吃驚しながら答えた。
これに対して、由紀子は、今までの事情をその安兵衛に話して聞かせた。安兵衛は、由紀子の話を聞いていたが、
「そうですか……我々もその悪霊に滅ぼされては困ります。では、ここ彦島の部落の長老を紹介しますから、こちらに来て下さい」と安兵衛が言った。
由紀子達は、安兵衛に連れられて長老のところに案内された。
「私は長老の彦三郎です。そうですか、分かりました。我々も悪霊に滅ぼされてはたまりません。安兵衛、由紀子様達を島まで案内するのじゃ」と彦三郎が言った。
「有り難うございます。どのようにして、島に行こうか考えていたところです。助かります」と由紀子が彦三郎に向かって言った。
由紀子達は、安兵衛に連れられて、一漕の舟に案内された。安兵衛の息子の安次と一緒に島に渡ることになった。
「この湖を我々は真瀬湖と呼んでおり、湖の中には、湖邪魔と言う魔物が棲んでいると言われています。湖の島は、神澤島と呼ばれ、湖邪魔が守っていると言われています」と安次が由紀子に言った。「湖邪魔には、何か弱点はあるのですか?」と義輝が安次に尋ねた。
「言い伝えですので、詳しい事は我々にも分かりません」と安次が答えた。
「我々の地図にも、古文書にも何も書いてありません」とナトスが言った。
「そうですか、みんな用心していきましょう」と由紀子が言った。
由紀子達が舟に乗り込むと、安次が帆を上げ、安兵衛が舵を握って、風を帆に受け、湖の中を進んで行った。
この世界に住んでいるシド、ロタ、ナトスは舟に乗るのが初めてらしく、目を丸くして舟の外を眺めていた。
湖の中を3時間程進んだ頃、前方に大きな島が見えて来た。舟の周りでは、湖の中が白く泡立ち始め、小さく舟が揺れ始めた。
「気をつけて下さい。湖邪魔かもしれません」と安次が叫んだ。
泡立つ湖の中から、突然、蛸のような長い脚のような手が延びて来て、由紀子の体に巻き着いた。「キャー! 助けて!」と由紀子が叫んだ。
由紀子の横にいたロタが脚を剣で切り落とし、由紀子の体に巻き付いた脚をシドが剣で切り由紀子を助けた。
その途端、湖の中から鯨のような体で、その脇腹から、多数の脚が生えた動物が姿を現し、由紀子達の舟に向かって来た。
「湖邪魔だ! 気をつけて!」安兵衛が叫んで舵を右に切り、湖邪魔から舟を守ろうとした。
湖邪魔は、「キー」と言う甲高い声を上げながら、舟の左舷に一本の脚を絡ませ、大きな口を開け、別の脚を一番小さいナトスに絡ませ、ナトスを持ち上げ、口の方に運ぼうとした。
「誰か助けて!」とナトスが脚を振り解こうと両手で脚を掴みながら叫んだ。
義輝が弓を引き、矢を湖邪魔の右目を目掛けて放ち、矢は見事に湖邪魔の右目に突き刺さった。これと同時に、ロタが槍を湖邪魔の眉間目掛けて投げ、槍が眉間に突き刺さった。
湖邪魔は、更に甲高い苦しそうな声を上げ、ナトスを掴んでいた脚を振り解き、ナトスの体が落ちて来た。落ちて来たナトスの体は、ちょうど由紀子の上に落ちて来たので、由紀子が両手と胸でしっかりと受け止めた。湖邪魔は、舟を掴んでいる脚を離して、湖の中に戻っていった。その波を受けて、舟は大きく左右に揺れたが、安次の指示で揺れと反対に体を移動させることによって、幸い転覆するのを避ける事ができた。
「危ないところだったよ。有り難う」とナトスがずぶ濡れになった身体を小刻みに振るわせながら、由紀子達に向かって言った。
舟は、再び湖に浮かぶ島を目指して進んで行った。安兵衛が島の入江に舟を泊め、安次とともに舟に残り、由紀子達は島に上陸した。島の砂浜の奥は、ジャングルが生い茂っており、ナトスが地図を見ながら、先頭を行くシドに進む方向を教えながら進んで行った。
「このジャングルを抜けると、泉がある筈です」とナトスが言った。
ナトスの言った通り、ジャングルを抜けると小さな泉が見えて来た。
「地図には、この泉の辺に、タラーの神の顔が刻まれた石があり、タラーの神の向く方向に進めと書いてあります」とナトスが言った。
由紀子達は、泉の辺の石を探し始めた。由紀子と義輝が泉の辺を歩いて石を探していると、由紀子が何かに躓き、こけそうになり、足元を見ると苔むした石が目に入った。
「これじゃないかしら」と叫んで由紀子が膝まづき、石に生えた苔を剣で削り落とした。
剣で削り落とした石には、ナトスが言ったように、タラーの神の顔が描かれていた。
「タラーの神はあの山の方を向いているみたいだ。ナトス、石に何か文字らしきものが書いてあるけど分かりますか?」と義輝が石を見て言った。
ナトスが石の文字を右手の指でなぞりながら、持っていた古文書のページをめくりながら暫く考えていたが、
「あの山の麓に、神殿があり、その中にタラーの神の石版が置いてあるそうです。石版が入った箱は、鍵が掛かっており、三つの謎を解かないと開かないそうです」と説明した。
由紀子達は、シドを先頭に、島に聳える山の麓の神殿を目指して、再びジャングルを進み始めた。 山の方に向かって行くに連れて、徐々に生い茂る草木が身体に絡み付き、進むのがきつくなってきた。
「みんな気をつけて! 何かにつけられているみたい」とロタが突然叫んだ。
由紀子達は、剣を握りしめながらゆっくりと進んで行った。一時間程進んだところで、漸く神殿に辿り着いた。神殿は石造で蔦のような植物が絡み付き、非常に古びた建物であった。
由紀子達は、神殿の中に恐る恐る足を踏み入れた。神殿の中は、天井が一部分崩落しており、ジャングルの草木が神殿の中まで生い茂っており、廃墟のようであった。
由紀子達は、タラーの神の石版の入った箱を探し始めた。神殿の壁には、壁画が描かれており、その一つには、床にぽっかりと穴が開き、その中に地下に下りる階段が描かれていた。
「どうやら、どこかに地下に下りる入口があるみたいですね」と健一が壁画を眺めながら言った。
由紀子達は、神殿の床の草木を剣で払い探し始めたが、神殿の入口を見つける事は出来なかった。敏雄が壁画を眺めて手で触っていたが、指で壁画の階段を下りるように強く押した。
ギィーという石が擦れるような音がして、突然、由紀子と義輝とロタが立っていた床にぼっかり穴が開いて、三人はドサッと穴の中に落ちた。幸い、穴の底までは3メートル程であったので、由紀子達は怪我をせずに済んだ。
「大丈夫ですか?」とナトスが穴の中を覗き込んで聞いた。
「かろうじて生きているみたい。でも壁画もあてにならないわ、階段がないもの」とロタが答えた。
敏雄がロープを取り出して、神殿の柱に括り付けて、穴の中に垂らして、シド達も穴の中へと下りていった。
穴の中は、由紀子達が穴の中へ落下したためであろうか、壁の両側に掛けてあるランプに自動的に火が点って明るい状態であった。
穴の奥には通路が続いており、由紀子達は、用心しながら進んで行った。通路の奥には、小さな広間のような部屋があった。
部屋の中には、石で造られた祭壇がありその上に、小さな石の箱が置かれていた。その箱には、文字が刻まれ、緑色の宝石のような物が嵌め込まれていた。シドが箱を持ち上げて蓋を開けようと試みたが、箱は祭壇から持ち上がらず、蓋もびくともしなかった。
「ナトス、箱に何か書いてあるのか?」と義輝がナトスに尋ねた。
ナトスが箱に書いてある文字を古文書と照らし合わせて、
「この文字は、古文書とは違う種類の文字らしく、私にも何も分かりません」と答えた。
由紀子は箱に手を触れて、箱に描かれている文字を眺めていたが、一つの文字を指でなぞりながら、
「これは暗号かもしれないわ。この面に描かれている『七』のような形の文字を結んでいくと、丁度この広間の間取り図にならない?」と由紀子が言った。
「そうか、この部屋の間取り図か、他には何か暗号が隠されているのかな?」と敏雄が箱の文字を指でなぞりながら、考え込んで言った。
由紀子は、箱の文字を眺めながら考え込んでいたが、
「この『火』のような文字の太さが微妙に他の文字と違うみたい。間取りから言うと、ほらあの辺り……」と言いながら、部屋の隅の方にある床が少し窪んだ箇所を指差した。
健一が、由紀子の指差した場所に行きしゃがみ込んで調べていたが、
「ナトスさん、タラーの神の像をちょっと見せていただけませんか?」とナトスに向かって言った。
健一はナトスからタラーの神の像を受け取ると、タラーの神の像と床の窪みを見比べ考え込んでいたが、タラーの神の両手を窪んだ部分に入れた。その途端、石で造られた祭壇の上に置かれていた箱が、祭壇から突き出てきた台座によって上方に移動した。由紀子が箱を台座から持ち上げ、蓋を開けようと試みたが開かなかった。由紀子は、箱の底を眺めていたが、箱の底に描かれた絵を見て、
「箱の裏に絵が描かれているけど私には何かさっぱり解らないわ。ナトスさん、意味が解りますか?」とナトスに箱の裏を見せながら尋ねた。
箱の底には、双子の太陽が左右に描かれ、その中間に羽を広げた人間が描かれていた。ナトスは、箱の底の絵を眺めていたが、
「これは、バセルと言う鳥人間の種族です。ひょっとしたら、バセルがこの箱の開け方を知っているのかも知れません」と言った。
「そのバセルとやらとは、何処に行けば会えるのか?」とシドが言うや否や、由紀子の背後から、叫び声が聞こえて来た。
由紀子達が振り返ると、由紀子達が入って来た通路に、腰布だけを纏い、体中に先程の鳥人間の絵の彩色を施し、頭に鳥の羽根飾りを被った数人の兵士が、手に持った石の斧を振り上げて、奇声を発しながら由紀子達に襲いかかってきた。ナトスは、持っていた石の箱を素早く袋の中に仕舞い込んだ。一方、健一は、床の窪みに差し込んでいたタラーの神の像を抜き取り、自分の袋に仕舞い込んだ。一人の兵士が、ナトスが石の箱を仕舞い込んだのを見て、ナトスを目掛けて襲いかかってきた。それを見たシドが、剣を抜いてナトスにかかってきた兵士に向かっていき、剣で石の斧を振り落した。由紀子達も剣を抜いて他の兵士達の石の斧を振り落して、剣を兵士達に威嚇するように突き出した。
「貴方達は、パセルではないのですか?」とナトスが自分に襲ってきた兵士に向かって言った。
「我々は、いかにもパセル、昔、ヤミ族の長老ルカと河原崎守永様から命令され、先祖代々この神殿を守っている種族である。貴様達は何者じゃ?」とその兵士が太い声で答えた。
「私は、吉沢由紀子、河原崎守永様の子孫の佐和様は私達の友人です。我々は、この世界と私達の世界を支配しようとしている四面京の徳子様に取り憑いた悪霊から、この世界と私達の世界を助けようとする者です。そのために、悪霊に操られた兵士を阻止するために、ヤミ族という種族が持っている白い粉が必要で、ヤミ族を探している旅の途中です。ヤミ族を探すためには、ヤミ族の崇拝するタラーの神の像、タラーの神の紋章が刻まれた石版、タラーの神の教典のヤミ族の三つの印が必要で、この神殿にあるタラーの神の紋章が刻まれた石版を取りに来た者です」と由紀子が説明した。
「我々の祖先は、ヤミ族から、この神殿に入る者を全て抹殺するように命令されています。この部屋にあった箱の中の石版を必要とする者が現れる筈で、その者は、二つの鏡を持っているので、その者に箱の開け方を教えるように命令されています。貴方達は、その鏡を持っているのですか?」とその兵士が尋ねた。
由紀子と義輝は、持っていた銅鏡を取り出してその兵士に見せた。
「まさしくこの鏡です。この動物の絵と同じ印が我々の部落にある箱に描かれています。私は、バセル族の守備隊長のケシム、由紀子様、貴方達を我々の部落に案内します」とケシムが言った。
「バセル族は、鳥人間の筈ですが、どうみても貴方達は、羽を持っていないと思うのですが……」とナトスが不思議そうにケシムに尋ねた。
「我々の祖先は、昔は確かに羽があり、空を飛ぶことが出来ました。しかし、我々の祖先が、ヤミ族に味方をした時に、悪霊に呪いをかけられ羽が抜け落ち、それ以降、羽が生えて来なくなったのです。我々にかけられた呪いも、悪霊を退治する者を助けることによって解けると言われています。我々のこの身体の化粧は、空への強い憧れを表しており、再び大空を翔ることを祈ってしています」とケシムが悲しそうに答えた。
由紀子達は、ケシム達兵士に連れられて、神殿を後にして、バセル族の部落に向かって再びジャングルを歩いて行った。ジャングルの中にバセル族の部落はあり、木造の小屋が並んでいた。人々は、やはり腰布だけを纏い、体中に鳥人間の絵の彩色を施していた。並んだ小屋の中央に少し大きな小屋があり、由紀子達は、その小屋の中へと案内されたが、小屋の中では、初老の男性が祭壇の前で何やら祈りを捧げているところであった。祭壇には、鳥人間の男性の彫像が飾られ、その足元に、神殿にあった箱と同じ箱が置かれていた。その箱には、由紀子と義輝の持っている銅鏡と同じ鹿の絵と『天照』の文字が描かれていた。
ケシムが由紀子達の解らない言葉でその男性と話していたが、
「彼がこの部落の守り神サラサに仕える神官のピリカです。彼なら石版の入った箱の開け方を知っています」と由紀子達に向かって説明した。
「ケシムの話しだと貴方方は悪霊と闘う者とお聞きしました。我々の言い伝えでは、その者は、タラーの神の像を持っているとのこと、箱を開けるには、タラーの神の像が必要です、持っておられますか?」とビリカが尋ねた。
「これがタラーの神の像です」と健一が袋からタラーの神の像を取り出して言った。
「これは、まさしくタラーの神の像! これでこちらの箱を開けることが出来ます。貸して頂けませんか?」とピリカが言って、健一からタラーの神の像を受け取った。
ピリカは、タラーの神の像を、祭壇の上の石の箱の上に設けられた窪みに嵌め込んだ。その途端、タラーの神の像の両目が光った。
そして、ピリカはタラーの神の像を取り外して、石の箱の蓋を開け、中から白い羽根と黒い羽根を取り出した。
「この白い羽根は、まさしく我々の祖先の羽根です」とピリカが涙を浮かべながら言った。
「でもその羽根でどのようにして、この箱を開けるのでしょうか? その黒い羽根は?」とナトスが袋から石の箱を取り出して言った。
「ここまでは、言い伝えで分かりましたが、その後はどうすればその箱を開けることが出来るのか我々にも分かりませんが……」とピリカが答えた。
「その羽根をちょっと貸していただけませんか? ナトス、石の箱を貸して下さい」と由紀子がピリカに言って、白い羽根と黒い羽根を受け取り、ナトスから石版の入った石の箱を受け取った。
由紀子は、石の箱をじっくり眺めていたが、徐に箱の正面に空いていた小さな孔に、白い羽根を差し込んだ。しかしながら、石の箱はピクリともしなかった。由紀子は、白い羽根を箱の孔から抜き取り、今度は黒い羽根を差し込んだ。その途端、カチッと言う音がして、石の箱の蓋が開いた。由紀子は、おそるおそる箱の中から、大理石のような石から出来ている石版を取り出した。石版には、その右手を高く上げたタラーの神が、縦長の楕円形で囲まれた紋章が描かれており、タラーの神の右手の先に小さな孔が開いていた。由紀子は、今度は、白い羽根をその孔に差し込んだ。
すると、白い羽根を差し込んだ石版全体が白く輝き出し、光が辺り一面に広がって、ケシムとピリカの背中にそれぞれ光線が当たった。それと同時に、多数の光の束が、小屋の窓から外へと飛び出していった。ケシムとビリカは、光線が背中に当たった衝撃でその場にうずくまった。二人の背中が徐々に膨らみ始め、二人は苦しみ始めた。二人の膨らんだ背中から、白い羽が顔を出し始め、次第に大きくなり、終いには、大きく立派な白い羽がケシムとビリカの背中に生えてきた。二人は、立ち上がると、確かめるように羽を延ばし始めた。
「由紀子様、貴女の御蔭で、遂に我々の永年の夢であった羽を取り戻すことができました」ピリカが羽を小さくばたつかせながら言った。
「この石版に描かれた文字が解りますか?」と由紀子が石版をピリカとナトスに見せて尋ねた。
ナトスとビリカは、由紀子から石版を受け取ると、ナトスは自分の古文書と照らし合わし、ピリカは石版を隈なく調べ始めた。
「石版の私の分かる文字で書かれている部分は、『タラーの神は、二つの鏡の光を紋章で受け……』と読めますが、その後は我々には解らない古代文字で描かれています。ピリカさん、解りますか?」とナトスがピリカに訊ねた。
ピリカは、石版の文字を手で触りながら読んでいたが、
「うーん、多分、『その光が経典の祈りとともに道を開かん』と書かれているようです」とピリカが言った。
「そうですか、やはり三つの印を集めなければヤミ族に会えないということね……」と由紀子が言った。
「由紀子様、我々も悪霊と戦う時にはお助け致します。ケシムがヤミ族にあう旅に同行しても宜しいでしょうか? 空を飛べるので、何かのお役に立てると思います」とピリカが由紀子に向かって尋ねた。
「願ってもないことです。頼もしい味方になります。それに、空を飛べるので、悪霊と戦う時に道中で味方になってくれた種族への連絡係としてもってこいです」と由紀子が微笑みながら答えた。
由紀子達は、ケシムを加えて、元来た道を戻り、安兵衛とその息子の安次が待つ島の入江に向かった。島の入り江に着くと安兵衛が、
「由紀子様、石版は手に入れましたか? して、その鳥のようなお方は?」と尋ねた。
「彼は、バセル族のケシムです。彼らバセル族のお蔭で石版を手に入れることができました。ケシムも我々の旅に同行してくれることになりました」と由紀子が答えた。
由紀子達が舟に乗り込むと、安次が帆を上げ、安兵衛が舵を握って、風を帆に受け、舟を湖の中を、彦島を目指して進めて行った。湖邪魔に遭遇することもなく、舟は無事彦島に到着した。
タラーの神の教典
由紀子達は、彦島に着くと安兵衛と安次に礼を述べ、馬に跨がり、怪物が住んでいる『ファシス』という洞窟を目指して南に向かって進んで行った。ケシムは、新しく生えた羽を確かめるように低く由紀子達の上空を飛びながら、由紀子達と一緒に南へと進んで行った。
彦島からは、草原が続いており、その中を由紀子達は進んで行った。草原には、何故か動物が一匹も見られず不気味な感じであった。草原では、双子の太陽が真上にあり、雲一つなく、じりじりと由紀子達に容赦なく照り付け、まるで熱帯の中のようであった。
由紀子達が南に進んで行くに連れて、草原の草が疎らになり、地面が露出して照り返しでさらに温度が上昇した。馬も熱で徐々に弱ってきたので、シドの助言で由紀子達は馬から降りて、馬の手綱を引き歩き始めた。これを見ていたケシムが、
「この先に、馬が飲める水がないか、この辺りを飛んで見てきます」と由紀子達に言って、羽を広げて飛んで行った。
「やはり、彼が加わってくれて助かるわ」と由紀子が言った。
「大分、馬が弱っています。早く水飲み場を見つけないと馬が倒れてしまいます。我々の水も底がつきそうです……」と義輝が言いながら、瓢箪のような水筒を振って見せた。
「ナトスさん、地図にはこの辺りに水が飲めるような所は書いていないの?」と由紀子がナトスに尋ねた。
「地図には、この灼熱の草原は書かれていますが、水飲み場については生憎書かれていません」とナトスがすまなそうに答えた。
その時、バサバサという音とともに、ケシムが空から舞い降りて来て、
「少し南に行った所に泉が湧いている場所があります。ただ、その泉の周りには、私の知らない獰猛そうな動物が数匹寝そべっていました」とケシムが言った。
「そこへ行ってその動物を蹴散らすしかないか……」とシドが呟いた。
由紀子達は、ケシムの案内でその泉のある方向へと進んで行き、三時間程歩いてようやく泉に辿り着いた。泉の周りには、六つ脚で黒い豹のような体で、目が三つあり、顔の上方まで裂け、口から牙が出ており、頭には一本の角が生えているいかにも獰猛そうな獣が、5匹寝そべっていた。義輝が弓矢を構えて、真ん中に寝そべっている獣目掛けて矢を放ち、義輝の放った矢が見事に獣の眉間に突き刺さった。獣は、「ギャオーッ」という大きな唸り声を上げて息絶えた。これを見た残りの4匹の獣が、由紀子達を見つけて、由紀子達目掛けて唸り声を上げながら襲ってきた。シドと敏雄と健一と由紀子が、剣を振りかざし、ロタが槍を持って獣に向かって行った。馬を守るため、ナトスが馬の手綱を持って後方で控えていた。ケシムは、石の斧を持って、羽を広げて飛び上がり、上空から獣に立ち向かっていった。
義輝は、次の弓矢を構えて、由紀子目掛けて走って来た獣に矢を放ったが、弓矢は外れてしまい、由紀子に獣が襲い掛かった。由紀子は、剣を獣目掛けて振り下ろし、剣が獣の体に突き刺さった。由紀子の剣に刺された獣は、体を振り由紀子の手からを剣を振り落とし、由紀子にかかってきた。その獣の前足の鋭い爪で、由紀子の左手の袖が破れた。獣が由紀子を牙で噛もうとした瞬間に、ケシムが上空から真っ逆さまに急降下して、石の斧で獣の頭に一撃を加えた。獣は由紀子の前でドサッと崩れ落ちた。
シドは剣で獣の首を一撃で切り落とし、ロタは槍で獣の眉間を貫き、それぞれ獣を倒した。健一と敏雄が相手をした獣はかなり獰猛で、二人は獣の攻撃をかわすのが精一杯であった。義輝が弓矢で獣の眉間を射抜いたが、獣はびくともせず、敏雄に襲いかかろうとした。それを見たロタが槍を獣の心臓を目掛けて投げ、獣の体に突き刺さり、獣はその場に崩れ落ちた。
「ケシムさん、危ないところ助かりました」と由紀子がケシムに向かって言った。
「ロタさん、危ないところを有り難う」と敏雄がロタに向かって言った。
由紀子達は、泉で馬と共に喉を潤した後、再び馬に跨がり南へと進んで行った。南へと進んで行くに連れて辺りには、ごつごつとした岩が目立ち始めた。
「地図からすると、ここが『バタン』という岩の原です。この岩の原の岩は、この先にあるほら向こうに微かに見えるベスカ火山が噴火した時の岩です。あのベスカ火山の麓に、タラーの神の教典が納められた『ファシス』という洞窟があります」とナトスが地図を見ながら言った。
由紀子達は、馬を少し泉で休ませた後、ナトスの案内でベスカ火山に向かって岩の原の中を大きな岩を避けながら馬を走らせた。六時間程で漸くベスカ火山の麓に着いた。ナトスが再び地図と古文書を照らし合わせて、
「山の麓にタラーの神を模った大きな岩があるそうです。その岩の横に『ファシス』という洞窟があるそうですが、ここからは見当たりませんね……麓をぐるりと一周しないといけないかもしれませんかなり時間がかかってしまうかもしれません」と言った
「ケシムさん、また悪いけど麓を一周してタラーの神を模った大きな岩を探して来てくれませんか?」と由紀子がケシムに言った。
「分かりました。丁度、羽がムズムズしていたところです。何故か、羽をたまにバタつかせなければ羽がムズムズするみたいです」と言って、ケシムが羽を広げて、空へ飛びあがり、辺りをゆっくり一周した後、空高く飛び立って行った。
由紀子達は、その間に疲れ切った馬にベスカ火山の麓に生えている草を食べさせて待っていた。ベスカ火山は噴火を繰り返しているのか、見上げると頂上付近は赤茶けたように見えていた。麓には、草原と木々が生い茂っており、川も流れており、その川が東へと向かって流れていた。
「地図ではこの川が、『パパンギ』という川で、この川に沿って東に進むと、川が落ち込む大きな滝があり、そこが、ヤミ族の部落への入り口がある筈です」とナトスが皆に説明した。
「もう少しですね。早くタラーの神の教典を手に入れなければ……」と由紀子が言った。、
由紀子達が馬を休ませていると程なくして、ケシムが舞い降りるように空から戻ってきた。
「もう少し南に行けば、タラーの神を模った岩が見えてきます。その脇に洞窟のような物が見えました」とケシムが由紀子達に報告した。
由紀子達は、再び馬に跨がると、ベスカ火山の麓に沿って南へと洞窟を目指して進んで行った。ケシムが言ったように、タラーの神を模った岩の傍にぽっかり開いた大きな洞窟の入口が見えてきた。
由紀子達は、馬を降りるとシドを先頭に、剣を抜いてゆっくりと洞窟の中へと入って行った。洞窟の中は、光り苔のためであろうか、結構明るく、ずっと奥まで洞窟が続いていた。洞窟の中を進んで行くにつれて、空気が生暖かく感じられ、生臭い臭いが由紀子達の鼻をついた。
「何かいるみたいだ。用心して!」と先頭を行くシドが後ろにいる由紀子達に言った。
シドが指差した先には、蛙のように緑色の濡れた肌で、頭の横に出っ張った赤い三角の二つの目を持ち、足がなく蛞蝓のような体を持つ怪物が横たわっていた。
その怪物は、赤い目で由紀子達を見てもピクリともしなかった。由紀子がよく見ると、その怪物は、どこか哀しそうな顔をしており、その体の下に、何か抱えるような仕草をしていた。シドが剣を振りかざして、その怪物にかかっていこうとした瞬間に、
「ちょっと待って、シドさん! 我々を見ても襲いかかろうともしないわ。むやみやたらに殺すのは良くないわ」と由紀子が叫んだ。
シドとロタは不思議そうに目を丸くしていたが、
「我々の世界では、無抵抗の者は襲わないのが普通なのです」と敏雄が説明した。
「言葉が分かるかしら? 私達は、貴方を傷つけるつもりはありません……」と由紀子がその怪物に優しく話し掛けた。
その怪物は、由紀子の喋った内容を理解したのであろうか、頭を縦に振ったように思われた。これを見た健一が、
「由紀子さん、どうやら言葉が分かるみたいですよ」と言った。
由紀子が、その怪物に近付こうとした時に、義輝が、
「由紀子様、あまり近付くと危ないですよ!」と由紀子に向かって言った。
「いえ、大丈夫です。どうも何か感じるものがあって、話かけてみたいと思うのです……」と由紀子が答えた。
「分かりました。何かありましたら我々がお助けします」とシドが由紀子に向かって腰の剣を右手で握りながら言った。
由紀子は、怪物にゆっくりと近付き、右手で怪物の体を労わるように撫ぜたが、怪物は安心したのか、由紀子に体を撫ぜられるままにしていた。
「我々は、この世界を悪霊から救うために、ヤミ族の白い粉を求めてヤミ族に会うために、ヤミ族の三つの印を求めて旅に出ている者です。貴方が守っているヤミ族の崇拝するタラーの神の経典をいただきたいのですが……」と由紀子が怪物を撫ぜながら、怪物の赤い三角の目を見詰めながら話し掛けた。
怪物は、由紀子の方を暫く見ていたが、やがてその赤い両目から一筋の赤い涙がその頬を伝わって流れ落ちた。その途端、怪物の体全体がまるでナメクジに塩をかけたように溶け始めた。由紀子は思わずその手を怪物の体から離したが、怪物の溶け始めた体から、人間のような影が現れ始めた。
「由紀子さん、これはいったい……」と思わず敏雄が叫んだ。
怪物の中から現れたのは、透き通るような白い肌で、銀色の長い髪の毛を持った若い女性と、その女性の子供であろうか、同じような髪型をした少年であった。その少年は、白い巻物のような物を手にしていた。
「私の名前は、ルツ、この子は私の子供でアタスと言います。私は、ヤミ族の長老ルカの娘です。昔、悪霊スファスに取り憑かれたポタスという青年に惑わされた私が、この子を宿して悪霊の味方をしてしまったのです。悪霊が退治された時に、この子の父親であるポタスも一緒に息絶えてしましました。父のルカは、私が人々を苦しめた反省のために、私に呪いをかけてあのような怪物の姿にしたのです。その時、河原崎守永殿が一人では可哀想であるので、この子も一緒にと進言してくれたのです。そして、いつかまた悪霊が再びこの世界を脅かそうとする時に、この世界を助けるために、別の世界から女性が現れて来る筈だということでした。その女性が私が醜い姿であるにもかかわらず、愛の心を示した時に再び元の姿に戻れるということでした。由紀子様、貴女は真の勇気と愛を持った真のこの世界の救世主です。この子の持っている経典を差し上げます。この子もお礼を言いたいのですが、父親のポタスが息絶えたショックで口が聞けなくなっていますが、感謝の気持ちを表しています」とルツが由紀子に向かって説明した。
「女性同士の感だと思うわ。貴女の悲しみが一杯の表情が何となく心に突き刺さったの。ルツさん、ポタス、こちらこそ有難う」と由紀子はポタスから経典を受け取った。
「これで、ヤミ族の三つの印が揃いました。早く東の滝に向かいましょう……ところで、ルツさん滝でどのようにすれば、ヤミ族に会えるのかご存知ですか?」とナトスがルツに尋ねた。
「ええ、私がその扉を開く方法を知っています。滝に着いたら扉を開けるようにします」とルツが答えた。
「それじゃ、早くこの洞窟を出て、滝に向かいましょう……」と義輝が言った。
由紀子たちは、洞窟を出ると洞窟の入り口の傍の木に括り付けていた馬に跨って再び東にある滝に向かって進んでいった。シドの馬の後ろにポタスが乗り、義輝の馬の後ろにナトスが乗り、由紀子の後ろにルツが乗って進んでいった。ケシムは白い羽を使って由紀子達の上空を見張りながら飛んでいた。