三種の神器
.第1章 従弟の小早川浩介
..二十歳の朝
ピンクのカーテンの隙間から朝陽が、ベッドで眠りについている由紀子の顔に差し込み、窓の外から聞こえる小鳥の囀りで由紀子は眠りから覚めた。昨日は、由紀子の二十歳の誕生日であり、仲良し四人組の中で二十歳になるのが一番最後であった。そして、昨晩は、仲の良い佳子、早苗、恵美達が集まり、夜遅くまで近くの居酒屋で祝ってくれたのであった。佳子、早苗、恵美達とは、小学校から大学まで一貫教育でカトリック系のミッションスクールである横浜百合大の同級であった。その飲み会で、由紀子は初めてのお酒を口にしたが、甘いカシスソーダーを佳子の勧めで注文して、ジュースのようであったので、ついつい三杯ほど飲んだのがいけなかったのであろうか、そのせいか、由紀子の頭はいつもより少しぼんやりとしていた。
由紀子は、眠い目を擦りながら、ベッドから降りて、ピンクのカーテンを開け、両手を拡げて背伸びをしながら、朝陽を体一杯に浴びて眠気を覚まそうとした。由紀子が、いつものお気に入りの白地に小さな花模様が鏤められたパジャマから、大学に通学するための服装に着替えていると、鳥籠の中で飼っている文鳥のピー助が、
「おはよう、いってらっしゃい」と由紀子に喋りかけてきた。ピー助は、昨年、大学の歴女サークルの部長で先輩である河原佐和子が一年間、オーストラリアのメルボルンに留学するというので、由紀子が佐和子から預かったのである。由紀子は、ピー助に、
「おはよう」と言いながら、鳥籠の餌入れに麻の実を入れた。
ピー助は、嬉しそうに羽を拡げながら、麻の実を啄んだ。由紀子はその様子を見ながら、軽く微笑みを浮かべた。由紀子は、かなり小柄であり、かわいいタイプでよく中学生に間違われることがあった。由紀子は、自分の二階の部屋を出て、階段を下りてリビングに入った。リビングでは、既に父親の陽介と高校生の弟の慶太が先に白い食卓テーブルに着いていた。
「お早う、お父さんに慶太、あら? お母さんは?」と由紀子が二人に向かって言った。
「お早う、由紀子。お母さんかい? お母さんは、今、ある人を駅まで迎えに行ってるよ」と陽介が答えた。
「誰か、我が家に訪ねてくるの?」とこれを聞いていた慶太が陽介に尋ねた。慶太は、由紀子の出身校である横浜百合大付属高校に通う高校二年生であり、いつもはサッカー部の朝練のために、早起きをしてもう出かける時間であるが、今日は朝練がないのかゆっくりと寛いで朝食を食べていた。
「そうだよ、今日から、横浜百合大学に家から通うことになった君達の従弟の浩介君を駅まで迎えに行ってるよ」と新聞を読んでいた老眼鏡を鼻の上にずらしながら二人に向かって答えた。
「ええっ? そんな事全然聞いていないわよ! 従弟がいたなんてことも……」と由紀子が吃驚した顔で、慶太に同意を求めるように、慶太の顔を見てから陽介に向かって言った。
「僕も、そんな事きいてないよ」と慶太が答えた。
「君達に言ってなかったけど、私の弟で君達の叔父さんの北海道に住んでる陽二は知っているよね? 彼がつい最近再婚したのだが、その嫁さんの智美さんも再婚でね。智美さんには、一人の息子さんがいてね、それが浩介君なのだよ。今年受験で、横浜百合大の経済学部に合格したのだよ。それで、北海道から昨日東京に着く予定になっていて、今日こちらに着くのだよ」と陽介が答えた。
その時、玄関の扉の開く音が聞こえて、玄関の方から、母親の美智子の声で、
「お父さん、浩介君を連れて来たわよ」と言うのが聞こえてきた。リビングに小柄で上品ないかにも山手の奥様という雰囲気の女性が現れた。その後ろには、ボサボサ頭に無精髭を生やし、黒縁眼鏡のいかにも真面目そうな青年がすまなそうな顔をして立っていた。浩介は、大きなリュックを背中に背負い、両手に大きな手提げ袋を持っていた。手提げ袋には、いかにも北海道らしい雪の結晶が描かれていた。
「これからお世話になる小早川浩介です。明日から百合大学の経済学部に通うことになりました。宜しくお願いします。これは北海道のお土産です、母から手渡されました」と言いながら、両手に持っている手提げ袋を差し出した。
「あら、悪いわね、気を遣わなくてもいいのに……」と言って、美智子が手提げ袋を受け取った。美智子は、手提げ袋の中を覗きながら、
「これは嬉しいわ、お父さん。お父さんの大好物の札幌ラーメンに、スルメ、鮭フレーク、まあ、最近話題のスープカレーも……。お母さんにお礼を言って頂戴ね」と美智子が浩介に微笑みかけた。
「私が、この家の主の陽介です。北海道から横浜まで疲れただろう。こちらは、うちの長男の由紀子、横浜百合大の文学部の二年生で君の先輩になるよ。そして、こちらが我が家の長男の慶太、横浜百合大の付属高校の2年生だよ、サッカー部で頑張っているよ」と由紀子と慶太を紹介した。
「由紀子さん宜しくお願いします、慶太君も宜しく」と言って、浩介が深々と頭を下げた。
「浩介にいちゃんと呼んでいいのかな? 宜しく!」と慶太が大きな声で答えた。
由紀子は、従弟が来ると聞いて困惑したが、心の中ではひょっとしたらハンサムな素敵な好青年がきたらどうしょうと少し期待するところがあったので、期待外れの感があったが、浩介の姿がいかにも純朴な青年であり少し安堵感もあった。
「こちらこそ宜しくね。大学の中を案内して上げるわね。今日は入学式の筈よね? 場所は大学ではなかったよね?」と由紀子が微笑みながら言った。
「はい、大学から歩いて10分位の横浜文化会館であります。十時から十二時までみたいです」と浩介が、入学案内の書類をリュックの中から取り出し確かめながら答えた。
「それじゃ、入学式が終わったら、横浜文化会館の前で待っていてくれる? 佳子達を紹介するから……」と由紀子が浩介に向かって言った。
「浩介君、大学に遅れるから、この朝食早く食べて。二階に部屋を用意してあるわよ。貴方の荷物は昨日届いたから、部屋に入れておいたわよ。お食事が終わったら、スーツに着替えて、お父さんが車で横浜文化会館まで送って行くから」と美智子が朝食を運んできて浩介に言った。
「じゃ、お父さん、私も大学まで車で連れて行ってくれる?」と由紀子が陽介の方をチラッと見ながら言った。
「いいよ。じゃ、浩介君に由紀子、一緒に朝食を食べて、行く準備をしてくれないか?」と陽介が答えた。
由紀子の横に浩介が座り、五人で朝食を食べた後、慶太が浩介を二階の浩介の部屋に案内しに二階に上って行った。由紀子は、朝食を終えた後、洗面所に行き、顔を洗い、ほとんど化粧っ気がない位の少し薄めのいつもの化粧をした。由紀子が化粧を終えて大学に行く準備をしていると、二階から慶太と浩介が降りて来た。
二階から降りてきた浩介は、スーツ姿で、髪も梳かし。無精髭も綺麗に剃ってすっかり小奇麗になっており、眼鏡も外して、由紀子が想像していたような目鼻立ちもすっかりした好青年であった。
「あら、先程とは見違えるようになったわね」と美智子が浩介の姿を見るなり吃驚して言った。
由紀子は、浩介の姿を見て、頬を少し赤らめながら、
「じゃあ、お父さん、浩介さんと私を車で送って行ってくれる?」と浩介の方をチラッと見ながら陽介に向かって言った。
「お父さんはもう準備万端だよ、車を玄関に廻してくるから、しばらくしたら準備して出てくれるかい?」と陽介が言って、車庫の方に出て行った。
由紀子と浩介は、暫くしてから、母親の美智子に二人で口を揃えて「行ってきます」と言って、玄関から出て行こうとした。
「あら、お二人さん息がぴったりみたい、気を付けていってらっしゃい」と美智子が微笑みながら二人を見送った。その横には、慶太がにやりと笑みを浮かべながら、「お二人さん、行ってらっしゃい!」と大きな声で言った。
由紀子と浩介は二人とも照れながら、扉を開けて外に出て行った。玄関の前には、既に陽介が、赤い外車を車庫から廻して車の中で待っていた。陽介は、横浜市内で税理士事務所を経営しており、吉沢家はどちらかというと裕福な家庭であった。陽介は、学生時代から赤いスポーツカーである外車に乗るのが夢であり、十年かけてコツコツと自分で貯めたお金で、漸く中古の赤い外車であるランボールギーニを購入したのであった。
浩介は、車を見るなり、
「お、叔父さん、ランボールギーニでしょ、これはすごい、中古でも一千万はするでしょう?」と驚いて言った。
「いやはや、十年間こつこつと貯めてやっと学生時代の夢を実現したのだよ。嫁さんと子供たちには、『日本車の新車が何台買えると思ってるの、もったいない!』といつも言われてるよ」と陽介は車の窓を開けて、子供のような顔つきになって少し自慢げに言った。
「本当よ! いつも『海外旅行に何回行けると思ってるのかしら?』って母と何時も言ってるわ」と不満げな表情で由紀子が言った。
「まあ、まあ、愚痴はこれぐらいにして、送れるから乗りたまえ」と陽介が言って車のドアを開けた。
由紀子と浩介が、後部座席に乗り込むと、陽介がアクセルを踏み込んだ。その途端、加速でGがかかって、由紀子の体が座席に減り込んだように思えた。車は銀杏並木の街並みを進み、十分程で横浜文化会館の前に着いた。
横浜文化会館の前には、大勢のスーツを来た新入生と着飾った保護者でごった返していたが、やはり、赤いランボールギーニは目立つのであろう。何者が降りてくるのか彼らの視線が車に集中した。
「浩介君、横浜文化会館に着いたよ。ちょっと目立ってしまったかな?」と陽介がちょっとすまなそうに言った。
「浩介さん、じゃあ後でね」と車の扉を開けて車を降りようとしている浩介に向かって由紀子が手を軽く振りながら言った。
「叔父さんどうも有難う。由紀子さんでは後で宜しくお願いします」と言って会釈しながら浩介が車を降りて行った。
..暦女サークル
浩介が車を降りた後、陽介が再び車を発進させ、由紀子の大学へと向かった。車ではほんの二三分で由紀子が通う横浜百合大の校門の前に着いた。さっきの新入生達の集団とは違って、由紀子の父の赤いランボルギーニはかなり有名であり、由紀子は男子学生の間では、「ランボルギーニの君」と噂されていた。丁度校門の前には、由紀子の一番の親友の松本佳子が校門から入るところであった。
「お早う由紀子、今日は、お父様に車で送ってもらったのね?」
「ええ、佳子聞いてくれる? 今日朝突然両親に言われたのだけど、北海道に住んでる陽二叔父さんが再婚してね、結婚相手の叔母さんには、連れ子がいて、それが浩介君って言ってね。今年受験で、うちの大学の経済学部に合格したの。それで、今朝突然言われたのだけど、うちから大学へ通うことになったの」と由紀子が佳子に言った。
「それで、その浩介君て、どんな感じ?」と佳子が興味ありげに聞いた。
「最初はさあー、ボサボサ頭で、髭がボウボウでまるで樋熊みたいだったのよ。それがさあ、着替えて二階から降りて来た時には、すっかりサッバリしてもう別人みたいで、ちょっとかっこよかったの」と由紀子が頬をビンクに染めながら言った。
「へえ、それじゃあ、私達の歴女サークルに勧誘しようよ」と佳子が言った。
佳子は、先輩で歴女サークルの部長の佐和子がオーストラリアに留学している間、部長代理を任されていたのであった。
「私もそう思い、今朝彼に入学式が終わったら、大学を案内すると言っておいたから、無理矢理入部させよう。早苗達に後で相談しようか?」
「じゃ、一講目が始まるから行こう!」と佳子が由紀子に言い、由紀子と共に足早にキャンパスの中へ入って行った。
今日の一講目は、『日本史と民俗学』であり、歴女サークルに所属している由紀子達には興味深い内容の講義であった。由紀子と佳子が本館の第二講堂に入った時には、人気の講義であるので階段席はほとんど満席の状態であった。
一番前の席を歴女サークルの部員である田村恵美と高田早苗が陣取って座っており、由紀子と佳子の席を取ってくれていた。早苗が、由紀子と佳子を見つけるなり、手招きをしたので、由紀子と佳子は、階段席の通路を降りて行った。
「由紀子、佳子遅かったね。もうすぐ講義が始まるわよ。間に合ってよかった」と二人に向かって 恵美が言った。
「校門で佳子に会ってちょっと話し込んじゃってさ。ごめんね」と由紀子が言いながら、佳子と共に席に着いた。
由紀子達が席に着くや否や、講義を担当する前田教授が部屋に入って来た。前田教授は、長身で頭が禿げ上がって、銀縁の丸眼鏡をかけており、いかにも研究者という感じであるが、顔の表情が優しそうな感じであった。
「今日の講義は、『隠れ里』についてお話したいと思います。『隠れ里』とは、『隠れ世』とも言われており、日本の民話、伝説に良く出てくる仙郷で、山の奥深くや洞窟を抜けた所、離れ小島や孤島などにあります。日本史上は、良く言われるのが平家の落人であり、今でも、平家谷、平家の隠れ里と伝えられる集落が存在しています。例えば、東北地方では、山形県酒田市八幡町鳥海山麓が有名で、平家方であった池田彦太郎秀盛兄弟が隠れ住んだと伝わっており、関東地方では、栃木県日光市の湯西川温泉が有名で、平忠実が落ち延びたとされ、現地の平家落人民俗館などでも紹介されています。その他、関西地方、四国地方、九州地方、沖縄、硫黄島まで、平家の落人、幼くして壇ノ浦の戦いで壇ノ浦に入水したとされる安徳天皇、その母徳子が落ち延びたという伝説などもあります。一方、『隠れ里』は、いろいろな書物にも登場しており、例えば、『遠野物語』では、貧しい家の女が道に迷って谷の奥深くにまで分け入り、御殿を発見して中に入るが、人の姿が見えないので怖くなり逃げ出した。その後、小川に赤い椀が流れて来るのを発見し、その椀を使うと穀物をいくら使っても減らず、村一番の金持ちになったという話もあります。さらに、霧島山中に世にもたえなる美女が住まい、終日音楽が奏でられ、この隠れ里を見た人が再度隠れ里に入ろうと試みたが、二度と訪ね当てることができなかったという話が多いです……」と前田教授がスライドを交えながら、話し始めた。
前田教授の話は、冗談を交えながら一時間半の講義はあっという間に終わった。由紀子たちは、今日はこの講義だけなので、別館にある生協の食堂に集まって、歴女サークルの今後の活動について話をすることにした。別館にある生協の食堂には、既に、大勢の学生が休み時間の学生、講義が終わった学生が陣取っていた。由紀子達は、食券販売機で大学から提供されている電子マネー機能付きの学生証でチケットを買って、カフェオーレとケーキを受け取り、テーブルに着いた。
「ねぇ、ねぇ、今朝由紀子から聞いたのだけど、由紀子の血の繋がってない従弟がうちの大学に入学してくるみたいなの」と佳子が言った。
「何学部なの?」と早苗が尋ねた。
「佳子には、話したのだけど、北海道の叔父さんが再婚してね。叔母さんの連れ子なんだぁ。今朝、両親から突然言われて、もうびっくりしちゃって。うちから大学に通うみたいなの――」と由紀子が訴えるように言った。
「でも、由紀子の話しからして満更じゃないみたいだったよ」と佳子が茶化すように言った。
「へえ、ハンサムなの? カッコイイの?」と恵美が興味ありげに言った。
「まぁ、カッコイイと言うか、どちらかと言うと真面目そうかな――」と頬をビンクに染めながら言った。
「丁度いいんじゃない? 歴女サークルに男の子がいないし、無理矢理入部させちゃったら?」と早苗が閃いたように言った。
「それ、いい考えじゃない?」と恵美が同意を求めるように言った
「これから、従弟の浩介を横浜会館まで迎えに行くのだけど、皆も行かない? 大学の中を案内するって言っておいたから」と由紀子が言った。
「皆で行こう!」と佳子が言ったので、皆で浩介を迎えに行くことになった。
由紀子達は、大学の校門を出ると、銀杏並木沿いに横浜会館を目指した。丁度入学式が終わったばかりで、新入生と思しいスーツ姿の学生や昔風の女学生風の着物を着た学生がキャンパスに向かって歩いていた。
横浜会館の前では、入学式の立て看板の前で写真を撮る学生が大勢いたが、その脇で、話し込む二人の男子学生が立っていた。
由紀子は二人を見つけて、
「浩介さん、待った? 私の入っている歴女サークルの仲間を連れてきたの。こちらから、部長代理の佳子に、早苗に、恵美。そちらの方は?」と言った。
「小早川浩介です。皆さん宜しくお願いします。こちらは、今日入学式で隣の席で知り合った同じ経済学部の吉崎健一君です」と浩介が答えた。
「吉崎健一です。宜しくお願いします。四国の高知県出身で、高校では剣道をしてました、一応剣道二段です」と健一が挨拶をした。
健一は、高校で剣道をしていたせいか、少し髪の毛が短く、スポーツマンらしいすがすがしい感じであった。
「私は、由紀子と同じ文学部二年で、歴女サークルの部長代理の松本佳子です。部長の三年の河原佐和子先輩が、オーストラリアに一年留学している間部長代理をしているの、宜しくね」と佳子が言った。佳子は、どちらかという髪が短くボーイッシュであり、インテリタイプの女学生であった。
「私は、高田早苗、同じく文学部二年で、歴女サークルのマネージャー、悪く言えば会計ね、宜しくね」と早苗が微笑みながら言った。早苗は、世話好きのタイプで、いつもジーパン姿で活発な性格であり、自分から歴女サークルのマネージャーをかってでたくらいであった。
「私は、田村恵美、同じく文学部二年で、歴女サークルのメンバーで、歴史の調査役をしてるの」と恵美が言った。恵美は、髪が長く、歳の割には落ち着いた雰囲気の女性であった。
「私は、浩介君の従姉の吉沢由紀子、同じく文学部二年で、歴女サークルのメンバーで、旅行企画係をしているの」と由紀子が、浩介と健一に微笑みながら言った。
「それじゃ、これからキャンパスに向かいましょう!」と佳子が言って、佳子を先頭に六人で銀杏並木をキャンパスまで歩き始めた。
キャンパスに着くと、校門を潜ってメインストリートを挟んで右手に、由紀子達の文学部があり、そこからキャンパスの案内が始まった。キャンパスの中を順に、法学部、経済学部、理学部、工学部、薬学部、医学部と順に案内して言った。小一時間程キャンパスの中を一通り案内した後、最後に由紀子達は、文学部の裏手にあり、文系サークル室が集まっている文系サークル会館に浩介達を案内した。
歴女サークル室は、割と新しいサークルであるので、文系サークル会館の二階の隅にあり、真新しい白いプレートの新しいサークル看板が、扉の横に掛かっていた。佳子がサークル室の鍵を開けて、浩介達を中に案内した。サークル室には、真ん中にテーブルが置かれ、その周りに丁度6人がかけられる6個の椅子が置かれていた。テーブルの右手には、書棚が置かれ、その中に、日本史に関係する書物、資料が所狭しと並べられていた。また、テーブルの左手には、机が置かれ、2台のパソコンとプリンターが置かれていた。
「じゃや、今年度の第一回の歴女サークルのサークル活動会議を始めるわね、浩介君と健一君、宜しければ聞いていって、気に入ったら入部して頂戴、半ば強制かもしれないけど……」と席について六人に向かって言った。
「書記は、いつもの通り、由紀子お願いするわ、宜しくね? それじゃ、先ず、今年も夏休みが近づいているので、早速、例年の歴史旅行について計画を立てなければならないけど、誰か行きたい調査したい所はある?」と佳子が続けて言った。
「昨年は、歴女サークルの名称にちなんで、上杉謙信女性説のゆかりの地を訪ねたから、今年は、相手側の武田信玄の継室である三条の方のゆかりの地を巡らない?」と早苗が言った。
「歴女サークルの歴女って、歴史上の女性を意味していたのですか? てっきり歴史上の武将が好きな女学生の集まりかと思ってましたよ」と浩介が言った。
「そうか、それで歴女サークルて言うんだ」と健一が納得したように呟いた。
「でも、去年の相手側じゃあまり面白味がないのじゃない? 学園祭の時の展示もあまり代わり映えがしないかも……」と佳子が言った。
「そうだ。今朝、前田教授が言っていた隠れ里なんかどうかしら?」と恵美が言った。
「それいいかも。なんかワクワクしない?」と由紀子が言った。
「そうね、面白いかもね。落人の中での女性の活躍が聞けるかも……。前田教授が言ってた、隠れ里って、何処だったっけ?」と佳子が皆に向かって尋ねた。
「確か、山形県酒田市八幡町鳥海山麓だったと思うわ、」と早苗が言った。
「じゃあ、多数決で決めるわね。浩介君も健一君も手を挙げてね。隠れ里の鳥海山麓に探険に行くのに賛成の人手を挙げて!」と佳子が皆に向かって言った。
全員が手を挙げたので、
「じゃ、由紀子と恵美と浩介君で旅行の計画を立てて。私と早苗と健一君で、隠れ里の鳥海山麓について調べるわ」と佳子が続けて言った。
「僕らもう入部しちゃったみたいですね」と浩介と健一が同時に言った。
「そのようね、じゃ今日の夜、新人歓迎会をしましょう。では早速手分けして調査に取り掛かってさ」と佳子が言った。
由紀子と恵美と浩介は、バソコンに向かって、隠れ里のある鳥海山麓への行き方やその近くの民宿を調べ始めた。
一方、佳子達は、佳子が隠れ里について、バソコンで調べ始めた。早苗と健一の二人は、書棚を調べてめぼしい本がないのが分かると、サークル室を出て、二人で大学の図書館に調査に向かった。
.第2章 鳥海山麓
..三種の神器
暫くして、図書館に調査に行っていた早苗と健一が一冊の古く重そうな本を抱えて戻って来た。
「偶然、前田教授に図書館であってね。今朝の講義の話で、歴女サークルが隠れ里の鳥海山麓に探検に行くといったら、この古い本を貸してくれたのよ。その中に、『四面部落』の伝説があるから調査してみるのも面白いと言われたのよ」と早苗が本を開いて皆に見せた。
「ここを見て! 読むわね、『四面部落は、元暦二年(1185年)三月二十四日に、壇ノ浦に敗れた平家の将であった平経盛達が、源氏の追及の眼をのがれるために、替え玉を使って、安徳天皇、その母の建礼門院徳子の替え玉を壇ノ浦に入水させたと見せかけて、安徳天皇、その母の建礼門院徳子、平家の要人とともに日本海を廻って鳥海山麓に、三種の神器を伴って落ちのび四面部落を築いた。平家再興を願って、源氏滅亡を陰陽師の河原崎守永に呪いをかけさせ、これにより、源氏は滅亡した。しかしながら、安徳天皇は、鳥海山麓の寒い冬の気候により、1年後に没した。母徳子は嘆き悲しみ、陰陽師河原崎守永に、825年後に、安徳天皇と母徳子が生まれ変わり、四面部落で再会し、安徳天皇が即位して平家再興となるようになることを依頼した。陰陽師河原崎守永は、その見返りとして、河原崎家の繁栄を約束させるために、安徳天皇の生まれ変わりと結婚する娘が、河原崎家に生まれようになることを願い出た。そして、今後825年間は、この里が決して知られないように、四面を周囲から途絶させる呪術をかけた。これが、幻の四面部落と言われ伝承されている。現在まで、この四面部落は未だ発見されていない』だって……」と佳子がその本の一節を読んだ。
「何か、女の情念というか、母親の執念みたいのを感じるわ」と恵美が言った。
「825年後っていうと、2010年、今年じゃない! これは面白いかも……」と早苗が呟いた。
「でも、なんで825年後なんだろ? 佳子、ここがいいんじゃない? 『鳥海山麓荘』という民宿があるわ、夏休みでも空部屋があるみたい……」と由紀子がパソコンの画面を見ながら横でもう一台のパソコンで調べていた佳子に向かって言った。
「あら偶然ね、私も鳥海山麓の落人部落を調べていたら、鳥海山麓荘が便利だと書いてあったわ」と佳子が答えた。
「そうですね、ここが便利かもしれませんね。ただ、この辺りはかなり交通の便が悪いみたいなのでレンタカーを借りる必要があるかもしれませんね」と浩介が言った。
「それは大丈夫ですよ。僕、4WDのパジェロに乗ってますから、山道も大丈夫ですよ。運転好きだから大丈夫ですよ」と健一が言った。
「それは助かるわ、やはり、男の人が入部すると違うわね」と佳子が由紀子に向かって言った。
「じゃあ、鳥海山麓荘を予約して。夏休みに入った七月二十日から三泊四日で行くことにしましょう」と佳子が由紀子に言った。
「分かった。じゃ、六人で予約しておくわ」と由紀子が答えた。
「それと、浩介君に健一君、鳥海山麓荘の周辺で落人部落がありそうな場所を地図で検索して、行き方などを計画してくれない?」と佳子がバソコンから離れて、浩介達に向かって言った。
「分かりました、二人で調べておきます」と浩介が答えた。
「これから、新人歓迎会を兼ねて居酒屋にご飯を食べに行く?」と早苗がお腹が空いたと言わんばかりに言った。
「そうね、もう大分遅くなったわね、佳子行こうか?」と由紀子が頷いた。
いつの間にか、辺りはすっかり暗くなっていた。由紀子達サークルメンバーは、サークル会館を出ると、キャンパスから歩いて直ぐの所にある行き付けの居酒屋に向かった。
居酒屋は、歴女サークルに相応しく、その名も、政宗と言い、店の中には、甲冑、火繩銃などが飾られていた。昨晩来たばかりであり、由紀子達が店に入ると、これまた武将の恰好に着飾ったマスターが、
「今宵も宴を催すのでござるか? 今宵は奥方様以外に若武者も一緒であらせられますか?」と冗談混じりで言った。
「そうですわ、わらわもうれしゅうございます」と早苗がこれに答えるようにいった。
「もう、二人とも、冗談が好きなんだから」と由紀子が言った。
「マスター、あそこのお座敷席に座ってもいい? 今日は、この子達の新人歓迎会なの」と佳子がマスターに言って、奥の方の座敷を指差した。
「いいよ、ほらまだ開いたばかりだから、御客も少ないし、今日は予約も入っていないから」とマスターが答えた。
由紀子達は、マスターの勧めで、戦国美女コースという料理を頼むことにした。前菜に野菜や山菜が盛合され、その周りに、魚介類の刺身が鏤められており、まるで、城攻めのような感じであった。また、お酒も瓢箪の徳利に入っており、盃も戦国時代風の平たい盃であった。
「では、本日、我が歴女サークルにサークル始まって以来の男性部員として、入会してくれた小早川浩介君と吉崎健一君の歓迎会を開きたいと思います。では、乾杯!」と佳子が乾杯の音頭を取った。
「浩介君は北海道の出身なんでしょう? どうこの横浜は気に入った?」と恵美が興味ありげに浩介に聞いた。
「まだ、来たばかりであんまり見てないから分からないけど、でも、東京みたいにゴミゴミしていなくてこじんまりしていて住みやすそうな町だと思うよ」と言った。
「健一君は高知県出身よね? 四国にも落人部落って一杯あるのでしょう?」と由紀子が健一に向かって尋ねた。
「そうですね、四国は至る所に落人部落があるみたいですよ。でも、平家の落人部落って一杯あるけど、他の戦争の落人部落ってないですよね? かなり、源氏に対する恨み辛みがあったのですね?」と健一が言った。
「そうでしょうね、壇ノ浦の戦いに関しては、『吾妻鏡』、『平家物語』、『源平盛衰記』などの軍記物語が多数あって、源義仲に攻められた平氏が、安徳天皇と三種の神器を持って、一ノ谷の戦いで大敗を喫して、海に逃れて、現在の山口県下関市の彦島に拠点を置いたのよ。それで、壇ノ浦の戦いで敗れて、幼い安徳天皇を抱えて母親の建礼門院徳子をはじめ、一門ほとんどが入水自殺したのよ。だから恨み辛みも激しいものがあるんじゃない?」と恵美が答えた。
「へえ、恵美さんて物知りなんですね?」と浩介が関心して言った。
「でも、安徳天皇は死亡したけど、入水した建礼門院は助け上げられて、後には出家して大原に隠棲したと言われてるけど……。今回の伝説では、全く違うことになるわね。だから面白いかも……」と佳子が言った。
「そうそう、あの本に載っていた三種の神器って何なの?」と由紀子が恵美に尋ねた。
「天照大神の孫が、日本の統治のために降臨したという天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする鏡、剣、勾玉で、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物なのよ。この三種の神器を所持することが皇室の正統な皇位継承者なのよ」と恵美が答えた。
「あの伝説が本当だとしたら、現在ある三種の神器は偽物だということになるのか。そうすると現在の天皇は正統ではないことになるのかな?」と浩介が呟いた「そうではないかもしれないわね。安徳天皇の前にも三種の神器を持たなくても皇位を継いだ天皇はいたみたいだから」と恵美が言った。
由紀子達が話し込んでいると、マスターが次の料理を運んできたので、佳子がマスターに、
「歴女サークルで、夏休みに落人部落の探険に行くことになったのだけど、マスターは落人部落の事に詳しい?」と尋ねた。
「落人部落かい? 平家の残党だとしか知らないなあ。この店は、戦国時代が専門だから。ただ、私の田舎でも、近くに幻の落人部落があると言う噂を小さい頃に聞いた事があるよ」とマスターが料理をテーブルの上に置きながら言った。
「マスターの田舎ってさ、何処にあるの?」と由紀子がマスターに聞いた。
「山形県の酒田だよ」
「ひょっとしたら、鳥海山の麓?」と早苗が聞いた。
「そうだよ、八幡町だよ」
「偶然ね、私達が行くのも、そこよ――」と由紀子が言った。
「田舎の婆ちゃんなら、幻の落人部落の事知っているかも。行った時に訪ねてみたら?」とマスターが言った。
「それは助かるわ。後で場所など教えてくれる?」と佳子が言った。
「高いで御座るよ、一万石ですぞ」とマスターが冗談っぽく言った。
「また冗談を――」と由紀子が言った。
マスターが運んで来た料理は、今度は串刺し焼鳥、豚串焼きなどの肉料理であった。その後に、鱈鍋があり、最後に戦国デザートとして、マスター特製のアズキアイスクリームが出された。
由紀子達は、料理を堪能した後、店を出て別れた。由紀子と浩介は、地下鉄を乗り継いで由紀子の家に向かった。由紀子の家に着くと、居間では風呂上がりの陽介が、ビールを飲み、くつろいでいるところであった。陽介は、由紀子達をみるなり、
「お帰り、浩介君、大学はどうだい?」と聞いた。
「叔父さん、由紀子さん達に案内して頂きました」と浩介が答えた。
「お父さん、浩介君と健一君と言う同級生を無理やり、私達の歴女サークルに入部させちゃった」と由紀子が言った。
「そうです、叔父さん、由紀子さん達に強引に入部させられちゃったみたいです。でも楽しそうなサークルで気に入りました。今年の夏休みに、隠れ里である平家の落人部落を探検することになりました。何かワクワクします」と浩介が頭を掻きながら言った。
「そうか、確か、祖父から聞いた覚えがあるが、我が家は河内源氏の流れを継いでいると聞いたことがあるよ。何かの因縁かもしれんね」と陽介がぽつりと言った。
..鳥海山麓へ
歴女サークルの夏休みの隠れ里の探検旅行は、鳥海山の山麓に入るので危険も伴うので、マネージャーである早苗が、早苗の幼馴染で、大学のワンダーフォーゲル部の部長の正木敏雄に頼み込んで、敏雄が一緒に同行することになった。敏雄は、早苗から話を聞いて、歴女サークルの隠れ里探しに大変興味を持ち、大学側と地元警察への旅行計画書を提出し、その許可を事前に得ていた。また、ワンダーフォーゲル部の装備を借りて準備万端であった。
由紀子は、隠れ里の探検旅行の朝、いつもの通り、窓の外から聞こえる小鳥の囀りで眠りから覚めた。どんな夢だったか覚えていないが、手に汗をかいており、魘されていたことだけを覚えていた。
カーテンを開けると、鳥籠の中で飼っている小桜インコのピー助が、
「おはよう、おはよう、気を付けて」と由紀子にいつもと違う言葉で喋りかけてきた。
「どうしたのピー助、いつも間に何時もと違う言葉を覚えたの?」と由紀子がピー助に話しかけた。
「おはよう、おはよう、気を付けて」と繰り返すばかりであった。
由紀子は、旅行用のジーパン姿の服装に着替えて階下に降りて行った。リビングでは、既に浩介が、陽介と慶太と朝食を摂りながら、何やら話をしていた。由紀子がリビングに入ると、母親の美智子が食事を運んできた。
「由紀子、今日、浩介さんと歴女サークルの隠れ里の探検旅行だそうね? これを持っていきなさい。これは吉沢家のご先祖代々から伝わる家宝の銅鏡で、魔よけの力があると言われているから、何かの役に立つかもしれないから……」と美智子が、ピカピカに磨いた小さな銅鏡を指し出した。その銅鏡の裏には、右の方を向いた鹿の絵が左側に刻まれており、その鹿のお腹には、『照』の文字が描かれていた。
「嫌だ、お母さんたら、桃太郎の鬼退治に行くんじゃないんだから」と由紀子が言った。
「せっかくお母さんが心配してくれているから、お守りに持っていったら」と浩介が由紀子に向かって言った。
「そうだよ。まあ浩介君がいるから安心だけど、とりあえず持って行ったら?」と陽介も奨めた。
「浩介兄ちゃん、お姉ちゃんのこと宜しく……」と慶太が浩介に言った。
「そうね、せっかくだから、お守りに持って行くことにするわ」と由紀子が言って、胸ポケットに銅鏡をしまい込んだ。
食事を済ませて、由紀子と浩介が旅行のリュックを二階から降ろした頃に、玄関のチャイムが鳴り、佳子と健一が由紀子達を迎えに来た。既に車の中には、早苗と恵美が乗り込み、後は、横浜駅で、ワンダーフォーゲル部の部長の敏雄が乗り込めば、探険隊員が勢揃いすることになる。
「お早う、由紀子。よく眠れた?」と助手席にちゃっかり座っている早苗が由紀子に尋ねた。入部してから、いつの間にか健一と早苗は付き合っているみたいで、いつも健一の傍には早苗がいた。
「ううん、うなされていたみたいで、よく眠れなかった」と由紀子が答えた。
「私達もみんな興奮して眠れなかったみたいよ――浩介君はどうだった?」と恵美が言った。
「ははは、僕はよく眠れましたよ。昔からど心臓と言われてましたから」と浩介が笑いながら答えた。
「それは頼もしいわ……」と佳子が言った。
車は、程なく横浜駅に着き、敏雄が乗り込み、一路、酒田市八幡町にある鳥海山麓荘に向かった。横浜駅西口出入り口から、首都高速に入り、川口ジャンクションで東北自動車道に入った。
「大体、9時間程かかるから、鳥海山麓荘に着く頃はもう夕方になっていると思います。途中、ドライブインで何度か休憩しましょう」と健一が車を運転しながら言った。
途中、3時間程走った宇都宮の近くにある『上河内サービスエリア』で昼食を摂ることにした。上河内サービスエリアの中には、『宇都宮餃子広場』があり、宇都宮市内の宇都宮餃子の名店が軒を並べていたので、由紀子達は、宇都宮餃子とラーメンを注文して食べることにした。
「宇都宮餃子って薄皮でパリパリして美味しいね」と佳子が言った。
「そうですね、運転じゃなければ、ビールが欲しいくらいですよ!」と健一が餃子を頬張りながら言った。
「残念だけどビールは今はお預けね。ビールは、鳥海山麓荘に着いてから夕食の時に注文しましょう。旅行の予算の範囲でね」と早苗が健一を諭すように言った。
「何か、夫婦みたいじゃない?」と由紀子が茶化すように二人に言った。
「由紀子ったら、冗談が好きなんだから……」と照れ笑いをしながら早苗が言った。
上河内サービスエリアで昼食を終えた後、車は再び、鳥海山麓荘に向かった。村田ジャンクションで山形自動車道に入り、3時間程でようやく、一般道を通って八幡町に入り、無事鳥海山麓荘に着いた頃は、丁度夜の六時頃であった。由紀子達は、一先ず、チェックインを済ませて、荷物を車から下ろして部屋に運び込んだ。部屋は、由紀子達4人の女性と、浩介達3人の男性に分かれることになった。
翌朝、鳥海山麓荘での朝食を終えた後、 由紀子達は、とりあえず、政宗のマスターから教えられた実家のお婆さんから、幻の落人部落の事について詳しく聞くために寄って見ることにした。鳥海山麓荘から車で、10分程走った所に、古い民家があり、そこがマスターの実家であり、表札には、『池田』となっていた。門の中に車で入り、車から降りると中庭から、白髪の老夫婦がこちらに近寄ってきた。
「あんだ達は、ひょっとしたら、横浜から来たのだっぺか? 政宗の店のお客さんだっぺ。政宗から聞いとるよ」と老婆が尋ねてきた。
「そうです、政宗のマスターから紹介されました。でも、マスターの名前政宗って言うんだ、知らなかった」と佳子が答えた。
「実は私達、大学の歴女サークルで、隠れ里を探しているのですが、マスターからお婆さんが落人部落の事を知っているとお聞きしたのですが――」と恵美が尋ねた。
「知っとるよ。昔からこの辺りの言い伝えがあってのう。鳥海山の麓に、いつか霧の中から突然落人部落が現れるそうだっぺ。そして、落人部落から平家の亡霊がこちらに攻めてくるそうだっぺ」と老婆が身震いしながら言った。
「それでどうなるのですか?」と敏雄が尋ねた。
「言い伝えでは、源氏が駆け付け、光で亡霊を滅ぼすことになっとるだっちゃ」と老婆が答えた。
「その隠れ里の場所はわかりませんか?」と浩介が聞いた。
「わかんねが、八幡から鳥海山の頂上に向かって歩いていけばあると言われているだっぺ」と隣にいた老人が答えた。
「あんたら、探しに行くなら気をつけてな……」と老婆が心配そうに言った。
「大丈夫です。装備もありますし、慎重に行きますから」と敏雄が答えた。
由紀子達は、老夫婦に御礼を述べると、車に乗り込み、八幡側の登山口である湯ノ台口に向かって車を進めた。
..隠れ里への入り口
由紀子達は、車を湯ノ台口にある駐車場に車を泊めて、車から装備を出して、探険の準備にとりかかった。
由紀子達は、この探険の前に敏雄の奨めで、ゴールデンウイークにワンダーフォーゲル部に同行して、近くの丹沢を探険して十分に訓練を積んでいた。装備を装着した後、先頭に敏雄が地図とGPS装置を携えて、慎重に登山道を進み始めた。敏雄の次に、佳子、由紀子、健一、早苗、恵美と並び、しんがりは浩介が務めた。
暫くするとブナやナラなどの原生林に囲まれた火口湖である『鶴間池』が眼下に見渡せる所に来た。そこからは、出羽丘陵が見え、遠くに月山が見え、すばらしい眺めであった。
「すごい、素晴らしい眺望だわ……」と一同が思わず叫んだ。
「もう少しすると、滝の小屋が見えてくる筈です。滝の小屋を過ぎると、ほどなく八丁坂の登りとなり、滝の小屋から45分ほどで河原宿に到着する予定です」と先頭を行く敏雄が地図とGPS装置を見ながら言った。
ところが、滝の小屋を過ぎても、いつまでも同じ道が続き、なかなか河原宿が見えてこず、薄らと霧が漂い始めた。由紀子達の前にも登山グループがいた筈であったが、その姿もいつの間にか見えなくなっていた。敏雄が突然立ち止り、地図とGPS装置を真剣に見ていたが、ポケットから磁石を出して、地図の上に置いて、確かめ始めた。さらに、敏雄は、背中のリュックの中から、携帯無線を取り出して、何か話始めたが、あきらめた様子で、今度は自分の携帯電話を眺めていた。
「皆、ちょっとこっちに集まって下さい。今、突然GPS装置が機能しなくなって、磁石で方角を確かめようとしたら、磁石も廻ったままで、北を指さなくなっています。携帯無線も携帯電話も通じないみたいです。多分何等かの磁気嵐のせいかも知れません。こんな事は、長い間ワンダーフォーゲル部で各地を探索してますが初めてです。これ以上、進むのは危険ですので、ここでビバークして、霧が晴れるのを待ちましょう」と言って、敏雄が、浩介と健一に指図して、山道の横に風を遮れる場所があったので、テントを張る準備に入った。テントを張る訓練も事前にしていたので、敏雄達は程なく、2張りのテントを張ることができた。
夏とはいえ、やはり動いていないと涼しいくらいであり、霧もいつの間にか深くなって来たので、敏雄と佳子と由紀子が同じテントに入り、浩介と健一と早苗と恵美が同じテントに入った。
「大丈夫です。こうしてビバークすれば、天気予報でも今日は晴れでしたので、山では急変することがありますが、霧も磁気嵐も治まってくると思います」とテント越しに敏雄が皆を落ち着かせるために言った。
由紀子達は一抹の不安を覚えながらも、手慣れた敏雄の行動により、気持ちが少し落ち着くようになっていた。敏雄は、10分毎にテントの外に出て、霧が晴れるのを確かめてはテントの中に出入りした。三十分程であろうか、何故か、先程まで涼しかったのが、テントの中まで生暖かくなってきたので、敏雄が外の様子を見に出て行った。
「なんじゃこれは……」と敏雄が大きさ声で驚いたように叫んだ。浩介と健一もこの声に驚いて、テントの外に飛び出した。
「よ、敏雄さん、これは?」と浩介と健一が叫んだ。おそるおそる、由紀子達もテントの外に飛び出した。
テントの外は、霧がすっかり晴れていたが、今まで登ってきた登山道の目の前に山肌が立ち塞がっており、その山肌の植物も今までの高山植物とは違って、暖かい地方にあるような広葉樹が生い茂り、山肌の正面に小さい暗いトンネルがあった。
「これは、ひょっとしたら、あの幻の四面部落の入り口かも」と佳子が驚いて言った。
「このトンネルの中に入ってもいいですが。……戻れるという保証がありません。ここまで異常な事が続いていますから」と敏雄が慎重に言った。
「でも、ここまで来て、こんなチャンスは二度とないかもしれませんよ」と健一が言った。
「そうね、せっかくのチャンスなんだから、行ってみたいと思うけど……。もし残りたいと思う人は残ってもいいよ」と佳子が皆に言った。
これに対して、残りたいと言ったものはおらず、全員でトンネルの中に入ってみることにした。敏雄が先頭で入ることにしたが。敏雄は、リュックの中から荷札のような物を取り出し、マジックで日時、今までの様子などを書き込み、道の脇の木の枝に針金で括り付けた。
「戻れなくなった時を考慮して、我々の行先を括り付けておきました。救助隊のためになると思います。落石防止用のヘルメットとヘッドライトを着用して下さい。では、先ず、中の空気を調査します、有毒ガスやに二酸化炭素で窒息する場合もありますから……」と言って、リュックサックから小型のガス探知機を取り出して、トンネルの中を調べ始めた。
「流石、ワンダーフォーゲル部、準備万端ですね」と由紀子が感心しながら言った。
「いろいろな所を探検しているので、安全第一ですから……。大丈夫みたいです、中の酸素濃度は正常です、有毒ガスもありません。では、私から入りますので、ついてきて下さい。私のロープを腰のベルトの留め具に通して、ついてきてください」と敏雄が指示をした。
トンネルの中に、敏雄を先頭に先ほどの順番で入っていった。トンネルの幅はようやく二人がすれ違える程で、3m程の高さがあり、トンネルの中は暗く、少しジメジメした生暖かい感じであった。100m程トンネルの中を進むとトンネルは直角に曲がり、また、100m程暗いトンネルが続いた。さらにトンネルは直角に屈曲し、そこを曲がると遠くに前方から明かりが見えてきた。由紀子達は、一歩一歩慎重にトンネルの中を進んで行った。
トンネルを抜けると、トンネルの出口の前には小さな広場のような場所が広がっており、その上空には、まぶしいくらいの太陽が見えてきた。ただ、由紀子達の目には、いつも目にする太陽と少し様子が違っていた。
「こ、ここはどこなんだ? 太陽が二つある!」と敏雄が思わず叫んだ。
由紀子達は、この言葉に思わず上空を見上げたが、そこには、大きい赤く輝く太陽と、小さい青く輝く太陽が並んで浮かんでいた。
「別世界なのかも知れないわ、やはりここが幻の四面部落のある所かもしれない!」と恵美が少し震えながら言った。
「ちょっと用心した方がいいかもしれません。別世界だとしたら好意的な人達だとは限りませんから……」と健一が震えながら健一の腕に抱きついている早苗の背中に手を置きながら言った。
「そうですね、用心しましょう。ところで、この広場は高台にあるみたいですよ。向こうに、町らしきものが遠くに見えてますよ……」と浩介が広場の向こう側を指差した。
浩介が指差した方角には、確かに町並みが見えていた。ただどちらかと言うと、ビルなどの高い建物はなく、どこか平安時代の紅色の建物が並んでいた。
やはり、無線と携帯とGPSは全く通じません。とりあえず、あそこの町まで行ってみましょう」と興奮した様子で敏雄が言った。
由紀子達は、敏雄を先頭にゆっくりと高台から続く道を恐る恐る下り始めた。危ないですから、できるだけ離れないで下さい」と敏雄が後ろに声をかけた。
その途端、敏雄の目の前に黒い二本足で立ち、角の生えた獅子の顔で、恐ろしい形相で牙を剥き、こちらに威嚇するような唸り声をあげる獣が、由紀子達にいまにも襲いかかろうとした。由紀子達は、「キャー」と悲鳴を上げた。その時、一本の矢が、その動物の胸に刺さって、動物が断末魔の唸り声を上げてドサッと倒れ落ちた。
突然、敏雄達の目の前に、六本足で歩き、下半身が馬のようで首から上が牛のような動物に跨がる武士達が現れた。武士達は、まるで歴史の教科書や歴史ドラマに出て来るような恰好をしており、あっと言う間に、由紀子達は、武士達にすっかり周りを取り囲まれてしまった。
「危ない所だったな。獅獣に喰われるところであったぞ。皆の者、徳子様が仰せになられたよそ者達を見つけたぞ。女子もおるぞ」と武将の恰好をしている一人が剣を抜いて言った。由紀子達はなすすべもなく、奮えながら大人しくしていた。
「我こそは、徳子様に仕える平宗明とその息子の宗盛なるぞ。そなた達は、奇妙な恰好をしておるな。徳子様の仰しゃるように外の世界からの者達か?」とその武将が尋ねた。
「確かな事は解りませんがその様です」と浩介が答えた。
「宗盛、この者どもを馬に跨らせて、四面京の徳子様の御前まで引っ立てよ」と宗明が傍にいた若武者に命令した。