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ハイジャックダンス

 ぐぐっと身体が押し付けられる。続いて浮き上がる様な感覚。初めての感覚に藤香は若干の緊張と高揚を感じていた。辺りに広がる音が大きくなる。耳に違和感が起った。慌てて唾を呑みこみ事なきを得る。今、藤香は空を飛ぼうとしていた。


 浮き上がる感覚がやがて治まり、藤香はシートに預けていた体を起こして、隣を見た。視線に気づいた花子が藤香と目を合わせてにこりと笑った。藤香もそれに笑みを返す。ふいと花子の視線が再び下に落ちて、何やら先程から熱中している携帯ゲームへと意識を戻した。


 ここは飛行機の中。今、藤香はロシアに向かう為に飛行機に乗っている。ファーストクラスの心地の良い座席に再び沈み込んで、藤香はぽつりと呟いた。


「魔術で飛んでいくんじゃないんだ」


 携帯ゲームから視線を外さずに花子が答える。


「長距離跳躍はお金かかるからねぇ。飛行だって目立つし疲れるし」


 花子の言葉に、初対面の時に花子と言い争っていた男が言葉を繋いだ。


「魔術の基本は隠秘だから、出来るだけ普通にするのが一番なんだよ」

「良いの? 気を散らしてて」

「あ」


 ゲーム機から決着を告げる音が聞こえて、男は大げさに額に手を当てた。どうやら花子が勝った様だ。先程から同じ光景ばかりを見ている気がする。


「駄目だ。勝てん。青葉交代だ」


 藤香、花子、通路を挟んで男と更にもう一人、少年が並ぶ。青葉と呼ばれた少年はゲーム機を押し付けられて困った様な笑みを浮かべた。


「馬頭さん、折角藤香さんもいらっしゃるんですから、四人で出来る様なパーティー系やりましょう」


 男──馬頭はそれもそうだなと言って、棚に置いてある荷物を漁り始めた。藤香、花子は高校生、馬頭は三十代、青葉はまだ小学生、いまいちちぐはぐな四人は共に盗賊行為を働く為にロシアへと向かって移動中である。


「はあ、しかし何だって俺がこんな子供のお守をしなくちゃならないんだ」


 荷物を漁りながら馬頭がぼやいた。苦笑を交えた冗談めかした口ぶりだった。下で馬頭の様子を見上げていた青葉が笑いながら馬頭を宥める。


「まあまあ、大事な先遣隊じゃないですか。それに僕はともかくうちの最高戦力の花子さんとキーマンの藤香さんを任されているんだから」

「役に立たねえからとりあえずって言われたんだがな」

「なら参加したかったんですか? あのゲームに」

「いや、そりゃあ」


 馬頭は荷物を漁りながら、盗賊団の会議を思い出した。




 会議の終盤、藤香を連れてきた久下は招待状を書き終えると、


「それじゃあ、早速行動に移りましょうか」


とにこやかに笑った。久下は手が打ちなさらして皆に立つようジェスチャーを送った。だが誰一人として動きだす者は居なかった。


「どうしたんですか、皆さん。もうお祭りは始まってますよ」

「いや、そう言ってもさ、あんた」

「俺達は何をすればいいんだって話だよ」


 皆の疑問を一手に受けた久下は、ああと呟いてから、忘れてましたと言った。悪びれた様子は全く無い。ふざけんなという罵声もどこ吹く風である。


「どうすんだ? とりあえずロシア行ってから考えるか?」

「いえ、私達は一番最後で良いのです。むしろ今行ってはまずい」

「じゃあ、どうする訳さ」

「なら、交渉しましょう」

「交渉?」


 皆が一様に怪訝な顔をした。これから盗みに行くというのに何を交渉するのか。まさか警備を薄くしてくれなんて交渉ではないだろう。


「手紙を送っただけじゃ実際に動く組織は少ないでしょう。だから交渉しに行くんですよ。祭りに参加する様に」

「ああ、参加者を募る訳か。だが交渉っつったって」

「幸い今まで盗んできた餌が沢山ありますからね。釣れる組織もあるでしょう」


 僅かに納得の声があがる。だがまだ懐疑的な者が多い。


「雁首揃えて老舗のご機嫌伺いか。子供の丁稚か、おい」

「一人十組織ノルマにしましょう。失敗したら罰ゲーム。ビリには更に過酷な罰ゲーム。これなら張合いも出るでしょう」


 ふざけんなという声はやっぱり久下の耳に入らない。そうしましょうそうしましょうと言いながら、早速表を作ってノルマだのなんだの書き込んでいる。段々と諦める者が増えて、罵声はどんどんと小さくなっていく。とっくに諦めていた馬頭は描かれた表を見て、自分の名前が無い事に気が付いた。


「おい、俺の名前が無いぞ」


 別にあって欲しい訳でも無いが、無いなら無いで居心地が悪い。無い事をネタに後でからかわれる可能性もあるし、気付かなかった事を責められていち早く罰ゲームを負わされるかもしれない。後で面倒な事になるのであれば、今面倒な事になった方が良い。


「ああ、馬頭さんは無しの方向で」

「どういう事だ?」

「だって、馬頭さん交渉に向かないでしょ?」


 皆が頷いた。馬頭はそんな人々を眺めて不機嫌になるも、結局反論はできなかった。自他共に認める強面で、がっしりとした巨体は見る者に脅威を与える。礼儀や愛想という物も欠けていた。高圧的な脅しならともかく、それ以外の交渉事に向かないという意見は、彼を知る者なら誰でも納得する。


「ならどうするんだよ」

「いち早く会場に行って、見極めといてください。盗めるかどうか、盗めるとしたらどんな準備が要るか」

「分かったよ」


 そちらの方が遥かに馬頭向きの仕事だった。だから快諾したのだが、それに余分なおまけが付いて来た。


「という事で、藤香さん、花子さん、それから青葉君も、馬頭さんに付いて現地入りしてください」

「ちょっと待て!」

「何ですか?」

「どうしてその三人が付いて来るんだ」

「交渉に向かない組だからです」


 馬頭が三人を見る。まず藤香は今日入ったばかりの新人、組織の名前を背負って交渉というのもおかしな話だ。青葉はまだ小学生、舐められる可能性がある。花子は年齢や外見の幼さという問題もあるが、それ以上に頭のネジが少し外れている。何れも交渉には向かない連中だった。馬頭も含めて。


「だからってなぁ!」


 馬頭の抗議は久下の耳に入らない。久下はパソコンに向かって何かを打ち込んでいた。少しして馬頭に一枚の紙が渡される。


「じゃあ、三時間後の便に予約しておいたので、今からさっさと行ってください。他の皆さんもこれから交渉に。期限は一週間、ちゃんとノルマをこなして下さいね」


 馬頭がもう一度抗議しようとしたが、一斉に膨れ上がった盛大な罵声の嵐に因って阻まれた。何人かが席を立ち、久下の元へと詰め寄って来る。馬頭は手渡された紙に書かれた出発時刻を確認した。あまり時間が無い。というよりぎりぎりだ。気が付くと、交渉に向かない組の三人が馬頭の元へと集まって来ていた。馬頭は溜息を吐いて、諦める事にした。




 回想を終えた馬頭は現実でも溜息を吐いた。藤香と花子は会議の様子を思い出して笑っている。


「あの後久下さんぼこぼこにされちゃってさ」

「逃げ回ってたよね」

「藤香の所に助けを求めに来て、他の人達に非難されるし」

「あれはちょっとかわいそうだったね」


 呑気な二人の会話を聞いて、馬頭はまた溜息を吐いた。これから戦場に行くと言うのに。荷物を掻きまわしていた馬頭はようやく目当ての物を見付けて、取り出した。馬頭の手にはゲーム機が二台載っている。


「ほら」


 青葉に投げてよこす。藤香にも手渡す。


「それはお前の分のハードだ。ちゃんと名前が書いてあるだろう」


 藤香が確認すると確かに裏面に『TOUKA』と書かれたシールが貼ってあった。横から花子が覗き込んでくる。


「一人に一台ずつ支給されるんだよ」

「ソフトも申請すれば買ってもらえますよ」


 何とも緩い盗賊団である。


「どうしてそんな」

「まあ、娯楽ってのは大事なんだろうな。荒む仕事だから。ゲームだけじゃないぞ、スポーツでも読書でも、中には機械の部品を経費で買いまくってロボットを作ってる奴も居るし」


 荒む仕事。藤香は自分が行おうとしている事を思い出した。これから犯罪行為に手を染めようとしている。だが、それに対して罪悪感は持っていない。何故なら薬を──


「FREEZE!」


 銃声が響いた。後ろの後部座席からだった。藤香が振り返るも前部座席と後部座席を分断する壁に阻まれて何が起こっているのかは分からない。また一発。続いて、機内のアナウンスが流れてくる。この機体は我々が制圧した。とても短い脅しだった。


「どうするー?」


 花子が呑気な口調で馬頭に尋ねた。馬頭はどっちでも良さそうだけどなと言って黙った。何が良いのだろうか。藤香には分からない。分からないが、分からないなりに、今の状況がそれほど深刻でない事を読み取った。


 かちりと音がする。


「にーつおちゃおしぇんま」


 いつの間にか傍に居たハイジャック犯が藤香に銃を向けていた。何と言っているのかは分からない。気が付けば、藤香達の居る前部座席にも幾人かのハイジャック犯が銃を持ってうろついていた。


「何すんの、あんた」


 固まった藤香の代わりに花子が応じた。


「なにをおまえらはしている?」


 ハイジャック犯がたどたどしい日本語を花子に向けて言った。


「ゲームしてんの、ゲーム」


 花子がそう言ってゲーム機を見せびらかすと、それに向けてハイジャック犯の手が伸びた。


「それはぼっしゅうだ」


 花子のゲームがその手をかわす。すかされたハイジャック犯は憤慨気味に、今度は藤香の持つゲーム機へと手を伸ばした。藤香は固まっていてそれに反応できず、かわした花子と違って、今度はあっさりとゲーム機が掴まれる。ハイジャック犯はゲーム機を取り上げようとして、その手を止めた。花子の手がハイジャック犯の手を掴んでいた。


「殺すよ?」


 低い文句にハイジャック犯が硬直する。


「ねえ、もうやっちゃっていいよね?」

「あー、関わっちまったからそいつだけは良いんじゃねえか、全く」

「やったね」

「殺すなよ。うちはクリーンな盗賊を目指してるんだ」

「分かってるって」


 花子の眼がハイジャック犯を見る。ハイジャック犯の眼が花子と合う。


「WHAT ARE」


 何事かを言おうとしていたハイジャック犯の言葉はそこで途切れた。轟音が鳴る。気が付くと、見えない何かに吹き飛ばされて、ハイジャック犯は壁に崩れ落ちていた。


「昔だったら殺してたんだからね」


 そんな花子の言葉はハイジャック犯には届いていない。昏倒したハイジャック犯から興味を失した花子は、心配そうに藤香を覗き込んだ。


「大丈夫だった?」

「うん、大丈夫。ちょっとびっくりしたけど」

「良かった。全く女の子相手に、失礼な奴だったね」


 怪我が無い事を確認したって、二人は安堵した。そこに馬頭が声を掛けた。


「終わったみたいだぞ」


 馬頭の言葉に二人が立ち上がって辺りを見回すと、辺りにハイジャック犯と思しき人物達が転がっていた。中には明らかに死んでいると分かる者も居る。血が垂れ流れて、海を作っている。


 藤香はそれを見ても、ほとんど何も感じなかった。恐怖も気持ち悪さもまるで。出発前に薬を飲んでいたからだ。恐怖などの戦いの場で不都合な精神を抑える薬。薬の威力を実感して、藤香は変な気分になった。多分薬を恐れようとしているのに、薬に抑えられて怖がる事が出来ていないのだ。同時に微かな高揚もあった。自分が物語の中の登場人物になった様な錯覚。フィクションを夢見ていた藤香にとってそれは何よりもうれしい事だった。なのに興奮は小さい。過度な興奮も薬は抑えてしまう。


 前に備え付けられた扉が開いた。操縦席に繋がる扉の向こうからは、血を浴びた二人の男女が現れた。二人ともスーツが血で赤く染まっている。木でできた弓矢を携えている。


「あ、狄さん」

「ハロー、花子」

「こんにちはー」


 ティと呼ばれた二人は花子に向かって手を振ってから、扉の向こうからハイジャック犯の死体を引きずって来た。


「もうそちらも終わったですか?」

「みたい」

「武闘派の魔術師ばかりが乗ってる便をハイジャックしようとしたのが運のつきだな」

「その通りですね」


 狄の視線が花子達の背後を見ている。四人が振り返ると、前部と後部を繋ぐ通路から、こちらの座席を確認している後部座席の人々の様子が見えた。何人かはやはり血が付いている。


「FINISHED?」

「YES」


 覗いていた人々は顔を引っ込めて、座席に戻った様だった。

 本来であれば恐怖の象徴であるハイジャックはいともあっさりと終わっていた。日常の一コマの様なあまりにもあっさりとした事件だった。


「そちらのお嬢さんは?」

「ん? ああ、ウチの新人だ」

「これはこれは。私は狄霖花です。よろしくお願いします」


 リンフアと名乗った女は頭を下げて、続いて男の方も名乗り礼をした。


「私は狄速全といいます。よろしくします」


 スーチュアンは握手を求めてきた。藤香がそれに応じると、掌にべったりと血が付いた。


「しかし多すぎるだろ。ハイジャック犯以外全員魔術師じゃないか? みんなロシア行きか?」

「そうだと思います」

「あんた等もお宝目当てか?」

「いいえ、私達は狩りをしに。間違いなく獲物はこの祭りにやってくるでしょう」


 二人の眼が怪しく光り、口の端がつり上がった。


「そ、そうか」


 馬頭はちょっと気圧されてから、顔を引き締めると、霖花が引きずる死体を見つめた。


「それでこいつ等は何なんだ?」

「さあ? 話を聞く前に殺してしまったので何とも」

「じゃあ、こっちで確保した奴に聞くか」


 そう言って、振り返ると、後ろに控えていた花子が手を振って否定を示した。


「ああ、無理無理。もう自殺しちゃったよ」

「何?」

「向こうも生き残った犯人は居ないみたいですね。口の中に毒を仕込んでいたみたいです」


 いつの間にか後部座席を確認しに行っていた青葉が戻って来て、そう言った。


「はあ、何だかきなくせえ奴等だな」

「それでこそのお祭りでは?」


 血の匂いの充満した空間で、二人の狄はにこりと笑った。

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