招待状は世界中に
雪を踏み締め門の内へ。門の内も門の外もどちらも屋外であるはずなのに、明らかに門の内は暗かった。不思議に思ったが答えは出ない。
門の先には城が建ち、遥かな高さの扉が少年を待ち受けていた。少年と死神が扉の前に立つと、勝手に扉が開き、煌びやかなエントランスが広がった。広い、重厚だ、輝いている。本当に輝いている訳ではないが、その如何にも荘厳な雰囲気は光り輝いているとしか言いようのない光景だった。正面には使用人達の壁で出来た道が真っ直ぐと伸びている。その先には階段が在って、階段は壁に沿って横へと分かれている。その上に巨大な絵、白い衣を纏った男の絵が掛かっていた。その顔は白いフードに隠れて見えない。唯一見える口は笑っている。見上げる来客を見下げている。眼は見えないし、そもそも絵なのだが、観察されている様な気分がして、少年は何だか嫌な気分になった。
「あれは私の祖父です」
死神は短くそう言って、左右に控える使用人達の間を通って階段へと歩んだ。少年は進む事を躊躇していたが、死神が振り返って手招くので恐る恐るといった様子で後ろについていった。
「そういえば、まだあなたのお名前を聞いていませんでしたね。お名前は何と言うのでしょう」
「雪野勝利です。あの」
「勝利さんですか。良い名前ですね」
勝利の言葉は振り返った死神に途中で遮られた。鼻白む勝利に向けて死神は歩きながら軽く一礼をした。
「私はソーフィアと申します。日本で言う姓に値する呼称はありません。ただ、ソーフィアと」
「ソー……フィアさん?」
「はい。とはいえ、私とあなたはもう仲間。ソーニャなり何なり如何様にもお呼び下さい」
「仲間」
「はい」
「ちょっと、ちょっと待ってください」
勝利が両手を前に突き出して後ずさった。その慌て様をソーフィアは首を傾げて見つめた。
「仲間って何ですか? そもそも、そもそも、とにかく、何なんですか? 全然わからないです」
「そんなに難しい事はありません。私はあなたの胸から生えている武器に用があります」
そう言って指差した先には漸く柄の所まで飛び出た刀が生まれていた。勝利が手を添えると刀は一気に抜け出て勝利の手に落ちた。予想外の重量だった。勝利は取り落として刀は地面へ。厚い絨毯のお蔭で音はたたなかったが、勝利は思わず目を閉じていた。そして何も聞こえなかった事を確認してから目を開けると、足元に鞘、鍔、柄、全てが黒い刀が落ちていた。
「生まれた様ですね。あなたの武器です、取ってみては如何ですか?」
勝利がその言葉に促されて刀に手を掛けた。金属でできた鞘は酷く冷たかった。握り、冷たさを我慢して、力を込めて引き上げると、重い。また落としそうになった。両手で抱え上げて何とか持ち上げると、ソーフィアは頷いた。
「何よりです」
何が何よりなのかは分からない。勝利が意味を測りかねている前で、ソーフィアは横手の扉を指した。
「では、こちらにお入りください」
そう言うと、それに合わせて扉が開いた。扉の奥は応接間で、高そうな家具に調度品が並び、中央に大きなソファが向い合せに、その片一方に男が座っていて、真ん中の低い木製テーブルに足を置いていた。色の抜けた様な白い男だった。崩れた格好と薄い無精髭が粗野な印象を出していた。
男はソーフィアと勝利が入って来た事に気が付くと、立ち上がって勝利に目を向けつつ何かを喋りながら近付いてきた。何を言っているのか分からない。外国語だった。近付く男にソーフィアも外国語で何かを言った。たしなめている様だった。
「あ? ああ、分かったよ。面倒な。これで良いか?」
「結構です」
急に日本語を喋り始めた男は勝利の方を興味深げに眺めた。
「こいつがそうか。で、それが、おお、カタナか! ちょっと見せてくれ!」
男が勝利の目の前まで迫ったところで、横から鋭い声が飛んだ。
「まずは自己紹介をなさるのが先決かと思いますが」
「あ、ああ、失礼。俺はイワン。偽名だが、気にしないでくれ。あんたは?」
「雪野勝利です」
「カツトシね。あー、漢字は勝利で良いのか?」
「はい」
勝利が頷いた時には、イワンが勝利の手から刀を引っ手繰っていた。
「おお、これが噂の」
「失礼とは思わないのですか?」
「ああ、悪い悪い。勝利、謹んでお返ししよう」
持ち主に刀が戻った。少し軽くなった様な気がした。重さに慣れたのだろうか。分からない。自然と思考は重さへと向かっていた。それが特別気になったのではなく、周囲が余りにも浮世離れしていて何も分からない現状で、唯一実感が持てて答えの出せそうな問いが自分の手の上に乗った重さだけだった。刀の重さに就いて考えている勝利の前で、ソーフィアとイワンの言葉が飛び交った。
「それで、もう一つの方は?」
「既に誰かに取られた様です」
「何? じゃあ、どうするんだ?」
「とりあえずは秘密の厳守が目標です。こちらが勝利さんの武器を抑えている限り問題無いでしょう」
「襲い掛かってくるんじゃないか? あるいは庭園の方に侵入するんじゃ」
「そこまでの危険を冒すとは思いません」
「そうかい? まあ、物が物だ。奪われたところで問題無いといえば、無いが」
「あなたは」
「そう怒るなよ。だが実際二つのアイテムはそんなに重要か? 武器を生み出すのなんて訓練すれば誰でも出来る。属性の越境も珍しい事じゃなくなった。そりゃ、先先代が生きていた時には画期的だったのかもしれないが、今じゃ時代遅れと言わざるを得んだろう」
「本体がどうなのかは分かりません。もしかしたら世界をひっくり返す可能性も」
「そんな物、先先代が創るとは思えないな」
「とにかく、私は祖父と約束したのです」
「そうかい」
勝利には何を言っているのか分からない。疎外感に因る居心地の悪さを感じながら手持無沙汰に刀の重さに就いて考えていると、突然背後の扉が開いて、エプロンドレスを着た使用人が慌てた様子で入り込んできた。そして早口で何かを捲し立てている。勝利には外国語は聞き取れない。
「成程、分かりました。ではその手紙を読み上げてください」
ソーフィアが日本語で言うと、使用人の少女は初めて勝利に気が付いた様に目を見開いてから、続けて息を整え日本語を発した。
「はい、では読みあげさせていただきます」
○ ○ ○
「おい、チェシャ猫! これ以上、変な妄言は止めろ!」
円卓についた男が声を荒げた。体格の良い強面の大男だ。男は魔女を見ながら立ち上がった。
「あなたの名前は?」
魔女は男の事などまるで無視して、少女へと尋ねる。男はそれが気に食わない様で、苛々とした様子で煙草を取り出し火を付けた。火は付いたかと思うとすぐに消えた。男は一瞬呆気にとられたが、正気付くと魔女を睨みつけた。
「私は多貴藤香。あなたは?」
「私はね、佐藤花子」
「うおい! お前、何だってチェシャ猫って名乗らねえんだよ。それらしく振舞おうとか言って、馬鹿げた仇名で呼び合おうとしたのはお前だろ。何で、張本人が真っ先に破ってんだよ」
「うるさいなぁ。ちゃんとハンプティダンプティの事はハンプティダンプティって呼んであげるから黙っててよ」
「止めろ! いい! いらん! 呼ぶな!」
周りの人々が苦笑している。花子もくすくすと薄く笑ってから、また藤香に向いた。
「ねえねえ、藤香ってもしかして高校生?」
「そうだけど」
「どこどこ?」
「葉取高校って分かる?」
「本当に? 同じ同じ!」
「え、本当に?」
「うん。私二年だけど藤香は?」
「本当に? 同じだよ。何組? 私2組だけど」
「私4組。だからだねぇ。びっくりだなぁ」
「奇遇だね」
「えへへ、嬉しいなぁ」
花子が笑うとフードが落ちて、おかっぱ頭の可愛らしい顔が現れた。藤香と同い年というにはやや幼く見える。
「あー、そろそろ良いですか?」
二人で微笑んでいたところへ横合いから茶々が入った。藤香を連れてきた男だった。
「さて、もう皆さん分かっているでしょうが、こちらが無色のワンドに認められた藤香さんです」
「あの、どうも」
「はい、拍手」
拍手が鳴り響いた。笑っている者、怒っている者、無表情な者、泣きそうな者、表情はそれぞれだが、皆拍手している。花子は満面の笑みで持って、力強く大げさに手を叩いている。
「もう片方は無理でしょうね。藤香さんがかなりのクルを発しましたから、何が起こったのか、少なくとも持ち主の連中は気付いたでしょうね。やって来た精鋭に勝てるかどうか。耕也君次第ですが、まあ、無理でしょう」
男は皆を見回して一つ笑ってから、藤香へと向いた。
「えー、良く分からなかったでしょう? ちゃっちゃっと簡単に説明させていただきますね。まずあなたが踏み入れたのは、あなたが漫画だとか、映画だとか、テレビだとかで目にし、耳にする魔法の世界です。隠匿されて一般には知られていませんが、魔法は確かにあります」
藤香の心が高鳴った。魔法の世界。それが現実にあると知れただけで、じっとしていられない位に思いが滾った。魔法の世界に自分が足を踏み入れている。これから一体どんな世界を見る事が出来るのか。考えただけで楽しくなった。
「そして、私達は盗賊です」
盗賊? 藤香が理解できず眉を顰めた瞬間に男が答えた。藤香が疑念を持つ事をあらかじめ予測していたのだろう。
「あなたの想像する盗賊で結構です。物を盗む不逞の輩。少なくとも善ではない」
「なら……」
私は何の為に連れてこられたのだろう。
不安になって、藤香は人々の顔を見回した。表情に取り立てて変化は無い。盗賊だという事を藤香が知っても誰も反応しなかった。そんな事どうでも良いとでも言う様だった。少しだけ安堵する。少なくとも藤香の想像する、秘密を知れば殺してしまおうという様な荒くれた集団ではない様だ。だが勿論油断は出来ない。
「安心してください。あなたには仲間になってもらいたいだけです」
男の笑顔が酷く作り物じみて見える。男は本当に本心を語っているのか。男の言葉を本当に信じていいのか。それが分からず藤香は助けを求める様に花子を見た。花子は華やかな笑顔を浮かべていた。
「大丈夫だよ。御命頂戴なんて事はしないから。友達だもん」
花子の笑顔は本心に見えた。だがその本心はとても危うげに移ろい易いものの様に思えた。その綺麗な笑顔はガラスの様にとても脆く、ふとした拍子に壊れたら、その奥に逃れられない闇が隠れている。そんな気がした。
ふと足が震えているのを感じた。恐ろしい。今更になってこの不自然な状況に恐怖を感じ始めていた。でも、
「あなたはこの場を去ろうとは決して思わないでしょう。だから私達がごちゃごちゃ言う必要は無いかもしれませんね」
そう、何故だか逃げようとは思わない。怖いけれど、この場に残っていたい。
「だって、あなたは無色のワンドに選ばれる程、魔法に憧れていたんですから」
男は全く同じ笑顔を張り付けながら、藤香から顔を逸らした。藤香は己の足が震えている事を自覚し、それでも残ろうとする自分を自覚し、そのせめぎ合いの中で魔法という甘美な言葉が自分の中に侵入して、意識を甘く染め上げた事を自覚した。
男の言う通り、藤香が決してその場から逃れようとする事は無かった。命の危険を感じても、それでも藤香は魔法の世界に居残りたかった。
「失礼する」
「おお、耕作君。どうでした?」
「無理だ。孫が出張って来た」
「刺し違えてでも殺して下されば良かったのに」
「嫌に決まってるだろ。そっちは回収したんだろうな?」
「回収とは失礼な言い方だ。ご安心を、この通り、契約者の多貴藤香さんにお越しいただきました」
そりゃ何よりだと言って、耕作は不機嫌そうに円卓についた。それを見届けてから男は言った。
「さて、耕作君が不甲斐ない所為で」
「うるせえ」
「二つ共手に入れる事は出来ませんでしたが、いかがいたしますか?」
一人が手を挙げた。禿げ上がった小太りのおじさんだった。愛嬌のある顔だが、やけに汗を掻いているのが気持ち悪い。
「どうぞ、原田さん」
「奪ったのが持ち主だってのなら、丁度良いのではなかろうか。ガーデンに行けば自ずと奴等は迎撃してくる。そこを撃滅してもう片方の鍵も奪い、肝心の本体も手に入れれば良い」
「簡単に言いますが、返り討ちに遭うだけでしょう。ブルーガーデンだけでも厄介なのに、そこに管理者が邪魔してくるんですよ?」
小太りのおじさんが唸った。他の人々も頭を下げて考え始めた。何やら難しい問題に直面している様だ。
「そんなに大変なのですか?」
藤香が聞くと、男が答えた。
「ええ。私達はある物を奪おうとしているのですが、それは怪物や罠が待ち構える庭園の奥にあるのです。更にその所有者が由緒正しき魔術の大家で、盗もうとすればそいつ等が邪魔をしてくる。対して私達は人数も少ないし、組織も新しい。勢いはあると自負していますが、それが何処まで通用するか」
男が頭を振った。
「だったら仲間を増やせば」
「烏合を集めても仕方が無いんです。それに他の組織の協力を仰ぐのも得策じゃありません。二つ三つがくっ付いた所で突破出来るとは思いませんし、それにお宝は山分けしたくないですからね」
「他の組織?」
「ええ、勿論魔術のサークルやら結社やら株式会社やらは沢山あります。私達みたいな非合法のものもね。ただお互いが協力し合う事は少ないです。魔術の基本は隠匿ですから」
藤香はしばらく考えてから、再び聞いた。
「なら先に行かせれば良いんじゃないですか? 別の組織の人達を」
「先に? まさか囮にするという事ですか?」
「はい。そう簡単に取れないなら、先に行かせて苦戦してる後ろから行って、出し抜く事も出来そうじゃないですか? その混乱に乗じて盗んじゃえば」
「成程。他を犠牲にしてでも目的を達成すれば良いと」
男が人々を見回した。人々が一人一人頷いていく。一頻り頷いたのを確認すると、男の視線が藤香へと帰って来た。
「合格です。素晴らしく非道な考え方。大胆不敵な作戦。盗賊団の一員に相応しい思考経路でしょう」
褒めているのか貶しているのか分からない。
「藤香さんの意見を採用しましょう。やるなら派手に、孤独に道を極めんとする在野の魔術師から幾千人もの魔術師を抱えて利益追求をせんとする巨大魔術企業まで、あらゆる人々に俎上に乗るチャンスを上げましょう」
そう言って、男は空気から紙を取り出した。そこにペンを走らせながら尚も言葉を紡ぐ。
「文面はそうだなぁ。来たれ、魔術師。これじゃあ、軽すぎるな。諸兄に次ぐ。これじゃあ、あほらしい。うーん、報告書の様にしようか。招待状形式にするか。いっそ会話にしてみても面白い。どうしたら人が集まるか。出来るだけ金銭を押し出した方が良いか? いや、それだと俗に過ぎる」
男がぶつぶつと紙と顔を突き合わせている。
その不気味な様子を眺めている藤香の傍に花子がやって来た。
「あーあ、久下さん、また暴走しちゃったね」
「いつもの事なの?」
「そう。大体碌な事にならないけど、みんな面倒だから放置してる。それよりようこそ鼠の米蔵へ」
「鼠の米蔵?」
「そう、うちの名前。久下さんが付けた名前らしいけど、センスないんだ。かっこ悪いよねぇ」
「ちょっとね」
「まあいいや。ようこそ。仲良くしようね」
藤香が頷くと、横から「出来た」という声が響いた。
「アテンションプリーズ! 拝啓、皆々様。先日亡くなられたホワイトウィザードの庭でダンスパーティをしましょう。優勝者には秘蔵の品をプレゼント。こぞりまくりましょう。死力を尽くせ!」
久下は何度か同じ文面を読んで、頷き、完璧だと呟いている。
「ね? 本当にセンスないでしょ?」
「うん。かなりね」
○ ○ ○
「ふざけた文面ですね」
ソーフィアの苛立ちが混じった言葉に使用人はびくりと体を震わせた。
「はい。この手紙、そこら中に配られているみたいです」
震える言葉にソーフィアが頷いた。
「そうですか。盗賊、鼠の米蔵。聞いた事はありませんが」
「聞いた事あるぞ。何だか日本が本拠地の過激派が居るらしいってな」
「過激派……ですか」
「恐らくワンドを取ってったのはこいつ等だろうな」
「でしょうね。ですが今更関係ありません」
イワンは鼻で笑いながら、使用人から手紙を引っ手繰った。
「ふん、この文章の通り、馬鹿共がこぞりまくるぞ。どうするんだ?」
「決まっています。全て刈り取るまでです」
完全に置いてきぼりにされた勝利は窓の外を見た。外は雪がちらちらと降っていた。ここは何処なのだろうと考えていると、山奥だ、ロシアの、という声が頭の中に聞こえた。




