幕間劇
満月の夜、より強い月光が降り注ぐ場所に二人の男女が立っていた。男は恐らく三十歳代に近く、女は十代中盤といった所だろう。
「ふむ、少々見学の心算で見に来たのだが、これは……面白いと思うべきか恥ずべきか。どちらにせよ、予想外の出来事には違いない」
そう男が呟いた。
男たちが立っている場所はこのロンドンでもかなりの高度に位置するビック・ベンの時計台だった。そこから見下ろすように、イースト・エンドの外れ街を見ている。
見ていたのは二人の≪殺戮姫≫による決闘。無論、ただの殺し合いであるが、その戦いにおける技量のぶつけ合いを無粋な言い方で表すことは出来ず、言葉にするならば決闘と呼ぶ他ない。
「確か≪斬殺姫≫は二度目の戦いだろ。しかも、一戦目は惨敗。殺されはしなかったものの一方的に痛めつけられてたからな」
男の横いた少女が言った。それは≪斬殺姫≫が本調子ではない事を示す物だったが、少女と男は≪斬殺姫≫が負けるだろうと考えていた訳ではない。むしろ、その逆であった。
「だが、だからと言って≪斬殺姫≫は≪銃殺姫≫とはレベルが違う。正確に言えば、肉体の初期設定が違いすぎる。にもかかわらずだ」
そう、≪斬殺姫≫は競り負けた。一瞬とは言え、≪銃殺姫≫が上回った。もしも――もしもの仮定で≪銃殺姫≫の肉体スペックが上だったのならば。
「けど、あり得ない話ではないけどな。肉体初期設定は≪斬殺姫≫の方が上だったとしても、≪銃殺姫≫魂の格が思いのほか高かった、てことだろ」
「悪いが、私はそこの事情については余り詳しくない。少しご教授もらえないかな」
「そうだな、≪殺戮姫≫に選ばれたのは過去の人間。それも犯罪者を選び、神の肉体として再生できるようにして創り出した。これはお前がやったんだから、分かっているよな」
≪殺戮姫≫――半神とも呼べる人間と神との中間存在。それは丁度人間時の肉体と神の肉体が半々になるようにクローン技術で再生された人間だ。しかし、男が試したところ只の人間では全くといっていいほど成功しなかった。肉体を生成する際、どうしても人間の肉体が負けてしまうのだ。そうすれば、神の肉体となり、もう人とは呼べず、人間の器でない以上人間の魂は宿らない。かといって神の魂が宿るかといえば、そんな信仰の欠片のない場所に現れる方がおかしい。
男はそれでもあの手この手を試すが結果は同じだった。そして、行き着いた答えは魔術師の冗談染みた言葉だ。
『ならば、神をも退くほど傲慢な人間でも使えばよいのではないか?』
今にして思えばだが、あの魔術師は全てこうなる事が分かっていて、そのように言った気がしてならない。しかし、そのような事は男にとってはどうでも良かった。必要な物は目的とその手段、それが分かったのだから些細な事に興味はない。
傲慢な人間、即ち法に外れるような者たちが適任だ。犯罪者、それも死人を使おうと男は考えた。
そして、古今東西の著名な犯罪者の遺伝子を集め、実験を再開した。一番、最初には無名の殺人鬼を一割に満たない神の肉体と人間の肉体で試験し、結果は成功した。無論、神の肉体の比率が低かった事が成功の要因だったが、それでも今までとは比較にならないほどの結果である。男は、それを元に解析し、恐らく神の肉体と人間の肉体を半分の比率でも問題ないと判断した。
しかし、結果は散々であった。何体か試してみても失敗の連続、人間の肉体が侵食され神の肉体の比率が勝り死んでしまう。確かに今までよりも成功に近づいている事を実感していたが、どうも上手く行かない。
だが、男は持ち前の勘を持ってこれに賭けた。全ての素体に試してみた所、成功する素体が出てきたのだ。そうして、上手く行ったのが他の三人。その知らせを受けた魔術師が、新たに拵えて来た神と人間の遺伝子を組み合わせた素体が二体。これが実験の成果だった。
最初の試験体は言うまでもなく≪銃殺姫≫。他三名は≪殺人姫≫≪吸血姫≫≪毒殺姫≫。そして、魔術師が用意した素体≪斬殺姫≫。
そして、この実験の相性が良かったのか成功したのは女性体のみであった。故に彼女達に付けられた名称は≪殺戮姫≫。
「なるほど、思い出した。結論から言うと神の肉体による侵食に必要なのは魂の格。そして、それは即ち魂には神に拮抗するだけの力があることに他ならない」
「≪銃殺姫≫はそれが他の三人に比べて強かった。そして、その要因を持って総合的に≪銃殺姫≫の強さは他の≪殺戮姫≫に劣らない程になっているって事だ」
「実に興味深いな。しかし、それよりも興味深い事が二つある」
「聞いてやるよ。今のところ暇だからな」
男は言いたい事を口に出そうとして、言いよどんだ。それはおろか、より一層険しい眼光で先程の戦場を見つめ出す。
「おい、なんだよ」
「いや、彼のことだ」
男の瞳に映るのは、かの天才ヴィンセント・フィッツモーリス。男は当然ヴィンセントの事を知りもしない。だが、直感で感じとっていた事がある。
「あれが……っ!」
「見えたかな。彼はこちらを見ている」
「見えてるのか?」
「恐らくだが視覚としては見えていない。只なんとなく見ているのだろう。何かがそこにあるんだと分かってな」
「第六感か、ここまで強力な奴は珍しいな」
第六感。勘と訳すべき、ある意味究極の技能。それを会得した物は早々死なず、あらゆる物事に早々負けることはないと言う。彼はそれを間違いなく使いこなしている。
「彼は気に食わない」
男が突然呟いた。男はヴィンセントの人となりを一切知らない。その思想も、その信念も、その矜持も――だが、直感する。相手の存在を認めない次元まで相手を否定したい感情が込み上げてくる。
「理解できたよ。もしも、私の計画が頓挫してしまう事があれば、それは間違いな彼の仕業だろう」
「そいうや、お前も"それ"使えるんだったな」
「第六感か。ここまでくれば未来予知とでも言い換えられそうなものだな」
それは神の御技とも呼べる所業だろう。なぜならば、大抵の事は勘だけで片がつく。それは余りにも簡単すぎて――
「実にくだらない。神にでもなった気分と言うのが尚更腹が立つ」
「それで、もう一つは」
「それか、それは君の事だよ。正確に言えば、君たちのだ」
「確かにな、お前はどう思っているんだ。ジェイムス・オブライエン博士、またの名を≪天才生物学士≫」
「それを君の口から聞かせてもらえないだろうか、もう一人の≪斬殺姫≫」
「ふふ」
少女が笑う。月下に照らされて黄金に光る髪を揺らしながら、セザーリオと死闘を繰り拡げた≪斬殺姫≫と同じ顔を持つ少女がそこに立っていた。服装も、声も、顔も、肌の色も、全てが寸分狂いなく一致する。違うのは、髪形と口調だけ。
「簡単だ。あれ私は同じ物から生まれた同じ物。違いは少しだけ、あっちは人間の魂が宿り、こちらには神の魂が宿っただけさ」
彼女達に使われた神の死骸は他の者達と違い単一。故に神の魂が宿る事が唯一あり得たのだ。
「比率は51:49。要するに同じ人間である事には変わりないんだよ」
「ならば、口調が荒っぽいのが君なのかなぜかな。君は神の魂が宿った方なのだろう。もう少し威厳があっても良いと思うのだが、如何せんそこらのチンピラと同じ口調なのは少々いただけないのだよ」
「それは分からねぇよ。あくまで推測になるが、あっちの方はこっちが神として生まれる前よりも前に存在していたって事なんだろ」
人の話す言葉は月日と共に変わって行く。しかし、古い方が古風な新しい方がより現代的になるのは必須。しかも、神と言う存在はしゃべる事は滅多にない。喋り方の縛りが無い以上。人間の魂を基準にして新しい喋り方、より荒っぽい喋り方をするようになった。それが彼女が導き出した答えだった。
「なるほど、面白い。より興味が沸いたよ。神が存在するよりも速く生まれた人間、しかも何故魔術師がそのような物の遺伝子を見つけることが出来たのか、謎は尽きないな」
男も笑う。実に面白い。やはり、人生はこうでなくてはならない。面白さと越えるべき障害、ここが人生の正念場であると間違いなく断言できる。
「さあ、美しき≪殺戮姫≫の舞台。今夜より死の舞踏の始まりだ。存分に戦いそして上れ、神を――その座から引きずり落とす為に」
ちょっと嘘つきました。次からが話の本番に入っていきます。