≪銃奴≫――ガンスレイブ――
「恐怖は殺す」
その言葉を呟いた。時を同じくして、向かいの建物を使って屋上へと飛び上がる少女が一人。月夜に照らされた髪は金色。中央で左右に別けた長い髪を揺らしながら、屋上に着地した。
「見つけた」
渦巻く瞳は狂気。闘争心と復讐心、殺意と恐怖を織り込んで、見るもの全てを威圧する。
「その匂い、気配、存在、全てが許せない」
分からない。分からないが、憎いのだ。目の前の半神の中にある何かが堪らなく憎く、殺意が肥大していく。
だが、セザーリオは動じない。恐怖を感じていない。その少女の手に握られている二本の大剣もすべからく彼女にとっては恐怖の対象ではなかった。
屋上の床が蹴られる。その脚力は足跡を残すように床を凹まし、身体は異常な速度を持ってセザーリオに迫る。だが、高速で近づいてくる敵を見てもセザーリオは恐怖感を憶えない。しかし、僅かに残る理性で危機と判断したセザーリオは、銃弾の装填されていない銃を高速で迫り来る少女に向けた。
そして、有り得ないノズルフラッシュが起こる。いつの間にか装填されていた幻想の銃弾が、火を吹く銃身から放たれた。
「遅い!!」
女の目が容易く銃弾を捉え、大剣で横に薙ぎ銃弾を弾き返した。本来装填されていない銃弾は、砕かれ泡沫の夢のように現実から消える。それでも、セザーリオは怯まず撃ち続けるが、女はその全てを二本の大剣を巧みに操り悉く叩き伏せた。
「この程度? さっきのやり合った奴とは天と地ほど差ががあるわね。所詮、プロトタイプ、運がよかっただけの素体って事かしら?」
少女はセザーリオの間近に迫っていた。既に大剣を振れば仕留められる距離にいる。それでも、セザーリオは目の前の敵が何をしようとしているのか本能で理解できないでいた。
だが、ここに来て女は疑問を覚える。銃を撃つのは分かる。だが、どうしてこの女は恐怖していない。死ぬ事を知らないような。そう、これで刺されれば人がどうなるのか、いまいち分かっていないような――
「どちらにしろ。これで終りね」
驚くほど容易く大剣はセザーリオの腹に深々と突き刺さった。その刀身の半ばより深く刺さり、溢れ飛び散った血が、金色の髪と服を赤に染め上げる。
「これで殺しきる。吸収などしない。その存在をかき消してやる!!」
言霊はセザーリオに宿る何かに向かって放たれる。セザーリオも何かが消えていくように感じていた。死を司る何か、それが徐々に消えていく。 それとは関係なしに、どくどくと際限なく滴り落ちる血液。自分が削れ荒れていく感覚。より明確に、より分かりやすく、脳に叩き込まれる自らの死。それが、彼女の記憶を呼び起こす。
怖さ故に恐怖の対象をすべからく虐殺していった幼い自分。あの日、十代の少女が一度も握った事のない銃を完全に使いこなした記憶が蘇る。身体も能力も思考も全ては銃を完璧に撃つための道具。すべては敵を殺すために――
「これが私を殺すの?」
肺に入る血により上手く喋れない。だが、自覚していく。これが、私を殺すもの。そうだ、そうだ、そうだ、死にたくない、死にたくない、死にたくない。そして死を実感し目の前の刃に恐怖する。それだけ、だから殺す。殺さないと安息は訪れないのだから。
初めての恐怖は肉親が死んだ事。その時、感じた恐怖はどれ程のものか、恐らく自分が認識していた世界よりも大きい。そして、考えてしまう。他人が死んでこれだけの恐怖を感じるのだから、自分が死ぬのはどれ程の恐怖だろう。その恐怖の大きさを考えること自体が強大な恐怖。だから、殺す。自分に僅かでも死を連想させる小さな恐怖を――
「怖い。死ぬのが怖い。だから、どんな恐怖も殺さないと」
セザーリオの腕が上がり、銃の標準は女の眉間へと向けられる。
「お願い。死んで」
そして、引き金が引かれた。
「くッ!」
金髪の女にとっても予想外の事態。突然、溢れ出した生命の灯火に危機感を覚え、大剣を残し後退しないでいれば、あのまま眉間に穴が開いていただろう。
何が起こったのか知る由もない。だが、油断していたのは事実。この程度ならどうとでもなると思っていたのも事実。それを簡単に覆された。出来損ないと言っていたが想像以上に化け物だ。殺意もなくただ観測を繰り返す目。自分とは違ったベクトルに向かった狂気の産物。逃れられないと直感してしまう絶対感。
「ごぉ…ふッ!」
セザーリオは、大剣を血反吐しながら引き抜こうとしながら、同時に銃を構え直した。その間も瞬きすらせずに視線は女を捕らえ続ける。
「がぁっ……ぐふっ!!」
血に染まった大剣が徐々に引き抜かれ、体から血液が流れていく。その量は致死量にもうすぐ届くだろう。だが――
「はは、これは本当に」
銃口の先は自らの眉間に合わされ、銃身は細かに動く。手元が狂っているだと始めは考えた。だが、違う。
「≪銃殺姫≫、その名に相応しい化け物ね」
銃身の揺れは、少女の動きに合わせて動いている。呼吸の度に上下する極小の動き。それすら捕らえて逃さない。
セザーリオから大剣が引き抜かれる。それと同時に塞がっていく傷痕。尋常ではないスピード。僅か一秒足らずで、拳ほどの穴は三分の一は塞がれた。
「もう嫌な臭いと気配は消せたけど。最後までやらないと駄目そうね」
あの体に入っていた打破すべき物は殺しつくせただろう。何より自分が理性を保てているのだからそれは明白だ。もう目的は果たしている。だから、ここから撤退するのが利口だろう。
だが、逃げるなど言語道断。騎士道を語るつもりはないが、瀕死の状態で気力を今だ絶やさずいるこの敵に全力で迎え撃たないなど失礼に値する。そして、何よりあの臭いと気配を振りまく存在が周囲にはいない。何と清清しい事か、爽快感と月に魅せられた衝動で、この場この時の興奮が数倍にも感じられる。
「感謝しきれないわ。この場、この時、この状況であなたに会えて本当によかった」
この胸の興奮を永劫刻み付けるため、これが始まりと感じながらも今この場所で決着をつけましょう。
さあ、心してかかれ。目も前に居るもう一人の化け物は、今までとは根本から違う。
セザーリオは女を観察して気づいた事がある。ドレスのような煌びやかな服装に刻まれた無数の傷跡と血痕。服の合間から見える肌は完全に塞がっているものの、霊格と魂が大幅に削られている。つまり、敵も満身創痍。自分となんら変わりなく、今の状態こそが本当の拮抗と呼べる。
だが、怖い。相手は私を殺せる武器を持っている。何と怖いことか、何と恐ろしいことか。だから、殺さなくてはならない。私に大剣を触れさせない。しかし、そんなことは絶対に起こりえない幻想だ。だけれども、いつ何時もこの銃口を向け続ければ、そんな幻想も現実となるだろう。
少女が動き出した。
最初に知覚できたのは聴覚ではなく視覚、地面に足を叩きつけるように蹴りつけ加速する少女の姿。
だが、次に確認できたの時には既にセザーリオの正面に迫っていた。そして、それを追う様にして聞こえてくる蹴りつけた音とソニックブームによって抉られている地面がその速度を物語っている。
セザーリオの銃口が眉間から離れ、少女の待つ大剣へと向けられる。だが、これでは駄目だと直感していた。相手に向け続けるのだ。そうしなければ勝てない。
セザーリオはそのまま引き金を引き、出来る限りの速度で銃弾を発砲した。
大剣は、振りぬく途中で浴びせられた数発の銃弾によって弾き飛ばされる。その衝撃は通常の銃弾の比ではなく、大人であろうと逆らえない。だが、少女は大剣を手放さない。そのまま押し返し強引に大剣を振るう。
しかし、遅い。既にセザーリオは既に後ろに飛び退いた後だった。
「ふふ、残念」
間を置かずに追撃すると思われた少女。だが、その手は予想外にも下に向かっていき、開いた片手で床に落ちていた朱に染まったもう一つの大剣を手に取る。
「これで、終わり!!」
セザーリオが後退した距離は、少女の攻撃可能範囲から考えれば僅かしかない。加えて打ち落とすべき対象は先ほどの二倍。一度目が大剣を拾う事を考えていたのならば、二度目は必殺をもって挑むはず。まさに窮地。絶対の逃げられない魔の剣によって斬殺される未来が頭の中に描かれる。
死へのカウントダウン。その刹那にセザーリオが聞き取ったのは予想外な人物の物だった。
「セザーリオ!! やられたんなら、やり返せ」
ヴィンセントが叫ぶ。その声が迫り来る死の光景よりも信頼の置ける物だった。だから、気力を絞り、蹴りを繰り出そうとした。しかし、間に合わない。明らかに差が出てしまっている。だが、セザーリオの狙いはそこではない。
「物理法則―指定改変―力学ベクトル反転!!」
屋上の更に空中、そこに浮かぶ何かが発動した。
効果は一瞬。されど絶大だった。今にも飛び掛ろうと地を蹴り上げた少女。その移動方向が反転。一瞬で逆向きへと変わり、振り抜いた大剣も同様の現象が起きる。その様子は壁に激突するために蹴りあがったと見間違うほど鮮やかに、体が屋上に叩きつけられていた。だが、効果はそれだけでは終わらない。血液が、身体を動かす神経の微弱な電気信号が須く狂い、乱れ、身体にあらゆる異常のシグナルを引き起こす。まともな人間ならそれだけで死を間近に見るだろう。
「あらゆる力の流れを反転する最強の結界ってな」
だが、曲がりなりにも彼女は超人。それだけでは決して死なず。そのハンディをもってしても常人なら容易く切り刻む。だが、セザーリオがそれをさせない。セザーリオが居たのは唯一先ほどの法則転換に巻き込まれない場所だ。つまり、セザーリオの行動の方が一手も二手も速い。
「はぁっ!」
少女の胴をこれでもかと蹴りつけ、距離を空ける。接近戦では勝機はない。だから、自分の間合いを相手より先に作り出し、どうやっても崩させないこと。これが唯一、セザーリオが取れる戦術だった。
銃をもう一度構える。もう、逃さないし、逃がさない。
「絶対に当てる」
蹴り飛ばした少女。地面に接触する直前に身体を反転させ、一切の時間を置かずに再び飛び掛る。死闘の火蓋は既に落とされている。故にどちらかが、決定的な打撃を一度切れない限り止る事はない。
金髪の少女はまたしても音の壁を容易く凌駕し音速で駆け抜ける。巻き上がるソニックブーム。再びそれを見て確信に至る。敵の速度は速い。しかし、自分の反応速度は少女の数十倍以上なのは確実。ならば、それに賭ける。
半分を過ぎる前に発砲。敵は驚きこそしたが、最小限首を動かし容易く避ける。常に狙っているのは眉間。その場所に必ず来ると分かっている。そして、この距離なら避けられぬはずがない。それは両者理解していた。
勝負は次の瞬間に決まる。距離が縮み、それと同時に避ける難易度が格段に上がる。
少女が一歩踏み込めば大剣の攻撃範囲に届く場所に来た時、再び銃弾が放たれた。
「見えた」
百分の一秒の攻防。それを見極め、銃弾が放たれたと同時に大きく、横に避ける。そして飛び退きながらも足腰をただし大剣を振りぬけるように着地しようとしていた。
それに対し≪斬殺姫≫は勝利を確信し、しかしながら≪銃殺姫≫はもう一つの忌み名を披露する。
そう、≪銃殺姫≫は≪斬殺姫≫が飛び退いた事をわずか千分の一秒で知覚。そして――
動く。セザーリオではない。銃が≪斬殺姫≫の眉間に合わされたまま、動いていく。そして、それに追随するように動く手足と体。まるで銃の奴隷であるかのように、銃の手足となって動いていく。唯一の例外はあらゆる物を逃さない死眼のみ。
「まさか!?」
そう、銃弾を撃てば、再び標準を合わせる時間があるなど希望的観測。なぜなら、彼女は銃の奴隷≪銃奴≫。銃口は常に相手に向けられている。距離があるなら避けられる。だったらゼロ距離で撃てば問題がない。荒唐無稽な彼女の理屈。それが、格上の相手から勝利を勝ち取る結果となった。
今だ眉間を狙い続ける銃口は、横に飛び避けた≪斬殺姫≫を捕らえて離さない。
「死ね!」
銃声が響き渡った。≪斬殺姫≫が頭から吹き飛ばされるように、離れていく。それを見て勝利を確信し、同時に今まで我慢していた疲労感が一気に押し寄せた。
頭が朦朧とし前が見えない。駆けつけてくるヴィンセントの声を聞きながら、≪銃殺姫≫はゆっくりと意識を落としていった。
プロローグ終了です。キャラの設定を挟んだ後、次から本格的に物語が進みだします。