始動する物語
その出来事から、いつの間にか一週間過ぎていた。最初はたどたどしかった少女も今ではだいぶ打ち解けたようで、少々変人であるヴィンセントとも上手く付き合っている。
「セザーリオ」
「何ですか? ヴィンセント」
男装をした少女が振り返る。その姿は何所にも違和感を感じない物であった。元々、中世的な顔立ちのであり、体つきも大人の女性に比べれれば数段劣っているのも相まって、どう見ても少年にしか見えない。
そして、口調は完全に強制され、少女に見られた言葉の訛りもなくなっている。
「そろそろ、何か思い出さないのか?」
その問いにセザーリオは少し悩んだ後。
「やっぱり、全然ですね。ただし、何か切欠があれば思い出せそうな気がするんです」
「一週間経って成果なし、か。コイツを創った奴に聞きたい事は山程あるんだがな」
「最初、会ったとき≪天才機構学士≫って名乗ってませんでした?」
「それがどうしたよ」
「全然、進んでいないんですね」
その言葉に少し不快感を覚えたヴィンセントは作業を止め、セザーリオがいるテーブルに近づいていった。それに気がついたセザーリオは立ち上がり、台所の方に歩いていく。
「コーヒーでも入れますか?」
「ああ、頼む」
ヴィンセントは仕事を中断する時、必ずといっていいほどコーヒーを口にする。それをセザーリオも数日で理解し、特別何もする事がないので彼のコーヒーを入れるようになってた。
その様子を見てヴィンセントは考えていた事を口に出した。
「コーヒーの入れ方は勿論、大抵の近代技術が分かるって事はだ。そう酷い教育を受けていた訳ではなさそうだな」
それに字の書き取りも十分出来るかどうかは既に確かめた。結果は言うまでもないだろう。一定基準の教育を受けているだろうと用意に判断できた物だった。
「普通誰でもそれぐらい出来ますよ」
「ま、普通ならな。要するに俺が言いたいのは、少なくともお前はこの街の外で育ったって事」
セザーリオはテーブルにカップを置き、コーヒーを注ぎながら街の事を思い浮かべる。
「確かに」
連れられたのは三度。一番印象に残ったのは浮浪者が通りには存在していない事だった。理由を訊ねた所、そんな目立つ所に弱者がいれば格好の獲物になるとヴィンセントが言っていた。それに通りで文字通りの殺し合いが行なわれていた所を目撃していたので、治安が悪いというレベルでない事は否応なしに理解できる。このような場所でまともな教育が行き届いているはずがないのだから、当然セザーリオの出身はここではない。
「でも、それじゃあ何も分かってない事ですよね」
言葉遣いは治っているが、どうやら皮肉屋である生来の性格は変わっていないらしい。
「お前もいい加減にしとけよっと」
ヴィンセントは台詞と違い特に気にした様子もなく、セザーリオの額を小突いた。
「うっ、ごめんなさい」
「分かればいい。ま、事実は事実だ。お前の記憶に関してはそれほど分かっていない。鍵となるのは、この《機構》だけ。お手上げといえば、お手上げだ」
「やっぱりですか。あっ、それより前から聞きたかったんですけど《機構》って何なんですか?」
ヴィンセントは口につけていた、カップを一旦テーブルに置きなおし、目の前のイスに座っているセザーリオに答えた。
「そうだな……言うならば魔術やら奇跡やらそんなものを起こす機械だ」
そう言って立ち上がると取り合えず近くに置いてある何かの機械を手に取った。
「息抜きがてら説明してやるか」
「はい」
「よし。それじゃあ、機械の説明から始めるか」
ヴィンセントが説明を始める。
「いいか、機械ってのは結局の所、この世界に何かしらの影響を及ぼす目的で作られている。俺が《機構》って呼んでる物もそうだがな。
でだ、機械においてその手段は色々ある。例えば何かを温めたいなら何かしら熱を出す装置を付けりゃあいい。力で歯車噛み合わせて力を別の所に加えるなんてのもあるな。そいつは数え切れないし、恐らく大半の現象は科学技術が発達すればすべて実現可能になる。
そこで重要になってくるのは、そいつが全て物理法則っていう括りで動く事だ。熱を出すのにはそれに見合ったエネルギーが必要になってくる。歯車でどこかに伝えた力は、はじめに加えたエネルギー以上になる事はない。今の二つはエネルギーの保存の法則って名づけられている。
つまりだ。物理法則という大きな括りの法則。それに沿って、様々な事象を起こす。これが俺なりの機械に対する認識だ」
セザーリオは今の説明を噛み砕き、分かりやすい形で記憶していく。そして、その内容からヴィンセントの一番言いたい事を理解した。
「要するに機械は物理法則から外れた結果は作れない」
「そうだ。頭の回転が速くて助かる。まとめると既存の機械は物理法則をなぞるにして事象を作り出していく。だったら、この《機構》こうはある発想の元に成り立たせた物だ。
物理法則が下位の結果を支配している様に、どこかにある物理法則を作り出している法則をもって物理法則を支配させられるのではないのか?」
「……何か一気に飛躍したような」
ヴィンセントは少し考えた後。
「確かに、その結論はその時点では夢想空想の域を出ていない。でも、この世に法則がある以上その法則を作っている法則があってもおかしくないだろう?」
「うーん。物理法則を決めている法則。あってもおかしくないのかどうか………?」
悩み出すセザーリオに対して分かりやすい例えを思いついたヴィンセントは説明を続ける。
「例えるなら『世界の基盤』だ。基盤があり、そこに物が存在する。俺は、この世界がそういう物だと仮定した」
「うん」
「で、この《機構》ってのは、基盤にあるだろう法則を作り出している何かを小規模ながら同じ物を作ることによって新たな法則を作り出す為のものだ」
「分かったような、分からないような?」
「前置きはこれくらいとして、この《機構》ってのは世界と言う基盤に法則を作り出すって事」
それが《機構》。世界に法則と言う名の内部構造を作り出す。機械を凌駕した存在。
「話をもう一度最初に戻すがな。世界の基盤、そいつに干渉する術を調べる事から始まった。自分で考えたが、どれも上手く行かない。そんなこんなで、結構長い事研究が停止したんだが、少し視点を変えてみたら簡単に見つけられた」
「それが、魔術?」
「そうだ。魔術又は宗教にある特定の紋章、言葉、文字、その全てを統合し考えて、火を起こすと言われている物に共通する何かを感じ取る。それを銅線と抵抗装置によって作り出し、出力装置へと繋げ完成。何かは、本当に何かだ。感覚、第六感的なものも入ってるかもな。要するに電圧の強弱、回路の形、抵抗の種類、その他諸々でその何かの形を作り出し、電流というエネルギーを通して法則を改変する。自意識過剰気味だが神の御業だ」
この世を創造した存在があるならば、そいつが行った事と同等の現象を小規模ながら引き起こす。荒唐無稽に違いないが、それが出来るのなら、神の御業と呼ぶに相応しい所業だろう。
「それが《機構》だ。分かったか?」
「要するに法則を捻じ曲げる? いや、作り出す装置って事ですか?」
「そこまで分かれば、後はどうでもいい。お前は使う側、俺は創る側。それぞれの領分があるんだ。無理に超えなくても、いや超えないほうが上手い事回ってくんだよ世界ってのは」
「ふーん。それ使って見てもいい?」
セザーリオが指を指した先には、ヴィンセントが持っていたものだった。
「ああ、その為にわざわざ取りに行ったからな」
ヴィンセントが投げた小型の《機構》が、放物線を描きながらセザーリオの手の平に収まる。
「火を出す《機構》だ。ただしコイツの場合は法則ではなく単なる魔術を電気的、機械的に行なった感じだな。世界にそこに炎があるって誤認させる形で現象を引き起こす」
「へー、これが起動のスイッチで、これが出力ですね」
玩具を与えられた子供の如く、嬉々とした表情で《機構》を見回すセザーリオ。いつもの歳不相応に落ち着いた雰囲気ではなく、本当にどこにでもいるような子供の様だった。
「それじゃあ、使ってみます」
ピンと人差し指を立て、起動スイッチの場所に持っていく。見せびらかす様に行動するセザーリオはやはり、誰かに構って欲しいのだろう。ヴィンセントもその程度の感情の機微を気づかないほど鈍感ではなく、自らの子供を見つめるような気分でその様子を見守っていた。
「カチっと」
そして、セザーリオがスイッチを押した。
それと同時に響き渡る轟音。
《機構》がもたらした火ではない。それ以上に破壊力のある何かが、この研究室の窓から研究所全体が揺れる程の衝撃をもって揺らしていた。
「な、何ですか? もしかして自分のせい?」
この異常な状況を飲み込むことが出来ないでいたセザーリオ。普段ならば、研究所の三階の窓から響いてくる轟音を聞き取り、理解するだけの知力と柔軟さを持ち合わしているが、今回ばかりは本当に不意を点かれた様で何も出来ないでいた。
「バカか! コイツは違う。おいおい、ここ三階だぞ。重火器ぶっ放すならともかく単身で乗り込んでくるのはどこの馬鹿だよ」
実際、ヴィンセントは目立つ割にあらゆる分野を高次元でこなす本物の天才だ。故に目の敵にされている事は周知の事実である。時折、襲撃を行なってくる馬鹿がいたが、研究中に調べ上げた魔術を応用し、この研究所を強固な要塞と化しているため、例え重火器だろうと窓を破壊する事は難しい。だが、今度の襲撃は全てが違う。轟音が鳴り響いているが、重火器にしては音の質が違いすぎ、発射から衝突までにある音の切れ目も聞こえない。
「何かで窓をブッ叩いてやがる」
音の種類と聞こえてくる間隔からその結論をだす。轟音の理由は余りにも規格外の力で衝撃を加えられているだけだ。
「セザーリオ、お前は屋上に行け。俺は手持ちの武器をかき集めてくる。教えておいただろう、屋上の絶対安全領域」
「分かりました」
絶対安全領域。ヴィンセントが緊急時の為に創り上げた対襲撃者撃退用スペース、屋上で唯一そのトラップに引っかからない場所だ。
「まったく、面倒な事になったな」
悪態を吐きながら、有りっ丈の武器を集める。銃を四丁、セザーリオの分を入れればこれで足りるだろう。それと出来る限りの《機構》を集める。
「そろそろか」
そう呟いた時には、この研究所を揺らすほどの衝撃は消えていた。それはつまり、この研究所に仕掛けてある結界が破られた証拠であり、襲撃者がそう
「ちょっといいかしら」
進入した証拠でもあった。