第8話 初めての村
森を抜けると、視界がぱっと開けた。
草原をわたる風が気持ちいい。ユウは大きく伸びをする。
「よし、今日は初期村まで行ってみるか」
キャンプ生活を始めて数日。
焚き火と魚と焼き肉だけでも何とかなるが、さすがに塩や調味料の不足を感じていた。
ついでに、釣り糸や保存袋などの“生活必需品”も手に入れたい。
そして何より――
「お前、さすがに調味料なしの焼き肉ばかりじゃ飽きるだろ」
ユウの肩の上で、ルゥが「ぴぃ」と鳴いた。
銀色の仔竜は小さな翼を軽く広げ、風を感じているようだ。
「……って、ほんとにわかってるのか?」
からかうように頭をなでると、ルゥはむすっとしたように首を背ける。
けれど尻尾は、わかりやすく左右に揺れていた。
小道をたどって、しばらく歩くと、小さな石垣と木の門が見えてくる。
《リンドール初期村》。
《Everdawn Online》のスタート地点となる村のひとつで、プレイヤーとNPCが混在する、まさに“冒険のはじまり”の風景が広がっていた。
村の入り口で、二人のNPC門番がのんびりと見張りをしていた。
ユウが近づくと、片方の男性NPCがルゥを見て目を丸くする。
「……おい、見ろ。あの肩……ドラゴン、じゃねえか?」
「ちっせぇけど、あれ……おいおい、ペットじゃないだろうな?」
ユウは特に隠すこともせず、「こいつは一緒に旅してるだけです」とだけ答える。
「ふ、ふ〜ん……お、おお……そうか……」
NPCの口調が妙に生々しい。
さすがは“高度AI搭載NPC”と言われるだけのことはある。
ルゥのことを見たまま反応しているようで、まるで本物の人間のようだ。
だが、警戒こそすれ、村への立ち入りを拒む様子はなかった。
「ドラゴンは……村内で暴れなきゃ大丈夫だ。自己責任で頼むぜ?」
「了解。暴れそうになったら肉で釣る」
「……肉で釣れるのか?」
「こいつ、焼き肉に弱いんだよ」
門番のNPCは困惑したような表情を浮かべつつ、通行を許可してくれた。
ユウは礼を言って、肩の上のルゥを一撫でしながら、初期村の中へと足を踏み入れた。
村の中は穏やかだった。
木造の家屋が並び、広場では農民NPCが畑を耕している。
子どもたちが走り回り、犬っぽいモンスターがそれを追いかけていた。
人間だけでなく、亜人のNPCも普通に暮らしており、まさに“もう一つの世界”という趣だ。
ユウはまず、広場の端にある《雑貨屋マリエ》に足を運ぶ。
扉を開けると、小柄な女店主のNPCが笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい、旅のお方。調味料ならこっち、道具なら奥だよ」
「ありがとう。塩と、ハーブスパイスの詰め合わせ、それと釣り糸と保存袋も」
ユウは欲しかったものを一通り購入する。
ゲーム内通貨は、狩りや採集素材の売却でそこそこ貯まっていた。
「ふふ、あなた……普通の冒険者とはちょっと違うわね。食べるものにこだわりがあるタイプ?」
「まあ、戦うよりキャンプしてたい人間なんで」
「変わってるけど、嫌いじゃないわ。森の北側に香草が生えてる丘があるわよ。料理に使うならおすすめ」
「へえ……ありがとう、今度行ってみます」
NPCのマリエが情報をくれたことに、ユウは少し驚いた。
事前に設定されているチュートリアル台詞ではなく、状況に応じた“会話”が成立しているように思えた。
「それにしても……その肩の子、かわいらしいわね」
言われて視線を下げると、ルゥが棚のスパイス瓶に鼻を近づけてクンクンしていた。
瓶を転がし、興味深げに尾を振っている。
「こら、遊ぶな。割れたら請求くるぞ」
「ふふっ、なんだか人間の子供みたいね。その子、なんて名前?」
「ルゥ。旅の相棒です」
「いい名前。……そういえば、昔、この村に“銀色の竜”が空を飛ぶのを見たって言ってたおじいさんがいたのよ。山の上をくるくる旋回してたって」
ユウの手が止まる。
「それ、最近の話ですか?」
「ううん。もう何年も前のことよ。今じゃそのおじいさんも旅に出ちゃって……。ほんとの話かは分からないけど、そういう伝承が残ってるの。『銀の尾は幸いを招く』ってね」
まるで、それが“ルゥの出現”を予見していたかのような言い回しに、ユウは無言で棚の裏の仔竜を見つめた。
ルゥは相変わらず、無邪気にスパイス瓶を抱え、カラカラと回していた。
買い物を終え、雑貨屋の外に出ると、子どもたちの歓声が聞こえた。
「わあー! ドラゴン! ちっちゃいドラゴンだ!」
「ふわふわしてる! かわいい〜!」
すぐさま子どもNPCたちが駆け寄ってきて、ルゥを見上げた。
ユウの肩にいる銀の仔竜は、彼らの視線にきょとんと目を丸くする。
だが次の瞬間――ルゥはくるりと身体をひねり、ふわりとユウの胸元に飛び移った。
そしてそのまま、ユウのフードの中へ潜り込む。
「……わかりやすいやつだな、お前」
フードの中でもぞもぞと動く気配がある。
きっと「このにおい知らない」「騒がしい」「やだ」というような気持ちなのだろう。
「せっかく撫でようとしたのに〜」と子どもたちが少しがっかりしている声が聞こえたが、ユウは「この子、人見知りなんだ」とだけ苦笑して答えた。
――本当は、違う。
人見知りではない。
ただこの仔竜は、最初から“彼”だけを選び、懐き、寄り添ってくる。
誰よりも気まぐれで、誰よりも一途。
それがこの銀の仔竜――ルゥの、ユウだけが知る姿だった。
ふと、視線を感じた。
ちら、と街角を見ると――
遠巻きに数名のプレイヤーが立ち止まり、こちらを見ていた。
視線はユウではなく、明らかに彼の肩……いや、そこに隠れた“何か”に注がれている。
ユウは目を合わせず、歩き出す。
「……そろそろ帰るか、ルゥ」
「ぴぃ」と短く鳴いて、フードの中からルゥが応えた。
草原を抜け、森へ戻る道すがら、ユウはひとりごちた。
「誰にも渡さないし、誰にも気づかれなくていい。……俺だけの旅で、俺だけの相棒でいてくれ」
小さく、優しく。
銀の仔竜が、その言葉に応えるように喉を鳴らした。