第7話 スプーンと焼き肉と銀の尻尾
ユウは川辺の焚き火跡を見下ろしながら、何かを組み立てていた。
手元には削りかけの木片と、焼けた石。
そして手製の“クラフトツール”ウィンドウが、彼の前にふわりと浮かんでいた。
「……よし、こんなもんか?」
細長く削った木材に、曲線をつけて――
初めてにしては、まあまあ“スプーン”に見えなくもない。
VRMMO《Everdawn Online》は、驚くほど細かい生活クラフト機能を備えている。
釣りも、調理も、農耕さえも可能。木材を削るだけでスキル経験値が少しずつ上がるほどだ。
しかしこの世界では、スプーンひとつ作るにも道具と根気が必要で――
「スキルLv1だと、めちゃくちゃ失敗するな……」
ユウの足元には、折れた木片や削りすぎた失敗作がいくつも転がっていた。
「まあ、火の番しながら作るにはちょうどいいか」
パチパチと、焚き火の残り火が石の間で揺れている。
ユウは今、前日に釣った小魚を串に刺し、じっくりと炙っていた。
その隣で、ルゥがフードの中から顔を出している。
小さな銀の竜。
赤い瞳をぱちぱち瞬かせながら、煙の匂いに鼻をひくつかせる。
「やっぱ興味あるのか、お前」
そう言って笑うと、ルゥは「きゅ」と短く鳴いた。
まだ子ども。だけど、たぶん尋常じゃない存在。
昨日、スライムの群れを一瞬で消し飛ばした――まるで火柱のような魔法。
それでも本人(竜?)に自覚はないらしく、戦いの後にはふつうに甘えてきた。
ユウとしては、今でも「これは夢なんじゃないか」と疑っている。
だが。
「飯の時間くらいは、現実感あるよなあ……」
川魚が焼けていく音。脂の香り。じわりと焦げる皮。
どこをとっても、完璧な“キャンプの朝”だった。
「さて、スプーンはできた。次は……焼き網、かな」
ユウは腰を上げ、川沿いに落ちていた小枝を選別し始めた。
《Everdawn Online》では、素材の“質”と“加工法”によって完成品の性能が決まる。
たとえば、ただの木の棒でも、乾燥していれば「加工しやすい」、曲がっていれば「応用性あり」などの隠しパラメータが付くのだ。
彼はしばらく枝を眺め、数本を選んでナイフで削りはじめた。
木の皮を剥き、長さを揃え、交差させて骨組みを作っていく。
「ふふ、ちょっと理科の工作みたいだな……」
細い蔓で縛り、石で脚を固定していく。
全体が歪んでしまわないように、何度も位置を調整する。
「お、ちょっとそれっぽくなってきた……か?」
不格好ながら、焚き火の上に設置できる“簡易焼き網”が完成した。
クラフトウィンドウには《木製網(粗製)》と表示され、【調理補正+1】という文字が小さく記されていた。
「初回クラフトにしては上出来だな」
そのときだった。
「きゅうっ」
ルゥがぴょん、と膝の上に飛び乗ってきた。
いつもより尻尾の動きが速い。
「ん、どうした。お腹すいたか?」
試しに魚の切り身を焼き網に乗せてみると――
じゅわっ。
脂が音を立てて焼け、あたりに香ばしい匂いが広がった。
「……あ、今のお前の目、完全に獣だったな」
ルゥの瞳がらんらんと輝き、尻尾が高速で左右に振れている。
まるで、「それ! それ食べたい!」と全身で訴えているようだった。
「……よし、じゃあ今日はちょっと奮発してみるか」
ユウはインベントリから昨日拾った《野生イノシシの肉》を取り出す。
バトルで入手したものではなく、森で見つけた野生モンスターの“すでに絶命していた”残骸から採取したものだ。
「こういうのも生活プレイの魅力ってやつだよな……」
薄くスライスした肉を、焼き網の上に並べる。
ジュワッ――と、さっきの魚以上に濃厚な香りが辺りに広がった。
「おっ、これはなかなか……」
その瞬間、ルゥがぴょん、と肩に飛び乗り、顔を肉の方にグイグイと向けた。
鼻がひくついて止まらない。舌もぺろりと覗く。
「落ち着け、火が通ってからだってば……って、あ」
彼の視界に、ふいに通知ウィンドウが浮かび上がった。
【通知】
個体《???》が「焼き肉」に強い反応を示しました。
→ 該当アイテムが“好物”として登録されました。
→ 信頼度上昇補正:+12%
「……え?」
ユウはしばらく、ウィンドウの文字を凝視していた。
「今……何が起きた……?」
このゲームに“好物登録”なんてシステムがあったのか。
それ以前に、“信頼度補正”なんてパラメータが明示されたこともなかった。
「……お前、ほんとに、ただのモンスターじゃないよな……」
肩の上のルゥは、そんな彼の困惑をよそに、肉の焼ける音にうっとりしていた。
尻尾が、ぐるぐると優雅に揺れている。
焼きあがった肉を小さくちぎり、火傷しないように冷まして差し出すと――
「きゅぅっ!」
ルゥはぱくりと頬張り、目を細め、尻尾をぶんぶん回して喜びを表現した。
その姿は、紛れもなく「ごちそうに満足した竜」そのものだった。
「……うまかったか?」
ユウが問いかけると、ルゥはぺろりと口元を舐め、満足そうに「ぴぃ」と鳴いた。
尻尾はふわりと揺れたまま、ユウの胸元へと潜り込む。
「おいおい、満腹になったからって……もう寝るのかよ」
膝の上でとぐろを巻き始めた仔竜に、ユウは苦笑を浮かべた。
彼の体温がじんわりと伝わってくる。
「……こうしてると、ほんと普通に“ペット”って感じだな」
――いや、違うか。
普通じゃない。
名前も、ステータスも、スキル情報も出ない。
戦闘記録にも一切載らない。
だけど、強大な力を発動できる。
それに、「焼き肉が好物」なんて、どこか人間臭い反応まで示す。
たぶんこの仔竜は、運営の誰もが想定していない、“この世界が生んだ偶然”なのかもしれない。
奇跡的な確率と、彼自身の選択と、たまたまそこにいた自分との組み合わせ。
「……ま、俺も奇跡みたいなもんだよな。戦う気ゼロで始めたのに、こんな相棒ができるなんてさ」
ユウは、焚き火の炎をぼんやりと見つめた。
音は静かで、風が少し冷たい。
でも隣には、銀の仔竜がいて――そしてそのぬくもりが、なんとも心地よい。
現実では忘れていた感覚だった。
誰かが、自分のそばにいてくれるというだけで、こんなにも温かいものなのか。
焚き火の音だけが、森の中に響いていた。
ルゥはすっかり寝息を立てていて、ユウはそっと撫でながら、ふと思う。
「……あの職場の喧騒とか、取引先の顔色とか……どうでもよくなるな、こっちにいると」
現実では、ただのサラリーマンだった。
毎日繰り返すだけのルーティン、数字に追われるだけの生活。
それが嫌で、気づけばこのゲームに逃げ込んでいた。
だが、“戦わないVRMMO”など、本来存在しないはずだった。
戦って、レベルを上げて、攻略して――それが普通のプレイヤーの歩む道。
それでも彼は、火を起こし、肉を焼き、竜と寝る。
誰とも競わず、ただ自然と共に過ごす。
「……俺にとっては、これが正解なんだろうな」
言葉にすると、胸が少しだけ軽くなった気がした。
そのとき。
ユウの視界にふわりと通知ウィンドウが現れた。
【焚き火周辺に一定時間滞在】
→ 隠し称号《野営者》を獲得しました。
→ 継続効果:野営中、HP/MP自然回復速度+10%
→ スキル解放:【調理:応用Lv1】
「……称号、つくのかよ……!」
彼は吹き出す。
だがその笑いも、すぐに静かな微笑へと変わる。
風は涼しく、焚き火はぬくもりを与えてくれる。
ルゥが「ぴぃ……」と寝言のように鳴いた。
「……おやすみ、ルゥ」
ユウはそっと目を閉じた。
夜はまだ深く、ゲームの世界は静かに回り続けている。
だが、確かにここにある。彼だけの場所、彼だけの時間が。
――スプーンと焼き肉と、銀の仔竜が教えてくれた。
ここが、“生きていていい”と思える世界なのだと。