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癒し目的で始めたVRMMO、なぜか最強になっていた。  作者: branche_noir
特別章 Ver.2.0

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第73話 妹との通話

 夜。


 仕事から帰宅したユウの部屋には、静かな電子音と窓に吹き付ける夜風の音が混じっていた。外では時おり車が通り過ぎ、その音が遠ざかると、街のざわめきも薄れていく。部屋の中は落ち着いた明るさで、机の上にはマグカップとPC、そして黒いVR端末。


 この時代、VRはもはや特別なものではなくなっていた。五感を再現する技術が開発されてから数年が経過したことで、一般化し多くの人が仮想世界で遊ぶことを日常の一部として過ごすようになっていた。しかしながら、その多くは遊びの枠を超えることはなかった。運営の想定通りに、運営の示したルートで遊ぶ。どれだけ映像が綺麗でも、そこには本当の意味での自由は一切なかった。


 ――《Everdawn Online》が現れるまでは。


 戦うも、旅するも、働くも、何もしないも自由。誰かに示されたルートではなく、生き方そのものを選べる仮想世界。目的を持たないプレイヤーすら、世界の一部として受け入れる。そのあまりの自由さに、人々は惹かれ、のめり込む。

 《Everdawn Online》は、もはやゲームという枠を超えつつあった。冒険も労働も、出会いも別れも、すべてが現実と同じようなリアルさを感じられる。プレイヤーの数は日に日に増え、SNSでは「もう一つの人生を始めた」と語る投稿が連日トレンドを賑わせる。そしてテレビからも、そんな《Everdawn Online》を扱うニュースが流れるようになっていた。


 その夜も――

 帰宅したユウがなんとなくつけていたテレビの中で、アナウンサーが明るい口調でこう告げていた。


『続いてのニュースです。自由度の高さで社会的な現象となっているVRMMO《Everdawn Online》が、ついに大型アップデート《Ver.2.0 ―星環の大地》を発表しました。このアップデートでは、新たな国の開放により、これまで以上に多様な生き方が可能になるとのことです』


 ニュースキャスターの弾むような声に、ユウはマグカップを手に取り、小さく笑みを浮かべた。


 「……しかし、すげぇな。ほんとに世界が広がっちまった」


 呟いたそのとき、机の上のスマホが小さく震えた。表示された名前に、ユウは少しだけ目を細める。


 ――佐伯紗良


 「お、珍しいな」


 通話ボタンを押すと、スピーカーから明るい声が響いた。


『お兄ちゃん、久しぶりー。元気?』


「ん、まあなー。そっちは?」


『うん、元気だよ。……っていうか、ちょっと久しぶりすぎじゃない?』


「はは、まあ相変わらず仕事がバタバタしててな」


『うそー。絶対それだけじゃないでしょ。』


「ん?」


『ねえ、お兄ちゃん、最近Everdawn Onlineやってる?』


「いきなりどうしたんだよ」


『別にー。ただ気になっただけ。せっかく特典アカウント渡したんだし、ちゃんと遊んでくれてるのかなーって』


「ははっ、心配性だな。安心しろ、めちゃくちゃ使い倒してるぞ。むしろ最近じゃ、Everdawn Onlineやりたくて仕事頑張って早く終わらせてるくらいだ。ある意味、前より健康的かもしれん」


『うわ、それはそれでどうかと思うけど……でも、ちょっと嬉しいかも。』


「なんでだよ」


『だって、前のお兄ちゃん……なんかずっと忙しそうだったから。話しててもどこか上の空で、休みの日もあんまり楽しそうじゃなかったし』


「……あー、そんな時期もあったな」


『だから、今の方がいいと思う。Everdawn Online始めてからのお兄ちゃん、前の明るい感じに戻ってる気がするし』


 ユウはその言葉に思わず息を漏らし、少しだけ笑った。

 その笑みには、照れと安堵が混じっていた。


「確かにそうかもなー。このゲーム始めてから、なんか気持ちが軽くなった気はする。それに単純に楽しいんだよな。誰に言われるでもなく、自分のペースで自分のしたいことできるし」


『わかるー。あの世界って、何かしなきゃって焦らなくていいもんね。自分のやりたいこと何でもできるし』


「そうそう。現実じゃ味わえない余裕みたいなのがあるんだよ」


『……うん、それ聞けてよかった』


「心配性だな、お前は」


『ふふ、昔からでしょ』


「ははっ、確かにそうかもな」


 そう言いながら、ユウはマグカップを傾けた。

 ぬるくなったコーヒーの香りが、室内に漂う。

 窓の外では街の光がぼんやりと滲み、どこかで電車の走る音がかすかに響いた。


 ――久しぶりに、こうして紗良とちゃんと話しているな。


 仕事に追われる日々が続いていた頃は、電話をかける気力さえなかった。会話といえば「元気か?」とか「ちゃんと食べてるか?」とか、そんなありきたりな言葉ばかりで。笑いながらのんびりと話すのは、いつ以来だろう。


 今も相変わらず仕事は忙しい。

 けれど――不思議と、焦りや疲れに押し潰される感覚はなくなっていた。

 あの世界で過ごす時間が、どこか心の奥に余白を作ってくれたのだと思う。


 焚き火の音。森を渡る風。湖のきらめき。

 ルゥの可愛い寝息と、セレスの穏やかなまなざし。そのどれか一つが欠けても、きっと今の穏やかさはなかった。あの静かな時間の中で、少しずつ張りつめていた何かがほどけていった気がする。


 そんな自分の内面に気づいて、ユウは小さく息を吐き微笑んだ。


 ――ルゥやセレスには改めて感謝だな


 そんなことを思っていると、再度妹から弾んだ声で話しかけられた。


『そういえばさ、お兄ちゃん。アップデートの情報、見た? ニュースでもやってるやつ』


「見た見た。今もニュースで流れてて、気になってるんだよな」


『やっぱり。五つの国、すごかったよね! 映像がさ、映画みたいだった』


「ほんとになー。まさかあんな大規模でくるとは思わなかったよ」


『それでさ――お兄ちゃんは、どこ行くか決めた?』


「うーん……とりあえず、アーヴェンティアかな。自然の多い国だって聞いたし」


『あ、やっぱり? 私のパーティーも、そこ行こうと思ってたんだよ。最初は観光がてら、ね』


「観光か。まあ、あの景色は見るだけでも価値あるだろうな」


『でさ、どうせなら一緒に行かない?』


 少しだけ、ユウは目を丸くした。


「一緒に?」


『うん。一緒に。……だめ?』


「いや、だめじゃないけど。お前のパーティーメンバーは?」


『実はさ、ちょっと予定合わなくて。今回はそれぞれで向かって、王都で合流する感じなの。だから、最初のうちは一人旅になっちゃうから、どうせならって』


「なるほどな……」


 ユウは軽く笑いながら、窓の外に目を向けた。少し開けてある窓から吹く夜風がカーテンを揺らし、街の光が淡く滲む。心の奥で、銀の仔竜と蒼の幻獣の姿が浮かぶ。


「あーその……今、一人じゃないからな。多分大丈夫だと思うけど、一応聞いてみてからでいいか?」


『……うん、わかった』


 少し間を置いた返事に、ユウは眉を上げた。


「ん? やけに聞き分けいいな」


『ふふ、私いつも聞き分けいいでしょ?』


「いや、それはどうだったかなぁ」


『ちょっと! 今のどういう意味!』


 お互いに笑い声を交わす。

 その音が、夜の静けさに溶けていく。


『じゃあ、決まったらまた連絡して。もし大丈夫そうならヴェルムスで合流しよ?』


「ああ。楽しみにしてる」


『うん。……じゃあ、おやすみ、お兄ちゃん』


「おう。おやすみ」


 通話が切れる。

 画面が暗転し、再び室内には静寂が戻った。


 ユウはスマホをそっと置き、机の上のVR端末を見つめた。

 小さく息を吐き、微笑む。


「次の舞台は……星環の大地、か」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥がふっと熱を帯びた。広がる世界、新しい国々、そしてまだ見ぬ縁――。何が待っているのかは分からない。けれど、その未知がとても心地よかった。


 窓の外では夜風が街の灯を揺らし、室内ではカーテンが静かに揺れていた。その音を聞きながら、ユウはゆっくりと背もたれに体を預けた。


「ふふ……楽しみだな」


 静かな部屋に、独り言のような声が溶けていく。次の旅路を思い浮かべながら、ユウはそっと目を閉じた。


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