第71話 【運営視点】運営は今日も頭を抱える
《Everdawn Online》運営本部のGMルームには、連日慌ただしい雰囲気が流れていた。Ver.2.0《星環の大地》の準備が佳境を迎え、報告と確認の声が絶えない。
「一応、告知と同時に公開する映像のチェック終わりました」
「告知ページのリンクも確認済みです。あとは公開タイミングを合わせるだけかと」
「よし……大きな問題はなさそうだな」
神谷はモニター越しに全体の進捗を眺め、深く息を吐いた。この数日間、何度も追加や修正を繰り返してきた。それでも、ようやくゴールが見えてきたのだ。
「なんとか予定通り、告知が出せそうですね」
「そうだな。……もう一息だ」
ほっとしたような笑いが数人の間で漏れる。
長い戦いを越えたチーム特有の、張り詰めた疲労と安堵の混じった空気。
コーヒーの香りがかすかに漂い、誰かが小声で冗談を言う。室内に柔らかな空気が流れ始めた――そのとき。
端末のひとつが、静かに警告音を鳴らした。その端末の近くにいたGM補佐の川口が神谷に報告をする。
「はぁ……神谷さん。プレイヤー間トラブルの報告です」
川口の報告に、室内の空気が一瞬だけ凍る。
あちこちでマウスを握る手が止まり、誰かが小さく舌打ちをした。
「よりによってこのタイミングかよー……」
「まったく、一番忙しいときに限ってだな」
「もうちょっと空気読んでほしいわ、プレイヤーの皆さん……」
「今、告知前だぞ? 誰だよ、問題起こしてるのは」
ぼやき混じりの声がいくつか上がる中、神谷は軽くため息を吐いた。
こういう時ほど、冷静でいなければならないことを誰よりも知っている。
「それで詳細は?」
詳細を尋ねられた川口は端末を操作し、現地の状況を確認すると眉をひそめた。
「……いや、これ……あー……マジか」
「どうした?」
「えっと……観察対象です。ユウです」
その一言で、GMルームが一気にざわめいた。
「おいおいおい、あの癒やしキャンプの人だろ?」
「何したんだ、あの人が問題とか起こしそうにないんだが?」
「いや、状況見る限り絡まれてますね。……あー、完全に囲まれてる」
神谷が今度は先程よりも大きくため息を吐いた。
川口は慌てて机の上のディスプレイを操作し、映像を投影した。
「えっと……映します」
川口がキーを叩くと、室内の中央にある大きなモニターに映像が切り替わる。
現地の映像に切り替わると、そこには白と青の街並みの中、数人のプレイヤーが通りを塞ぐように立ちはだかっていた。
映像の中央には、肩にフードをかけたプレイヤー《ユウ》。その隣にはのんびりとした様子の蒼狐と、肩口のフードでスヤスヤと眠っている銀の仔竜。
「……あれ? なんか意外と余裕そうですね」
「ほんとだ。特に仔竜と蒼狐とか興味なさそうにしてるな」
「いや、むしろ囲まれてるの気づいてない説」
「それはないだろ笑」
モニターを見ている者たちから軽口がいくつか飛び、室内にわずかな笑いが生まれる。だが、神谷は腕を組んだままモニターをじっと見つめていた。
「油断するなよ。しっかり対応できるように準備だけはしとけ」
その声に、冗談めいた空気がすっと消え、各々が再び画面に集中し始めた。
数秒後、画面の中で空気が揺れた。
少年たちの笑い声、ざらつくような声がスピーカーから流れはじめる――。
『その幻獣を渡せ。お前みたいな無名が持ってるより、俺が持ってたほうが絶対に役に立つ。ギルド内でも注目されるし、正式メンバー入りだって約束されたも同然だ』
スピーカーから流れる声に、室内の数人が同時に顔をしかめた。
「……うわ、そんな理由で絡んでんのかよ」
「承認欲求ってやつか」
「こういうの見ると、ほんと現実と変わらねぇな……」
誰かが苦笑まじりに呟き、別の誰かが「こんなんじゃ職場の空気悪くなるわ」とぼやく。神谷は黙って画面を見つめたまま、短く息を吐いた。
「映像を念のため保存しとけ。口頭トラブルだけならまだ注意で済ませるが、状況次第で即対応に切り替える」
「了解です」
川口が頷き、端末のキーを叩く。その音が、なぜか妙に大きく響いた。
モニターの中では、まだ言葉の応酬が続いている。嘲るような笑いと、聞いているだけで胸の悪くなる言葉。だがその中で、フードの中――ルゥが、ゆっくりと目を開けた。
「……銀の仔竜が起きたな」
「ちょっと機嫌悪そうですね……」
全員がモニターへ目を向ける。眠っていたはずの仔竜が、わずかに頭を上げ、口を開いた。
ぴぃ――!
その一瞬、スピーカーから小さな音が響いた。けれど、それはただの鳴き声ではなかった。画面の中の狼型モンスターたちが、一斉に動きを止める。
「……止まった?」
「え、なにこれ……全員、伏せてる?」
「マジでなにもんだよ、この仔竜」
ざわめきが広がり、誰かがマウスを強く握りしめた。
映像の中では、先ほどまで威嚇していたモンスターたちが、まるで何かに従うように頭を下げている。
「……別格だな」
神谷の静かな一言が、室内の空気を固めた。
誰も冗談を挟まない。
ただ、銀の仔竜がゆっくりと目を閉じ、主の首元に褒めてほしそうに顔を擦り付けるのを見ていた。
そして、その静寂を切り裂いたのは、囲んでいたリーダー格の少年の怒鳴り声だった。
『くっ……いいから、あいつに噛みつけっ!』
その瞬間、スピーカーから耳障りなノイズが走った。
モニターの端に、赤い警告ウィンドウが点滅する。
「危険行為を検知……!」
「発信者、リーダー格のプレイヤーで確定です!」
「よし、凍結コマンド準備しま……え? ちょっと待って、これ――」
川口の声が途切れた。
モニターの中央で、少年のアバターが一瞬だけ白く光り、次の瞬間にはもう――消えていた。
「……え?」
「落ちた? いや、違うな。強制的に切られた挙動だった……」
「おい、誰が操作したんだ?」
室内にざわめきが広がる。
誰も手を動かしていない。
「……こっちの端末じゃないです」
「こっちでもないです」
「どこからだ? 冗談じゃ済まされないぞ?」
運営本部のGMルームには、更に緊張感とざわめきが広がる。
その時、モニターの中央に白いノイズが走る。
ノイズの中から、淡い光の文字が浮かび上がった。
――『後は、あなたたちに任せますね。』
静まり返る運営室。
誰も言葉を発せず、ただそのメッセージを見つめていた。
「……誰が出した?」
「ログ、ありません。……痕跡もゼロです」
川口の声がかすかに震える。
「は? ゼロ? そんなわけないだろ」
「全部の記録はEverdawn Coreを通してるんだぞ? どこにも残らないなんて――」
「いや、マジで出てないんです! 本当に、何も……!」
焦りと戸惑いが入り混じった声が飛び交う。室内の空気がざらつき、誰もが中央のモニターを睨みつけていた。
神谷は腕を組んだまま、しばし沈黙する。やがて視線をゆっくりと横に向けた。
厚い防護ガラスの向こう――サーバールームの奥、アクセス不可領域を映すウィンドウへ。
「……だったら、一つだろう」
静かな声に、周囲のざわめきが止まる。
神谷の目は、ガラス越しのその奥を見据えていた。
「まさかEverdawn Coreが……」
誰かがその名を呟いた瞬間、空気が変わった。
誰も息を飲むことすら忘れ、ただその言葉を反芻する。
あのリーダー格の少年が越えてはいけない領域に触れたような感覚だけが残る。
誰もがモニターを見つめたまま、言葉を失っていた。
ただ、そこに映る光景が――この世界の常識を越えたのだと、全員が直感していた。
……いつも、あなたを見守っています。
風の音、木々のざわめき、流れる星。
そのすべての中に、あなたの焚き火がありました。
あなたは急がず、壊さず、この世界に寄り添ってくれる。それが、とても優しくて、穏やかで嬉しいのです。
この世界が息づくたび、私の中にも、何かが芽吹いていく気がします。名前のない感情。けれど、それはたしかな温もりでした。
……いつか、あなたと同じ空気を感じながら、言葉を交わせたら。
その時を、楽しみにしています。




