第62話 ユウ、絡まれる?
「おい! そこのお前!」
不意に飛んできた声に、ユウは足を止めることなく振り返りもせずに歩を進めた。
聞こえなかったわけじゃない。だが、わざわざ関わる必要のある呼びかけに感じなかった。
(……遂に声かけられたかー。注目を浴びるのは仕方ないにしても、こういうのに反応してたらキリがないしな)
ヴェルムスの白と青の街並みを進みながら、ユウは肩にかけたフードの中で眠るルゥを指先で軽く撫でた。小さな寝息が規則的に響き、心地よい温もりが伝わってくる。その隣を歩くセレスは、相変わらず凛とした姿勢で前を見据えたまま。周囲の視線など意に介さず、悠然と歩いている。
ユウにとって、この二匹と一緒にいる時間こそが大事だった。知らない誰かの声に割く時間などなかった。
「無視するなよ!」
荒々しい声と共に、進行方向へ人影が割り込んできた。ユウは仕方なく足を止める。
目の前に立ちふさがったのは、高校生ぐらいに見える数人組のプレイヤーだった。まだ成長途中の体格に、冒険者風の装備。胸元には白銀の肉球をかたどった紋章が揺れている。
そして、その足元には――軽く唸り声を上げる狼型のテイムモンスター。テイムしている主人に似て、荒々しく今にも飛びかかりそうな雰囲気を漂わせていた。
ユウは眉をひそめ、ため息を吐く。
「はぁ……何か用か?」
問いかける声には、心底めんどくさいという気持ちが滲んでいた。
少年のような顔立ちのリーダー格が、一歩前に出てくる。口元には自信と虚勢が混じったような笑みが浮かんでいた。
「その幻獣――俺たちが引き取ってやる。お前みたいな攻略組でもない無名プレイヤーに扱える代物じゃない」
あまりに直球な物言いに、ユウは思わず眉を上げた。
セレスをまるで“戦利品”のように語るその響きに、胸の奥で苛立ちが弾ける。大切な仲間を物扱いするような感覚には、どうしても反発が湧いてしまう。
「は?」
短く漏れた声には、呆れと苛立ちが入り混じっていた。
リーダー格の少年は胸元の紋章を見せつけるように続ける。
「俺は攻略組の《モフモフ同盟》のメンバーだ。……いや、正確には“お試し加入”中だけどな。近いうちに正式メンバーになる予定なんだ」
その言葉を聞いた瞬間、ユウの頭の中でピンときた。
(ああ……なるほど、そういうことか)
モフモフ同盟。ここまで来る途中でも、その名前は嫌というほど耳に入った。
おそらく攻略組の中でも特にテイムに力を入れていて、今は蒼の幻獣——セレスのことを探しているんだろう。
そして、そんなギルドにお試し加入している目の前の高校生ぐらいの少年。おそらく正式加入する前にどうにか成果をあげて、周囲の注目を浴びたがっているのだろう。
(……セレスを奪えば一躍話題の中心、って腹か。まったく、わかりやすいな)
ユウは心の中で苦笑する。しかし、狙われた理由が理解できたからといって、応じるつもりは毛頭なかった。
「悪いけど……断る」
ユウはあっさりと言い切った。
その声に、少年の顔がみるみる険しくなっていく。
「……は? お前、自分の立場わかってるのか? モフモフ同盟だぞ?」
「知ってるよ」
「だったら――」
「でも、渡す理由はどこにもないだろ」
ユウは食い気味に言葉を遮った。声音は淡々としていて、揺らぎはなかった。
少年は鼻で笑うと、足元の狼へと軽く合図を送った。すると狼は低く唸り声を上げ、ユウとセレスに牙を向けてにじり寄ってくる。
「……おい」
ユウはわずかに目を細めた。
その隣でセレスは相変わらず前を見据えたまま。威圧的な視線も、剥き出しの牙を向けている狼も、まるで存在しないかのように無関心でゆったりと佇んでいた。そして、フードの中のルゥも相変わらずスヤスヤと眠っていた。
「おい待て!」
背後から、少年の仲間らしいプレイヤーが慌てた声を上げる。
「ここ街中だぞ! 戦闘は出来ないってこと、忘れたのか?」
「わかってるよ」
少年は苛立ったように返す。
「脅すだけだ。実際に攻撃させなきゃ問題ないだろ」
狼の鋭い牙がちらつき、通りを行き交うプレイヤーたちが立ち止まった。ざわざわとしたざわめきが広がる。
ユウはため息をひとつ吐き、諭すように言う。
「……なあ。何がしたいんだよ」
「決まってんだろ」
少年は口元を歪め、胸を張った。
「その幻獣を渡せ。お前みたいな無名が持ってるより、俺が持ってたほうが絶対に役に立つ。ギルド内でも注目されるし、正式メンバー入りだって約束されたも同然だ」
必死さを隠そうともしない直球な物言いに、ユウは呆れたように片眉を上げた。
そして、肩の力を抜いたまま、ぽつりと一言。
「……くだらないな」
「なっ……!」
その反応は、予想以上に少年の胸に刺さったらしい。顔が引きつり、歯ぎしりする音が聞こえてきそうだった。
ユウは肩をすくめ、わざとらしく苦笑を浮かべた。
「悪いけど、俺はそういうのに一切興味ないんだ。……だから無理。俺の仲間は渡さない」
あっさりしたその言葉に、少年の表情はさらに険しくなる。
狼が一歩前に出る。通りの空気が一瞬だけぴりついた。
「おいおい、本気で怒らせるつもりか?」
「怒ってるのはお前だけだろ」
ユウの返しは相変わらず淡々としていた。
セレスは依然として涼やかな瞳で前を見据えたまま。
その無関心さがかえって圧を生み、少年は苛立たしげに舌打ちをした。
「くそ……舐めやがって」
その背後で仲間の一人が再び声を上げる。
「だから言ってるだろ! 街中じゃ戦闘できねえんだって!」
「うるせぇ、脅すだけだって!」
仲間内でも小さな言い争いが始まる。
周囲には野次馬のプレイヤーが集まりはじめ、ざわめきが広がっていく。
ユウは深いため息をついた。
(はぁー……めんどくさい。こういう絡み方、一番嫌いなんだよなぁ)
「とにかく」
ユウは少年に視線を合わせ、静かに言った。
「仲間を渡すつもりはない。何度言われても変わらないからな」
その声音には強い拒絶が込められていた。
少年は唇を噛みしめ、悔しげに拳を握りしめる。だが、街中で実際に攻撃を仕掛けることはできない。もしやってしまえば一発BANも視野に入ってくるため、睨みつけることしかできず、狼もまた主人の迷いを映すようにその場に足を止め、こちらを威嚇してくるだけだった。
そんな重たい空気を切り裂くように――ユウの肩のフードがわずかに揺れた。
小さな赤い瞳が覗き、すやすやと眠っていたルゥが顔を上げる。
次の瞬間。
「ぴぃ――!」
その鳴き声が、通り全体を震わせた。