第61話 商会へ向かう道、忍び寄る視線
昼下がりの丘陵地。
ルゥとセレスの手入れを終え、焚き火の後片づけをしたユウは、荷物を整理し終えて立ち上がった。柔らかな草の匂いが風に混ざり、のんびりと空に溶けていく。
「よし……そろそろグラナート商会に向かうか」
足元にはルゥが、ぴょこんと立ち上がっていた。尻尾をぶんぶん振り、赤い瞳を輝かせている。だが、これから街に入るのだ。人目が多い場所でルゥを歩かせるのは目立ちすぎる。
「ルゥは……今日もここな」
ユウはフードを持ち上げ、中へとルゥを誘った。仔竜は「ぴぃ?」と首を傾げたが、すぐに理解したようにひょいと飛び込んでくる。柔らかな重みが肩に収まり、温かな吐息が首筋にかかった。
「そうそう。フードの中なら、街がうるさくても多少安心だろ」
ルゥは満足げに小さく喉を鳴らし、そのまま丸くなって眠りの体勢へ。ユウは苦笑しながらフードの中にいるルゥを優しく撫でた。
(……まあ、それでもセレスがいると目立つよなー。けど、送還してセレスが寂しい思いをするよりはマシか)
そう心の中で呟き、隣を見やる。
そこには蒼白い毛並みを光らせながら佇むセレスの姿があった。陽光を浴びて毛並みは柔らかに揺れ、凛とした蒼の瞳は前だけを見据えている。あまりに堂々としていて、まるで周囲の視線など興味がないとでも言いたげだ。
「……よし、それじゃあ出発するか」
ユウはルゥが眠っている肩のフードを軽く整える。そして、セレスがぴたりと寄り添ってきたのを確認してから、街へ向けて歩き出した。
少し歩くと丘陵地を抜け、街道を進むことになった。やがて人影も増えはじめ、ちらほらとプレイヤーの姿が見えるようになってきた。
「……おい、あれ」
「なんだ……蒼白い狐……?」
短い声が風に混じって届く。ユウは視線を合わせないようにし、歩調を乱さぬように進んだ。
やがてヴェルムスに近づくにつれ、人の数はさらに増えた。商人風の一団が荷車を引き、冒険者らしい装備をしたプレイヤーたちが楽しげに会話しながら通り過ぎる。その誰もが、ちらりちらりとセレスに目を向け、驚いたように仲間へ囁き合った。
「な、なあ……あれって」
「モフモフ同盟が探してた幻獣じゃないか?」
「いやいや、流石にそんなことあるか?」
耳に入ってくる断片的な言葉に、ユウは小さくため息を吐いた。
(やっぱり噂になりそうだなー……。こうなると、早めに街に入ってしまったほうがいいか)
隣を歩くセレスは、周囲のざわめきなど気にもしない。蒼い瞳は揺らぐことなく、ただまっすぐ前を見据えている。その飄々とした姿に、ユウは少し救われる思いがした。一方、肩のフードの中ではルゥが小さく寝息を立てている。すやすやと穏やかな眠り。まるで「自分の出番はもう終わった」とでも言わんばかりだ。
(……なんか、ルゥとセレスめちゃくちゃ自由にしてるな)
小さく笑いながら、ユウは歩みを速めた。
やがて街道の先に、白と青を基調とした街並みが見えてきた。
光を反射して輝く石壁、その上に連なる青い屋根。爽やかな色彩が空の青さと溶け合い、涼やかな印象を与えている。
「……やっぱり、綺麗だな」
街の門には数名の門番NPCが立っている。セレスの姿に一瞬だけ視線を止めたが、特に咎める様子はなくあっさりと通してくれた。
ヴェルムスへ足を踏み入れると、賑やかな音が一気に押し寄せる。
市場の呼び声、馬車の車輪の軋む音、青と白の建物が並ぶ街並みに響き渡る笑い声。さらには、プレイヤーのパーティーを募集する声など、普段のユウの生活とはかけ離れている光景が目に入った。セレスの毛並みはその風景に映え、通り過ぎる者たちの視線を集め続けた。
「……さっさとグラナート商会に向かうか」
ユウは探るような視線を避けるようにしてスタスタと歩き出す。
「お、おい見ろよ、あれ」
「ほんとにあれが蒼の幻獣なのか?」
「いや、まさか……流石にモフモフ同盟の連中がずっと探してたやつとは違うんじゃないか?」
街中でも噂は広がり続けた。
しかし、セレスは無関心にユウの隣でピタリと寄り添って歩く。ルゥはフードの中でスヤスヤと眠ったまま、静かに揺れている。
ユウは黙って歩調を早めた。注目を浴びるのはもう仕方ないと割り切れるが、背後でひそひそ囁かれるのはどうにも落ち着かない。苦笑しつつ心の中で「頼むから放っといてくれ」と呟きながら――余計なやり取りに巻き込まれる前に、商会まで駆け抜けるつもりだった。
(……よし、もうちょっとで着きそうだな)
白と青の街並みを抜けながら、ユウはグラナート商会の場所を思い描きながらそう思った。ルゥは相変わらずフードの中で寝息を立てている。すやすやと穏やかで、赤い瞳を閉じたその顔はフードの中でユウの匂いに包まれ安心しきっているようだった。
一方でセレスはやはり周囲の視線をものともせず、悠然と歩みを進める。蒼い毛並みは街の光景と溶け合い、まるで周囲の煩わしい声など聞こえていないようだった。
(しかし……セレスは全然気にしてないんだよなー。なんなら、俺のほうが落ち着かないっていう)
心の中で苦笑しつつ、商会の建物が立ち並ぶ区域を目指す。
あのグラナート商会なら人混みの視線もやり過ごせるだろう――そう思った矢先。
「おい、今の見たか?」
「……本当に蒼の幻獣じゃないか?」
「噂じゃ《モフモフ同盟》が必死に探してるって聞いたけど……」
通りすがりのプレイヤーたちが小声でささやき合う。だが、その声はユウの耳にも届いてくる。
(モフモフ同盟……? さっきから聞こえてくるけど、なんだそれ)
ユウは眉をひそめつつも、知らぬふりをして歩き続けた。
背後からの探るような視線は感じている。けれど、いちいち相手にしていてはキリがない。
「……早めに行こう」
セレスに小さく声をかけると、蒼い瞳がちらりとこちらを見上げ、すぐに前へと戻った。尾がふわりと揺れる。――それは周囲の視線への無関心さの表れであり、同時に「わかった」と伝えるようでもあった。
やがて通りの先に、ひときわ豪奢な建物が見えてきた。
白い石壁に黒い窓枠、そして正面に赤い宝玉をかたどった紋章。グラナート商会――その堂々たる建物が、ユウの目に映る。
「……ふぅ、やっと見えてきたな」
肩の力が少し抜ける。
ルゥはフードの中で変わらず眠り、セレスは落ち着き払って歩みを進める。街のざわめきは遠く感じられ、ようやく心に余裕が戻ってきた――そのときだった。
「おい! そこのお前!」