第60話 【運営視点】想定外のテイム
《Everdawn Online》運営本部のGMルームには、のんびりとした空気が流れていた。
壁一面のモニターには無数のログやダッシュボードが映し出され、絶えず更新が続いている。だが、慌ただしさはない。主要な監視やエラー検知のほとんどは、Everdawn Coreに直結した高性能AIが自動で処理してくれるため、人間のGMが慌てて対応する必要はなかった。
スタッフたちはそれぞれ席に腰を下ろし、AIが示す注釈やアラートをちらりと確認しては軽く確認を取る程度。合間にはコーヒーをすすったり、小さな雑談が交わされたりしていて、まるでオフィスの休憩スペースのような雰囲気すらあった。
そんな中、補佐GMの川口が立ち上がった。
手にしている端末を食い入るように見つめながら、上級GM席に座る人物のもとへ早足で向かっていく。
「か、神谷さん!」
突然の大声に、周囲のスタッフが一斉に振り返った。
川口は声を潜めることも忘れ、慌てたように端末を差し出す。
「ちょっとこれ、見てください! 例のプレイヤー……《ユウ》が――幻獣を、テイムしました!」
「……は?」
GMルームの空気が一瞬で凍りついた。
幻獣――。
その単語だけで、場の全員が息を呑む。
「幻獣って……あの、ヴェルムス外縁にいるやつか?」
「確か正式名称は《蒼狐》だったかな……実装資料に載ってたやつだよな」
「いやいや、あれって現段階でテイムできる設計じゃ――」
ざわざわと声が飛び交い、モニターの前に人が集まりはじめる。
運営にとって幻獣とは、まだ「物語の象徴」や「イベント演出」としてしか使わない存在だった。テイム可能になるのは、だいぶ先のアップデート――少なくとも今の段階では「ありえない」はずの話だ。
端末を受け取った上級GM――神谷は、眉をひそめながら画面を覗き込んだ。
「……ログを開け」
低い声で言うと、川口はすぐに操作を切り替える。スクリーンに投影されたのは、ある一人のプレイヤーのログ。そこに刻まれた文字を見た瞬間――GMルーム全体が、さらにざわめきに包まれた。
【エクストラスキル《ハースリンク》を取得しました】
【対象:《蒼狐》セレス テイム成功】
「え、マジ? ほんとにテイム成功してるじゃん」
「いやいや、なんで今の段階でテイム成功してるんだよ」
「しかも、なんだこのエクストラスキル」
川口が慌てたように画面を拡大する。
《ハースリンク》
カテゴリ:エクストラスキル
内容:仲間となる存在と、“心の炉”を結ぶ特殊テイムスキル。従来のテイムが「命令と従属」に基づくのに対し、このスキルは「共に生きること」を基盤とする。
効果:
・餌付けによる自然なテイムが可能
・主の作った料理を一緒に食べることで、能力にバフが発生
・通常のテイムスキルと同様に、召喚・送還が可能
取得条件:非公開
GMたちの間に、さらに大きなざわめきが広がった。
「……料理でバフ? なにこれ。美味しいもの食べさせたら強くなりましたー的な?」
「いや普通に考えて、戦闘用の設計じゃないよなぁ……」
「そもそも“共に生きること”とか、テイム思想そのものが変わってるし」
神谷が小さく吐き出す。
「発行元を確認しろ。システムタグを見れば分かるはずだ」
「はい……っ」
川口が操作し、エクストラスキルの詳細ログを開いた。
そして、その一文を見つけた瞬間――声が裏返った。
「……発行元、《Everdawn Core》! Everdawn Coreが直接スキルを作って付与してます!」
「やっぱりか」
「うわー……前にもあったよな。《開拓者の調理術》に“モンスターとの関係向上”って一文、勝手に足してたやつ」
「まさかまた……いや、今度は完全新規で?」
ざわつきながらも、どこか呆れ半分、興味半分。
そして、画面には発行記録が映し出される。
《発行記録:エクストラスキル《ハースリンク》/発行元:Everdawn Core自動生成ルート》
システムタグは偽装できない。
これを目にした全員が、事態の異常さを理解せざるを得なかった。
「……川口。他のプレイヤーのログも洗え。これまでにEverdawn Coreが独自発行した例があるかどうか、全プレイヤー分だ」
「りょ、了解です!」
川口は慌てて端末を操作する。
数秒後、サーバーログが高速で流れ始め、フィルタリング結果がスクリーンに表示された。
【検索条件:エクストラスキル/発行元=Everdawn Core/自動生成ルート】
【該当件数:1】
「……やっぱり。対象は《R-Class_α1》――ユウだけです」
報告を聞いた瞬間、GMルームの空気が張り詰めた。
「おいおい、本気かよ……」
「一人だけ? 全プレイヤーの中で?」
川口が再び端末を操作し、もうひとつのスキルログを呼び出す。
「以前付与された《開拓者の調理術》――あれにも、“モンスターとの関係向上に影響する可能性あり”って一文が独自に追加されてます。開発データベースには存在しない文です」
スクリーンに、以前解析された《開拓者の調理術》の仕様が映し出される。
GMたちは顔を見合わせた。
「つまり……二度目か。Everdawn Coreの独自発行は」
「開拓者の調理術に追加文。そして今回のハースリンク。両方とも“モンスターとの関係性”に関わってるな」
「偶然とは思えないよな……」
神谷は腕を組み、深く息を吐いた。
「Everdawn Coreは、このプレイヤーの行動を“価値あるもの”と判断し、この世界のルールそのものを書き換えた――そう考えるのが妥当だろう」
GMルームはしばし沈黙に包まれていた。
でもその沈黙も長くは続かず、すぐにざわざわとした声が戻ってきた。
「……でも」
一人の若いGMが、恐る恐る口を開いた。
「《ユウ》の行動って、戦闘もせず、ずっとキャンプして料理してただけですよね? そんな行動にEverdawn Coreが反応するなんて、普通ありえます?」
神谷は即座に答えた。
「普通はないな……けど、幻獣を”自然な形”でテイムしたなんて本来ありえないことだし、Everdawn Coreがそう判断した以上は“そういうもんだ”って受け入れるしかないだろう」
「自然な形……」
別のGMが呟く。
「普通は“命令と従属”が前提のテイムスキルなのに、《ハースリンク》は“共に生きる”が基盤って……もう別物じゃないですか」
「そうだな」
神谷は短く頷いた。
「そしてその前提を支えるのが、《開拓者の調理術》なんだろう。焚き火料理を通して信頼を築く……そんなプレイスタイルを、Everdawn Coreは“新しい価値”と判断した」
川口がログをスクロールしながら、ぽつりと漏らす。
「……本当に、“お気に入り”なんじゃないですか。Everdawn Coreの」
その言葉に、どっと笑いが起こる。
「お気に入りとかAIにあるのかよ」
「でも実際、それ以外に説明つかなくない?」
「好き勝手にスキル作って渡すAIとか、もはや親バカだろ」
神谷は腕を組み直し、肩で笑った。
「まあ結論としては、R-Class_α1――《ユウ》は、前例のない現象を引き起こした“特別枠”ってことだな」
「……監視は継続ですね」
川口が確認するように言う。
「ああ。ただし深入りはなしだ。Everdawn Coreが面白がってやってる可能性もあるしな」
その言葉にスタッフたちが苦笑交じりに頷く。
「監視ログにタグを追加しとけ。『幻獣テイム(予定外)』『エクストラスキル独自発行:二例確認』――まあ観察継続ってことで」
「了解です!」
川口が端末を操作し、新しいタグがモニターに表示される。
【観察対象|R-Class_α1】
状態:監視継続中
備考:幻獣セレスをテイム/《ハースリンク》発行
コメント:Everdawn Coreの独自判断による“お気に入り疑惑”あり?
それを見届けた神谷は、深いため息をひとつつき――けれどどこか笑っていた。
「……癒やし目的で始めたプレイヤー、か。まさか独自のスキルを手に入れるとは」
「いや、むしろ癒やし目的だからこそEverdawn Coreに刺さったんじゃないですか?」
「ありえる。AIも癒されたいんだよ」
そんな冗談めいた会話が飛び交う中、モニターにはユウのキャンプの姿が映し出されていた。ただ仲間と笑い合っているだけ。
けれど、その小さな火が――確かに、世界の仕組みにまで火花を散らしていた。