第5話 戦わないつもりだったけれど
朝の森は、昨日よりも少しだけ暖かかった。
ユウは川辺で、手製の釣り竿を手にしていた。
餌はキノコの切れ端。釣れるかどうかは半信半疑だが、のんびり糸を垂れるだけでも心が落ち着く。
ルゥはというと、彼の膝の上で丸くなり、尻尾をゆっくり揺らしていた。
「今日も平和だなあ……」
思わず漏れた声に、ルゥが「きゅっ」と鳴いた。
この数日、何も起きないことが逆に不思議なくらいだ。
森の中に設けた拠点。
そこから少し離れたこの川辺は、静かで空気が澄んでいた。
水草の合間に小さな魚影が揺れる。
ユウはその動きに合わせて、そっと竿を引いた。
「……よしっ!」
ヒット。釣れたのは小ぶりな川魚だった。
ゲーム内とは思えないほど滑らかな動きで、銀色の鱗が光を反射していた。
「今日はこいつを焼いてみよう」
気分は完全にスローライフモード。
戦闘スキル? レベル? 攻略? 知ったことか、とばかりに焚き火の準備に取りかかった、そのとき――
「……ん?」
森の奥から、何かが跳ねるような音が聞こえた。
ユウが顔を上げた次の瞬間――
ぬるり、とした音と共に、透明なスライムが視界の端から現れた。
「……スライム?」
森の中から現れたのは、ぷるぷると揺れるゲル状の小型モンスター。
だが一匹ではなかった。
次々と、ぬめぬめとした足音を立てて現れる。
見たところ、五匹――いや、六、七……それ以上。
「ちょっと待て、なんで群れてんだよ……!」
スライムは通常、単体行動が多い低レベルモンスター。
だがこの世界では、環境やプレイヤー行動に応じて“学習する”AIが搭載されているとも聞いている。
ルゥがユウの膝から跳ねるように飛び降りた。
小さな身体が彼の前に出て、赤い瞳をすっと細める。
「お、おいルゥ……やめとけって。逃げよう。こっち、戦闘スキルゼロなんだぞ?」
だがルゥは、一歩も退かなかった。
スライムたちはユウを囲むように広がっていた。
川を背に、後退する余地はない。
「マジかよ、こんなとこでリスポーンは勘弁――」
そのときだった。
ルゥの体が、淡い光を帯びた。
風が静まり、空気が震える。
赤い瞳が強く輝いた瞬間――
ズン、と地面が震えた。
次の瞬間、ルゥの口元から、灼熱の火柱が放たれた。
それは竜種特有のブレス。
しかしそれは直線ではなく、複数方向に枝分かれするように炸裂し――
スライムの群れを、一瞬にして、蒸発させた。
煙と蒸気が森に立ちこめた。
ぬめる音も、跳ねる音も、もう何も聞こえない。
ただ、燃え尽きた草の焦げる匂いが残されていた。
「…………」
ユウは、しばらくその場から動けなかった。
何が起きたのか、理解が追いつかなかった。
ルゥは何事もなかったかのように、くるりと振り返ると、ぽてぽてとユウの足元に戻ってきて――
「ぴぃ」
と短く鳴き、彼の足に抱きついた。
「いやいやいやいや……おまえ、今の、なんだよ……」
見た目は甘えん坊の仔竜。
なのに、あの魔法。あの威力。スキル表示すらなかった。
「ていうか、ログにも戦闘判定出てない……!?」
ユウの視界ウィンドウには、スキル履歴も、経験値通知も、なにも出ていない。
ただ――モンスターの痕跡が、消えた森があるだけ。
「おまえ……ほんとに、何者なんだ……?」
ユウが問いかけても、ルゥは答えない。
そのかわりに、満足そうにぺたりと彼の胸に頭を預けてきた。
ぬくもりと鼓動。
――そして、確かに聞こえた。
「ダイスキ」という意味のような、甘い小さな鳴き声。
その夜。
【速報】銀竜の肩乗りプレイヤー、火柱でスライム一掃 → 目撃者語る
「画面バグった」「公式イベント?」「GMが操作してる?」「チート?」
→ 運営沈黙中
森の一角で発生した“異常魔法現象”は、瞬く間にネット掲示板を賑わせることになる。
だがその張本人は――焚き火の前で、ルゥを抱えながら、ぐっすり眠っていた。