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癒し目的で始めたVRMMO、なぜか最強になっていた。  作者: branche_noir
2章 大都市ヴェルムスと蒼の幻獣
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第58話 最高の毛並みと狐吸い

 昼食を終えたあと、丘陵の風は一層穏やかになっていた。ユウは焚き火の後片づけを済ませ、椅子にもたれて深呼吸をする。胃の中が満ちていく心地よさに、自然と瞼が重くなりそうだった。


「ふぅ……腹いっぱいだな」


 足元ではルゥが小さく丸まり、すっかり眠たげな顔をしている。まぶたは今にも閉じそうで、尻尾をぴくぴく動かしながら、夢の中でまだご馳走を追いかけているのかもしれない。


 一方、セレスはユウの足元に腰を下ろしていた。蒼白い毛が触れるほどの距離で、風を受けて毛並みを揺らしている。その瞳は細められ、静かな午後のひとときを味わっているように見えた。


「……そうだ」


 ユウはインベントリを開き、あのブラシを取り出した。グラナート商会で贈られた、高級品の手入れ道具。柄はしっとりと手に馴染み、毛先は光を受けて柔らかく輝いている。


「セレス、久しぶりにちょっと手入れしようか」


 声をかけると、セレスはすぐに耳をぴくりと動かした。蒼い瞳がブラシへと吸い寄せられるように向き、尾がふわりと揺れる。その仕草は控えめではあるが、普段の落ち着いた姿からすれば驚くほどわかりやすい。――待ってましたと言わんばかりに、期待がにじみ出ていた。


 ユウは苦笑しながら、そっと膝を叩いた。


「……よし、こっちにおいで」


 その言葉に、セレスは一瞬だけ瞬きをした。だがすぐに立ち上がり、音もなくユウの前へ歩み寄ってくる。蒼白い尾をふわりと揺らし、軽やかに跳ねるように――ぴたりと膝の上に身を収めた。体重は驚くほど軽いのに、温もりは確かで。セレスはゆったりと丸くなりながら、喉の奥で小さく「……コン」と甘えるような声を漏らした。


 ユウはセレスの首元から、そっとブラシを通した。毛先がふわりと毛並みに触れた瞬間、セレスの目がとろんと細まり、喉の奥から「コン……」と甘い声が漏れる。


「はは……やっぱり気持ちいいんだな」


 ユウは笑みを浮かべつつ、首元から肩、背中、尾へとゆっくり撫でるようにブラシを滑らせる。セレスは身体を少し傾け、もっと、というようにユウのお腹に顔を寄せてきた。毛並みは通すたびにふわふわと膨らみ、光の粒子を帯びたように柔らかく揺れていく。


 やがて、ふわりと舞った抜け毛がブラシの毛先に絡みつく。ユウはそれを見て「……またグラナートさんのところに持っていかないとな」と小さく苦笑しつつ、丁寧に取り払った。


 しばらくそうしていると、セレスの毛並みは見違えるほどに艶やかで、柔らかく整っていった。


「……うわー、なんかもう……反則だろ」


 ユウは思わず呟いた。

 目の前のセレスは、ただでさえ神秘的な雰囲気を持っているのに、今はまるで高級毛布のような、触れるだけで癒やされるような存在感を放っている。


 ――と、その時だった。


(……そういや、会社の同僚が言ってたよな。“猫吸い”ってやつ)


 猫の毛に顔を埋めると最高に癒やされる、あれだ。ふわふわのセレスを眺めているうちに、その言葉がふいに頭の中に蘇った。


「セレスなら……“狐吸い”ってことになるのか?」


 自分で口にして、ユウは思わず苦笑した。

 しかし、冗談のつもりで言ったのに、視線の先のセレスを見ると、その衝動が冗談にできなくなってくる。


 ブラシを置き、膝の上に座るセレスを見やる。

 蒼い毛並みは光を帯びたように柔らかく広がり、ふわりと風に揺れていた。見ているだけで癒やされるのに、触れたらどれほど心地いいのだろう――そんな考えが頭を離れなくなる。


「…………」


 ユウは一度、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。いくらゲームの中とはいえ、勝手にやるのは違う。セレスはテイムモンスターであっても、意思を持った存在なのだから。


 そうして少し迷ってから、ようやく口を開いた。


「あーその……セレス。ちょっといいか?」


 そう声をかけると、セレスは小さく首を傾げた。蒼い瞳がまっすぐにユウを見つめる。その姿は、何をするのか理解していないようだったが、ユウのお願いを拒む気配はまるでなかった。


「いや、その……知り合いに、ふわふわの毛に顔をうずめると最高に癒やされるって聞いたことあってな。それで、今のお前見てたら……ちょっとやってみたくなって」


 自分で言いながら、ユウは頬をかいた。


 セレスはふっと目を細め、尾を左右にゆるやかに揺らす。その仕草は「嫌じゃない」なんてものではなく――むしろ「好きなだけどうぞ」と言わんばかりの穏やかさだった。


「ありがとな……でも、嫌だったらすぐに離れてくれよ」


 ユウが真面目に付け加えると、セレスは小さく「コン」と鳴き、さらに体をユウへすり寄せてきた。


「よし……じゃあ、ちょっと失礼」


 ユウはそっと身体を傾け、セレスの背中へ顔を寄せていった。


 ふわり――鼻先を包むのは、淡く甘い匂いと、絹のように柔らかな毛並み。


「……っはぁ……すげぇ……もふもふだ」


 思わず息が漏れる。

 頬を埋めるたびに、体温と毛並みの柔らかな弾力が伝わってきて、胸の奥の疲れがじわじわと溶けていくようだった。


 セレスは少し身を揺らしたが、まったく拒む様子はない。むしろ、喉の奥から小さく「コン……」と声を洩らし、そっとユウの肩へ頭を預けてきた。


「……ああもう、これは反則だろ……」


 ユウは思わず笑みを浮かべながら、毛並みに顔をうずめ続けた。


 狐吸い――その一言を冗談半分に口に出しただけだったのに、実際にやってみれば、言葉以上の幸福感がそこにあった。


 そうしてユウが顔を埋めていると――


「ぴぃぃ!」


 唐突に、甲高い鳴き声が響いた。

 視線を上げると、いつの間にか起き上がったルゥがぷくっと頬を膨らませ、尻尾をばたばたと振りながらこちらを睨んでいる。


「……あ、いや、そのだな……」


 言い訳を探す前に、ルゥは勢いよく跳ねてきた。小さな体でユウの胸にどんっと飛び込み、そのままユウとセレスの間に割り込んでくる。


「ぴぃっ!」


 赤い瞳がきらきらと主張していた。――「自分のことも構え!」と。


「おいおい、ヤキモチか? しょうがないなぁ」


 ユウは思わず笑みを漏らし、ルゥの頭を撫でる。するとルゥは満足げに喉を鳴らしつつも、ちらりとセレスを振り返り、妙に勝ち誇ったような表情を浮かべた。


「コン……」


 セレスは鼻先で小さく息を吐き、呆れたように鳴く。だがすぐにユウへ身体を寄せ直し、ルゥに負けじと蒼白い尾をユウの空いている腕にふわりと絡めてきた。


「ちょ、ちょっと……お前ら両方同時に来ると、さすがに……!」


 ユウは困惑しつつも、結局は二匹を抱き込むように両腕を広げた。柔らかな毛並みと、鱗混じりの小さな体温が左右から押し寄せる。


 狐吸いの余韻どころではなくなったが――このわちゃわちゃ感は、これはこれで悪くない。


「……ははっ。ほんと、贅沢すぎるな、これ」


 ユウは二匹を撫で回しながら、ふと思いつく。


「よし、次は……ルゥの手入れもしてやるか」


 その言葉に、ルゥは尻尾をぶんぶんと振り、セレスは小さく鼻を鳴らした。


 午後の丘陵地に、また新しい時間が始まろうとしていた。


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