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癒し目的で始めたVRMMO、なぜか最強になっていた。  作者: branche_noir
2章 大都市ヴェルムスと蒼の幻獣
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第47話 ワンランク上の焚き火

 「よし、ちょっと早いけど夜ご飯の準備を始めようかな」


 インベントリから薪を取り出し、いつものように焚き火を起こす。ぱち、ぱち、と小さな音が響き、すぐに湖畔に赤い炎が揺らめいた。


「さて……今日の主役はこれだな」


 ユウが取り出したのは、ロックボアの厚切りロース。今日、商会の一階で手に入れた新鮮な部位だ。肉塊が現れると同時に、ルゥの赤い瞳がきらりと輝き、鼻先をひくひく動かした。


「ぴぃぃ!」


 尻尾をぶんぶん振って、今にも飛びかかりそうになる。


「落ち着けって、まだ焼いてもないだろ」


 ユウは苦笑しながら新しく買った鉄板を取り出し、焚き火の上に据えた。魔力加工された黒い板がじわりと熱を帯び始める。


 ユウは取り出したロックボアのロースに、同じくグラナート商会で買った《湖塩》を振りかける。

 透明な結晶を指先で砕き、表面にまんべんなく散らす。粗塩が肉肌に吸いつき、赤みを帯びた塊に白い粒がきらきらと光った。


 次にセレスお気に入りの《黒胡椒》をひねる。粒が砕けるたび、ぱちんと小さな音を立てて香りが弾け、焚き火の煙に溶けていく。

 散らばった黒い斑点は、塩の白と対を成して肉の表面に模様を描き、見ているだけで食欲を刺激した。


「……うん、これだけでうまそうだ」


 肉を塩と黒胡椒で整えると、セレスがそっと首を傾けた。普段は淡々としているが、香りに引かれるように鼻先を近づけ、深く息を吸い込む。その仕草に、ルゥも真似するように顔を突き出した。


「はは、焦るなよ。今焼くからな」


 ユウは二匹をなだめながら、下処理を終えた肉を鉄板の上へとそっと置いた。


 ――じゅわっ。


 瞬間、脂が弾け、香りが一気に広がった。焚き火の赤と鉄板の黒が交わり、肉の表面はあっという間にきつね色に染まっていく。


「ぴぃぃぃ!!」


 ルゥが鼻をひくつかせ、尻尾をぶんぶん振った。前足を鉄板にかけそうになり、慌ててユウに止められる。


「こら、まだだって! ひっくり返さないと……」


 ユウに軽く制されると、ルゥはぷくっと頬を膨らませ、前足を引っ込める。それでも尻尾は止まっていなかった。


 セレスも静かに首を伸ばし、香ばしい匂いに目を細めている。普段はあまり食欲を表に出さないセレスでさえ、思わず息を吸い込んでしまうほどの暴力的な香りだった。


 ユウは肉をひっくり返す。

 裏面がじゅうじゅうと焼け、さらに濃い香りが立ち上がる。脂が溶けて鉄板を走り、焚き火の炎がぱちっと跳ねた。


「よし、そろそろだな……」


 焼き加減を見て、ユウは鉄板から肉を取り上げ、木の皿に移す。


「ほら、まずはルゥからいいぞ」


 切り分けた一切れを差し出すと、ルゥは目を輝かせて食らいつき、噛んだ瞬間に尻尾を跳ね上げた。


「ぴぃぃぃ!!」


 脂の甘みと塩気、胡椒の刺激に仔竜は夢中で咀嚼し、頬を膨らませたまま何度も鳴き声をもらす。


「そんなにか?」


 ユウは笑って次の一切れをセレスに渡す。

 セレスは慎重に口を寄せ、静かに噛む。やがて蒼い瞳が細くなり、尾がゆるやかに左右へ揺れた。


「……うまいんだな」


 その仕草が雄弁に物語っていた。


 ユウも自分の分を口に運ぶ。

 外は香ばしく、中はしっとり。脂の甘さが塩で引き締められ、黒胡椒の香りが後を追う。焚き火の熱でじんわり温まった肉汁が舌の奥に広がり、思わず目を閉じた。


「……はぁ、最高だ」


 それはただのゲームの食事。けれど、舌が錯覚するほどリアルで、満足感が全身に染み渡っていく。


 皿に残った肉を平らげると、ルゥは満足げに転がり、ぽんぽんと膨らんだお腹を叩いた。


「ぴぃぃ……」


 至福の吐息をもらしながら、焚き火の横に丸まる。


 セレスは尾を静かに揺らし、残り香を胸いっぱいに吸い込んでいた。普段は淡々としているセレスだが、こうして美味しいものを味わっているときは、どこか表情がやわらかくなる。


「はは……二人が喜んでくれると、こっちまで嬉しくなるな」


 ユウはインベントリから最後のピースを取り出す。


 ――リクライニング式の椅子。


 布地はやわらかく、肘掛けの木目は温もりを宿す。これを焚き火のそばに置くだけで、今までの拠点がワンランク格上げされたような気がした。


 腰を下ろし、背もたれを少し倒す。

 途端に身体が受け止められ、余分な力がすっと抜けた。


「うわ……想像以上だな。これは反則だ」


 焚き火の赤が視界の端で揺れ、湖面がきらきらと反射している。頭上には夜が迫り、星がひとつ、またひとつと浮かび始めた。


 ユウは片手を伸ばし、ルゥの小さな頭を撫でる。もう片方の手はセレスの首元へ。

 二匹は当然のように身を寄せてきて、温かな体温が左右から伝わってくる。


「……こうしてると、本当に時間を忘れるな」


 火の音、風の匂い、星の瞬き。

 どれも現実のようでいて、ここはゲームの世界。

 だがユウにとっては、すでにどちらでも構わなかった。大事なのは、この場所で、二匹と一緒に焚き火を囲むことだ。


 ユウはふっと息をつき、独り言のように呟いた。


「……ワンランク上の焚き火、か」


 誰に聞かせるでもなく、その言葉は炎に溶けていった。


 セレスは満足げに目を細め、ルゥは小さく尻尾を揺らす。

 湖畔の夜は静かに深まり、焚き火の赤が優しく三人を包み込んでいた。

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― 新着の感想 ―
文明から離れて焚き火も乙なものよね
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