第45話 依頼と抜け毛の価値(後編)
グラナートの視線が促す。ユウは正面から受け止めた。
「今回は、物々交換にしましょう。今日いただいた品物と引き換えに、セレスの抜け毛をお渡しします。お金は、なしで。次回以降、効果の検証が進んで、価値も固まってから正式に取り引きを始める。そんな形にしませんか?」
口にしてから、胸の奥がすっと軽くなった。
ただ恩を受け取るだけではなく、自分からも返せたことが嬉しいのだと気付く。これなら、グラナートに少しは顔向けできる。――そんな感覚が、ユウの中に静かに広がっていた。
「ふむ……」
グラナートは髭を撫で、少しだけ考える顔になる。
抜け毛の価値は、グラナートが今日ユウに贈った品の合計を上回っている。それなのに金のやりとりはない。商人としての帳簿や釣り合いを思えば、簡単に「そうしよう」とは言えないのも当然だった。
「……グラナートさん。俺は、縁を大切にしたいです」
ユウは言葉を選び、まっすぐ伝えた。
「いま、こうして助けてもらって本当にありがたいです。でも、一方的にもらってばかりの関係にはしたくないんです。……それに、俺がお金を持ってても、どうせ焚き火用の鉄板とか椅子とかにしか使わないですしね」
ユウのどこかユーモアの交じった意思表示に、部屋の空気がふっと和らいだ。
セレスが尾を揺らし、ルゥが「ぴぃ」と鳴いて同意を示す。
グラナートも目を細め、口元に笑みを戻した。
「……ほほ。なるほどのう。そう言われては、商人の堅苦しい勘定など後回しでよかろう」
小さく笑い、掌で机を軽く叩く。
「よし、今回は物々交換とする。帳面には“試供品の受領”として記す。次からは、加工や研究の結果を見て、正式な値を決めればよい」
「はい、その形でお願いします」
ユウは軽く頭を下げ、保存していた抜け毛を取り出した。
淡く蒼白い光を宿す毛が、空気のわずかな動きにふわりと揺れる。会長は専用の封筒と魔封蝋を用意し、丁寧に封を整えた。
「――最後に、ひとつだけ。条件があります」
ユウは、セレスの首元に指を添えたまま言う。
「セレスが嫌な思いをしないこと。自然に抜けたものだけで、無理はしない。それが、この縁の前提です」
「うむ。もちろん儂も同じ考えじゃ。命を削る取引はせぬ。それが、グラナート商会の矜持よ」
二人の言葉が、きちんと重なる音がした。
セレスがゆるく目を閉じ、頬をユウの指へ押し当てる。それは、まるで「ありがとう」と言っているようだった。
「さて――長くなったがここからが本題じゃな」
グラナートが依頼票を持ってくるように言うと、控えていた部下が一礼して奥へ下がり、ほどなく数枚の依頼票を抱えて戻ってきた。それを机上に並べると、依頼票が扇状に広がる。
「ここにあるのは、今の時期に出ている依頼の一部じゃ。採取、討伐、配達、調達……色々あるぞ。冒険者ギルドとはまた違うが、稼ぎ口としては遜色あるまい」
一枚目。
《依頼名:香草〈銀霧ミント〉採取》
《内容:丘陵地の朝霧に濡れた個体を十束》
二枚目。
《依頼名:香辛料〈星灯草〉採取》
《内容:渓流沿いで熟した鞘を二十本》
三枚目。
《依頼名:薬草〈蒼花ユリ〉採取》
《内容:湿地帯の根元。花弁は傷つけずに》
四枚目。
《依頼名:〈アロマディア〉討伐》
《内容:北原の草原に生息。香草を好み、肉に独特の風味》
五枚目。
《依頼名:〈ロックボア〉討伐》
《内容:東林の丘陵地に群れる。脂に甘みがあり、食肉用》
「どれも難度は控えめにしておいた。まずは、肩慣らしが良いからの。どれでも、好きに選ぶといい」
会長はそう言いながら、ユウの表情を観察する。
ユウは香草の依頼票に目を落としながら、討伐の札にも視線を移した。ロックボア、アロマディア――どちらも食材として一階で見かけた名前だった。
ただ、ユウは肩をすくめる。
「……狩りを目的に動くのはなー、ちょっと違うかな」
ルゥやセレスがいれば戦えないわけじゃない、と思う。ルゥの見せたスライムへの圧倒的な攻撃力やセレスの幻の力など。だが、自分の楽しみは別にある。素材集めや料理に繋がる採取の方が、自分のプレイスタイルにはしっくりきていた。
ユウは、香草の依頼票に指を置いた。銀霧ミント――名前からして、焚き火と相性が良さそうだ。
「……これにします」
依頼票を手に取ったユウに、会長は頷いた。
「期限は決めぬ。お主は定住の拠点を持たぬのであろう? キャンプの折に都合の良い時でかまわん。持ち帰ったときが納品日じゃ」
「それは助かります」
ユウは胸をなでおろした。これなら、自分の生活のペースを崩さずにすむ。
だが、心の中にひとつ引っかかりがあった。
「その……正直、セレスの毛だけで十分すぎるほどの価値がありますよね。でも、だからといって頼り切りになりたくないんです。俺自身の手で稼ぐことも、大事にしたい。セレスやルゥを“利用する”んじゃなく、一緒に歩きたいから」
セレスが嬉しそうに尾を揺らし、ルゥが胸を張って「ぴぃ!」と鳴いた。
会長はその様子を眺め、にやりと笑みを浮かべる。
「……うむ。その心意気よ。お主にそういう気持ちがあるからこそ、二匹はここまで懐いておるのじゃろう。縁とは、不思議なものよ」




