第43話 仔竜はナデナデがお好き
二階の一角、セレスのブラッシングがひと段落したあとも、セレスは満足そうにユウの膝へ頭を預けたまま動かない。
そんな様子を見ていたルゥが、もう待ちきれないと言わんばかりに「ぴぃ!」と高い声を上げ、前足でユウの膝をぽすぽす叩いた。
「……分かってるって。今度はルゥの番な」
ユウが笑うと、仔竜は胸を張ってふんぞり返り、尻尾をぶんぶんと勢いよく振る。
その様子にグラナートが愉快そうに目を細め、白い髭を揺らした。
「ふーむ……仔竜に贈り物をする機会など、儂の長い人生でも流石に初めてじゃ。蒼の幻獣には高級なブラシが似合ったが……仔竜となると、何を選ぶべきか、さすがに見当がつかんわい」
ユウも苦笑しながら肩をすくめる。
「俺も、手入れ道具なんて今まで使ったことありませんし……。正直わからないんですよね。なあ、ルゥ。お前は何がいいんだ?」
問いかけられたルゥは、待ってましたとばかりにユウの掌へ頭をぐいぐい押し付けてきた。
小さな鱗の額がすりすりと擦れ、鼻先でユウの指をちょいちょい突く。
「えっと……どうしたんだ?」
不思議そうに首を傾げながらも、ユウは素直にその額を優しく撫でてやる。
するとルゥは目を細め、喉の奥で小さく鳴きながら体を預けてきた。尻尾をぶんぶんと揺らし、掌の温もりをもっと欲しがるように。
その様子を見ていたグラナートが、ふっと目を細める。
「……ふむ。もしかしたら、お主が撫でてやることこそ、この仔竜にとって何よりの贈り物なのかもしれんな」
その言葉に呼応するかのように、ルゥは「ぴぃ!」と元気よく鳴き、胸を張って尻尾を振り立てた。
――まるで自分の気持ちを代弁してもらえたとでも言うように。
「ならば――道具ではなく、“撫でることを助ける品”が良いかもしれんのう」
その言葉に応えるように、近くに控えていた店員NPCが恭しく木箱を持ってきた。蓋を開けると、中には一本の小瓶が収められていた。淡い琥珀色の液体が光を受けて揺れ、栓を抜くと爽やかな柑橘系の香りがふわりと広がる。
「これはいったい?」
「鱗を保護する特製のオイルでございます。柑橘類を漬け込んでおり、香りと共に鱗の輝きを保ち、柔軟さを増す効果がございます」
説明を聞き終える前に、ルゥは鼻をひくひくさせて小瓶へと顔を近づけた。尻尾がぱたぱたと弾むように揺れ、赤い瞳が期待でまんまるになる。
「ルゥ……お前、これで撫でられるのが楽しみなんだな」
ユウが笑いながら言うと、ルゥは大きく頷くように「ぴぃ!」と鳴いた。さらに掌へ額をぐいぐい押し付け、早く使えと言わんばかりに身を預けてくる。
「よし……それじゃあ、ちょっと試してみるか」
ユウは思わず苦笑しながら栓を開け、手のひらに数滴を垂らした。
爽やかな柑橘の香りが広がるのを感じながら、掌をすり合わせる。
「じゃ、いくぞ」
そう声を掛けると、ルゥは尻尾をぶんぶん振り、全身で「待ってました!」と訴えていた。
手にオイルを馴染ませ、ルゥの首元から背にかけてゆっくり撫でていく。
鱗はするりと指を滑らせ、銀の光沢が増していくようだった。
「ぴぃ……!」
ルゥはとろけるような声を洩らし、目をすうっと細めた。肩の力が抜け、体重をユウの方へ預けてくる。さらに撫でる位置を変えると、前足でユウの腕をぎゅっと抱き、顔をぐりぐり押しつけ――
「おいおい……これじゃ撫でづらいぞ」
苦笑しながら声を掛けると、ルゥは一瞬だけ「はっ」としたように目をぱちくりさせる。だがすぐに、まるで「離す気はない」とでも言うように、さらに腕にすり寄ってきた。
「……強情だなー。しょうがないから片手でな」
ユウは抱きつかれた腕をそのままに、空いたもう一方の手で首筋から背へ、背から尾の根元へとゆっくり撫でていく。オイルが広がるほどに指がよく滑り、鱗の一枚一枚がしっとりと整っていくのが分かる。
こくこくと小さく頷くように、ルゥの頭がユウの腕の上で揺れる。喉からはとろんとした声がもれて、まぶたも半分閉じかけている。けれど、ユウの手が止まると、ぱちっと目を開けて「もっと撫でて」と訴えてくる。そのたびにユウは「はいはい」と笑いながら手を動かし、背中をなぞるようにゆっくり撫でていった。
周囲の客――いずれも品の良い装いのNPCたち――が、その光景へ視線だけそっと向けている。露骨に近づいたりはしない。けれど、微笑ましさと珍しさを隠しきれない気配が、距離を保った空気に混ざった。従者らしき人物が「良き主従でございますな」と主人に小声で囁き、主人が目だけで同意を返す。そんな、会員制ならではの空気感があった。
「仕上がりは、どうかな」
ユウが問うまでもなく、ルゥはとろんとした目で見上げ、誇らしげに胸を張った。光を受けた銀の鱗は、さっきより一段と滑らかな艶を帯び、色味まで少し深く見える。グラナートも満足げに頷いた。
「……やはり“主の手”こそが、従魔にとって何よりの宝物なのじゃな」
ユウは照れくさく笑って肩をすくめる。
「そのオイル、すごく良かったです。香りも強すぎなくて……ルゥも気に入ったみたいですし」
返事のかわりに、ルゥは腕にさらに頬をすり寄せ、「ぴぃ……」と甘い音を鳴らした。――うとうとしている。撫でられ心地が極まると、眠気がやってくるのは、ゲームの中といえど同じらしい。
「ふふ……寝るなよ、まだ店の中だぞ」
ユウは苦笑しながらも嬉しそうに頷き、甘えん坊な仔竜の頭を優しく撫で続けた。
その横でセレスがちらりと視線を向け、ふわりと尾を揺らす。――まるで「あとで自分にもやって」とでも言うように。