第40話 商会へ到着、肉選び
街道を抜け、大通りを進むと、ひときわ豪華な建物が目に飛び込んできた。
白い石壁に黒い窓枠。赤い宝玉をかたどった紋章を正面に掲げた、四階建ての堂々たる建物――《グラナート商会》。
周囲に立ち並ぶ二階建ての店々とは、明らかに格が違う。
それは店というより、ひとつの要塞にも似た威容を放っていた。
正門前には黒鉄の門扉があり、両脇には槍を携えた衛兵NPCが二名。規則正しい所作で通行人に応対し、まるで王宮の衛兵のような威厳を漂わせている。
「いやいや……凄すぎるだろ……」
ユウは思わず息を呑んだ。
頭の中にあった「知る人ぞ知る落ち着いた名店」のイメージは、馬車を見たときから揺らぎ始めていた。
そして今――目の前にそびえるのは街でも屈指の大商会。その想像は完全に打ち砕かれた。
(……これ、絶対お金足りないだろ……)
財布の中身を思い浮かべ、苦笑が喉にこみ上げる。
そのとき、衛兵の一人がこちらへ歩み寄ってきた。
「会長。……そちらが、例の?」
短い言葉に、グラナートは軽く頷いた。
「うむ。儂の客人じゃ。手続きを」
「承知しました」
衛兵は深く一礼し、重厚な門を開いた。その仕草ひとつとっても、ただの商店とはまったく異なる格式を感じさせた。
促されるままに中へ入ろうとしたユウだったが、その前にグラナートが口を開いた。
「そうじゃな。先に少し、この商会の構造を説明しておこうかの」
グラナートは足を止め、ゆっくりと建物を指し示した。
「まず、一階は食料と生活品。肉や野菜、香草、調味料などが揃っておる。日々の暮らしに必要な物は大抵ここで事足りる」
「二階は衣服や雑貨じゃな。上質な布や仕立て服に加えて、家具や装飾品、日々の暮らしを少し便利にする品も揃えておる」
「三階は高級品や贅沢品じゃ。宝飾、貴金属、茶葉や酒、珍しい嗜好品……縁ある者にしか勧められんような物ばかりじゃな」
「そして四階は、応接室やサロンじゃ。取引や交渉を静かに行いたい者たちのために設けてある」
淡々と告げるその声に、長い年月を積み重ねた商人としての誇りがにじんでいた。
ユウは思わず感嘆の息をもらした。
(……百貨店とかデパートの上位互換みたいなもの、なのか? まさか、ここまで大きいとは……)
老人はさらに続ける。
「最初は誰でも歓迎していたのじゃが、商会が大きくなるにつれて品を荒らす者や横暴な客も増えてきてのう。そこで、仕方なく会員制にしたのじゃよ。今では限られた者しか入れぬ。会員制にしたおかげでグラナート商会は静かに品を選びたい者にとっては、むしろ都合がよい」
その言葉に、ユウは胸の奥が少し縮むのを感じた。
(……俺ってちょっと場違いなんじゃ)
自分が場違いなのでは、という不安が改めてじわじわと込み上げてくる。
門をくぐり、館内に足を踏み入れた瞬間、ユウは思わず呼吸を整えた。
広々とした一階ホールは、磨き上げられた石床が淡い光を返し、天井近くには控えめなシャンデリア。照明は眩しすぎず、商品の色味が自然に見える加減に調整されている。
中央には円形のディスプレイ台があり、季節の果実や香草の束が活け花のように配置されていた。壁際には等間隔で棚が並び、肉・魚・野菜・穀物・調味料・保存食――用途ごとに整然と分かれている。瓶や木箱には小さな金属札が差し込まれ、産地名と等級、それに「品質印」の刻印が読み取れた。
客の姿もある。だが、数は多くはない。
縁取りの控えめな衣服を着た執事風の男が、手帳に書き込みながら茶葉の香りを確かめている。交易商らしい壮年の男は、付き従う若い助手と囁き合い、穀物の粒立ちをガラス越しに見ていた。奥ではヴェール姿の婦人が、侍女と小声で相談しながら香り瓶をひとつ選んでいる。声は低く、所作は静か。市場の喧噪とは一線を画す、上品な空気がホールを満たしていた。
(……なるほど。会員制って、こういうことか)
落ち着いて選べる静けさ。騒がしさの代わりに、安心と信頼で満たされた空間――ユウは胸の中で納得する。
横でグラナートが微笑んだ。
「ここなら、今のお主に要る物は一通り揃うじゃろう。まずは腹を満たす品から選ぶとよい」
「……あの、先に依頼の話を――」と切り出しかけたユウに、老人は軽く首を振った。
「ここは商会じゃ。客人を迎えたら、まず買い物よ。話はそれからで構わぬ。清算はわしの側で段取りする、財布の心配はせずに選べばよい」
言い切る声は軽やかだが、揺るがない。
ユウは小さく頭を下げ、息を吐いた。
「本当にありがとうございます……では、お言葉に甘えて」
その瞬間、ルゥが「ぴぃっ!」と元気よく鳴いた。
肉の棚へ近づくや否や、ルゥは鼻先をひくひくさせながら、円柱形の冷却ケースへぴょいっと前足を掛ける。
薄紅の霜が曇るガラス越しに、見事な脂の差しが入った《ロックボア》、きめ細やかな赤身の《アロマディア》、香草で軽く下処理された《ウィンドホーク》が整列していた。各ブロックには、「保存魔法:軽」「等級:上」「屠り日:今朝」の札。
「……良い肉だな」
ユウが呟くと、背後から控えの店員NPCが静かに一礼した。年若いが背筋を伸ばした姿勢は、訓練を積んだ執事のように整っている。
「お目が高い。《ロックボア》は東林の若猪で、脂に甘みがございます。《アロマディア》は北原の放牧群より、香草を好むゆえ独特の風味を宿しております。《ウィンドホーク》は丘陵の狩猟品で、肉質は柔らかく煮込みにも適しておりまして」
ルゥはガラスに張り付くようにして肉を見比べ、落ち着きなく尻尾をばたばたさせている。しまいには尻尾の先でユウの腰をぺしぺし叩き、「早くこれ買え」とでも言いたげに鳴き声を上げた。
「ぴぃ、ぴぃ!」
「はいはい、分かった。……じゃあ《ロックボア》のロースを厚切りで四枚、《アロマディア》のヒレは小さめのブロックで一本お願いします」
「かしこまりました」
店員は満足げに微笑み、魔法秤に肉をのせる。秤の天秤に淡い光が走り、正確な重さと等級を示す。封魔紙に包み込むと、赤い宝玉の紋章が留め具へと淡く浮かび上がった。
封魔紙は魔力を遮断する特殊な紙で、鮮度を落とさず長時間保存できるらしい。留め具に浮かんだ赤い宝玉の紋章は、この商会が保証する品質印――いわばブランドの証だった。
「お客様の選ばれた部位は、いずれも本日の目玉でございます。良き料理になりますよう」
丁寧に差し出される包みを受け取りながら、ユウは「……ありがとう」と小さく返した。