第38話 特別な紹介状
焚き火の炎を見つめながら言葉を結んだグラナートに、ユウは小さく頷いた。
「俺もそう思います。……ルゥやセレスとの縁もそうですけど、あの日グラナートさんに会えたことも、すごく大事な縁だと思ってます」
素直に言葉を口にすると、グラナートは一瞬だけ目を見開き、すぐに皺の刻まれた口元を緩めた。
「ほほ……そう言われると、わしのような年寄りでも悪い気はせんの。ありがたいことじゃ」
グラナートはそう言うと、脇に置いてあった釣り竿を軽く持ち上げた。糸は垂らしたまま、湖面では浮きが小さく揺れている。どうやら、話をしている間も釣りを続けていたらしい。焚き火の明かりに照らされる横顔は、ただ釣りを楽しむ老人そのものに見えた。
「――ところで、じゃ」
ふと表情を改め、グラナートはユウを見やった。
「儂が来る前、お主は何やら困っている様子に見えたが……何かあったのか?」
その問いに、ユウは少し照れくさそうに頭をかいた。
「大したことじゃないんです。ただ……さすがに魚ばっかりで飽きてきまして」
「ぴぃ……」
ルゥが全力で頷くように鳴き、尻尾をばたばたと振る。
「塩焼きにしたり、スープにしたり、工夫はしてきたんですけどね。香草も切れたし、そろそろ街へ調達しに行こうかと考えてました」
「なるほどのう……魚と香草だけでは、確かに長くは持たぬか」
グラナートは顎に手を当てて小さく唸り、やがて静かに頷いた。
「蒼の幻獣まで懐いておるお主なら、間違いはあるまい」
そう言って、懐から一枚の羊皮紙を取り出す。赤い宝玉をかたどった紋章が刻まれたそれは、見慣れぬ厚紙に整った筆跡で記された紹介状だった。
「……これは?」
ユウが思わず問いかけると、老人はわずかに肩をすくめた。
「ただの紙切れよ。儂が長くやっておる商会――“グラナート商会”の紹介状じゃ」
「グラナート……商会?」
初めて耳にする名に、ユウは思わず復唱する。
グラナートは小さく苦笑し、焚き火に照らされた横顔をわずかに伏せた。
「商いを続けておったら、人も物も勝手に集まっての。最初は誰でも歓迎していたんじゃが……規模が大きくなるにつれて、品を荒らす者や横暴な客も増えてきてな」
そこでグラナートは肩をすくめ、苦笑を浮かべる。
「仕方なく会員制を敷いたのじゃ。今では限られた者しか中に入れぬようにしておる。……静かに買い物をしたい者や、確かな品を求める者には、むしろ都合のよい仕組みになったわけじゃよ」
その言葉に、ユウは思わず視線を落とした。自分の膝に頭をのせるセレスの蒼い瞳と、胸元にしがみつくルゥの温もり。
――仔竜や幻獣を連れたまま街を歩けば、どうしても目立ってしまう。
「……俺でも、ゆっくり買い物できる、ってことですか?」
「うむ。あそこなら余計な視線も気にせずに済む。仔竜も幻獣も、主と共に堂々と迎え入れられる。……そのための会員制じゃな」
淡々と告げられる声に、商人としての誇りと責任がにじんでいた。
「その紹介状があれば、街の中でもいくらかは便利になるはずじゃ。調達にも役立つじゃろう」
ユウは驚きと共に深く息を吐いた。
「……そんな大切なものを、俺なんかが受け取っていいんですか?」
「“縁”を大事にすると言ったのはお主じゃろう? ならば、これもまた縁よ。断る理由はあるまい」
にこりと笑うグラナート。その表情は、湖畔の焚き火に照らされて、ただの老人の柔らかさと、商会の長としての確かな眼光を同時に宿していた。
「……でも」
ユウはちらりとセレスへ視線を落とした。膝に寄り添う蒼い毛並みは、焚き火の光を受けて淡く揺れている。
「街へ入るとなると、ちょっと目立ちすぎますよね。ルゥはフードの中に隠れていられるけど……セレスは流石に無理だし。召喚と送還で隠すこともできますけど、できるだけ使わない方針でいるんです」
口にしながら、自分の考えがどこか我がままなのではとユウは小さく苦笑した。
だがグラナートは首を横に振り、楽しげに笑みを浮かべる。
「なるほど。……ならばちょうどよい」
そう言って立ち上がると、老人は釣り竿を肩にかけ、背を伸ばした。
「せっかくの縁じゃし、儂が案内してやろう。商会に向かう馬車を呼んでおく。中に入るまでなら、余計な視線を浴びずに済むじゃろう」
「えっ……いいんですか?」
「構わん、構わん。わしも街に戻るつもりじゃったしな。それに――蒼の幻獣が傍らにいる若者を放っておくのは、商人としても惜しい話じゃ」
にこりと笑うグラナート。その声音は、冗談めかしつつも不思議な温かさを帯びていた。
「では、馬車を呼んでくる。ここで待っておれ」
そう言うと、グラナートはすっと立ち上がり、釣り竿を肩にかける。湖畔の小道を振り返りもせずに歩き出し、その背中はゆったりとした足取りながらも不思議な安心感を漂わせていた。
ユウは思わず背筋を正し、小さく頷いた。膝に寄り添うセレスが耳を動かし、胸元のルゥが「ぴぃ」と短く鳴く。
湖畔に残されたのは、焚き火の小さな炎と、二匹の温もり。そして、再び街へ向かうための静かな期待感だった。